第15話 力を合わせて穴から脱出する


 悪いやつらの姿は見えなくなりました。


 でもあの犬が穴のまわりにいて、こちらをゆだんなく見はっているのはわかります。


 穴の壁はつるつるしていて、簡単には登れそうにありません。

 ふちは高いところにあって、飛び上がってもとてもとどきません。


「だまされた…………もうしわけありません……!」


 レントがエリーレアとテランスに深々とあたまをさげました。


「まったくです。ちょっと美人だからと鼻の下をのばして。だらしない」


「めんぼくしだいもございません……おかしいところはいくつもあったのに、に負けて、見すごしてしまっていました。供のものがころされてしまったと言っていたのに、それらしい死体も血のにおいもどこにもなかったですし、このあたりで射られたというのにどの木にもあの恐ろしい矢のあとはありませんでした。そしてこの穴。足元がなんだかおかしいなとは思ったのです。でも……」


「あのひとのお尻に見とれていたのですね」


「もうしわけありません……」


 レントは小柄こがらな体をさらに小さくしました。


「まあ、これ以上怒ってもどうにもならないので、ここまでにしておきましょう。けがはないですか? テランスさまも」


「ああ、少し背中を打ったが、動けなくなるようなことはない。エリーレア嬢、あなたは大丈夫ですか?」


「わたくしも、重たいものは身につけておりませんでしたから、さいわい何とも……ですが、剣がありません」


『顔』をつくった時に、ぼろぼろさんに渡して、それっきりです。


「ぼろぼろさんは、ご無事でしょうか」


「やつら、あの方を捕まえに行ったのかもしれませんな」


「ちくしょう、あの女も、犬のやつも、みんな仲間だったのか」


 レントがくやしがります。


「きっと、元いた国でも悪いことをいっぱいして、逃げ出して、こちらに来たのでしょうね」


「そうにちがいない。男をだますのがうますぎる。何人も何人もあの調子でだましてきたのだろう」


「それについては、あなたがだまされやすいだけだと思いますよ」


 冷たくいうと、エリーレアはあらためて穴を見回し、出口までの高さを目ではかりました。


「とにかく、はやくここから逃げ出さなければなりません。つかまえたはずのあの犬つかいが、わたくしたちのことを知らせてきたということは、ふもとの街から逃げ出して、犬も取り戻したということです。つかまえた人たちも、ころされてしまったかもしれません。あれはとてもあぶない相手です。ただでさえあぶない弓つかいに、あの男まで加わったら、わたくしたちはおしまいです」


「その通りです。明日の朝にはくと言っていましたね。その前にここから逃げなければ」


 テランスもうなずき、手持ちの武器や道具を確かめはじめました。


 エリーレアは、剣を持っていないだけでなく、『顔』を作るためにマントを外し、ギリアに着せるために上着も脱いでしまっていたので、ほんのわずかなものしか持ちあわせていません。


 レントは、食べものや細かい道具を色々持っていてくれましたが、肝心のロープが足りませんでした。


 持ってはいたのですが、と言ってもいい程度の、細いものが一本だけだったのです。

 これでは、体の軽いエリーレアならまだしも、体の大きなテランスを引っ張り上げることができません。


「しっかりしたものは、馬に積んでいましたから……!」


 くやしそうにレントはうなりました。


 その馬のが、かすかに聞こえてきました。


「いい馬が三頭も。ありがたいねえ」


 あの女の声が聞こえてきました。


 エリーレアは弓をかまえます。


 音が近づいてきて、穴のふちから顔がのぞきました。

 エリーレアは矢を放ちました。


「おっと。そうくると思ってたよ」


 かわされてしまいました。

 意地悪に笑われ、かなり大きな石が投げこまれました。どすんと穴の底に落ちて音を立てました。


「元気すぎてもめんどうだから、少しけがをさせて、動けなくしておくかね」


「たのむ、ギリアさん、たすけてくれえ!」


 レントがいきなり、弱々しく情けない声をあげました。


「足が、さっき矢に当たったところが、血が出て、痛いんだ! このままじゃ死んでしまうよぉ!」


「そりゃけっこう。そのお嬢さまも、でかぶつの騎士さんも、けがにんを放っておいて逃げたりしないだろ。ま、あとちょっとだけがまんしてりゃ、もう何もいたくないしこわくもないところに行けるから、それまでのだよ」


