第112話 人間関係の広がり

「端から端まで、ほっとんど佐竹の写真じゃん。こんなの誰の需要見込んでるわけ?」


「人間観察部の展示は部の活動記録。それと、近隣ボランティアの取材レポートだから。うちの部員の活動を写真に残すのは当然でしょ」


 一ノ瀬の問いに、受付で頬杖を突いた甲塚が平坦に答える。


「それにしたって……九割佐竹じゃん。どんだけ素材少ないの?……ちょっと待って!」


 一ノ瀬は天井近くの写真に目をとめると、小さく歓声を上げて背伸びをした。


「ショウタロウ君! ショウタロウ君の写真もある! ねっ、これ一枚幾ら!?」


 そうそう。こいつはショウタロウ大好き軍団の筆頭なんだっけ。しかし、夏から一向にこのテンションが続いているとすると……生徒会でのショウタロウの苦労に想いを馳せてしまうな。


「売るわけないでしょ。うちの展示をアイドルグッズ専門店と勘違いされちゃ困るわね」


「は!? 一枚くらい良いじゃん! ケチ!! ニンブってほんと陰気くさくて嫌だわー。お前この部室でこっそり煙草とか吸ってるんじゃない」


 一ノ瀬はわざとらしく鼻をスンスン鳴らして怒っている。


「そんなに写真が欲しいんなら、一枚くらい持ってっても良いわよ。佐竹の写真ならね。腐る程あるから」


「ンなもん欲しいわけ無いでしょ!? 陰気が移ったらどうしてくれんの!」


「……あ、あれ?」


 なんだか、一見仲が悪そうに思えるやりとりをしているけど妙に熟れているというか……。そもそも、甲塚は一ノ瀬の秘密を知っているわけだからこのテンションで話せるっていうのもあるんだろうけど。それにしても……。


 困惑している俺を見てか、一ノ瀬がばつが悪そうに唇を尖らせる。


「なによ。私がニンブに来るのが不服?」


「いや、別に文句は無いんですけど……あんたら、夏の時に滅茶苦茶揉めてなかったっけ? それがなんでこんなにフランクな間柄になってるのかなって」


 すると意外にも甲塚の方から声が上がる。


「別にフランクじゃないし」


 はあ。


 再び、一ノ瀬が口を開いた。


「夏のことはもうお前にも謝ったじゃん。それで話は付いたでしょ? 今更何言ってんの」


今更。今更ってか。泣いて(郁が)泣かれて(一ノ瀬が)、大変ドラマチックな一件として記憶に残ってるのだが、当人からすればそんなもんなのか。

 

「大体ね、お前のとこの部長が持ってくる書類を一々チェックしたり訂正したりしてるのは私の役目なの。こいつ、事務手続きの面倒臭い部分はぜーんぶ私に丸投げしてんのよ? 佐竹からも言ってやってよ。私が生徒会引退したらどうするつもりなんだってさ」


「へええぇ。先輩が甲塚の面倒を?」


 そんなこと全然知らなかった。


 たしかに、甲塚が部長として生徒会とのやり取りを暗黙のうちに済ませているのは知っていたけど、まさか影の立役者があの一ノ瀬だったとは。


 とすると……もしかして、面倒見ている人間観察部の展示を、一応冷やかしついでに見物してきてくれたってことなのか。


 何ともありがたい話じゃないか。


「ま。そうゆうことだから。お前ら、いつまでも部室に引きこもってたってどうせ何もしないんでしょ。少しは外に出て青春の空気を吸えよ」

 

「あほらし……」


 一ノ瀬は最後に、きちんと甲塚にガンを飛ばして部室を去って行った。


 たった一人の客が去って、ようやく甲塚は焼きそばに箸を付け始める。さっきからずっと立ちっぱなしだった俺も、なんだかほくほくとした気分で席に戻り、飲み物の蓋を開けた。


