週末処理場

紅りんご

週末処理場

『退屈な平日、処理致します。週末処理場』


 妙に気になる吊り広告に気を取られて電車を乗り過ごしたのが金曜の夜。翌朝には広告に載っていた場所に来てしまっていた。目的の建物は何てことない住宅地の片隅に建っていた。

 見た目は名前から想像する通り、処理場らしい。ただ、何かを燃やしたり潰したりしている様な音や気配はない。不気味なまでに静かな看板と『週末処理場』と書かれた看板だけが私を出迎えた。


「やっぱり、終末処理場の書き間違いって訳じゃないんだな。」


 あれから帰ってスマホで検索してみたものの、口コミや噂の類は見つからなかった。ただ、電話番号と住所、そして定休日:平日と書かれた簡易なホームページがあるだけだった。今は誰でも広告を出せるし、サイトも作れる。どこかの誰かの気まぐれ、冗談に過ぎない、そう分かっているのに忘れられなかった。だから、来た。見た、そして、あった。

 時計は10時きっかりを指そうとしている。電話をかけた時に指定された時刻は10時。少し早い位構わないだろう。私は真新しい自動ドアをくぐった。電話で応対したのは、若い男の声だった。私より一回りは下だろう。それでもここの所長だというのだから、やり手に違いない。どんな面か拝んでみたい。不安より好奇心が勝った状態のまま、指定された所長室へと向かった。


「失礼します。」


 どうぞ、という声と共に入室する。奥に座る男以外、人は誰もいなかった。部屋も限りなくシンプルで、男が今座っているデスクと、目の前にある来客用の椅子と机だけだ。


「ようこそ、週末処理場へ。お待ちしておりました。S様でお間違いないですか?」


 奥の男は、私が入ってきたことを確認すると嘘くさい笑いを浮かべて立ち上がった。私が頷くと、男は来客用の椅子を勧め、自分もまた私の前に腰を降ろした。


「あの。」

「あぁ、お茶ですね。今から淹れてきます。」

「そうではなくて。ここは一体何をする施設なんですか。」

「なるほど。そちらのお客様でしたか。」

「そちら?」

「当施設には二種類のお客様がいらっしゃいます。リピーターもしくはご友人やご家族から勧められていらっしゃる『知っている』方。そしてもう一つはお客様のように、興味本位で来られる『知らない』方。」


 もったいぶる男の話しぶりは腹立たしいが何故だが印象に残らない。言及するべき特徴がないとでも言うのだろうか、対面していなければ忘れてしまう様な顔をしている。ふいに怖くなった私は、男から目を逸らした。


「不安がらなくても大丈夫ですよ。お客様の様な知らない方は、体験して頂くと、その効果がはっきりと分かりますから。」

「先に説明してもらってもいいですか。」

「ええ、もちろん。ですが、私も多忙でして。移動しながらお話いたしましょう。」


 男は引き出しから鍵を取り出して、私を連れて部屋を出た。どこまでも続いていきそうな白い廊下を歩きながら、男は話始めた。

 

「当施設の悲願は、世界中の人をストレスから解放することです。労働、人間関係、将来への不安。生きとし生けるもの、皆大なり小なりストレスを抱えて生きています。特に平日に溜まるストレスの何と多いことか。ですが、ストレスを抱えていては休日も気が休まらない。幸せに生きるためにはストレスの呪縛を解き放たなくてはなりません。」

「はぁ。」

「そのために、わが社が心血を注いで作り上げた装置がこちらになります。」


 そう言って男は『処理場』と書かれた部屋のドアを開けた。


「椅子?」


 テニスコート位の大きさの部屋には一脚の椅子が置かれていた。無機質な白い椅子。そして、その真上には天井から壺をひっくり返した様な形の機械が伸びてきていた。昔のテレビ番組で見た事がある、回答者のストレスが出題者にボールの形で降り注ぐ、そんな機械によく似ていた。私に付いてるように促して、男は機械へと近づいた。


「仕組みは単純。この椅子に座って頂き、上の機械の口の部分と頭を接続する。そうしましたら、こちらで機械のスイッチをオンにして、ストレスを吸いだします。溜まったストレスはこちらの方で処理致しますので、お客様には快適な休日を過ごしていただける、という訳です。」

「まったく理解が追い付いてないんですが、どうやってストレスを吸い出すんです。」

「それは企業秘密です。それに、知っていかがなされるのですか?」

「どうって……。」

「知らないことを知らないままにしておくのはストレスかもしれません。しかし、知ってしまった、気になってしまったからこそ抱えるストレスの方が大きいと思いますよ。」


 そう言われると、返す言葉もない。正直、仕組みを聴いたところで理解できないだろう。電子機器の取扱説明書だって読まない方だ。今更何を聴いたところで、この機械を試さずにはいられない。


