誰も見てない絵

転校生

誰も見てない絵

 高校の美術室に篭もり、黙々とスケッチブックに筆を走らせる。輪郭を捉えて線を引き、質感を見据えて形を整える。絵を見た人がモデルを特定できるよう、オリジナルな質量を紙に封じ込める。


「ね、そろそろ疲れたんだけど」


 絵のモデルを頼んでいた香山かやま 涼子りょうこ先輩が 、少し不満気な顔で訴えかけてきた。休憩まではまだ少し時間がある。だけどモデルにへそを曲げられて、これ以上描けなくなる方が問題だ。


「分かりました、今日はもう終わりにしましょう」

「マジ?いいの?言ってみただけなんだけど…」

「構いませんよ。どうせ趣味ですから」


 そう、これは僕の趣味だ。評価されるのが目的じゃない、描くことを楽しむのが目的だ。だから僕の気が乗ったら描くし、やる気が無ければ描かない。それだけの話だ。

 だから絵の完成なんて、本当はどうでも良かった。


「お疲れ様でした、先輩。また明日」

「どうせなら一緒に帰ろうよ」

「えぇ…先輩、彼氏いませんでしたっけ?」

「この前別れたからいーの。ほら、早く行こ」


 先輩に腕を引かれて、並んで下校する。帰宅部が帰るには遅く、運動部が帰るにはまだ早い時間。青空の下、帰路を歩いているのは僕達2人だけだ。


「そう言えば私、葉山はやまの絵、見たことないんだけど」

「何度か見せてますよ。覚えてないだけでは?」

「かもしんないわ」


 先輩は苦笑した。もちろん、僕の言葉は嘘だ。先輩には何度も絵を見せている。それでも覚えてないかもと思われる当たり、やはり僕の絵は記憶に残らないのだろう。

 他愛ないやり取りのはずなのに、僕の心には黒い染みが浮かび上がった。


「…先輩は、本来の役割を果たせない道具をどう思いますか?」

「どしたの急に」

「前から考えてたことですよ」


 道具には役割がある。コップなら水を汲む、ペンなら文字を書く、車なら人を乗せる。でもそれが、不可能な道具があるとしたら?それは多分、初めから生まれるべきじゃなかったものだ。


「そりゃあ使えないなら…捨てるんじゃない?」

「そうですよね。僕もそう思います」

「さっきから何言ってんの?」

「僕の絵のことです」


 絵は人を感動させるためにある。喜びであれ、悲しみであれ、怒りであれ。見た人の記憶に残り、心を揺さぶるのが絵の役目だ。

 でも僕の絵は、その役目を果たせていない。なら捨てられて当然だろう。


「僕の絵は、役目を果たせてないんです」

「でも絵に役目とか無いじゃん」

「ありますよ、 誰かの感動になるって役目が。誰にも見られない絵なんか、無くても一緒じゃないですか」


 物の連続性という概念がある。たとえ見えなくなっても、物体が消えた訳では無いという、ごく当たり前の事だ。これが成り立つのは見た人が居るからで、僕の絵は僕以外に誰も見てない。

 今まで何度もモデルにした先輩ですら、覚えてないのだから、無い物と同じだ。


「今日の葉山、なんか変だよ」

「元々変なヤツですよ。じゃなきゃ才能も無いのに絵なんか描きませんよ」

「そんなキッパリ言わなくても…」


 先輩が何を言いたいのか、言われなくても分かる。きっと先輩は優しいから、才能無いなんてことない、って言うんだろう。

 違う。違うんだ先輩。僕はお情けの言葉が欲しくて、絵を描いてるんじゃない。誰かが見てくれればそれでいいんだ。


「ま、見られる努力をしてない僕の方が、問題なんですけどね」

「十分努力してるじゃん。いつも残っていっぱい絵描いてるし」

「足りないんですよ。もっと宣伝したり、それこそSNSに乗せたりしないと」


 今の時代、アナログだけ描いてるようなヤツは、描いてる自分に酔ってるヤツか、本物かの二択だ。そして僕は悲しいことに前者だ。


「じゃあどうすんの?私の友達とかに宣伝する?」

「嫌ですよ。宣伝したところで、見た人が何も感じなければ意味ありませんから」


 僕は結局どうしたいのだろう。先輩に慰めて欲しいのだろうか、それとも先輩に当たり散らして、すっきりしたいだけなのだろうか。

 先輩と一緒に歩いていたはずの帰り道、僕の心だけは行く道を忘れて迷っていた…

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誰も見てない絵 転校生 @Tenkousei-28

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