その令嬢のドレスの下には秘密がある。

瑪瑙 鼎

 その日、王都のレーヴェンタール公爵邸で開催された華やかな舞踏会は、次の瞬間、恐怖一色に塗り潰された。




「きゃああああああぁぁぁっ!」

「な、何だっ、貴様達はっ!?」


 煌びやかなドレスを身に纏った女性達が金切り声を上げ、次々に卒倒してその場に崩れ落ちる。侯爵や伯爵と言った高位の貴族達が倒れた妻や娘達を引き摺り、必死に壁際へと避難する。色鮮やかな会場にはあまりにも不釣り合いな、無骨な甲冑に身を包んだ20人程の男達が開け放たれたバルコニーから次々と雪崩込み、剣を抜いて壇上に佇む国王達を取り囲む。国王に従っていた四人の近衛騎士が剣を抜き、国王と王妃、王太子、そして近くに居た一人の令嬢を背にして、男達と対峙した。


「皆さん、静粛にっ!その場で大人しくしていただければ、身の安全は勿論、私が即位した後の地位も安堵する事を約束しよう!」


 手を打ち合わせる音が二度鳴り響き、明瞭な声がバルコニーから響き渡る。人々が一斉にバルコニーへと目を向けると、一人の中年の男が二人の魔術師を従えて姿を現わした。その男の太々しい笑顔を見た国王が顔を歪め、侮蔑の色を籠めて呟く。


「…ゲオルグ…貴様っ!」

「兄上、甘いですなぁ。幾ら長年重用して来た相手とは言え、臣下の催しに一家総出でお越しになられるとは」


 王弟ゲオルグの嘲笑の言葉に国王は応えず、包囲網の向こう側に佇む壮年の男へと目を向ける。


「…レーヴェンタール。其方だけはゲオルグの企みには乗らないと、信じていたかったのだがな…」

「陛下が悪いのですよ。いつまで経っても殿下とフリーデの婚約を認めないのですから」


 国王の言葉に、壮年の男は感情の抜け落ちた顔で答える。壮年の男の陰に隠れていた妙齢の女性が、王太子を糾弾した。


「アルフレット様がいけないんですっ!幾ら想いを募らせても一向に私に目を向けようとせず、そんな地味な女をいつも侍らせているんですものっ!ゲオルグ様は、即位された暁に私を王妃に迎えると約束して下さったわっ!」


 フリーデは腕を振り上げ、壇下に佇み、国王一家と共に騎士達に守られている一人の令嬢を指し示す。その令嬢は、眉目の整った美しい女性ではあったが、長いストレートの髪と瞳の色は黒く染まり、この狂乱の中でも薄ら寒さを感じるほど冷静さを保っていた。フリーデは黒髪の女性を指差したまま、ヒステリックな声で喚き散らした。


「アルフレット様っ!私よりそんなつまらない女を選ぶのですかっ!?ノイエンドルフ侯爵家などという、爵位以外なんの取り柄もない、つい半年前まで引き籠もっていた嫁き遅れの女などを!しかも何なの、その格好っ!まるで墨絵じゃないっ!」

「…」


 黒髪の女性はフリーデの追及に反論しようとせず、眉を顰めたまま、沈黙を保っている。黒髪の女性が身に着けているドレスは、生地や刺繍の出来こそ上質であるものの、色彩の乏しい、グレー一色に染まっていた。


 フリーデの指摘は、全くの事実だった。黒髪の女性、クリスティーナ・フォン・ノイエンドルフは、今年20歳にも関わらず、つい半年前にデビュタントしたばかり。それまでの彼女は、数年間、館から一歩も出た事のない完全な引き籠もり生活を送っていた。


 半年前、クリスティーナがデビュタントを済ませると、未来の女侯を射止めようと幾つかの家が釣書を送ったが、父のノイエンドルフ侯爵は一切それに応じようとしなかった。そうこうするうちに、彼女が引き籠もっていた事に関する悪い噂が立って縁談はぴたと止まり、今では嫁き遅れの象徴と見なされている。


 だが、そんなクリスティーナがここ2ヶ月程、王太子アルフレットと共に居るのがたびたび目撃されており、王太子妃の座を狙う複数の女性から敵視されていた。フリーデの追及の言葉を引き継ぐように、ゲオルグが口を開く。


「兄上、レーヴェンタール公のような重臣を軽んじるから、このような事になるのですよ。しかも前任者が引退して以降、近衛隊長を空席のままにしておくなど、危機意識の欠片もない。

