いつか、あなたと一面の花の中で ―少女は枯れ谷に紡ぐ―

響 蒼華

寂しき花嫁

 これは、不思議な『霧の壁』に閉ざされた半島にある、とある国での出来事――。

 

 少女はぼんやりと馬上から流れ行く風景を眺めていた。


 進むにつれて、徐々に緑の草原は色を失い、剥き出しの土に石や岩が転がる荒れた土地に姿を変える。

 聞いていた通り、向かう先はかなりの荒野にある所領のようだ。

 彼の人が住まう城は『枯れ谷』と呼ばれる領地の奥に存在するのだという。

 人の訪れの少ない辺境、帝都や他の土地で暮らせなくなった人々が集っているとも聞く。

 まあ、自分とてそうだと少女は視線を伏せながら思う。

 帝都に……大勢の目に触れる場所に暮らす事が出来なくなり、こうして馬に揺られているわけだから。


 今、少女はとある場所へと向かっている。

 顔も知らない男性に、嫁ぐために。


 少女を乗せる一人を含めた三人の騎兵に、控えめな荷物を詰んだ一頭の馬。

 晴れがましさとは無縁の、どこか隠れるようにひっそりとした寂しい道行き。

 けれど、少女は何も感じなかった。むしろ自分には相応しいとすら思ってしまう。

 少女が向かっている先は、彼女が嫁いだ男性の居る城だ。

 望んでの道行きではない。

 命令に逆らう事など出来ず、他に選べる道もないから、ただ従っただけ。

 流されるようにして辿り着く先に何あるのか。それを考える事すらしていない。

 何が良くて、何が正しいのか。それを決める指針であった存在は『真実の愛』の為に彼女をいとも容易く放り出した……。


「ウルリーケ」


 物思いに遠ざかりかけた思考が、呼びかけにて戻って来る。

 呼びかけの主は馬を駆る主であり、少女――ウルリーケはそちらへと視線を向ける。

 気遣うように笑う優しげな青年のはしばみ色の瞳と菫色の瞳が交差する。


「すまない、疲れただろう? だけどもう直ぐだから」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、ヘルムフリート様」


