《真実》
友人が珍しい病気を発症した。その病気は幻覚が現れ、その幻覚の度合いによって様々な奇行が見られる。世界でも発症例の少ない病気であり、幻覚以外にも様々な症状を伴う。身体の麻痺、感覚の喪失、物忘れ、深夜の徘徊――――。
様々とは言ったものの、病気とは個人差が生じるものである。友人――――彼女は特に幻覚と深夜の徘徊が酷く、夜に何を話しかけても話が通じない。ふらっと病室の外へ出かけては、看護師に見つかって病室へ戻る。そして、朝になって病室で、嬉々として話す彼女の話に付き合う。
「私はハヤブサ」
「身体がうんと軽くなるんだ」
「私は何よりも自由で、何もかもが美しく目に映る」
「人間なんてやめてしまいたい」
彼女がそう話す度に、僕と彼女の距離が一歩、また一歩と遠ざかっていく気がする。
病院によって様々ではあるが、入院できる期間は決まっている。彼女は幾つかの病院を転々として、病院が変わる毎に移動の車内から見えた景色を嬉々として語った。自分がハヤブサであるかのように。
身体の麻痺を、当人は気づいていないようだった。動かしにくいなぁ、といいながら何ともないように生活する。出来ない動作があっても、気にしていないようだった。気にしていない、というよりも気にならない、と言うべきか。物忘れをするようになっても、幻覚を見ていたことに自ら気がついたとしても、ただ事実を事実として受け入れて、異常を疑わない。
「今日は疲れているな」
その一言に収まってしまう。彼女は自分の変化に気づかないままに動き、あちらこちらで傷をつくる。痛々しい様にとぼけた笑顔がどこかちぐはぐで、それを見ると涙が込み上げそうになる。心が追い付かないのは僕ばかりで、憔悴していくのも彼女ではなく、僕だった。僕は彼女が彼女でなくなっていくのをただ眺めていることしか出来ない。
自分がもっている医者免許をこんなにも無意味に感じたことはない。誰よりも特別な友人――――親友だったとしても、僕は無力だ。治療法が確立されていない稀少性には、有能な医者も、超人な患者も、太刀打ちできない。人間は等しく無力だ。
だけど、それでも彼女と親しき友として過ごすことが出来たなら――――――そう思っていた。
「――――研究対象になるつもりはない」
彼女に拒絶された。研究、対象?今度はどんな幻覚を見ているの?僕の言葉は何一つ届かない。幻聴を聞いているのだろうか。彼女の言葉は止まることを知らない。嫌悪感を露わにして、僕を睨み付ける。
折角、心配して様子を見に来たのに、と上から目線な呟きを口にして病室を後にする。だが、それから彼女に会うことはなかった。
――――行方不明。
そんなの、物語の世界だけだと思っていた。どんなに徘徊が酷くなろうとも、病院の外には出られない。靴の中に仕込まれたセンサーが病院の扉で反応して知らせる。今はそういう仕組みだってある。だから、そもそも病院を出られるはずがないのに、彼女の病室はもぬけの殻だった。ベッドの下を覗くと、彼女の靴が爪先を揃えて綺麗に仕舞われていた。
いや、でも、公共交通機関を使わなければ、一晩で行ける範囲は限られる。見つからないわけがない。彼女はお金を手にしていないのだから、新幹線に乗ることも飛行機に乗ることもないのだから、必死に探せば見つかる、はず――――――。
そう思っていたのに、彼女は見つからなかった。
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