May's Hymn
--夏も近づく八十八夜。
私が育ったこの町は日本有数のお茶処。
今は機械を使い茶摘みも楽になっているが、それこそ、私が子供の頃は家族総出で茶摘みの手伝いをしていた。
子供の頃の楽しみといえば、茶摘みの休憩中に、おばあちゃんが煎れてくれる甘いグリーンティーだった。
小さな頃は苦い緑茶が飲めなくて、おばあちゃんのグリーンティーが唯一のお茶体験だった。
そんな私も、今年で32歳。
地元を離れちょっとした都会で、ちょっとしたオシャレな会社で、夢だったWebクリエイターとして働いている。
そろそろ結婚を--実家に帰る度にそう言われ、お見合い話を持ち掛けられるのだけれど---。
片田舎のお見合い相手に求められることは、大抵決まって家業を継ぐ自分を支えてくれる女房になってくれる女性であって---。時代錯誤も良いとこ、と断っていた。
ただ、この何年かは断ることも面倒くさく感じ、仕事が忙しいからと理由を付け、帰ってもいなかった。
昨晩もまた、結婚を心配した母からの留守番電話を聴いてから---イライラにも似た感情が溢れていた。
『--それでくさ、お母さんはいいと思うとよ。アンタより2歳年下やけど。去年、実家を継ぐために地元に帰って来とんしゃあけん、都会的な人やけんアンタも気に入るやろうって---。』
着信があったことは分かっていた。電話に出ないからって、長々と留守録を残す母を疎ましく思う。
母はお見合いで嫁いで来ていた。割と晩婚だったこともあり、70歳を超える母。普段は見せないが、とても苦労したのだろうとは思う。
だからといって、その時の気苦労が娘も同じだと思わないで欲しかった。私は私で生きていく。
「はぁ---。」
昼下がりの休憩室。スマホを弄りながらクリームサンドを
そのつもりは無かったのだが、漏れてしまっていた。
「おつかれ。どうしたの?難しい顔して。」
「あ、お疲れ様。例のお見合い話がまた---。母から。」
そういうと、敢えて呆れ顔を作り、「君」に音声データを聴かせた。
「--方言きっつ--!!しかし---。峰田さんも大変だね。まぁ、俺たちの仕事って大変っちゃー大変だけど、やり甲斐もあるしね---。特に、君はこの仕事が好きそうだから尚更だよね。」
彼は、私より一年先にこの会社に入社していた先輩で、営業部に所属している。年齢が1歳下ということと、所属部所が違うこともあり、気安く話せる相手でもあった。
また、彼とは同じプロジェクトのメンバーとして一緒に働く事も多く、半ば戦友のような仲間---そう思っていた。
「そういえば、君の実家って福岡だっけ?方言的に---。」
隣に腰掛け、ブラックコーヒーを啜りながらいう。
「うん。そう。八女ってところ---。お茶畑しかない、ほんと片田舎。」
そういうと、また深い溜息が出てしまう。
「ふーん。で、跡継ぎのために帰って来いと?」
「いや、それはないかな。兄貴が継いでるし。ただ、私に行き遅れて欲しくないだけでしょ。」
「はは、なるほど。--まぁ、お母さんの気持ちも分からなくは無いかな。確かに勿体無い。---おっと、そろそろ来客の時間だ。じゃ、また--。」
---勿体無い?どう言う意味だろう。
「君」って、たまにおかしな事を言うのよね、と肩の力が自然と抜けていた。
---♬♪♪♬♪♪
不意に着信が鳴る。
「本岡さん」--私の彼からだ。
「もしもし。どうしたの?社内に居るんじゃないの?」
周りに人が居ないか確認し、声を潜める。
『--いや、あの、舞子、今1人か?』
「うん、何かあった?」
普段、業務中は連絡をして来ないハズの彼。そのただならぬ雰囲気に嫌な予感がしていた。
『--すまん、嫁に君との関係、バレてしまった。』
「え?」
『--これから、会社に乗り込んで来るらしい。本当にすまない!』
--どうして?頭が真っ白になった。彼と私の関係は社内でも、誰も知らないことだった。
30分もしないうちに、本岡さんの奥様が会社に到着し、受付で騒いでいたところで応接室に通されていた。