「で、お客様、いかがなされますか?」

「もちろん、試させてくれ。」

「はい。ありがとうございます。」


 機械の操作は別室で行う、とのことで男は部屋を出ていった。私は言われた通りに電子機器類を身体から外してから椅子に座って、ただその時を待った。

 やがて、天井付近に設置されたスピーカーから先ほどの男の声が響く。


「それでは、これからストレスを吸引させて頂きます。わが社独自の技術で健康への影響は一切ございません。それでは機械をお繋ぎ致します。」


 通信が切れたと同時に、天井の機械が動き始めた。すぐに吸引口が頭に接続される。


「それでは、吸引を開始致します。」


 一瞬、強く吸い込まれるような感覚があった。ただ、その後は何の痛みも感覚もないままに時間が過ぎた。

どれくらいの時間が経っただろうか、機械の駆動音が消え、男の声が戻ってきた。


「お疲れ様でした。本日の吸引はこちらで以上となります。お忘れ物なさりませんように、お気をつけてお帰りくださいませ。」


 頭の機械が取れて、身体が自由になった。正直、騙された、という思いが強くなっていたが、椅子から立ち上がった身体は思ったよりも軽かった。心なしか、頭もスッキリしている気がする。振り返って機械を見ると、ちょうど壺で言う所のふくらんだ部分に、黒い靄のようなものが溜まっていた。あれがストレスなのだろうか。

 信じられない気持ちで部屋を出ると、男が待っていた。その顔にはやはり貼りついたような笑みが浮かんでいる。


「いかがでしたか?」

「いや、何というか、身体が軽くなった気がします。」

「そうでしょう、そうでしょう。お客様はそれほどストレスを貯め込んでおられませんでしたが、それでもかなり楽になられたはずです。」

「あの、お代は。」

「初回は頂かないことにしております。どのお客様もまたお越しになられますので。」


 暗にお前もまた来るよ、と言われているのに、不思議と悪い気はしなかった。俯き気味だった気分が今は浮ついている。これは確かに癖になってしまいそうだ。


「ありがとうございました。」

「いえいえ。またの週末、ご利用をお待ちしております。」


 施設を出る頃には昼を少し過ぎていた。行きはバスに乗ってきたが、今は気分がいい、歩いて帰ることにしよう。処理場の裏手は川になっていて、鯉が何匹か泳いでいるのが見て取れた。魚はストレスを感じるのだろうか。もし、感じないのだとしたら羨ましい。そんなことを考えながら、私は最寄りの駅へと足を進めた。

 それから何度も私は週末処理場を利用した。月に一度だった利用頻度が二週間に一回、一週間に一回と短くなっていった。一回一万円とけして安い訳ではない。しかし、施術後には他では得られない解放感があるからやめられない。最初こそ、違法薬物をかがされてるんじゃないかと疑ったものの、特に変わったこともない。


「あぁ、気持ちいい。」


 今日も施術を終えて、施設を出た所だった。施術後に最寄りの駅まで歩くことは、もはや習慣になっていた。いつも通り、川の様子を覗く。最近は、鯉たちの元気がない。のろのろ泳いでいる者もいれば、死んだようにぷかぷかと浮かんでいる者もいる。初めてここに来た時は、気楽そうでいいなと思ったものだが、鯉もストレスを感じるのかもしれない。

 その先の上流は歩道から降りられるようになっていて、何人かの子どもが川で遊んでいた。ただ、一人の子は帰ろうとしているらしかった。


「ケンジ、もう帰るのかよ。」

「アキくん。うん、何か疲れちゃって。」

「なんでだよ。今来たところだろ。」

「そうなんだけど……。」

「もういい、勝手にしろよ。」


 アキと呼ばれた少年は声を荒げてケンジと呼ばれた少年に背を向けた。見た所小学生くらいだろうか。それにしては何だか嫌な雰囲気を感じるやり取りだった。二人ともストレスが溜まっているのだろうか。近くにある処理場の存在を教えてあげたい所だが、子どもが払える料金でもない。

 利用し続けていると、処理場の利用者の多さが良く分かる。利用者同士は接触しないように工夫されているものの、利用している人間は顔つきで分かる。皆、あの所長の様な貼りついた笑みを浮かべているからだ。通勤途中の電車や会社で月曜日、自分と同じ表情を浮かべている人間を見つけることは容易い。けれど、お互いにその話はしない。それはストレスだからだ。

 そんなことを考えていると、ふと疑問に行き当たった。あの施設は、多くの人間から集めたストレスをどのように処理しているのだろうか。普通の処理施設なら焼却やら埋立やらするのかもしれないが、ストレスに通じるとも思えない。あの所長が答えるとも思えないが、何度通ってもその答えは見つからない。


「もしかして。」


 さらに考えようとしたところで、私は思考を止めた。頭の中に所長の言葉が蘇ったからだ。「知ってしまうこともまたストレス」。ストレスを除去してくれる便利な機械があって、それを使えばストレスフリーな生活を送ることができる。それだけ分かっていればいいのではないだろうか。なぜなら、考えることはストレスなのだから。

 その時、ぽつり、と一滴の水が頬を打った。どうやら雨らしい。普段なら苛立つところだが、ストレスから解放された今は気にもならない。ただ、一滴、また一滴と濡れた首元からは、忘れていた疲れがしみ込んでくる様な感覚がした。

 


 


 

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