この話は一部フィクションです

水谷健吾

#1「空席」

 水谷健吾です。ついさっきの出来事なんですけど、ちょっと、ぞくっとする場面に遭遇しまして、そのことについて書きたいと思います。


 ことが起きたのは、東京から実家のある愛知へと向かう東海道新幹線の車内でして、そもそもから説明させてもらいますと、帰省するにあたって僕は新幹線の指定席を予約していました。ただ、出発時刻を勘違いしており、予約していた新幹線に乗れなかったんです。

 そのことに気づいたのは東京駅に着いてからでして、慌てて駅の券売機に向かって今からでも乗れる新幹線を探したのですが、あいにく季節はお盆真っ只中。どの便も指定席はおろかグリーン席でさえ埋まっていました。

 自由席、という選択もあったのですが混雑具合によって座れない可能性もあります。移動は数時間にも及ぶため出来れば避けたい。とはいえ、現実問題として席はありません。

 ほとんど諦めかけ、自由席もやむなしと思ったその時です。「残席わずか」という文字が僕の目に飛び込んできました。出発は1時間後。やや時間を持て余しますが十分に許容できる範囲です。他の誰かに取られてしまう前に素早く券売機の操作を済ませ、無事に発券することに成功した僕は、そこで、あることに気づきました。僕の席はC席だったのです。


 新幹線の席は列に対して数字が振られ、さらにそれぞれの列に対して窓際からA、B、C。通路を挟んでD、Eとアルファベットが割り当てられます。(グリーン車の場合は席の数が少なく、窓際からA、B、通路を挟んでC、Dです)

 大抵、まずは窓際のA席とE席が埋まり、次に通路側のC席とD席、そして最後に埋まるのがA席とC席に挟まれているB席です。こんな状況ですので僕は当然残っているのはB席だと思っていました。まさか通路側のC席が空いているとは。とはいえ、この時点ではそこまで不思議なことだとは思っていませんでした。A席とB席に座るのが二人組なら、隣同士で席を取るのるはごく自然なことだからです。


 違和感を感じたのはしばらくしてから、具体的には新幹線に乗車してからです。僕がC席に座ったすぐ後に一人の若い男性が僕と同じ列のA席に着座しました。やがて、新幹線は東京駅を出発します。僕と彼と間にあるB席を空けたまま。

 少し考えました。これはどういう状態なんだろうと。券売機で予約をした際、画面にはC席「のみ」が空いていると確かに表示されていました。すなわち僕の隣のB席は誰かが予約しているはずなのです。

 可能性として、B席の人物がこのあとの駅で乗ってくるパターンがあります。ただしその場合、新たな疑問も生まれます。その人物はC席が空いていたにもかかわらず、わざわざB席を予約したということです。窓際でも通路側でもない、一番不人気のB席を。

 もしくはこうも考えられます。A席の男性は元々誰かと来るつもりだった、しかし直前でそれが叶わなくなった、故に彼は一人で乗り込んだ。これなら十分にあり得そうです。現に僕だって電車の時間を間違えているのですから。なるほどきっとそうに違いない。納得した僕はノートパソコンを取り出し、お盆の間に終わらせておきたい脚本の執筆に取り掛かりました。


 トラブルが起きたのは品川駅を過ぎた頃でした。

「席空いてるじゃんかよ!」

 後方から聞こえたトゲのある声に車内がピリつきます。視線をやると、初老の男性が車掌に向かってなにやら文句を言っていました。

「なんでダメなの?」

 老人は自由席を購入した乗客のようで、主に下記の主張をしていました。自由車は全ての席が埋まっている、だがこの車両に移動してみると空いている席がある、だったら座っても良いだろう。ちなみに、空いてる席というのは僕の隣のB席です。

「ここだよここ!」

 通路を歩いて老人は僕のすぐ横まで来ました。僕は、老人を極力気にしないフリをしました。

「ですから……」

 車掌は老人に説明をします。この車両は指定席であるということ、この席にはこれから乗ってくるお客様がいるということ、仮に乗ってこなかったとしても指定席は別料金のため座ることができないこと。しばらくの問答の末、老人は自由席車両へと引き返していきました。

