第五章 ショウタロウと甲塚の秘密
第110話 後日談……
ヤマガク文化祭の一件についてはこんな後日談がある。
――翌朝目を覚ました俺は、昨晩発覚した衝撃の……いや、肩透かしの事実を思い出して、まずくらっときた。
まさか、美取とショウタロウが。……はあ。
とにかく、この三ヶ月、人間観察部の指針は大きく間違っていたことは確からしい。だとしたら、……早いとこ甲塚たちに伝えなければ。
と、いつもスマートフォンを置いてあるPCデスクを眺めると、無い。
だったら、枕の横――無い。布団をひっくり返しても、無い。
「……?」
あ。それなら制服のポケット。……無い。
無い!? 落としたのか……!
一旦、一旦落ち着こう。
俺は起きた格好のまま、PC前の椅子に座って考えた。
落としたとすれば、昨日出掛けたどこかには違いない。帰宅してから記憶を遡ってみると……まず、家までは渋谷から歩いて帰ってきた。で、渋谷駅で美取と別れる。犬カフェに行く。アニメイト。ヤマガク前の駅からは渋谷まで歩いて……と。
最後にスマートフォンを手に持ったのは何時だったか……。ずっと美取と話をしていたし、ちょっと憶えが無いな。
さらに遡ってみると、ヤマガクを出た。甲塚に郁のフォローを任せた。郁が俺のスマートフォンを見て、叫んで逃げ出した。美取と人間観察部の全員が顔を合わせて混乱した……いや、ちょっと待て。
――郁!
すっかり忘れていた。そういえば、昨日校舎裏で俺のスマートフォンを渡したら絶叫してそのまま持って行っちゃったんだよ。
あの後は美取と話したり、そこで知った彼女とショウタロウの関係にショックを受けたりして帰って、帰ったら帰ったでネットはPCで見られちゃうもんだから全然気が付かなかったんだ。
というか……あれ?
俺が郁にスマートフォンを手渡したとき、SNSの俺のアカウントを開いた状態だった。つまり、ロックは外されていたのだ。その気になれば、解除した状態でずっと操作できたんじゃ……。
俺は寝間着のままじんわり汗をかき始めている。
俺のスマートフォンにはSNS以上にまずいものなんて無いけど――嫌な予感が、止まらないんだよな。
シャワーを浴びてから身支度を済ませて出ると、道の真ん中で自分のスマートフォンを弄っている郁と顔を合わせた。
「あ、郁。おはよう」
「ん」
……朝の挨拶が「ん」ってか。甲塚じゃないんだから。
取り敢えず、機嫌は良く無さそうだな。
顔を合わせて改めて考えてしまうが、とうとう俺の秘密が幼馴染みの郁にバレてしまったのだった。この冷たい態度は全く不思議じゃ無い。美取にも言った通り、こういう趣味がバレたとき、大抵の奴はドン引きするか逆に喜ぶか……って、それは男子の場合。
郁は女子だから、ドン引きしているのは間違い無い。
今の彼女に、俺という男子は一体どう映ってるのか……。
「あのさ、昨日のことなんだけど」
と、話を切り出そうとした俺に、無言で俺のスマートフォンを寄越してきた。
「あ。そうそう、俺のスマホな……って、充電切れてる……」
「家にその端子の充電器ないし」
「……」
「……」
郁の感情が掴みきれない。普段の彼女なんて女心を搭載しているとは思えないようなシンプルさなのに、どうして不機嫌になると複雑になるんだ。
こういうとき、俺は場当たり的なところから一つ一つ彼女の意志を確認していくことしかできない。ランプの魔人だってそうしている。
「えーと、一緒に登校するのか?」
ところが、俺は一発目の質問でもう虎の尾を踏んだらしい。一瞬衝撃を受けたように身を引いた郁は、取り澄ました表情で冷たい声を返してきた。
「知らないけど。どうせ同じ道歩くんでしょ」
「そ、そうか」
しばらくの間、俺たちは無言のまま学校までを歩いた。途中、学校前の通りで背後から郁の友人女子たちからいきなり声を掛けられて、郁は機嫌良さそうに朝の挨拶を交わした。
自然、名前も知らない女子たちが俺たちに付いてくることになる。というか、彼女達が合流して三秒くらいで郁と愉快な友人達プラス俺、という格好になってしまった。猛烈にこの場を離れたいが、いかんせん向かう方向も歩く速さも同じ……というか、郁が合わせてくるのだ。
逃げるに逃げられない……空気と一体化するしかない。
――郁の友人女子の一人が何とはなしに俺の顔を見ている気がした。目を合わせたら大声を出されそうなので、視界の端の雰囲気でしか分からないが。
すると、その友人女子一名が他の友人女子にこそこそと何かを伝える。それから、もう一人の方も俺を見て驚いた顔をした。……同じ事が視界の端で数度に渡って繰り返されて、最終的に友人女子全員が俺の顔を凝視しているではないか。
なんだろう。
嫌な汗が吹き出てきた。
「蓮」
声を掛けてきたのは郁だ。
「あ。はい」
「この子たちが、蓮に聞きたいことがあるんだって。ね」
「ちょ、ちょっと郁……!」
突然話を振られて慌てたのか、友人女子達は互いが互いを前に押し合うように押しくら饅頭し始めた。
な、何だ?
