おとぎ話の残酷な結末

 明けて翌日。

ウルリーケは、とても気まずい思いでそこに立っていた。

 自分の視界に入らないように、と口にしていた相手と早々に顔を合わせてしまったからだ。


 今、ウルリーケは中央棟のホールに居る。

 部屋にて朝食をとった後に、城内を案内するとの言葉に有難く甘える事にした。

 フィーネは様々な事を教えてくれた。

 この城にて働く人間は必要最低限ではあり、殆どが下の村の出身なのだという。人手が必要な時は都度村から通いで人を雇う事もあるらしい。

そして、スヴェンの側に近づく事が許されているのはフィーネとフェリクスの二人であり、他の人間はスヴェンが主に暮らす東翼に入る事すら許されていないのだと。

その為、東翼の維持は二人にて行っているためなかなか大変だとフィーネは苦笑した。

そんな中で自分の面倒を見てくれている事が申し訳ないと顔を曇らせてしまったウルリーケを見て、フィーネは城主の奥方のお世話が出来るのは光栄だからと笑ってくれたものである。

 ギーツェン城の構造としては、城主やその家族の居所とされる東翼、客人などが滞在する為の西翼、広間や主だった設備のある中央棟とに分かれているという。

 やはり自分は『客人』なのかと内心で少しばかり苦い想いが生じる。それも、歓迎されていない客なのだろう。

 その思いを押し隠し、まずは彼女がいる西翼の作りを教えてもらいながら進み、次は中央棟をと言われて足を踏み入れたまでは良かった。

 しかし、ホールにてスヴェンと鉢合わせしてしまった。

 お早うございます、と何とか声の震えを隠して挨拶できたものの、相手からの応えはない。

 窓から差し込む朝陽が温かい筈なのに、空気が寒々しい。

 せめて何か話題を、そうでなければ立ち去るきっかけをと思っても冷たい汗が背を伝うだけ。

 満ちる沈黙に、ウルリーケだけではなく案内してくれていたフィーネと、スヴェンに従っていたフェリクスも気まずそうな顔をしている。

 何とか勇気を出してこの場を去らないと、と思っていたウルリーケの耳に、不意に低い呟きが聞こえた。


「……ヘルムフリートは随分慌ただしく帰ったのだな……」


 スヴェンだった。

 ウルリーケを護衛してきてくれたヘルムフリートが休息すら取らずに引き返していった事を聞いたのだろう。

 恐る恐る見上げた菫色の眼差しの先、スヴェンは溜息をつきながら苦々しいといった表情を浮かべていた。


「次の任務がもう下されていると、仰っていました……」

「それなのに、こんな辺境への護衛を買ってでたのか……」


 ヘルムフリートが言っていた事をウルリーケが口にすると、更なる溜息と言葉が続く。

 その通りと思うからこそ、ウルリーケは恐縮してしまう。

 相当な強行軍となる事を覚悟してでも護衛をして来てくれた事には感謝しかない。

 ただ……。


「……あいつも、人の事まで背負える程に余裕があるわけではないだろうに……」


 その通りだ、と思えばウルリーケは更に縮こまるしかない。

 優しい皇子について触れるスヴェンの苦い呟きの中には、僅かに気遣いが滲む。

 従兄弟同士の二人は年齢が近い事もあって比較的仲が良いようだ。

 ただ、近しい理由はそれだけではないのだろうと思う。

 二人とも、似た境遇であり、似た哀しみを背負っているからではないか、とウルリーケは思う。

 スヴェンもヘルムフリートも、皇帝の唯一の皇子でありながら皇太子となり得なかったのだ。

 そして、母を哀しい失い方をしていて、その後の境遇もまた。

 ウルリーケはヘルムフリートについて思いを巡らせる。

 ヘルムフリートは現皇帝の唯一の皇子である。だというのに、皇太子ではないのだ。

 その原因は、彼の母にあるとされている。


 ヘルムフリートの母である現皇帝の最初の妃・パウラについては、広く世に語られている。

 おとぎ話として。そして、同時に残酷な現実として。

 パウラ妃は、元は庶民の出だった。

 当時皇子だった現皇帝マンフレートがお忍びで街に出た先で偶然出会い、皇子は町娘のパウラに恋をした。

 そして、そのまま城へと連れ帰り、妃に迎えたのだ。

 名も無き少女が皇子に見初められた、物語にでもありそうな美しい話だった。

 ――そこで終われたならば。


 現実とは残酷なものであり、息子が生まれた頃にはもうマンフレートは周囲の反対を押し切って半ば無理やり迎えた妃に飽きてしまっていたのだ。

 マンフレートは次々と愛妾を作った。愛妾たちは皆貴族の女性だった。

 自分より出自の良い愛妾たちに後ろ盾のない妃は侮られ続け、碌な教養もないと嘲笑され続ける日々を送る。

 心を病み追い詰められていたパウラは、ある冬の日に塔から飛び降りて命を絶った。ウルリーケが生まれる前の話である。

 現皇帝が即位してもヘルムフリートに皇太子の地位は与えられなかった理由は、母の出自の低さを理由とする皇帝の意向だった。

彼は母の死後、長じて武官としての道に進んだ。

 武人としての資質があったようであり、すぐさま頭角を現わした。

そして、国を守る戦いにおいて皆が諦めた不利な状況から奇跡的な勝利をあげ英雄と讃えられるようになった。

 だが、それを面白く思わない父帝に幾度となく無茶振りとしか言えない戦いを強いられた挙句、しまいには軍務から外されてしまった。

 現在は皇帝の気まぐれの雑事を次々と押し付けられていると、彼の部下は哀しげに語っていた。恐らく次の『任務』もそうなのだろう。軍部の者達の不満は日に日に高まっている状態であるらしい。ただ、ヘルムフリート本人がそれを宥めるのだと。

