ご主人-03



 会話をしている間、ジェイソンは少しずつ減り、再び1匹だけに戻った。レオンがジェイソンの仕組みを知っているとは思えない。女は諦めて座り直す。


「ご飯の事を聞いて喜ぶって事は……言葉を理解してるのかな」


「ジェイソンは喋りきらんよ。にゃーんも言わん。言葉は聞ききる」


「ききき? ……そ、そう。とにかく早速出発。お昼にはキャラバンが町を出ちゃうから」


「きゃばらんっち、何?」


 女は説明しながらレオンに自身の替えの半袖シャツを着せ、日差し除けの帽子を被らせた。孤児を拾ったと知られたら何と言われるか。他の孤児が俺も俺もと寄ってくれば収拾がつかなくなる。


「お腹すいてるよね、こんなものしかないけど、あっちで食べましょ」


「うわぁ、ギギル! うわぁ~!」


「お魚の干物。好きならよかったわ」


「おさかまのひもも! ギギル!」


 干物になった魚を見せると、レオンの表情がぱぁーっと明るくなった。ジェイソンの目もらんらんと輝いている。大好物なのだろう。レオンの言うギギルとは魚の事だった。


「さ、これでお顔拭いて。その敷布、大事なもの?」


「外で拾ったやつ」


「じゃあ要らないね、行こう」


「おれのご主人っちこと?」


「そうね、まあ……そうなるのかな?」


「ご主人……」


 女は雇い主としてあまり深く考えずに肯定した。

 一方のレオンはご主人と繰り返し呟いて大きく頷き、先程までのふわふわした雰囲気から一転、シャキッと立ち上がる。


「うん、おれがんばる、ご主人はよ荷物貸してん」


「え、ちょっと、重いよ!?」


 レオンがまるでスカーフでも羽織るかのように軽々と女の荷物を背負った時、女はふと付近の視線に気が付いた。ジェイソンがサッとレオンの肩に飛び乗り、何かをじっと見つめている。


 女が振り向くと、そこには3人の男が立っていた。


「おお、いたいた。この子ですよ、キツネ耳の珍しい獣人族の子です!」


「みすぼらしいが……そうだな、あどけなく顔立ちも良い。高く売れそうだ、親は近くにいないな」


「昨日からずっと1人です」


「それはいい、好都合」


 人買いだ。紺色のローブを着た太った男が、同じ格好をした背の高い男達と相談を始めた。その様子を見て、少し離れた所で物乞いをしていた孤児達が一斉に逃げていく。


 物乞い生活から脱したいとは思っても、一生こき使われる方がマシとはならない。レオン以外の孤児達は、人買いに捕まればどうなるかを知っているのだ。


 人買いと言っても、金を払う相手がいなければタダで連れていく。要するに人攫いだ。


「何? あなた達」


「その子を渡してもらおう」


「質問に答えて。どうせ人買いでしょうけど」


「聞こえの悪い事を言わないでくれるかい? 身寄りのない子供と、子供を欲しがるお客の架け橋をしているのだよ」


「その実態は? 奴隷? 良くて召使いかしら、それとも体でも売らせる気?」


 女の言葉に、涼しげな表情を浮かべていた男達の眉がピクリと動く。


「フンッ。獣人族の、特に子供はね、男も女も高く売れるんですよ」


「そっちの趣味の奴には、その幼さと不釣り合いな発育がたまらんらしいからな。ぼうやはどうかなあ?」


「というわけでその子は我々が貰う。なに、親や同族が周りにいなけりゃ怖かねえさ。小僧、こっちに来い」


 男達の下卑た笑みと発言から、レオンは労働力と売春を並べた場合、後者の需要を見込まれていると分かった。女はレオンの手をしっかりと握り、連れて行かれないようにと守る。