 気遣うように言われた言葉に、ウルリーケは慌てて首を横に振り答える。

 ヘルムフリートと呼ばれた青年は、ウルリーケの遠慮したような、恐縮するような様子を見て苦笑した。


「大分紆余曲折を経てはいるけれど、私たちは兄妹のようなものだから。遠慮はしないで欲しい」


 そう言われて、ウルリーケの顔には少し苦笑が浮かぶ。

 恐れ多い、と思うからだ。

 このヘルムフリートという青年は、間違いなく当代の皇帝陛下の唯一人のご子息であり、正当な皇子殿下なのである。

 たとえ複雑な『事情』があっても、ウルリーケもまたそれなりの血筋であっても、そうそう気安い態度は取りにくい。

 ウルリーケの心情を読み取ったのか、ヘルムフリートは少し寂しげに笑ったものの、それ以上は何も言わなかった。



 やがて、目的の城に一番近いという村へと一行は辿り着いた。

 寂れた様子の村であり、人はまばらである。

 どうやら外からの人間を警戒している様子であり、こちらに興味を示しかけた子供が慌てて親に家へと引き戻されていたのを見た。

 少ない人影がこちらを見る眼差しは、お世辞にも友好的とは言えない。

 むしろ、帝都からの人間ということで大分警戒されているようだ。

 ヘルムフリートが村の長に事情を説明し、足を止める事は許されたが長居をしたいと思わせる空気ではない。

 城の麓の村で、ヘルムフリート以外の騎士は待機となる。

 思わず驚いた表情を見せてしまったウルリーケに対して、ヘルムフリートが苦笑いしながら説明してくれた。

 どうやら、城主はかなり気難しいうえに人嫌いであり、知らない顔が城に近づく事を好まないのだという。

 それを聞いて、ウルリーケは表情をやや強ばらせた。

 ウルリーケもまさにその『知らない顔』なのである。

 それも、ほぼ一方的に押し付けられたに等しい……。


「大丈夫だ」


 ウルリーケを馬上に乗せながら、ヘルムフリートは何かに思いを馳せるように僅かに遠い眼差しをしながら言った。


「あいつは……そういう奴だから」


 城主について語るヘルムフリートの声には、懐かしさや親しみと共に信頼が滲む。

 その言葉を信じたい、とウルリーケは思うけれど、心に滲むように存在する不安は消せない。

 しかし、例え不安であろうと、もうウルリーケは引き返せない。戻る場所など、もう無くなってしまったのだ。進むしかないのだ……。



 村からはヘルムフリートと二人だけとなる。

 二人の見送りを受けながら、ウルリーケとヘルムフリートは更に進む。


 馬上にて、ウルリーケはこの先に居るであろう彼女の夫となる人間について思い浮かべる。

 彼女の夫となる人は、先の皇帝のご子息であり、現在の皇帝陛下の甥である男性であるという。

 事情があり皇位を継ぐ事はなく、今はこの『枯れ谷』のギーツェン城にて暮らしている。

 ヘルムフリートと同じく、本来であれば気軽に言葉を交わす事など恐れ多い高貴な方である。ましてや、その妻になるなど。

 思考を巡らせる間も、ヘルムフリートの駆る馬と荷を乗せた馬は走り続けている。

 流れる光景の中、ウルリーケがある事に気づいて疑問を抱いた時、ヘルムフリートが口を開いた。


「もう少しで、ギーツェン城が見えてくる」


 その言葉に視線を前方に向ければ、そこには城らしき建物の影。

 徐々にその形は明らかになっていき、やがてウルリーケの目に城の全貌が明らかになる。

 ギーツェン城は、かつて先々代の皇帝陛下が私的な余暇を過ごすために有していた城だという。

 それを孫にあたる現城主が幼いころに受け継いで、成人後はその周辺を所領として与えられ、現在に至るという。

 規模は左程大きくないと思われるものの、伝統を汲んだ建築の城は歴史を感じさせ、確かに先々帝が愛したと言われるに相応しい城だった。

 けれど、どこか……。

 古の美しい物語の中に取り残されたままの城――ウルリーケは陽光を受けて輝くギーツェン城を見て、ふとそう感じた。


 ヘルムフリートは迷う事なく馬を進め、やがて城へと辿り着く。

 告げられた来訪を聞きつけて迎えに出てきたのは、二人の男女だった。

 少女と青年にも見えるが、どこか不思議な雰囲気を持つ二人組だ、とウルリーケは感じた。


「ようこそいらっしゃいました、ヘルムフリート殿下」

「やあ、元気だったか? フィーネ、フェリクス」


 恭しく頭を下げて出迎えた二人に対して、ヘルムフリートは気さくな様子で声をかける。

 二人は一度視線をウルリーケへと向けた。

 探るような二つの眼差しを受けて一瞬表情が強張りかけるウルリーケ。

 しかし、すぐに何事もなかったかのように視線は外され、二人はウルリーケに対しても歓迎の言葉と礼を取った。

 荷物を言われて馬に積んだトランク二つを示すと、二人は「これだけ?」と言いたげに一瞬目を見張っていた。

 困ったように笑いながらウルリーケが頷くと、何とも言えぬ表情を浮かべたが、すぐに元の平静な表情に戻る。

 フェリクスと呼ばれた男性は現れた下男らしき人間に馬を頼み、トランクを抱え上げた。

 フィーネと呼ばれた少女の案内でウルリーケとヘルムフリートは城内へと進んだ。

 歩みを進め大広間に至ると、ウルリーケは思わず目を見張った。

 ここは美術館かと思う程に見事な美術品が並べられていたのだ。そして華麗というわけではないが上品で洗練された佇まいの調度類。

 帝都の美術館にも比肩するほどの数々に、思わずウルリーケは目を瞬く。

 幼いころからそれなりに美術品を目にする機会はあった。だからこそ、ここにある品々の価値は完全ではないだろうが理解できる。

 でも、とウルリーケは心の中で呟く。

 見事である事には間違いないのに、何故か、どこか寂れたような空気を感じて……かなしい、とすら思ってしまう。

 無言で進むウルリーケの前方でヘルムフリートとフィーネが会話しているのが聞こえてきた。


「あいつは?」

「……ここにいる」


 一度周囲を見回してから首を傾げながら問うヘルムフリートの言葉に、高いところから固い男の声が応える。

 その声を聞いたウルリーケは思わず身を強ばらせてしまった。

 おそらく、この声の主は……。


「久しぶりだな! スヴェン!」

「……久しいな、ヘルムフリート」


 大広間の奥、二階へと至る大階段の上にその人物は立っていた。


(あれが、先帝陛下の唯一のご子息である、スヴェン殿下……)


 灯りを受けて鋭利な輝きを放つ癖のない真っ直ぐな銀色の髪、凍てついた冬の湖のような光を宿す切れ長な銀の瞳。

 触れれば凍り付いてしまうのではないかと思わせる程の冷たさを感じさせる、けれどあまりにも美しい男性。

 それが、ウルリーケがギーツェン大公・スヴェンに対して抱いた最初の思いだった。


 ウルリーケの目の前で、ゆるやかな足取りで階段を降り来たスヴェンと、ヘルムフリートは言葉を交わしている。

 二人は従兄弟同士にあたるはず。

 ヘルムフリートは朗らかな笑みを浮かべて再会を喜んでいる。

 対するスヴェンは表情こそ揺らがないものの、言葉を遮るでもなく、拒否するでもない。それなりの気安さはあるのかもしれない。

 ひとしきり再会を喜んだ後、ヘルムフリートは後ろに控えていたウルリーケへと視線を向け


「伝えていた通り、お前の花嫁を連れてきた。さあ、ウルリーケ」


 視線と仕草で示されたウルリーケは、促されるように一歩進み出る。

 表情は緊張に強張ってしまうけれど、何とかそれを表に出さないように全神経を集中する。

 そして、長年教えられてきた通りに淑女としての礼を取りながら、夫となる人物に名乗ろうとした。

 しかし。


「要らん。……帰れ」


 ――それが、怜悧な美貌の大公が、花嫁である少女に対して放った第一声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る