15:眠れない夜

 その夜、彼らはそれぞれ眠れない夜を過ごしていた。


 

【Side:ジョアンナ】


 ジョアンナはベッドの中でアイテムボックス画面を眺めていた。


 手に入れた女神の涙は、どうやらとんでもない物のようだ。「世界を救うような力」と言われても、ジョアンナには話が大きすぎてイマイチ実感が湧かない。

 しかし、セリーナの緊迫した雰囲気を感じて、大変なことが起きているのはわかった。


しずくの絵が描いてあるし、涙と言うくらいだから液体なのかしら?」


 [アイテムボックス]から女神の涙を取り出せば、【鑑定】でどんな物なのかを調べることもできる。


 しかし、セリーナに女神の涙は[アイテムボックス]からは出さないように言われていた。

 女神の涙もデスパル草のように短い時間でダメになってしまう物かもしれないので、それも仕方ないのかもしれない。

 

 どんなに考えても、女神の涙についてはセリーナが話してくれた以上の情報が無い。

 それに加えて、何か情報を得る伝手や方法も持っていないのだ。


 ジョアンナにできることは何も無かった。自分の事なのに、何もできない無力さがもどかしい。

 

 ため息を吐きながら寝返りを打つと、ふと自分の左手が目に入った。

 脳裏にヴィンセントの顔が頭に浮かび、なんだか急に顔が熱くなってくる。


「ヴィンセント様の手、大きくてゴツゴツしていたわ……」


 これまでジョアンナは、父以外の大人の男性と手を繋いだことが無いのだ……。

 フィリップとも婚約者として、適切な距離を保った交流をしていた。そのため、エスコートを受ける時に、手袋をした彼の手に触れる以外の接触は無かった。


「手……温かかったな……」


 ジョアンナは、自分の小さな手とは全く違う大人の男性の手に触れて……ヴィンセントが異性であるという事を強く意識してしまう。

 湧き上がる羞恥しゅうちに耐えきれず、ベッドの上で転がりまわるジョアンナ。

 

 彼女の顔は、耳まで赤く染まっていた……。



 

【Side:ヴィンセント】


 ヴィンセントはベッドに横になり、手に持った聖水を眺めていた。

 聖水を見ていると、いつもはジョアンナを思い出して柔らかな気持ちで心が満たされるのだが……今は焦燥感に包まれている。


「女神の涙か……」


 思わずこぼれた言葉には、切ない色があった。


 ジョアンナはあまり気がついていない様子だが、彼女のスキルは極めて貴重だ。

 スキルの情報が漏れれば、彼女を望む家は山ほどあるだろう。

 

 スキルキャンディで【鑑定】のスキルが増えたことに加え、伝説の物まで手に入ってしまうスキル。

 このことが王家に知られたら、きっと王家に取り込もうと動く者が出てくるだろう……。

 

 王太子のセドリックは、リネハンが望まない事を強引に進める事は無いはずだ。

 しかし、彼の2人の弟達はどうだろうか?

 

 セドリックには、2人の弟がいる。

 側妃の子の19歳の第2王子、クリフォード。

 王妃の子の15歳の第3王子、トリスタン。


 セドリックが見舞いに来た時に愚痴をこぼしていたが、現在、王家は2つの派閥に分かれているらしい。


 王妃の子で、現在の王太子でもあるセドリックを推す、第1王子派。

 そして、側妃の子のクリフォードを王太子にしようと動いている、第2王子派。

 

 第3王子のトリスタンの派閥は、第1王子派に属するらしい。

 

 もしも、第2王子派にジョアンナのスキルのことが知られれば、間違いなくクリフォードとの婚約話が持ち上がるだろう。


 この国ではある程度の影響力を持っているリネハンだが、第2王子派の動きをどこまで押さえ込めるのかは予想がつかない。

 

 ──この身体が健康だったら、慣例を無視して結婚を早めてしまうこともできたが……。


 そんな考えが一瞬浮かんできたが、それは無理な話だ。

 ヴィンセントは大きなため息をつき、上体を軽くひねった。


 すると、自分の右手が目に入る。


「小さくて、柔らかくて……可愛い手だった……」


 隣にいたジョアンナが、不安気な表情を浮かべていることに気がついた瞬間。手袋をしていないことも忘れて、思わず彼女の手を握ってしまったのだ……。

 

 手に残る彼女の感触を思い出すと、胸が小さく痛んだ。

 

 ──こんな身体でなければ……。もしも、身体が自由に動けば、リネハンの次期当主として全力で彼女を守ることができるのに……。


 自分の無力さを痛いほど感じ、ヴィンセントは目を閉じて大きなため息をついた。



 

【Side:セリーナ】


 今日は街の視察から帰ると、ヴィンセントとジョアンナ、それぞれから手紙が届いていた。

 内容は同じようなものだったが、どうやらジョアンナに新しく[10連ガチャ]という能力が芽生えたらしい……。


 ヴィンセントの手紙には、彼も一緒に[10連ガチャ]を確認したいと書いてあった。

 それを見て、セリーナは思わず笑ってしまった。

 