 ふう、と心の中でため息をつき、僕は再び画面の向こうの台本に集中しようとします。すると。

「すいませんでした」

 掠れた声が聞こえました。見ると、A席の彼が伏し目がちにこちらを見ています。どうやら僕に向けて謝っているようです。いや全然。咄嗟に答えながらも、僕はいまいちピンと来ません。

 彼は何に謝っているのでしょうか? 先ほどの老人の件でしたら、彼に非はありません。ある意味では僕と同じ被害者です。そんな僕の疑問を察したのでしょう。彼は、やはり消え入りそうな声で続けました。

「僕、ずっとこうなんです」

 こう? なんだか含みのある言い方でした。改めて見てみると、彼の周囲には、陰鬱な気配とでも言うのでしょうか、何か厄介なことを抱えていそうな雰囲気が漂っています。妙に、彼の話の先が気になりました。

「こう、というのは」

「いつも隣が空席になるんです。だいたい3年前くらいから、今日みたいに新幹線を予約したり、あとは映画とかサッカーとか、僕が指定で席を取ると、必ず、片方の隣には誰もいないんです」

 僕は随分と曖昧な答えをした記憶があります。「あぁ」とか「へえ」とか。それから「それは不思議ですね」と伝えました。

「信じられないですよね、こんな話」

 確かに信じがたい話でした。いや、信じがたいと言うより、単なる偶然を大袈裟に捉えているだけのような気がしました。ただ、彼の顔はやはり暗く、困惑というか悲痛というか、とにかく、苦しそうな表情です。

「でも予約の時だけじゃないんです」

 話は続きます。

「僕、マンションで一人暮らしをしているんですけど、どういうわけか、僕の隣の部屋だけずっと空室なんです。もちろん、それ単体なら別に珍しいことでもないんですけど、でもやっぱり、予約の件と合わせて考えると、なんか気持ち悪いなぁと思ってて、で、ちょっと前に、内見で一人の男性がうちのマンションに来ていたんですけど、その男性、仲介業者の人とエントランスで話し込んでいて、どうも、マンション自体は気に入ったようで、じゃあどの部屋にしましょうか、みたいな話をしていました。でその人、僕の隣の部屋が良いかもって言ったんですけど」

 途端、彼の顔がこわばりました。

「そしたら」

「そしたら?」

「仲介業者の人の声が、なんて言うんでしょう、動画をスローで再生した時みたいな、やたら低くて、妙にのっぺりとした声になったんです。そしてその声で、『あぁ、その部屋は、ダメなんですよねぇ』って。しかも、それを聞いた内見の男性も、全く不思議がっている様子はなくて、『あぁ、それはそうですよねぇ』って、同じように低くのっぺりした声で答えて。僕、その時は声だけしか聞いてなかったんで、どうしたんだろうと思って、いや今思えば絶対にすべきじゃなかったんですけど、エントランスの影からチラッと二人の顔を覗いちゃったんです。するとその二人の目が、まるでちっちゃな子供がクレヨンでぐりぐりと塗りつぶしただけの大きな黒丸みたいになっていてしかも普通の目のサイズよりも一回りも二回りも大きいんです、でもそれだけじゃなくてそれだけにとどまらなくて僕が彼らを見た瞬間その顔がすさまじい勢いで僕の方を向いて、それから嬉しくてしょうがないって感じで彼らはケタケタと笑い出してそして」

 ヴオン、と空気を切り裂く音がして僕はビクッと体を震えさせました。新幹線がトンネルに入ったようです。彼は、個人的なことを喋り過ぎたと思ったようで、「まあ、そんな感じなんです」と話を切り上げました。


 トンネルを抜けると、夏の青空が窓の向こうに見えました。遠くには静岡の海が太陽を反射して輝いています。彼は、次の駅で降りていきました。その背中を見送りながら、僕は先ほどのことを思い返します。

 不自然に空いているB席。彼のこれまでの体験。そして、トンネルに入った瞬間窓に映り込んでいた女のこと。彼女は窓の中のB席に座り、クレヨンで塗りつぶしたような黒い目で、僕に向けて警告するように口をぱくぱくとさせていました。おそらくですが、彼女はこう言ってたんだと思います。


「あぁ、そのせきは、ダメなんですよねぇ」


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