第223話 バッドエンドのプロローグ
「あの高架下の壁は、ウチが練習するのに何度か使っててね」
ホットミルクを三口で飲み干し、新しい煙草に火を付けてコーコは喋り始めた。
「言うなればあそこは、ここらのストリートグラファーのスケッチブックみたいなものでさ。壁、見た? 隙間が無い位びっちりとグラフィックが描かれてただろ。別に誰かが言い出したわけでもないけど、あのスポットだけは多少下手っぴな奴が上に描いてもとやかく言わないことになってる。……で、最近は来てなかったんだけど、高校辞めてからはここでバイトしてるから、暇な時はたまに様子見ているんだよ」
「よくもまあ、あんなジメジメした所に……」と、ショウタロウに説明するのを忘れていたことを思い出す。「こいつ――真城紅子は、ストリートアートが専門なんだ」
「へえ……。真城先輩、ストリートアートって犯罪ですよ。知ってました?」
さっきのクソ風紀委員発言で、ショウタロウはすっかりコーコのことを敵視しているようだ。
「それじゃあ、お前とあのホームレス連中は顔見知りってことなんだな」ショウタロウの言葉を無視して、再びコーコに向き直る。「一体どうやってあんな連中に取り入ったんだ?」
「別に何も。あの人らは本来気の良い連中だよ。たまーに焼酎でも買っていってやったらきちんとスペースを空けて、絵を書き終わるまで邪魔しないで待っててくれるんだ」
俺は思わず眉を顰めた。――あいつらが、気の良い連中だと? 俺への態度からすればとてもじゃないが信じられない。だが、目前の艶のある足を見てピンときた。
「……あの。それは、多分、コーコが女子高生だからだろ……」
そういう俺の頭を、煙草を持った手で叩いてきた。前髪が火にあぶられてキュルンと縮まったのが見えて、慌てて手を払う。
「ちーがーう。私はもう女子高生じゃなくて、ただの未成年のフリーター……って、そこじゃなくて、あの人達最近気が立っているんだ。佐竹蓮も、どうしてこんな時期にあそこへ来るかな」
「何があったんだ」
「あの人ら言ってただろ。ホームレスイジメだよ。あそこのグラフィティの噂を聞きつけて、どこかの馬鹿共が肩組んでやってきたんだろ。……ああいうの、何て言うんだっけ? ティ、ティ」
「Tiktoker」
「そ。それ。……で、そのTiktokerだのが、あそこではしゃいで、ホームレスの荷物だか家を蹴飛ばしたんだと。それが原因でちょっといざこざになって。と言っても、対等な決闘なんかになるわけなくてさ。分かるだろ? 厄介ごとに関しちゃ、昨日酒を飲み交わしたお隣さんでも知らんぷりするような文化なんだ、あの人達は。だから。……結局、そのトラブルにあったホームレスは病院送りになってさ」
「へえ……」
コーコは眉を顰めて俺を睨みながら唇で煙草を挟んだ。
「お前、ホームレスが病院送りになることの意味分かってないだろ」
「ん?」
「国の世話になるってことだよ。病院送りになったその人は、世間から忘れ去られていなければならない男だった。なのに、馬鹿共がフクロにしたせいで、病院で治療を受ける羽目になって、ケースワーカーに色々申請を出せと言われて……ここら辺の細かいところ、ウチもあんまり知らないけど。要するに、大騒ぎになるんだ」
「……」
「その人は、今のところ行方知れずだよ。どっかの施設に入ったのか、家族が引き取ったのか、またどこぞの路上に戻ったのか。とにかく、そんな事件があった後にのこのこやってきて騒ぎ始めたのが、佐竹蓮ってわけ。何でこんなところにって思ったけど、お前がトラブル起こすのは分かりきっていた。だから、ちょっと脅かして追っ払ってやろうと思ったんだよ」
俺は思わずカウンターに肘を付けて、こめかみを揉んだ。なんという巡り合わせだ。西原さんとの聞き込みでノベジマの名前を知り、人間観察部の活動で赴いた炊き出しでノベジマの居場所を知った。そんな俺の世界の横では、当のノベジマが居座っているあのガード下でホームレスが一人病院送りになり、行方不明になっていたと……。
ハッとした。
「おい! 名前は!?」
「え?」
「その……消えたホームレスの名前!! ノベジマじゃないだろうな!?」
「名前なんて知らないよ」
「そのノベジマって人が、蓮が探している人?」
頭の後ろでショウタロウが疑問を投げかけてくる。
「そう!……俺、今から聞いてくる!」
ミルクを飲み干してスツールから飛び降りると、渋々と言った態度でコーコも立ち上がり、制服の白いエプロンと頭飾りを手近なソファに放り投げた。こうなると黒いボタンダウンシャツにフリルの付いた黒スカートという、外を歩けなくもない格好になる。
「あー、もう。何をそんなに鼻息荒くしてるのかな! 佐竹蓮が一人で行ったところで二の舞どころか三の舞になるに決まってる」
「あっ。金は?」
「要らない。あの爺さん、ウチの親戚なんだ。豆挽いたわけでもないし、牛乳はスーパーのやつだし」
そのままコーコは急いで俺を通り越して、店の扉を開いた。
ん?