「---で?アナタが
針のむしろとはこの事か。
彼はもちろん、彼の上司も同席していたのだが、私だけが一方的に責め立てられた。
肝心な時に、「あ、いや」としか声を出せない彼にも愛想が尽きそうになっていた---。
『嫁とは別れる--君が好きだ。』
所詮、その場限りだったのね。
ホイホイついて行った私も私だ。
自分が馬鹿だったと考えていた。
私だけが『正式な処分が下されるまでの間謹慎--』と突きつけられ、もう呆れ気味に同意する。
その時だった--。
「失礼致します---。」
応接室の扉をノックし入って来た「君」。
急に入って来て何を言い出すのかと思いきや、入って来るなりいきなり本岡さんの顔を一発殴っていた。
そして、その場は凍り付いていた。
「おい、本岡。てめぇ、誰の女に手ぇ出してんだよ、コラ。オラぁ、舞子に聞かされてんだよ。てめぇから飲まされて無意識のうちに無理矢理抱かれたかもってよ---。」
そこにいた全員が何も言えなかった。
普段は大人しい「君」の猛々しい口調に、圧倒されていた。
そんなことはお構い無しに続ける。
「--でも、こいつは『自分にも隙があったから』って、てめぇを許そうとした--その結果がコレか?!あぁん?!--それが正義っつーんだったらよ、オラぁこいつと一緒に会社辞めてやらぁ。」
啖呵を切る、とはこの事か。
この場で一番冷静だったのは私らしい。
「---ちょ、やめなよ!アンタまで辞めること、ないし!」
そう言うと、「君」は目の周りを赤くしている事が分かった。
身体に触れると、小さく震えている。
本当は怖かったんだと思う。
下手な芝居をさせてごめんなさい。
「---私は解雇でいいです。彼は関係ありません。本岡さんを殴った責任は私が取ります。---でも、彼が言ったことは本当です。きっかけは入社時の歓迎会で、意識が飛ぶくらい飲まされてました。そして次の日に、朝起きたら本岡さんと寝てて--それからしばらくして、妊娠に気付いたのですが、本岡さんから堕ろすように言われて---。本当は彼を訴えるつもりでした。でも、会社の上司だからって泣き寝入りしてました。すると、彼は妊娠させた事の罪滅ぼしもあるから結婚しようって--関係を迫られていました。」
自然と涙が出ていた。
何を言ってるんだろう。
半分嘘、半分本当の独白。
私は彼を確かに愛していた。
その気持ちは無かった事にした。
全部吐き出すと、私は「君」を抱きしめ、彼の耳元で囁いた。
「ごめんなさい--。そして、ありがとう。君に救われたよ---。」
「---ごめん、気付いてあげられなくて。俺、峰田さんがいなくなるのなら、一緒に辞める。だからさ---。」
---
--
--お茶を美味しく煎れられるまでに八十八日、八十八行程。昔の人はそれを歌にしたんだって。
-へぇ、じゃあこうやって茶摘みした後も結構が時間掛るんだな。
--今は機械があるからそんなにはかからないよ。ただ、美味しいものは手間隙かけるってことの例えなんじゃないかな?
-なるほど。それじゃあ恋愛もそうかもなぁ。気持ちを伝えるのに俺、すっごい時間かけてしまったし。
--でも、いいじゃん。こうして一緒に居られるんだし。
-はは。だなぁ-。ありがとう、このグリーンティー、すごい美味かった---。さて、休憩終わり!午後も頑張ろうかな。
--でしょ?また作ってあげるよ。さて、私も頑張ろう!
-いやいや、舞子は座ってろよ。もうすぐ産まれるんだからさ。
--ありがとう。じゃ、行ってらっしゃい-あなた。
新緑の茶畑で、「君」は汗を流す。
「君」は今年から新しい加工製品を作り出し、販路を増やしてくれた。
「君」が来てくれたおかげで、日本全国に私たちのお茶で作った加工品が出回っている。
彼は私の人生のパートナーでもあり、大切なビジネスパートナー。
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