 新しい能力に興味があるのも事実だろうが、恐らく彼女が心配で仕方ないのだろう。


 最近、2人は仲良く[ガチャ]を回していると報告を受けている。

 どうやら想像していた以上に、ヴィンセントの中でジョアンナの存在が大きくなっているようだ。



 それにしても、ジョアンナのスキルには驚くばかりだ。

 

 スキルキャンディにデスパル草、どちらもジョアンナが思っているより貴重な物だ。

 王家や他家に情報が漏れれば、良からぬことを考える者も出てくるだろう。


 ジョアンナはハズレ扱いしている聖水も、【鑑定】の結果を聞く限り貴重な物だ。

 

 この国の教会は健全な運営がされているので、あまり心配はいらないが……。

 他国には教会が力を持ち、悪どい商売をしている国もある。

 もしも、そんな国に聖水の存在が知られれば、教会がジョアンナを聖女だと担ぎ上げてひと騒動起こるだろう。


 最悪の場合、ジョアンナがさらわれて売られたり、幽閉されて奴隷のような扱いを受ける可能性もある。

 

 リネハンは、隣国や魔物を退けられるほどの騎士団を持っている。

 そのため、王家や他国といえども、そう簡単に思い通りにはできない。

 

 リネハンの総力をかけて、ジョアンナを守るつもりだが……。

 【ログインボーナス】の特異性を考えれば、何が起こってもおかしくないのだ。


 当主のケルヴィンは、タイミングの悪いことに屋敷を長く空けている。

 本格的な冬が訪れ領地が雪で覆われる前に、領内を回って異常が無いかを確認しているのだ。

 

 セリーナは、数日前にケルヴィンへ急ぎの手紙を出していた。

 

 本来なら、ケルヴィンはあと10日は屋敷に戻らない予定だが、手紙を読めば早めに戻ってきてくれるだろう。

 それまでは、何があってもセリーナがジョアンナを守らなくてはならないのだ。

 


 そんな風に気合いを入れて、夕食後にヴィンセントの部屋に行ったセリーナだったが……。

 良くも悪くも、予想外の出来事の連続だった。


 仲が良いとは聞いていたが、当たり前のようにヴィンセントのすぐ隣に座るジョアンナ。

 セリーナは顔には出さなかったものの、内心ではとても驚いていた。

 

 以前の婚約者と婚約を解消してから、ヴィンセントは人との接触を避けるようになっていた。

 それが今では、ジョアンナのすぐ隣で楽しそうに笑っているのだ。

 

 それを見ただけで、涙が出そうになった。

 

 そして、ヴィンセントの身なりもセリーナを驚かせた。

 

 ベッドの上で過ごす時間が増えるにつれて、ヴィンセントは見なりに気を配る余裕も無くしていた。

 それが、変色した皮膚を隠すためにマスクを身につけ、髪型も以前のように綺麗に整えられていた。


 ダニーに後で聞いた話だが、あのマスクは最近になってあつらえた物だそうだ。

 そんな彼の変化を、セリーナは微笑ましく思った。


 少しお茶を飲みながら3人で話したが……。

 あんな風に自然な笑顔で楽しそうに話すヴィンセントを見たのは、いつぶりだろうか?

 セリーナは気を抜くと涙が出てきそうで、実は顔を作るので精一杯だった。


 

 そして、[10連ガチャ]を回してみせてもらうと……。

 ジョアンナは少し緊張した様子だったが、一生懸命、説明していた。

 画面が見えないセリーナ達にも伝わるように、手ぶりなどをつけて説明するジョアンナ。

 そんな彼女をヴィンセントが大切そうに見つめていた。

 

 セリーナは顔が緩みそうになるのを、必死で堪えながら目の前の2人を眺めていた。


 [10連ガチャ]は、10回の[ガチャ]が一度でできるスキルのようだった。


 [10連ガチャ]を回し終えて、出てきたカードを1つ1つ読み上げていく、ジョアンナ。


 それを聞きながら、ワクワクしていたセリーナだったが……。

 ジョアンナの口から「女神の涙」という言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 女神の涙……それは、ヴィンセントのために取り寄せた、古い伝承が書かれている本で見た名前だった。

 

 この国ができるよりも遥か昔、人類が滅亡するかもしれないと言われるような危機が訪れたそうだ。

 未知の病が世界中で蔓延まんえんし、多くの人が死んだ。人々が恐怖に包まれた時に、世界を救ったとされるのが女神の涙だった。

 

「暗い闇に包まれた大地に、女神の涙をひとしずく落とすと、世界は光に包まれて人々は希望を取り戻した」


 ジョアンナにはあえて伝えなかったが、本にはそう書かれていた。

 そんな物をジョアンナは持っているのだ。


 部屋にいた使用人も含めて厳重に口止めしたが、セリーナでは彼女を守りきるのは難しいだろう。


 手を繋いで頬を赤らめていたあの2人の幸せを……なんとか守りたい。


 胸の中の不安を吐き出すように、大きく息を吐いたセリーナ。

 彼女は、早く愛する夫の顔が見たくて仕方なかった……。

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