 そのような愚鈍な男にこの国を任せるわけにはいかない。私が兄上に代わり、この国を正しく導いて差し上げよう。皆の者、国王らを捕縛せよっ!」


 ゲオルグの宣言に従って20人の男達が足を踏み出そうとした、その時。


 ――― カツン、カツン。


 四人の騎士に守られていたクリスティーナが、硬質の音を立てて足を踏み出し、たった一人で侵入者達の前へと進み出た。




「…?」


 目の前にただ一人佇むうら若い女性のドレス姿に、20人の男達は剣を構えたまま疑問符を浮かべた。クリスティーナの細い首はグレーの立襟にすっぽりと覆われ、手首まで隠れた長袖の先から黒い手袋が顔を出す。真っ直ぐに流れるAラインのドレスは足元まで広がり、男達は首から下の肌の一切見えない、モノクロームと化したクリスティーナの立ち姿に見入ってしまう。


 ――― カツン。


 そうして男達の注目を一身に集めたまま、クリスティーナが床を一つ踏み鳴らして身を翻し、踊り出した。




 その踊りは、舞踏会で嗜まれるワルツではなく、バレエのような激しい躍動感を伴っていた。クリスティーナは左足を軸にして独楽のように回転を繰り返し、遠心力によって足元に広がっていたスカートの裾が宙に浮き上がる。スカートの中からクリスティーナのしなやかな脚が現れ、男達の目はモノクロームの花を支える鮮やかな肌色の花茎かけいに目を奪われる。


 踊りを続けるクリスティーナが腰を振り、肌色の花茎が大きくしなった。波のようにうねるスカートの中から美しい襞を連ねたパニエが姿を現わし、下向きに咲き乱れる艶やかなカーネーションとなって、男達を魅了する。


「「「…うわあああああああああああぁっ!?」」」


 ――― そして、、瞬く間に五人の男を呑み込んだ。




「「「…なぁっ!?」」」


 突然仲間達を襲った惨劇に、侵入者達は剣を構えたまま呆然と立ち尽くす。大量の土砂を吐き出したパニエは回転しながらスカートの中に隠れ、クリスティーナは何事もなかったかのように踊り続けた。動きを止めた侵入者達の前で彼女の細いくびれが左右に揺れてスカートが侵入者達に向かって捲れ上がり、再び中からパニエが姿を現わして、男達に牙を剥く。


「ごぼおおおおおおおっ!?」

「ぎゃああああああああああっ!」

「た、助け…っ!」


 上半身ほどもある大きな岩塊や、鋭い槍と化した氷柱、炎を纏った暴風が無秩序に押し寄せ、血飛沫を上げて男達が次々と倒れていく。難を逃れた者達が我に返り、慌てふためきながら怒鳴り声を上げる。


「この女、魔術師かっ!?」

「違うっ!ソイツは詠唱していないっ!暴走だっ!魔力が暴走している!」

「と、突入しろっ!また撃たれる前に斬り伏せるんだっ!」


 生き残りの男達が、焦燥に駆られながらクリスティーナの許に突入する。その様子にチラと目を向けたクリスティーナは、両手を頭上に掲げ、胸を反らす。


 そして、その勢いを借りて右足を振り上げ、己のスカートを男達に向けて思いっ切り蹴り上げた。




 突入する男達の前にクリスティーナの美しい両足が剥き出しとなり、垂直方向に艶やかな肌色の線を描いた。立ち昇る右足と共にスカートが大きく口を開け、パニエに刻まれた無数の魔法陣が煌めきを放つ。垂直に伸びるクリスティーナの両足の左右から地、水、火、風、四大元素が濁流となって溢れ出し、男達を呑み込み、押し流していく。


「「「うわああああああああああっ!?」」」

「くそぉっ!お前達、何をしている!?魔法で応戦しろっ!」

「な、汝に命ずる!灼熱の炎の咢を以て、彼の者を焼き尽くせっ!≪炎爆ファイア・ブラスト≫!」

「汝に命ずる!鋭き氷の槍を成し、彼の者を貫き給えっ!≪氷槍アイス・ランス≫!」


 手勢が瞬く間に打ち倒されてゲオルグが狼狽し、喚き声に触発された二人の魔術師が魔法を詠唱する。巨大な炎の渦と長大な氷槍が二人の手から放たれ、踊りを披露するクリスティーナに襲い掛かる。