「何だてめえ」


「この子の雇い主よ。何か問題でも?」


「雇い主だと? チッ、先に手を付けられていたか。さては欲求不満の解消に相手させよう……」


「はぁ? 私はそんな変態じゃない! あんた達と一緒にしないでくれる?」


「おいガキ、この女よりカネを積んでやろう。そうだな……この貧乏そうな女が払うカネの倍でどうだ」


「カネっち、おかね? おつんでっち何?」


 レオンは分からない言葉を訊き返す。なんとなく悪人だと感じ取っていても、何を言われたのかも、自身の状況さえも理解できていない。呑気なものだ。


「そりゃあ、カネをいっぱい……」


 魅力的な表現を考えている男に対し、女はすかさず反論した。


「お金を自由に使える環境じゃないでしょ。牢獄のような場所に閉じ込めて客を取らせて、体を弄ぶなんて許さない」


「ろうごくっち、何? あそぶん?」


「あなたを狭い部屋に閉じ込めて、どこにも行けないようにする場所」


「なんで? おれやだ」


 レオンは即答した。さっき女と約束して食事にもありつけるし、服だって買って貰える事になったのだ。


 それで十分だったし、あらゆる点に疎い獣人の子供にとって、それ以上望むものなど思いつかない。金の代わりに閉じ込められると聞き、そちらを選ぶ理由はなかった。


「おまけに貧乏そうな女のたった2倍しか出せないなんてえらくケチな人買いなのね。そうやってお金の価値が分からない子供を一体何人騙して不幸にしてきたの」


「うるせえ女だな、てめえの体を売らせてもいいんだ」


 太った男は取り繕った口調を止めた。その手を伸ばすと、女が反射的にレオンを庇う。だが力では到底かなわず、女は片手で払いのけられてしまった。


 その際、持っていた魚の干物が地面に落ちる。


「あっ! おれのギギル!」


 女は地面に叩きつけられた事でうめき声を上げるも、レオンに指示を出す。


「に……逃げなさい!」


「黙れクソアマ!」


 人買いはこの世界においても違法行為だ。しかし町の治安隊に賄賂を渡しているケースも多い。

 周囲の者達は声を上げる事も出来ず、自分達の無力さを悔やみ目を逸らしている。助けは期待できそうになかった。


「おれのご主人のひと!」


 レオンが驚いている間に、男は倒れている女の太ももを蹴り上げる。


「あっ!」


 その瞬間、レオンの目つきが変わった。


「おまえ、許さん」


「あ?」


「おまえ許さん! ご主人蹴たぐるならずもの、おれ許さん! ギギル捨てさしたのも許さん!」


「ガキが威勢だけはいい……」


 男は余裕の笑みを浮かべていた。しかし、言葉を最後まで紡ぐ事は出来なかった。

 子供ながら鬼の形相をしたレオンもそうだが、それ以上にジェイソンが衝撃的だった。


「そ、その猫は」


「な、なんだこいつ!」


 牙を剥き攻撃姿勢を取ったジェイソンが、辺り一面、数えきれない程に増えていたのだ。


「ふ、増え、増えた……」


「このやろぉー! ご主人に何する! ギギル返せ!」


 いささか頼りない声と共にレオンが男へと殴り掛かった。予想外に重い一撃だったと言っても子供のもの。案の定、男はその拳を片手で止めた。


 ただ、その後に待っている攻撃にはさすがに対応できなかった。


「うぐっ……痛たた!」


「なんだ、なんだこいつら!」


「お、やめ、やめろ!」


 周囲が驚きパニックになる中、ジェイソンの数は100匹どころではない。そのすべてが人買いの男達に噛みつき、引っ掻き始めたのだ。


「やめろ、やめてくれ! おい、止め……痛いっ!」


「しつけのわるいならずもの! やっつけちゃる! ギギル返せちゃ!」


「わかった、分かった! 痛たたっ!」


 男達はジェイソンの何匹かを殴り、掴み、必死に引き剥がそうとした。そこでジェイソンがただの猫ではない事に気付く。

 まあ、元々増える時点で普通ではないのだが。


 1匹ずつはただの猫に見えても、掴むと雲のように消えてしまう。そしてその体を払いのけても次から次に湧いてくる。

 レオンの意外に重いパンチもあり、男達はとうとう泣き叫びながら許しを乞い始めた。

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