アスタポリカの植物少年

猫目 綾人

アスタポリカの植物少年

 この国の名はアスタポリカ。

 小さな島国で、外界から離れているため、他の国からの接触はない。そのため戦争は起こらず、また国民の人柄が良いため犯罪も発生しない。そして資源も豊かであり、貧富の差もない。この国に住む国民は、誰もが何不自由なく平和に暮らしている。まさに理想の国である。


 だが、こんな国にも一つだけ問題があった。

 この国では十数年に一度の頻度で、ランダムに選別された一人の赤子が、王都の地下へと連れていかれるという決まりがあるのだ。連れていかれた子供は、二度と帰ってくることはなく、その地下で一生を過ごすことになる。


 しかし、この決まりに異を唱える国民はいなかった。

 この決まりには理由があるのだ。


 この島は、突如地中に発生した微生物が発する強力な毒素に侵されており、そのまま放っておくと人の住める環境ではなくなってしまう。そのため、政府はそれを防ぐために、王都の地下から、ヒトノシダと呼ばれる、毒素を吸収する効果を持つ植物の根を国中に張り巡らせる必要があった。

 だが、張り巡らせたヒトノシダの効果を持続させるためには、人間の生贄が必要であり、連れてこられる赤子こそが、その生贄であった。


 この国の大人達は、このことを知っている。

 だが、その子供を可哀想だと思っても、大人達は何もすることができない。その子供を助けることが何を意味するのか、大人達はよくわかっているからだ。だからどれだけ同情しても、どれだけ憐れんでも、見て見ぬふりをするしかない。


 そしてかくいう俺も、そんな大人の一人である。



                 ◇◇◇



「ナスカ、今日から頼むぞ」


「はい!」


 上官に挨拶した俺は、そのまま仕事場へと向かった。

 俺は今日から、ヒトノシダの生贄となっている少年の監視員をすることとなった。その知らせは一週間ほど前、上官に呼び出された時に報告された。報告された時は、背筋を伸ばし、元気よく「了解しました!」と答えた俺なのだが、内心ではこの仕事をやりたくはなかった。


 それはなぜか?

 基本的に、この国に住む国民は、国の外に出ようとはしない。なぜなら、外の国に比べて、この国が平和だからだ。


 だが、稀にこの国から出ていく者がいる。

 そしてその人物は、決まってヒトノシダの監視員なのだ。


 この国には心優しい人物が多い。そのため監視員の中には、自責の念にかられ、しかしどうすることもできず、この国から出ていくという考えに至るものが一定数でてきてしまうのだ。俺はそこまで心優しい人間ではないため、この国から出ていこうとは思わないだろうが、多少の罪の意識を感じるのも事実だ。


