第4話 臼井ショウタロウ

「……臼井!?」女子の驚いた声が後頭部から響く。


 臼井。臼井ショウタロウ。――弱みを暴かなければならない男。


ギョッとして思わず横にどけるが、俺はまだ彼に対して何もしていないことに気が付いて心を落ち着かせる。

 

「宮島、何で休んでるの?」と、臼井は質問を重ねた。


目の前の女子たちは見るからに浮き足立った様子だ。「……知らないけど、体調不良だって」と素っ気ない言い方だが、やたらと声が大きくなっている。え、なんだって? 声が小さくて聞こえないよ、なんて言われたら死ぬとでも思っていそうだ。


「なんで臼井がそんなこと聞くわけ?」


「僕は宮島と委員会が同じなんだ」一方、臼井はゆっくりと透明感のある声で答える。「昨日の委員会欠席してて。プリント渡さないといけなくてさ。……そうか。体調不良なんだ。分かったよ。ありがとう」


 臼井はふっと目の前の女子から興味を外したように背中を向けた。俺の方は元より眼中にないようだ。


「あ、あ」と、寄りかかっていた女子が変な声を挙げて、臼井が振り返る。


「郁に繋ぐけど、ライン」スカートのポケットから慌ててスマホを取り出そうとして引っ掛かったらしい。変な形でスカートが片側持ち上がった。「臼井のライン教えてよ」


 俺は「うおっ」と心の中で呟いた。もてるもてるとは聞いていたが、まさかこんなファンタジックな逆ナン(?)が現実に存在するとは思いもしなかったぜ。


 臼井はさして驚いた風もなく「おっ」と呟いて、ポケットに手を入れる。だが、すぐにへらっと表情を崩して言った。「ごめん! 僕今日スマホ忘れてきちゃったんだったよ。今日も改札でめっちゃ困っちゃったんだった」


「なにそれウケる」


 ようやくスカートからスマホを取り出した女子は、顔こそ笑っていたが顔色はしっかり絶望的な色に染まっている。見かねた周囲は「スマホ忘れるとかないわー」「逆にどうやって学校来たんだ」と非難混じりに臼井を弄る。それで、何とかこの場は丸く収まった雰囲気になった。


 ラインを聞いた女子はあくまで臼井と宮島を繋ぐ善意を提供して、スマホを忘れた臼井はうっかりスマホを家に忘れたのでその機会を逃した。傷ついた人間は誰もいない。……表面的には。


 ところで目の前の男女が談笑の間、俺はというと空気となって見守っていた、というかそうするしかなかった。臼井に先んじて宮島について尋ねていた手前、去るに去れないような中途半端な位置に立つハメになってしまったのだ。


 ……宮島は欠席している。それも体調不良、とは。


 否応なく俺の脳裏に浮かび上がるのは昨晩の宮島だ。「失恋したの」と、彼女は俺に言った。そして甲塚は――いや。


 俺は、どういう因果か宮島から話を聞こうとしている。


 目の前では、女子達の弄りが一通り収まったようだった。


「それじゃあ、僕たちそろそろ行かなくちゃ。ありがとね」


 臼井は一瞬空いた空隙のようなものを見逃さずに言う。


 ……僕たち!?


「じゃあ行こうか」と、固まっている俺の肩に腕を回して、1-D教室前から階段の方へ強引に歩いて行く。これもコミュ強の者がなせる距離の縮め方なのか、それとも、カースト上位のものが下位のものに見せる気安さなのか、俺には判断が付かない。


 確かなことは、為す術が無いこと。雰囲気的にも体格的にも。


 廊下を階段へ向かう途中、柱に潜んでいた甲塚が呆気にとられた表情で俺を見ていた。


 *


「蓮、だよね?」と人通りの少ない廊下で肩を組んでいる臼井が尋ねてきた。


「あ、ああ」俺は未だに状況に戸惑いながらも何とか唾を飲み込んで返答した。「佐竹蓮だけど……臼井はなんで俺のことを」


「ショウタロウで良いよ。というかショウタロウって呼んで欲しい」臼井は肩に回していた手を解いて言った。「臼井って苗字、嫌なんだ。『ウスイ』ってさ、将来頭が禿げそうじゃない?」


「そうか……な。田中っていう苗字の人が『将来田んぼの中に立つんだろうな』って心配はしないと思うけど」

 

「はっははは! 蓮って聞いてた通り面白い人だ」と爽やかな笑い声を挙げて言う。「確かに、僕の考えすぎかもね。でもまあ、ここは一つショウタロウで頼むよ」


「……ショウタロウは、なんで俺のことを?」


「宮島から君のことを聞いたんだ。幼馴染みなんだって?」


「宮島が俺のことを?」それも『幼馴染み』と紹介するとは。俺たちの関係なんて最早『幼馴染み』から『近所の人』まで格下げされているものだと思っていた。「俺のことなんて、大して話にもならないと思うけど」


「そんなことはないよ。小学校の頃はクラスの人気者だったんだろう?」


「それは昔の話だ」俺は呆れて言った。一体何年前の話をしているんだ。確かに、小学生の頃の俺はクラスの中では目立つ存在、というよりクラスの中心的なグループの一人だった。一応。


 だが、小学生から中学生に上がってまるっきり性格が変わる人間なんて数多くいるだろう。俺もその一人だった、というわけだ。


「……で? 俺に何か用?」


「宮島、この間からラインを返さなくなってて」と、スマートフォンをポケットから取り出して言う。「心配になってさ。風邪を引いたにしても、返事の一つや二つは返せるだろ? 普通」


「お前……さっきは家に忘れたって」


「ああ。さっきのこと?」ショウタロウは困ったように笑って言う。「あれは嘘嘘。僕マジでスマホ依存症だし」と言う。


「なんだよ……ラインぐらい交換してやれば良かったじゃないか」


「分かってないなあ」ショウタロウは端正な顔を綻ばせてひょうきんな物言いをした。「さっきの子は、僕に興味がある。僕は、さっきの子に興味は無い。……こういう関係性でラインでお喋りしてもお互い無駄な時間を過ごすだけだし、不幸になるだけなの」


 なるほど?


 ……正直、理解出来ない境地だ。俺が女子と連絡先なんて交換した日にはベッドに寝転んで一日中にたにた笑ってしまうだろう。まともにやり取り出来るかは別として。


 やはり、ショウタロウは俺とは違う世界にいる男子なんだろう、な。ショウタロウはスクールカーストというピラミッドの頂上にいる王様で、俺は地道にピラミッドを築き上げる奴隷。……いや、それは自分を卑下しすぎか。


不意にショウタロウが手をパンと叩いた。

  

「そうそう! とにかく、蓮がいて良かったんだった」


 何だか勝手な所で俺の存在が感謝されている。


「えーと、……なんで?」


「宮島だよ!」ショウタロウはポケットから取り出したスマホをぶんぶん振って眉を下げた。「何かあったんじゃないかな。若しくは、僕が何かをしたか」


「……」


 ――ってか、宮島の連絡先を知らないというのも嘘じゃねえか!


「ほんの昨日からなんだ。宮島が急に既読無視するようになったのは。で、何か怒らせたのかなって思ったから今日学校で直接聞いてみようと思ったら休んでるっていうじゃん。そこに、蓮がいた。これは運命だよな」


 よくも『運命』だなんて平気な面で言えるもんだ……と思いながらも、言わんとしていることに察しが付いた。


「要するに、宮島の様子を見て来て欲しいってことか」


「それと、……出来れば宮島が既読無視する理由も」


 ショウタロウの端正な顔に初めて陰りが見えた、気がした。

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