第一試練21 鍛錬経過
「・・・・・また、失敗か」
目の前の黒一色の薄っぺらい何かを触る.
元は色糸が織り込まれ、アンティークな柄をもつ絨毯だったが、摩擦解凍によって一面黒一色となっている.
秋灯の仮説通り、reデバイスによって物体の表面に設けられた調整膜を取り除くことができた.
三日間練習したお陰で、今ではほぼ成功できている。
だが、一つ誤算があった。
秋灯は目の前の絨毯の端を摘む。
表面以外は、普通に時間解凍を行なっており、時間が動きだしている。
摩擦が働いているため普通に触れるのだが、持ち上げることができない。
押したり、引っ張ったりしてみたが、全く動きがない。
試しに手近にあった楕円形のクッションも同じように解凍を行う。
表面は摩擦解凍ーー調整膜を取り除くーーを、内部や裏面は普通に時間解凍を行ったが、動かせない。
裏面は柔らかくふにふに触ることが出来る。ただ、思い切り力を入れて引っ張ると表面を残し破けてしまう。
黒色の薄っぺらい何かが、床上に浮いていてなんか不気味だ。
「うーーーーん、どうしたものか」
秋灯の仮説では調整膜のみをとり除けば物体を動かせると考えていた。
時間が停止している物はその場に固定されていて状態が変化することがない。
原子が固定されていて外力を加えられても移動できず、ダイヤモンドのように固くなっている。
ただ、移動に関しては原子の固定と別物だと考えていた。
今の世界でも昼と夜がある。地球の自転と公転は変わらず行われている。
そのため、調整膜が地球の移動に合わせ位置の座標を固定させている役割を担っていると考えていたが、どうやら違ったらしい。
冷凍庫で皮が棚に引っ付いていて取り出せないミカン。
皮さえむけば取り出せると思ったら、みかんの中身も棚に引っ付いていた、みたいなそんな気分だ。
秋灯はうんうん唸りながら黒色に変化したクッションをつつく。
また、初日のように物体の理解を深めた方がいいのか。
原子とはいかないまでも、顕微鏡でしか見えない世界に片足が入る程度構造の把握ができるようになっていた。
原子がつながっている配向力とか誘起力とか、極小の電荷とか、そんなの理解できる気がしない。
流石にこれ以上は頭が焼き切れそうだ。
そもそも前提が間違っているのかもしれない。
「秋灯さん、ここにいたんですね。もうお夕食の時間過ぎちゃってますよ」
突然後ろから声を掛けられるが、立っていたのは伊扇だった。
さっきまで外は明るくて日没まで時間はあると思っていたが。
沼に嵌まっていたら日が暮れていた。
秋灯がいる民家の中ははすでに真っ暗で、伊扇の顔も見えづらい。
「あぁ、すみません。今行きます」
「明音さんがお腹空かせてましたよ」
明音先輩はまだ布団から起き上がることは辛そうだが、お腹は普通に空くようで食事は一緒に取るようにしていた。
伊扇とともに早足で旅館へ戻る。
「伊扇さん、修行はどうです?順調ですか?」
「えーと、教えていただいた過去の自分を思い出すことはだいぶできたんですけど、客観視する?やり方にまだ慣れてなくて、自分じゃない自分を作って視点を持つことに違和感があって」
「最初のうちはみんなそんなものですよ。ただ、客観視できる自分を作っておけば何かあった時に冷静に対処できるので感情に流されにくくなるはずです。風の制御はどんな感じです?」
「風のオンオフはつくようになってきました。出力の調節が難しくてまだ吹っ飛びますけど」
「あと少しで制御できそうですね。俺はまだ、時間がかかりそうです」
伊扇の修業は予想より順調だ。
仮説が中途半端に立証されてしまった秋灯より早く準備が終わるかもしれない。
「えっとえと、秋灯さんがやろうとしていることって時間解凍の応用みたいなことですよね」
「はい。時間が止まっている世界は本来人が生活することが出来ませんが、試練の参加者は元の世界と変わらず生活できています。それをおそらく可能にしているのが、時間が止まった物体にある膜みたいなものでして、それを解除すれば摩擦だったり諸々の物理的力が完全に加えられなくなります。摩擦が働かなければ、道路をすべりますからそれを使って明音先輩を運ぼうと思ったんですが、元の場所から動かせなくて、」
「えーと、正直物理の話はさっぱり分からないんですけど、すごく滑るものを作ろうとしているってことですよね」
「はい、そんな感じです。試練の間は乗り物を使うことができませんが、カーペットやベッドを乗り物がわりにして四国まで進もうかなと。規定にはカーペットに乗って移動してはダメという記載はなかったので。若干グレーかもしれませんが」
伊扇には車で言うエンジンの役割を担ってもらいたかった。摩擦がない物体は力さえ加えられればどこまでも進む。
時間が動いている部分の空気抵抗や乗っている人間のことも考慮しなければならないが、車と違って恐ろしく低燃費なのは間違いない。
ここから四国まで車のような速度でいければ半日で着くだろう。
「規定に禁止されている乗り物の名前がたくさんありましたよね。ローラースケートが入っていたのはおかしかったですけど、あの文章を読むと歩き以外認めないって受け取ってしまいますけど。でも、どうして徒歩でって書かなかったんしょう?そっちの方がわかりやすいのに」
「あの書かれ方は魔力の使用を考えて書かれていたのかもしれません。魔力を使えば徒歩以外、飛んだりもしかしたらもしかしたら瞬間移動ができる人がいるかもしれません。ただの憶測ですけど」
「確かに飛行とか浮遊の術式はある気がします。私も風を自由に使えたらできるかも」
「空を飛んでいる伊扇さんですか。見てみたいですね。・・落っこちそうですけど」
小声で本音を漏らす。人体を浮遊させるのはきっと繊細な制御が必要なはずだ。
ただ、伊扇の魔力制御は繊細さとは真逆に位置する。
空に向かって弾丸のように吹っ飛ぶ伊扇は想像できても、うまく着地ができると思えない。
「今落っこちそうって言いました?ひどいです。できるようになっても秋灯さんとは一緒に飛んであげません」
腕を組んでプリプリ怒っているポーズをとる。口元を膨らませる姿はリスみたいだ。
ここ二、三日でだいぶ伊扇と仲良くなったと思う。
話しかける度に小さい悲鳴と竜巻を出されたのが、つい一週間前とは考えられない。
彼女が本音で喋ってくれなければ、ここまで仲良くなることはなかっただろう。
「嘘ですよ。その頃には伊扇さんも風の制御がうまくなっているでしょうから、ぜひお願いしたいです。いや、やっぱり怖いですね」
自分がした発言をすぐに撤回する。
やっぱり精密な制御をしている伊扇を想像できなかった。
そのまま軽快に談笑しつつ旅館へ戻る。
部屋へ入るとお預けを食らっていた明音先輩が拗ねていた。
どうやら話が盛り上がっていたことも聞こえていたようだ。
夕食中先輩を宥めるのに時間がかかった。
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