 監視員の仕事は、短くて2~3年。長くても5年で交代となる。

 願わくば、この仕事が早く終わることを祈るばかりだ。



                  ◇◇◇



 少年が入れられている牢屋の前まで行くと、俺よりも早い時間帯の監視員が、眠たそうな顔で牢屋の前の椅子に座っていた。


「お疲れ様です」


 俺が声を掛けると、こちらに気付いた監視員が、椅子から立ち上がり、右手を上げながらこちらに歩いてきた。


「おつかれ。お前、今日からか?」


「はい」


「まぁ、気楽にやれよ」


 素晴らしいアドバイスを言い残し、その監視員は帰っていった。

 監視員の仕事は1日8時間、少年の監視を行い1日3人で回す。体調を崩した場合などは、他の人物が代わりを務めるという形式となっている。


 8時間も監視をするのはきついが、その時間に起きてさえいれば、読書をしようが飯を食っていようが何も言われないため、考えようによっては楽な仕事である。


 ちらっと少年の様子を見てみる。

 その少年は10~12歳程の見た目で、弱っているのか、それとも単に眠っているのか、目を閉じたままピクリとも動かない。


 一応の様子を確認した俺は、牢屋の前に置かれている椅子に座り、持ってきていた本を読み始めた。


                  ◇◇◇


 読み始めてから数十分、辺りは俺が本のページをめくる音だけが響いていた。

 しかし、暫く続いていたその静寂は、少年の声によって破られた。


「ねぇ。なに読んでるの?」


 その声色から、これは純粋な質問であると直感した。それぐらい純粋さを感じさせる声であった。


「お前には理解できない、難しい本だよ」


 俺は少年をあしらおうと、テキトーな返事をした。


「あぁ!返事してくれた!他の人は何にも答えてくれないのに!」


 どうやら他の人は返事をしていないらしい。マズイことをしてしまった。


「ねぇ、お兄さん。その本の内容を教えてよ!」


「……」


 もうこいつと話すのは辞めよう。このまま黙って、静かな勤務時間を獲得するのだ。


「あ!?難しい内容だから僕に説明しても意味ないって思ってる?でもそれって説明してみないとわからないよね!?」


 監禁されているのにうるさい奴だ。無視されているのが分かっていないのか?もしこいつの声を文字に起こしたら、間違いなく語尾に!が付いていることだろう。


「ねぇ、聞いてる?もしもーし?あっ、もしかして目を開けたまま眠ってる!?器用だなー!」


「眠ってねぇーよ」


 あまりに喧しいので、つい返事をしてしまった。


「いいか、俺はこれから黙る。もうお前とは話さない。だからお前も話しかけるな」


「どうして?」


「他の監視員が話していないからだ。大人として、空気を読まなくてはな」


「空気を読むってどういう事!?空気って読めるの!もしかして僕が見えないだけで、他の人の空気には何か書いてあるの!?」


 いちいち騒がしい奴だ。できることなら殴ってやりたいところだが、檻があるためそれは叶わない。


「空気を読むっていうのは、別に何かが見えている訳じゃなくて、他の人に合わせる、協調性を持つって意味だ」


「じゃあ、最初から他の人に合わせるって説明してよ。大人なら伝わりやすい言葉選びも心掛けるべきじゃない?」


「ご忠告ありがとう。だが、大人同士なら伝わるし、もうお前とは話すことはないからどうぞ安心してくれ」


 俺が皮肉を返すも、少年はキョトンという顔をしていた。皮肉は高度なコミュニケーションと言われているが、どうやらそれは本当らしい。


「…なんで他の人に合わせる必要があるの?自分が話したかったら話せばいいんじゃない?」


「そもそも俺は話したくないんだよ。勤務時間くらい静かに過ごしたいんだ」


 俺がそう言った時、少年の顔に張り付いていた笑顔が、僅かながら曇ったように感じた。


「それはいいことだね。羨ましいよ」


「なにが羨ましいんだよ?」


「静かになりたいっていうのは、話す人がいるからだよ。誰も話す人がいなくて、ずっと静かだったら、静かになりたいなんて思わないからね」


 少年は「思わないはずだ」とは言わずに、「思わないから」と言った。

 まるで自分が、そうだと言いたげだ。

 確かに、話す人がおらず、ずっと一人であったとしたら、俺は静かになりたいとは思わないはずである。孤独や静寂というのは、普段話す人がいるからこそ価値が生まれる。ずっと孤独であれば、孤独に価値はない。そう考えると、静かになりたいとはある種、贅沢な悩みなのかもしれない。


「……わかったよ。これ以上話しかけられちゃ、落ち落ち読書もできねーからな。少しの間話してやるから、後の時間は大人しくしとけよ」


「本当!?」


 俺は気付くと、そんなことを言ってしまっていた。


「なにか聞きたいことあるか?」


「その本って、どんなこと書いてあるの?」


「この本は小説って言って、物語が書いてあるんだ。けどこいつは難しいから、別の物語から話してやるよ」


「わかった!」


 それから俺は、昔読んでいた童話や児童書の内容を、わかりやすく噛み砕きながら少年に説明した。


 物語が面白かったのか、俺の説明が上手かったのか(おそらくは後者)、少年は興味津々な様子で、うんうんと頷きながら話を聞いていた。

 俺が普段、物語について語る相手がいないからかもしれないが、そうして目を輝かせながら話を聞く少年を見ているうちに、気付いたら俺は、勤務時間のほとんどの時間、少年に話をしてしまっていた。



                   ◇◇◇



・2週間後


 あれから俺は、勤務時間が来るたびに、少年に様々な物語や外の世界のことなどを話していた。


 俺は友人達と比べても、多くの書物を読んでいた。そのため、今まで話したくても話せなかった書物の話がたくさんあったのだ。その反動もあってか、俺は自分の話を興味津々に聞いてくれる少年と話すことに、どこか心地よさを感じてしまっていた。


 しかし、いくら読書家の俺といえども、こうも毎日話していれば、話のネタも尽きていくというもの。なので今日は、図書館で物語のネタを収集することにしたのだ。


 俺はさっそく、目に入った気になる本を何冊か手に取ると、それを読むために机へと向かった。


                  ◇◇◇



 それから図書館を周り、ある程度の本を読み終えた俺は、あと一冊本を読んだら帰ろうと考えていた。


 そこで図書館の中を歩き回っていると、ある一つの本を見つけた。

 それはこの国、アスタポリカの建国について書かれた本であった。


 この国を建国したのは、ロード・アスタポリカという男である。

 探検家であったロード・アスタポリカは、特殊な海路を通らなければ到達できない島を発見する。世界中を旅していた彼は、世界に蔓延る戦争、貧困、差別を体験し、それを嘆いた。そして彼は、世界を旅する中で、自分が認めた好人物だけを集め、島に招きいれ、理想の国を建国した。