 迫り来る炎と氷槍を前にクリスティーナは踊るのを止めて相対し、手を伸ばして宙に舞うスカートの裾を掴む。そして、スカートを掴んだ手をそのまま頭上へと掲げ、ゲオルグ達に向けて臆面もなく中身をひけらかした。捲れ上がったスカートの裏地に刻まれた無数の魔法陣が煌めき、押し寄せる炎と氷槍が粉々に砕けて四散する。仕返しとばかりにパニエが輝き、吐き出された大量の四大元素が怒涛の勢いでゲオルグ達へと襲い掛かる。


「「ぐわあああああああぁぁぁっ!?」」

「そ、そんな馬鹿なああああああっ!?」


 ゲオルグの悲鳴と共に侵入者達は濁流に呑まれ、元来た道を戻るかのように、バルコニーの外へと押し流された。後に残ったのはスカートから手を離したクリスティーナと、会場を分断し、バルコニーと広間を埋め尽くす大量の土砂と氷塊の山。そして、至るところで燃え盛る炎。


「「…ひっ!?」」


 自邸の惨状を前にへたり込むレーヴェンタール父娘に、グレーのドレスを着た令嬢が振り返った。秀麗な眉を顰め、不貞腐れながら己のドレスの裾を摘まみ上げると、空中でちらつかせる。


「…公爵閣下、フリーデ様。怪我をしたくなければ、大人しく従って下さいませ」

「「…」」


 浮き上がったスカートの陰から一筋の炎が爬虫類の舌のように顔を出し、レーヴェンタール父娘はへたり込んだままガクガクと頷きを繰り返した。




 ***


「…まったく、フリーデの指摘は見当違いも甚だしい。、護衛すべき王太子に付き添って当然ではないか。のぅ、クリスティーナ?」

「…陛下、そのお話は幾度も辞退申し上げましたが」


 …え?


 会場の隅で縮こまり、広間の惨状を呆然と眺めていた貴族達は、国王の言葉を聞いて耳を疑った。クリスティーナが、騎士達に引っ立てられるレーヴェンタール父娘に目を向けたまま訂正するも、国王は面白そうに顔を綻ばせ、言葉を被せる。


「近衛ともなれば武芸に秀でているのは勿論のこと、煌びやかさも兼ね備えなければならぬ。其方なら、十分に条件を満たしていると思うのだが」

「武芸に秀でるどころか、私は生まれてこの方、一度も剣を手にした事などございません」


 自分は剣の才も、しがない子女だ。それが、何の因果で近衛隊長代理に指名されなければならないのだ。心外な表情を浮かべ、少しだけ振り返って横目で剣呑な視線を送るクリスティーナに、国王が笑みを浮かべる。


「何にせよ、クリスティーナ、よくぞゲオルグの企みを防いでくれた。大義である。褒賞として、其方の望むものを授けよう。遠慮なく申してみよ」

「それでは、一つだけお願いが」


 国王の言葉を聞いたクリスティーナは、土砂で埋め尽くされた正面へと再び向き直った。国王に背中を向けたまま、ボソボソと答える。


「――― 本日、この場における私の所業は、全てなかった事に…」




「…よかろう」


 黒髪がプルプルと震え、耳たぶまで真っ赤になったクリスティーナの後姿を見て、国王が笑いを噛み殺す。そして厳粛な面持ちで周囲を見渡すと、広間の隅に固まる参列者達に向かって堂々と宣言した。


「…其方達、聞こえたな?今日この舞踏会において、クリスティーナ嬢は侯爵令嬢に相応しい、淑やかなふるまいに終始した。良いな?これは勅命だ」

「「「…はっ」」」


 国王の宣言を聞いた参列者達は、壁際に張り付いたまま一斉にこうべを垂れる。一同が頭を下げる中、クリスティーナはただ一人広間の中央に佇み、下を向いたままプルプルと震えていた。




「…よいのか、アルフレット?」


 公爵邸の外に居た近衛隊が異変に気づき、大勢の騎士達が突入して瀕死の侵入者達を捕縛する中、クリスティーナが父親に付き添われて公爵邸を後にする。その後ろ姿を眺めていたアルフレットは、父親の声を耳にして振り返った。


「非主流派とは言え、建国以来続く由緒ある名家だ。妃として迎えるに十分な人物だと思うが」

「…止めておきましょう」


 国王の言葉に、アルフレットがかぶりを振る。


「彼女は決して、を制御できているわけではありません。いつ何処で暴発するやも知れず、そんな彼女に王太子妃などと言う新たな心労を強いるわけにはいきません」


 そう答えたアルフレットは、口の端を上げて苦笑する。


「…それに、彼女には想い人が居る。馬に蹴られるか、スカートを捲られるか。いずれにせよ、そんな死を迎えるのはご免です」

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