 あはははは、とそれはもううれしそうにギリアは笑って、離れていきました。


 馬のいななきと足音も遠ざかってゆきます。山賊たちの隠れ家へでも連れていくのでしょう。


「レント、大丈夫なのですか!? 足にけがを!?」


「ああ、何ともありません」


 心配するエリーレアに、レントはけろりと言いました。


「ああ言っておけば、もっと石を投げつけてきたり、上から矢をてくるようなことはしないでしょうと思いまして」


 エリーレアは安心しました。

 とっさにそういう知恵の出るレントのこともみなおしました。


「しかし、馬がうばわれてしまったな」


 テランスがうなって腕組みしました。


「ぼろぼろさんは、つかまってしまったのでしょうか。それとも、もしかして……!」


 もっと悪いことを想像して、エリーレアは血の気が引きます。


「いえ、逃げてしまったのでしょうな」


 テランスは安心させるように言ってくれました。


「つかまえていたら、あいつらはここへ突き落とすはずです。ころしてしまっていたのなら、それでも同じくここへ落として、我々をこわがらせようとするでしょう」


 レントも言いました。


「あの女にはまだ、ぼろぼろさんのことは何も教えていませんでしたから、どういう相手なのかわからなくて、気にしているはずです。弓矢の男は、もしかするとぼろぼろさんを追いかけているのかもしれません」


「だとすればやはり、わたくしたちはできるだけはやく、この穴から逃げ出さなければいけませんね。ギリアが馬を連れてゆき、弓矢の男が離れているのなら、上にはいま、犬しかいませんから」


「では私が、かまれてもとにかく、あいつをおさえこみましょう」


 レントが勇気を出して、体から重いものを外しはじめました。


「テランスさま、騎士の方にお願いするのはもうしわけないのですが、肩に私を乗せてもらえますか。まずできるだけ高いところに剣で足場を作ってから、さらに上へ登っていきます」


「それはかまわないが、登ってから、どうするのだ」


「私の持っているロープで、エリーレアさまなら登ってこられるはずです」


 レントは穴の上、自分たちが落ちたときにぱかりと開いたを示しました。


「あんなしかけがあるのですから、この穴はなんども使われているはずです。それなら、落ちた人を引き上げるためのしっかりしたロープか何かが、近いところにかくされているはずです。そうでないと、落ちた人の持っているお金やねうちのあるものを手に入れられませんからね。誰かを落とすたびにいちいちねぐらから持ってくるよりも、近くにおいておいた方がべんりでしょう」


「なるほど。言われてみれば確かに、あの女は様子で私たちを罠にはめたのに、この穴の中には落ちた人の骨はない。落とした人を、弱らせるなりころすなりしたとしても、そのあとに穴から出しているということだ」


「はい。ですので、犬は私がどうにかしますので、たとえ私がかみ殺されたとしても、とにかくエリーレアさまは、テランスさまをお助けすることだけを考えてください」


「レント、そんな……!」


「いいえ、だまされてこんなことになってしまったのは、私のせいなのです。なので、そのつみほろぼしをさせてくださいませ」


 レントの気迫きはくに、エリーレアは何もいえませんでした。


「では、やるぞ」


 細いロープを肩にかけ、両手に短剣を持ちさらに小さな刃物をひとつ口にくわえたレントを、かがみこんだテランスが自分の肩の上に立たせ、足首を支えながら起き上がりました。


 背の高いテランスの肩の上で、レントはまず腰のあたりで短剣を土の壁に深く刺し、それに片足を乗せてから、伸び上がって上に別な短剣を刺しました。


「が、がんばって……!」


 見守るしかできないエリーレアははらはらします。


 レントは、ざく、ざくと壁に短剣を刺して、登っていって、落とし穴のふたにロープを引っかけ、落としてきました。


 エリーレアは受け取って、ひっぱってみます。ふたがはずれて落ちてくるようなことはなく、これなら登れそうです。


「エリーレア嬢、大丈夫ですか」


「ええ、わたくし、木のぼりはとくいなのです。よくおてんばと言われ、お嬢さまのすることではありませんとしかられていたものですよ」


 体のよけいな力を抜くためにテランスに笑いかけてから、エリーレアはぐっと手に力を入れて、登りはじめました。


 レントは、エリーレアが登ってきたのを見て、犬のするどい牙にかまれる覚悟をかためた顔で、穴のふたに指を引っかけ一気に上へおどり出ました。


 エリーレアもそれを見て、大急ぎで手と足を動かします。レントが足場にした短剣のも次々と踏んで、ぐいぐいと登ってゆきます。


 次のしゅんかんにも、犬の恐ろしいほえ声とレントの悲鳴がして、血のにおいが一気にひろがるかもしれません!


 ロープを登りきり穴のふたをつかんで外に飛び出します。


「………………え」


 思ってもいない光景がそこにありました。


 あの黒々とした、大きくておそろしい犬が。


 ごろりと地べたに転がって、しっぽをふって。


 そのお腹を、白い手が――ぼろぼろの布から出てきている、とてもきれいな手が、しきりになでまわしているのでした。


「ぼろぼろさん!?」


 レントがぱかりとあごを落とし、エリーレアも一気に体の力が抜けて膝をつきました。


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