 それがこの国、アスタポリカの建国物語である。

 つまりこの国は、世界中から集められたいい人間によって形成されているのだ。


 この本を読み終わった俺は、少年のことを頭に浮かべた。要するに、この国に集められたいい人間達によって考え出された結論が、あの少年ということなのだ。


 そこで俺は、自分の中に僅かながらもある感情が芽生えていることに気付いた。そして、それに気付いた俺は、その感情を振り払った。

 あの少年を助けようなんて無理な話だ。できることと言えば、せいぜいあの少年に物語を聞かせてやることぐらいだ。


 俺は改めてそう感じた。



                  ◇◇◇



 今日も今日とて、俺は少年に物語を聞かせていた。しかし今日の少年は、体調が優れない様子であった。


「ハァ、ハァ」


「おい、大丈夫かよ」


「大丈夫、ありがとね。僕なんかを心配してくれて」


「僕なんかって、そんなこと言うもんじゃないぜ」


「だって、僕って病気なんだよね。それにこの植物って毒があって危険なんでしょ。だから僕が外に出たら、みんなが危ないんだよね…」


 少年は、自分が島の毒素を吸収していることを知らない。なぜなら、そのことを知ると何かしらの反抗を起こす可能性があるため、少年にはこの事実を知らせてはいけない決まりとなっているからだ。


 だから少年は、自分が国を救っていることを知らない。それどころか、自分は危険な存在だから、ここに囚われていると思っている。


「……ッ」


 俺は少年に本当のことを言おうとしている自分に気付き、言い淀む。

 一体なにを言おうとしているんだ俺は、これは言ってはいけない決まりだ。それに、今更真実を伝えたところで意味なんかない。


「それは、お前が悪いわけじゃないだろ。」


 俺は何を言っていいのかわからず、ありきたりに取り繕った言葉を少年に投げかけた。


「うん。ありがと…。僕はもう大丈夫だから、話を続けてよ」


「……あぁ」


 俺はその後も話を続けた。しかし少年の体調が戻ることはなく。その日を境に、少年の体調は悪化していった。



                  ◇◇◇



 仕事の帰り、俺は上官に呼び止められた。


「どうだ、仕事の調子は?」


「最近、少年の体調が芳しくないです」


「そうか。まぁ、少年の年齢を考えればそろそろ限界だろう。近いうちに、また新しい生贄を選別することになる。お前も準備しておけ」


「上官。俺達、いつまでこんなことを続けるんですか…」


 声に出した瞬間に、マズイことを言ったと気付いた。


「急にどうした?」


 上官が怪訝そうな顔でこちらを見る。これ以上言うべきじゃないと理解しつつも、俺は言葉を止められなかった。


「何の罪もない子供を生贄にして、その子供を嘘で騙して、これが本当に正しいことなんですかね…」


「確かに私も、この仕事には心が痛む。しかしこれは、この国の存続に必要なことなんだ」


「わかっています。でも……」


「ナスカ…。外の世界には、戦争、飢餓、不平等、差別と、この国以上に非情な現実が待ち受けている。お前はこの国の人間がそんな世界に放り出されてもいいのか?」


「……」


「受け入れることだ。この国の現実を」


 上官の言葉は、実際の重さを錯覚する程に、俺の心に重くのしかかった。本当にこのままでもいいのか。そんな思考も、先程の言葉が絡みつき、心の奥底へと沈めていく。


 俺には何もすることができない。

 上官の言うとおり、それはこの国の国民である俺の、確かな現実だった。



                  ◇◇◇



「……」


 少年は日に日に弱っていた。

 瞼を開く力もなくなったのか、常に目を閉じ、今までのように調子の良い声を発することも無くなっていた。


 もう、限界が近いのかもしれない。

 そんな少年に話しかけることもできず、俺はただ少年の様子を見ているだけであった。


「監視員さん、いる?」


 少年が、今日初めて言葉を発する。


「あぁ、いるぞ」


「監視員さん、名前なんて言うの?」


 そういえば、今まで俺達は『少年』『監視員さん』と呼び合っていたため、お互いの名前を知らなかった。


「ナスカだ」


 俺は自分の名前を答える。


「ナスカさん、ね。ありがとね、ナスカさん。僕に話を聞かせてくれて。短い間だったけど、楽しかったよ」


「なに言ってんだ。これからだって聞かせてやるさ」


「今までは、誰も話してくれなかったんだ。きっと僕が危険だから」


 違う。


「でも、ナスカさんはそんな僕にも話をしてくれた…」


 それは違う。


「それは違うんだ…。お前はなにも悪くないんだ…」


「違う?」


「お前の植物は、この国の地中に蔓延している毒素を吸い取っているんだ。お前は、国を守っていたんだ…」


「……そっか」


 少年がこの話を信じたのかどうか、俺にはわからなった。

 だが、少年は笑った。

 それはとても優しい笑顔だった。



                  ◇◇◇



 少年は亡くなってしまった。

 一人の罪なき少年が死んだ。しかし、この国は何一つ変わることなく、ただいつも通りの日常を皆が過ごしていた。


 ヒトノシダには、しばらくすれば、また新しい子供が入れられるらしい。

 何の罪もない子供たちが死んでいく。そしてそれは、この国が続く限り、この先も続く。


 本当にこれでいいのだろうか。この国は、俺達は、このままでいいのだろうか。


 ……俺は。

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