「おい、おい」


「あによ」


 焼きそばを啜っているのも構わず甲塚の肩を叩く。すると、迷惑そうに口からそばを垂らしたまま反応してきた。


「俺は嬉しいぞ。いつの間にか甲塚に友達ができていたなんてな!」


「……まさか一ノ瀬のこと? あんた、五感が腐ってるんじゃないの? というか私の何気取りなの……?」


「強いて言えば、被害者かな。ストックホルム症候群って知ってるか? 被害者が犯人の仲間になっちゃうっていう。あれかもしれない」


「くくっ。ヤマガクじゃ不法侵入だの器物破損だの散々やっておいて、未だにそんなスタンスでいるわけ? いい加減、悪事の片棒を担いでいる自覚を持って貰わないと、困りはしないけど苦労するわよ」


 そんな話をしていると、また新たに見物客が部室に入ってきた。黒光するレザージャケットのアシンメトリーカットと、空色のオーバーオールを着たお団子頭の男女――じゃない。女女。


「ここがストーカー同好会の部室!」


 早速コントの入りみたいな台詞を宣うのは西原さん――東海道先生のバンド『きたはいずこに』のメンバーで、知り合って以来俺は肉体労働の代償として髪をカットして貰っている間柄である。


「おー、蓮くんだっけ? 久しぶりー。郁ちゃんはいないの?」


 最早懐かしい、間延びした喋り方でお団子頭の南さんが早速絡んできた。


「あ。お久しぶりです。郁は今……」


「こいつ、あの幼馴染みちゃんと揉めてんねんて。前切りに来た時、泣きながら相談してきてん」


「げっ。マジ? めっちゃ青春じゃん。胸焼けするわー」


 突然の来訪客の対応に全然気分が切り替わっていないというのに、この人たちは豪速で自分の空間を展開してしまうから参ってしまう。


「マジじゃないマジじゃない。俺、西原さんにそんな話してないでしょうが。一体どこからそんな話――って東海道先生しかいないか……」


「そゆこと」西原さんはジップ型のピアスを下げた耳を指して言う。「お前の学園生活なんて、成績から友人関係まであたしの耳に入って来てんねん。あんまし詰まらん生活送っとると、丸坊主にしたるからな。死ぬ気で青春せえよ」


「でも、なんか蓮くん最近バズったらしいよー。近くの高校でコスプレして大人気になったんだっけ」


「ち、違いますよ。コスプレして大人気になった人の写真に映り込んでただけですから」


 女性っていうのは、何で話を聞けば曲解して、エフェクトが掛かったまま話を伝聞しようとするのだろうか。この件で一々訂正するのもいい加減飽きてきた。


「ま、その話はそのうち聞くとして――こっちの子は、新入部員?」


 西原さんが、俺の隣を指差す。甲塚――は、焼きそばを口から垂らしたまま硬直している……。面識もない人間がなれなれしく接してきたものだから、困惑しているんだろう。


「こいつは甲塚。人間観察部の部長ですよ。……甲塚、知ってるかも知れないけど東海道先生のバンドメンバーで、西原さん、南さんな」


 そばを啜ってギクシャクと頭を下げる甲塚を前に、大人二人は何故か驚愕の表情を浮かべた。


「こいつが、ストーカークラブのボス!?」


「えーっ、意外! 恵から聞いてた印象と全然違うじゃーん! てっきりやさぐれ全開の不良小娘だと思ってたのにー!」


 突然注目を浴びた甲塚は口を真一文字に結んだまま、椅子をガタンと後ろにずらした。


「ほんまやな。てっきり蓮みたいなクソダサい女や思とったのに、普通の女子やんけ。はえ~」


 ……東海道先生は、一体甲塚のことをどういう風に言っているのか。この二人の反応を見るに想像に難くないな。


 俺は硬直している甲塚を憐れんで立ち上がり、二人に部室の展示を軽く紹介した。

 

