07:婚約者との対面

 翌日、部屋で朝食を食べた後に、セリーナと一緒にお茶を飲むことになった。


 部屋に行くと、すでにお茶の準備が整っていた。

 大きな窓に面してテーブルが置いてあり、美味しそうなお菓子が並んでいる。


 ジョアンナとセリーナは少し大きめのソファーに横並びで座り、庭を眺めながらお茶を飲んだ。


 そしてお茶を入れ替えるタイミングで、人払いがされる。

 侍女達が退室し、部屋に2人きりになるとセリーナの空気が真剣なものに変わった。


「ヴィンセントの身体のことは、どれくらい聞いているかしら?」


「魔物から傷を受けた際に、毒におかされて、身体が自由に動かせないということを聞いています」


 セリーナは少し悲しそうな顔をしながら、口を開く。


「息子に……以前、別の婚約者がいたことも知っているかしら?」


「はい、聞いています」

 

「王家から話のあった婚約で、断ることは難しかったと思うの。もしジョアンナさんがこの婚約にあまり気が進まないのなら、ヴィンセントに会う前に断ってくれてもいいわ。王家には適当な理由をつけて、貴方が傷つかないように婚約解消できるから……」


 真剣な瞳で真っ直ぐにジョアンナを見つめて、話をしてくれるセリーナ。クレアが言った通り誠実な人だなと思った。


 ジョアンナは昨日の心のこもったもてなしを受けて、リネハン家に来て良かったと心から思っていた。ヴィンセントとはまだ会っていないが、このセリーナの息子なのだ。きっと素敵な人だろう。


 ジョアンナは真っ直ぐにセリーナを見つめ返し、自分の思いを素直に話すことにした。


「私はリネハンに来られて良かったと思っています。セリーナ様から温かい気遣いを沢山いただき、すでにリネハンが好きになっています。ヴィンセント様とはまだお会いしていませんが、これから時間をかけて、わかり合っていければと思っています。ただ私のスキルは【水魔法】ではなく、何の役にも立たないものです。もしヴィンセント様との間に子供が生まれた場合、子供がこのスキルを受け継いでしまったらと思うと少し怖いです」


 そこまで話すと、セリーナは瞳を潤ませて首を左右に振った。

 そして、遠慮がちに手を伸ばしてジョアンナをそっと抱きしめてくれた。

 セリーナは温かくて優しい匂いがする。

 なんだか母に抱きしめてもらっているようで、ジョアンナも瞳が潤んでしまう。


 セリーナは抱きしめた腕をほどき、ジョアンナの瞳を見つめると、こう言ってくれたのだ。


「リネハン家にスキルで人の価値を決める者はいないわ。貴方のスキルも、神様が貴方に授けてくれた意味のあるものだと思うの。これまで、スキルのせいで辛い思いをしたかもしれないけど、いつかそれを忘れるくらい、この地で貴方には幸せになって欲しい。もし子供が貴方と同じスキルでも全然大丈夫よ。スキルが無くても、その子の好きなことを伸ばして育てていけばいいわ。もし剣が好きな子なら、私がキッチリ鍛えてとびっきり強くしてあげるから」


 セリーナの言葉を聞いて、誰にも言えずにずっと不安に思っていた気持ちが軽くなった。

 ここには、スキルでジョアンナを切り捨てないでいてくれる人がいる。

 もし我が子が同じスキルを授かっても、ジョアンナみたいな思いをさせないですむのだ。


 ジョアンナの瞳からボロボロと涙が溢れてくる。

 そんなジョアンナをセリーナはまた抱きしめて、優しく背中を撫でてくれた。

 

 


 それからセリーナは、時折、言葉に詰まりながらも、ヴィンセントが傷を受けた当時のことを話してくれた。

 

 ヴィンセントと王太子のセドリックは学園で仲良くなった友人だった。

 学園を卒業すると、セドリックは年に数度、お忍びでリネハンに遊びに来るようになった。2人はいつも魔の森に出かけて、魔物を狩っていたそうだ。


 ヴィンセントは【剣聖】、セドリックは【火魔法】のスキルを持っていたので、大抵の魔物が2人の敵ではなかった。


 2年前のその日も、2人は護衛の騎士を数名連れて魔の森に来ていた。

 急に雲が出てきて雨が降り出しそうだったので、その日は早めに切り上げることになった。

 そして、引き返している途中で事件は起きた。


 帰り道で遭遇した狼の魔物3匹と戦闘中に、ヴィンセントはなんだか嫌な感じがした。

 すぐにセドリックを探すと、彼に黒い蛇が迫っているのが見えた。

 ヴィンセントは夢中で身体を動かして、セドリックを突き飛ばすと、左腕に咬まれたような痛みが走った。


 魔物を全て倒し終えてから、ヴィンセントが左腕を見ると、蛇に咬まれたような跡があった。

 すぐに同行していた治癒士にも診てもらったが、毒に侵されている様子も無さそうだったので、その場で簡単に治療を受けて、急いで屋敷に戻った。



 屋敷で医師にきちんと診てもらい、毒に侵されていないことを確認したので、大丈夫だろうとみんな安心していた。

 その事件の後もセドリックは予定通りに屋敷に滞在し、数日後にはまた2人で魔の森にも狩りに出かけたりもした。


 セドリックがリネハンを出て数日過ぎた頃、ヴィンセントは左腕に痒みを覚えた。

 腕を見ると赤く腫れているが、最初は虫に刺されたのかと思って気にしていなかった。

 