不思議に思って立ち止まると、顔を赤くして「ああっ、もう。仕事の癖……」と俺の背中を外へ押し出す。
「ところで、コーコさ……」
「ちょっと待った」未だにカウンターで肘を突いているショウタロウに振り向き「何でお前は来ないんだよ!」と怒鳴った。
*
「僕まで一緒に行く意味がわかんないんだけど」と、辛気くさい顔で文句を言うショウタロウに、
「お前一人店に残られても気分が悪いだろ」とコーコが言い返す。「そもそも、お前は何なんだ? 気持ち悪い叫び声を挙げてウチから逃げ出したり、自転車に轢かれたり」
痛いところを突かれたのか、「あ、あれは僕なりの計画だ……」と、ごにょごにょ言い訳をし始める。「今日の晩飯は蓮の奢りをアテにしてるんだ。こうなったら最後まで付き合うしかないじゃないか」
そういえば、こいつにはラーメンを奢る約束してるんだっけ。結構がめつい男だな。
「話を聞く前に、コンビニ」
「なんで?」
「一日を精一杯生きているっていう人間にモノを尋ねるんなら、手土産の一つでも持っていくもんだよ。佐竹蓮は世間知らずだな。それで今までよくやってこられたもんだよ」
手土産。
「……酒か」
退学にストリートアートに煙草に酒と、一体コイツはこの年代の禁忌を一体幾つ侵しているんだろうか。前は俺も飲んじゃったけどさ。
コンビニに入ろうとしたところで、ショウタロウは一人駐車場の縁石に座り込んだ。
「あ~あ。僕知らないよ。蓮が僕に頼んだのは、ただのボディガードだもんね」
「分かってるよ、それくらい。……お前は、告げ口さえしなけりゃ、もう良いよ」
「そんなの僕にできるわけないこと、知ってるくせに。早く済ませてきてよ、買い物」
*
世間一般の常識として未成年に酒類を販売するのは犯罪である。
なので、制服を着た高校生の俺は購入ができないのは当然だ。だが、コーコがレジに一升瓶を持っていくと、そこで一体何が起こったのか分からないのだが、あっさりと購入できてしまった。もしかしたら、コーコがレジ前に立った途端店員の判断能力が突然低下したのかもしれないし、実はコーコは高校を留年していて成年になっていたのかもしれないし、酒だと思っていた一升瓶に入っていたのはコーラだったのかもしれない。
とにかく、買えたのだ。名は芋焼酎・一石。
それを、コンビニを出た後に寄越してくる。
「……ところで、さっき聞きそびれたんだけどさ」
俺は何となく一升瓶のラベルを上に回しながら言った。
「なんだ」
「何で、わざわざ仮面を被って俺を脅してきたわけ? 普通に喋りかけてくれれば、話を聞いたのに」
「……『青海』の一件、酷かっただろ」
「ああ。あれは、色々考えさせられたな。はは……」
「馬鹿だよな。ウチはさ、あの絵を描いているとき世界で一番面白いことをやっている気分でいたよ。多少周りに迷惑を掛けても、最後の最後には何か凄いことが起こって、世界が少し変わる気がしたんだ」
そう乾いた笑顔を見せるコーコの回想が、何故か今の俺や甲塚に重なる気がした。
――俺の知っているバッドエンド。
絵で何かを変えようと藻掻いたコーコ、ショウタロウの秘密で学校を崩壊させようとした甲塚、甲塚の父親を見つけ出して俺は、……
「佐竹蓮に、合わせる顔が無かったんだ。それだけ」
いや。俺の計画についてはまだその段階にはない。
新藤君弘は見つかっていない。まだ。
だから、俺はそのとき何が起こるかをまだ知らないでいる。
俺が新藤君弘を探し当てたとき、甲塚の過去が、未来が、少しも変わらないと誰が言える?
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