 *


「……なんか、どっと疲れちゃった。何なの? あの二人」


 西原さんと南さんが去ってから、息を止めていたような表情で甲塚が言う。


「何言ってんだ。お前は座ってカチンコチンになっていただけだろうが。そんな調子で大人になって、貧乏になったって俺は知らんからな」


「別に私は人見知りなわけじゃないし……あんたと違って、将来のことは結構きちんと考えてるんだから」


「ほお? 甲塚の将来の夢?」


「将来の夢……というか、取り敢えず二十七まで生きるための手段は、考えてるかな」


「ロックスターかお前は。老後老後。老後までのプランを考えないと」


「くくくっ。佐竹が私を養ってくれるんでしょ」

 

 したり顔でそんなことを言ってから、ハッと息を呑んで慌てたように手を振る。


「あ、今の無し今の無し」


 なんなんだ。

 

「ちなみに、プランってのは?」


「他人の秘密を売る仕事。ネット記者か、ネット探偵か……細部は詰めてないけど。そういうの、私に合っていないわけがないでしょ」


「なるほどな。取り敢えず『ネット』を外すことから始めると、俺は良いと思うぞ」


 そんなことを話していると、再び部室に客が入ってきた。


 前髪で顔全体を覆って片目だけを光らせる女子に、色素の薄い七三で、イケメンだけどどこか華がない男――生徒会副会長・小薮先輩と、生徒会会長・氷室先輩だ。


 どうせ来るなら書記の一ノ瀬と纏めて来いってところだが、彼らについては一応部費を捻出している団体として活動の視察をするという名目があったらしい。甲塚が人見知りを発揮することは分かりきっているので、俺が応対する。


「ははは。一応人間観察部とは甲塚さんを通してやり取りしてるけど、蓮と顔合わすのは久しぶりだな」


「えーと……そうですね。夏の合宿が会話した最後だから数ヶ月も前ってことになりますか」


 ふと小薮先輩に目をやると、俺と氷室会長の会話は無視して結構真剣に展示を眺めている。興味と言うよりは、完全に監査の対象という感じだ。……で、相変わらず甲塚は彼女が苦手らしく、心配そうにその様子を眺めている。


「ところで、おい! 聞いたぞ」氷室先輩が俺の背中をバンと叩いて、部室の隅に連行してきた。「ヤマガクの飯島ちゃんと仲良くやってるんだって? おい、なんでそういうことを俺に言わないかなァ」


「会長、美取のことを知っているんですか?」


「当然だ。俺が生徒会長になったのは女子にモテるためなんだぞ。周辺地域の美少女情報なんて俺からすれば天気予報みたいなもんだ。あんなレベルの子が入ってくるなんて、流石ヤマガクさんだねえ」


 俺は思わず顔を顰めてしまった。ギャルゲーとかで便利な友人ポジに治まる、典型的な非モテじゃねえか。


「それで……どうかな。飯島ちゃんと真夏の水着ゴミ拾いのポスター撮ってみないか? あの写真もいい加減センスが古くさくなってきたし。そろそろ新しい風をさ」


「なに馬鹿なことを言ってんですか。美取は他校の生徒でしょうが」


「生徒会に入れば分かる。先人の作った暗黙のルールって奴は、誰かが破壊するもんだって」


「あ~……」


 面倒臭くなってきた。どうしてこうも面倒臭い人たちが次から次へと部室へやってくるんだろう。そりゃあ人間観察部として展示を開いているから、見知った人たちが訪れるのは当然かも知れないけど……。


 いや、嘆く部分が違うな。どうして俺は面倒臭い人たちとしか知り合うことができないんだろうか。


「おいおい。何溜息吐いてんの。……あれ? そういえば、ショウタロウの奴は来てないのか?」


 ん?


「ショウタロウ? 来てませんけど」


「あいつ、蓮に話があるんだって言ってたからさ。何だろうな? なんか、あいつにしては珍しく切羽詰まったような雰囲気だったけどな」


「……そうですか」

 

 ショウタロウが俺に話があると。


 この展開は正直想定内だ。何と言ったって、自分の姉がバズった写真に、俺が映り込んでいるってんだから。――それも、平日の他校の学祭、同じ意匠のコスプレで。

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