 しかし、数日後には左腕に痺れを感じるようになった。

 腕を良く見てみると赤く腫れていた部分が黒くなっており、前に見た時よりも範囲が広がっている。


 ヴィンセントはおかしいと思い、もう一度医師を呼んで詳しく診てもらうことになった。

 しかし、腕以外に身体に異常もなく、患部を消毒するくらいしかできない。

 蛇に詳しい者を探して、ヴィンセントが咬まれた黒い蛇の特徴を伝えてみたが、その蛇を知る者はいなかった。


 腕は徐々に黒い部分が広がり、ヴィンセントは左手が痺れて動かせなくなった。

 セドリックにも知らせを送り、王宮でも調べてもらったが何もわからないまま、時間だけが過ぎていく。


 半年が過ぎる頃には、ヴィンセントは身体の左側が痺れて、1人では歩けなくなってしまった。

 黒い部分は、胴や顔,足の一部にまで広がっていた。

 


 セドリックが手配し、王宮から医師や治癒士、魔物や毒の研究者など、様々な分野の専門家がリネハンにやってきて調べてくれた。しかし、治療の糸口も見えないままに時間だけが過ぎていく。


 そして、悲劇は続く。

 事件後は会わずにいた婚約者が、ヴィンセントの部屋にこっそりやってきたのだ。


 こんな状況なので、婚約解消に向けて親同士で話し合いを持っていたが、彼女にはヴィンセントの状況が全く知らされていなかった。運悪く新人の使用人が対応し、ヴィンセントの婚約者だったので、見舞いだろうと勘違いして部屋に通してしまったのだ。


 彼女はヴィンセントの部屋で、変わり果てた彼の姿を見て悲鳴をあげ、そのまま倒れてしまった。

 そして婚約はすぐに解消になったが、彼もこれにはショックを受け、しばらくは食事も喉を通らなくなってしまった。


 それから1年半の月日が過ぎるが、未だに治療の糸口も見つかっていないそうだ。

 黒い部分の拡大は止まったが、最近は腕から蛇のうろこのようなものが出てきている。

 それが少しずつ広がっていて、激しい痛みも出るようになっているらしい。



 ジョアンナはヴィンセントや家族の気持ちを思い、胸が苦しくなった。

 自分に何ができるかはわからないが、彼に寄り添い少しでも元気になるように、心を込めて尽くそうと心に決めた。


 セリーナは全てを話し終わった後にジョアンナを見つめて、最後に「それでも本当にいいか」と問いかけた。


 ジョアンナは迷うことなく頷いたのだった。

 



 すっかりお茶も冷めてしまったので、鐘を鳴らして侍女を呼びお茶を淹れ替えてもらうことにした。

 部屋に入って2人を見た侍女は、明らかに泣いたであろう2人の顔を見てギョッとしていたが、お茶を淹れると静かに出て行った。


 2人は温かいお茶を飲みひと息つくと、お互いの顔を見てあまりの酷さに笑い出した。

 どちらも目の周りはパンパンに腫れ、化粧は落ちきっていて酷いものだ。


 ひとしきり笑い合い、お菓子を摘みながら他愛のない話をしていると、ドアを叩く音が聞こえてきた。


 入室を許可すると、年配の女性が部屋へ入ってきた。

 彼女は屋敷に常駐している治癒士のようで、2人の顔を見て少し笑うと治癒魔法をかけてくれた。


 温かい光に包まれて目を開けると、セリーナの顔が元に戻っている。治癒魔法にこんな使い方があるのだと、ジョアンナは驚いたのだった。

 



 せっかく顔も治ったので、ジョアンナはセリーナに頼み、ヴィンセントに会わせてもらうことにした。

 部屋に戻り化粧を直して、部屋で迎えを待つ。

 1時間くらい経った頃にセリーナがやってきて、ヴィンセントの部屋まで案内してくれることになった。


 2人は1階にあるヴィンセントの部屋へ向かう。

 彼の部屋は元々は2階だったが、1人では歩くことが難しくなったので、1階に移ったそうだ。


 ヴィンセントの部屋の前で、セリーナが確かめるようにジョアンナを見つめた。

 ジョアンナは軽く微笑み、首を縦に振って「大丈夫」だと伝える。

 それを見たセリーナはひとつ息を吐き、いつもと同じ笑顔を浮かべてドアをノックした。


 

 しばらくすると、中から男性が出てきた。

 彼の名はダニー、ヴィンセントの身の回りの世話をしているそうだ。

 

 そして、ベッドには寝巻きを着た銀髪の男性が座っていた。

 男性の左側の顔や手には包帯が巻き付けられている。


「ヴィンセント、こちらがジョアンナさんよ」

 

「はじめまして、ヴィンセント様。マーランド伯爵家から参りました、ジョアンナです。これからよろしくお願いいたします」


 ジョアンナは丁寧にカーテシーをして挨拶をする。


「はじめまして、ヴィンセントです。こんな格好で申し訳ありません。ジョアンナ嬢は赤い瞳がとても綺麗ですね……お会いできて嬉しいです」



 2人は穏やかに微笑みあった。

 これが、ジョアンナとヴィンセントの初めての出会いだった……。

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