このパターンは経験が無い。いつもならもっと高圧的に、馬鹿な犬に言い聞かせるような態度で話しかけられるのに。
「あのーもしかして、SNSでバズった人?」
結局、椅子取りゲームに負けて俺の前に立った女子が素っ頓狂なことを聞いてくる。
「は?」
「SNSでバズった人だよね?」
SNS。SNSとはすけべな絵をアップロードする場所のことだ。
バズった……? そりゃ、数万のPVが付くことはあるけど、素顔なんて上げてるわけがないし。そもそも一介のキャピキャピした女子高生が俺の描いた絵を見てはしゃぐわけもないし。
「いや。違うけど」
「絶対そうだって! ほらーっ」
後方にいた女子の一人が、スマートフォンの画面と俺を見比べて言う。他の女子達も見比べて頷いている。
え? え? なんだこれ。めっちゃ怖いぞ。
「……マジで意味分からないんだけど。何?」
郁が友人女子のスマートフォンを眺めて、あ、と口を開いた。
「これ、蓮じゃん」
「何だと?」
俺も近づくと、ほらこれ! と友人女子が素直に画面を見せてくれた。それはSNSに投稿された四枚の写真で、既に数千の引用が付いている。
その画像をまじまじと眺めて驚愕した。
……俺じゃん。
正確に言えば、コスプレをしている俺。
もっと正確に言えば、コスプレをしている俺が辛うじて映り込んでいる、赤黒のドレスに身を包んだ美取。投稿には、「ヤマガクのコスプレ撮影会、レベル高いwwwww」という文言が付いている。
「……俺じゃん!!」
「やっぱり! すごーい!! うちの高校の男子がバズった!!」
「いや、これバズってるの俺じゃなくて美取……」
「……うちの高校の男子の彼女がバズった!! すごーい!! すごーい!!」
「いやいや。美取は別に彼女なんかじゃ……」
「すごーい!! すごーい!!」
「ちょ――」
友人女子一同は俺を突き飛ばす勢いで走り出すと、校門前の通りを歩いていた女子達に辻斬り的な獰猛さでこの誤報を伝え始めるではないか。俺は唖然としながらその様子を眺めることしかできない。
……これは、もしかして大変なことになりつつあるんじゃないだろうか。早いとこ火消しに回らないと、多数の男子から、いや、男女から苛烈なヘイトを引いてしまうのではないか?
というか、人様の素顔をネットにアップロードするなんて一体どんな倫理観してるんだ。って、コスプレしている人間がこんなこと言っても何の説得力も無いし……!
「ちょ、ちょ、ちょ、郁。郁。助けて……」
「ん?」
「ご、誤解を解いて……」
「誤解? 誤解って何? 飯島ちゃんと蓮がコスプレしてたのは別に嘘じゃないでしょ」
「それはそうだけど……! 俺と美取が恋人同士みたいな感じで話し広めてるだろあいつら!?」
「それも別に嘘じゃないんじゃないの?」
その時になって気が付いたが、さっきから郁が俺と目を合わせていない。
……一応、フォローしてくれたんだよな? 甲塚は。
それがなんでこんな感じになっちゃってるのかな!?
「お前まで、一体何を言い出すんだ!? 会って数回の俺たちが付き合うだの付き合わないだのの話になるわけがないだろ!」
「でも数年前から友達で、最近ついに直接会えたってことなんでしょ。そういう二人が一日で恋愛関係に発展してもおかしくないと思うんだけど。それに、あの後二人はデートしてたんじゃん」
「デート……?」
一応、美取と渋谷で遊んだことは事実だけど、それはあくまで人間観察部として、ショウタロウの秘密を探るため。現に俺は、美取とショウタロウの関係までを突き止めたんだ。
……そうだ! その件については郁にも話しておかなければならないのだった。
「いや、そうだ。聞いてくれ。美取はショウタロウと――」
「楽しかった?」
「ん?」
そこで、郁がようやく俺と目を合わせた。
「アニメイトと、犬カフェ。楽しかった?」
ギョッとした。
何故、昨日俺が美取とアニメイトと犬カフェに行ったことを知っている。
言葉を失った俺の前から、郁は去って行った。
――あとで、充電したスマホを見て俺は頭を抱えることになる。
美取は律儀にも昨日のコスプレ撮影会の写真から豆柴の写真、アニメイトでコミケに行く約束(?)をしたことまで、非常に几帳面な文体で感謝のDMを送ってきていたのだ。
これを、郁が見ていたとすると……とてつもないことだ。
というか、郁は見ていたのだ。見ていたからあんなことを。
――その後の俺がふらつく足取りで教室に入るなり、
「ごめん。フォロー無理だったわ。さっすがに」という甲塚の報告を受けた。
「うん。……だろうね。でも、もうちょっと努力の跡は見て取りたかったかな……」
「何言ってんの。私が一生懸命フォローしている間にも、あんたのスマホにあの女から次から次へと楽しいデート風景が送信されてくるんだもん。無理に決まってるでしょ」
美取――几帳面なのは良いけど、俺のスマートフォンが郁の手に渡っていたことを忘れていたのか。
「なんか、凄いことになってるよ。あんた。昨日から連絡してたのに何で無視すんのよ」
「当たり前だろ。俺のスマートフォンは郁が持って帰っちゃったんだぞ」
「あー……そっか。ま、頑張れば?」
甲塚はそこまで言うと、机に突っ伏して眠り込んでしまった。
――これが、後日談。
結果、俺は学内ではちょっとした有名人になってしまって……郁とは冷え切った関係が続いている。
そしてそのまま、桜庭高校の学祭が始まるのだった。
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