 ヘルムフリートは、父に疎まれているのは自覚していると言っていた。


『父上は恐らく、本当は私を廃嫡したいと思っておいでだろう……』


 旅路の途中、休憩の際に寂しげに語っていた様子を思い出す。

 けれどそれを皇帝がしないのは、ヘルムフリートが皇帝の唯一の男子だからだ。

 この国において、女子に皇位継承権はない。

 『正しい』跡継ぎを得るべく、皇帝はパウラ妃の死後まもなく貴族から次の妃を迎えた。だが、現帝の妻は三度変わったが彼女達は男児を為さなかった。

身籠った妃や愛妾もいたが、大抵死産か、女児であるか。しかも夭折続きだった。

ヘルムフリート以外に育った現皇帝の子は、二人目の妻が産んだ皇女一人だけである。ついには、パウラ妃の祟りではないかという者まで現れる始末だった。

 現在の状態で息子を廃嫡し自分に何かあれば、皇統はスヴェンに移る。皇帝としてはそれだけは避けたい事態なのだろう。

 しかし、飽きた『過去の女』、しかも身分低い庶民の子を皇太子にはしたくないらしい。何とも勝手な事だとウルリーケとて内心憤る。

 恐らく、デリアが子を為す可能性はそう高くはない。可能性が全くないとは言わないが、かなり厳しいだろう。

 ただ、万が一男児が授かりでもすれば、皇帝は喜んでその子を皇太子にするのは間違いない。

 あの優しい皇子はきっとその理不尽とて穏やかに受け入れるのだろう。

裡にどれほどの煩悶があるとしても、耐え続けながら。断ち切りたい負の連鎖に苦しみながら。

それはあまりにも強いけれど、あまりにも哀しい。

 そして、似通った悲しみを目の前にいる銀色の大公も背負っているのだ。

 彼はそれ故に、先帝の息子でありながら皇位から遠ざけられ、この地に封じられているのだから……。

 ヘルムフリートを案じる様子を見せるこの人は、見た目よりもずっと優しい人なのかもしれない。

 そんな事を思いながら見つめていると、不意にこちらを見たスヴェンと視線が真っ向からぶつかってしまう。

 思わず、弾かれたように視線を逸らしてしまったが些か不自然ではなかったか。

 不躾に見つめてしまった事を咎められるのが怖くての事だったが、むしろ不愉快にさせてしまったのではないか。

 心の中に疑問が駆け巡るけれど、スヴェンの今の表情を確かめる為にもう一度視線をあわせる勇気が出せない。

 怒られる、機嫌を損ねたかも、そんな思いが先にたってしまって、向けられる視線を感じるけれど、唇を噛みしめたまま俯いてしまう。

 ただ、相手が抱く苛立ちが増していくのだけはわかる。

 これは、今度こそこの場から去るべきだと思って視線を周囲に巡らせて。

 ふと、あるものに気付いた。

 それは、古びた扉だった。

 美しい彫刻や金属の装飾こそ施されているものの、長年触れられた形跡がないし錆びついている。

 あれは一体どこへ繋がっているのだろうかと不思議に思ってしまう。

 掘りこまれているのが植物の意匠ということは、もしかして……。

 思わず食い入るように見つめてしまっていたウルリーケだったが、大きな溜息で思わず我に返る。

 見れば、明らかに呆れた色の宿る銀色の眼差しがウルリーケに向けられている。

 強張った表情に、一筋冷たい汗が伝う。これはどう申し開きをするべきか、再び混乱しかけてしまう。

 もう一度大仰な溜息をついたかとおもえば、スヴェンの視線が動く。

 その先には、あの扉がある。

 ウルリーケの視線が古びた扉にある事に気付いたのだろう。

 口を開いたかと思えば、淡々とした声音で告げる。


「あの先は庭園だ。……いや、庭園『だった』だな」


 やはり! と思わず口にしかけたのを必死で飲み込んだ。

 庭園と聞いてウルリーケの胸が騒めき始めるものの、それも必死で抑える。

 庭いじりが好きというのは、恥ずかしい事だと母に再三窘められてきた。もしかしたらスヴェンもそう思うかもしれない。

 けれども、どうしても庭園があると聞いて気になって仕方ない。

 庭園『だった』というのが、気がかりではあるけれど……。

 扉の向こうにあるものの存在を知った途端、必死に抑えてはいるものの気になるのを隠しきれていないウルリーケを見て、変わらぬ声音で続ける。


「行って見たければ好きにするがいい。……足を運ぶだけ無駄だろうがな」


 平坦な声音は確かに変わらない。

 だが、何故かスヴェンのその言葉には、多少の皮肉の気配と、若干の哀れみが覗いた気がする。

 それだけ言うと、スヴェンはフェリクスを促し、それ以上言葉を発する事なくホールから立ち去って行った。

 残されたウルリーケとフィーネは、暫くの間無言のまま佇んでいた。

 やがてフィーネが意向を伺うようにこちらを見ている事に気づく。

 ウルリーケは視線で扉を示すと、訴えるようにフィーネを見つめ返し。

 若干躊躇う様子を見せたものの、ひとつ頷いたフィーネはウルリーケの先を進むと、静かに重い扉に手をかけた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る