第二章 老いた勇者の冒険

第四十七話 始まり

 あるとき、真っ暗な闇の中からぽつりと浮かんだ光。

 目を懲らすと、その光は魔術によって生み出されたものであり少しずつ大きくなっていく。

 いや、大きくなっているのではなく、こちらに近づいてきていた。

 段々とはっきりしてくるシルエット。

 こちらに近づいてきたのは、若い女だった。


「だれ……?」


 少年は目の前でじっと微笑む彼女に尋ねた。


「私は■■■■、あなたは?」

「ない……」


 少年には名前がなかった。


「そうだなぁ……」


 彼女は、白く細長い指を自身の顎に沿わせうーんと唸る。

 しばらくして、閃いたように手のひらにこぶしを乗せた。


「君の名前は……!これからはヴァネールと名乗りたまえっ」


 言いつつ、彼女は少年の頭上に光を灯した。

 露わになる少年の体。

 頭部からは二本の捻れた羊の角が生え、この暗闇より黒い太く鋭い尾が伸びていた。

 まだ幼いが、一目で魔族とわかる黒い躰だ。

 

「ヴァネール……」


 尊大な物言いで勝手に名付ける目の前の女性に、しばし思考停止した少年だったが、やがて舌に馴染むよう何度も自身の名を繰り返した。


「ヴァネールはここで何をしているの?」

「何も……」

「やりたいことはないの?」


 少年は質問について考える。

 しかし、頭の中はこの暗闇のように何も浮かばない。


「分からない……」


 少年にはやりたいことがなかった。

 だからこそ、この真っ暗な闇の中で人知れず時間を過ごしていたのだが。


「ふーん、君はきっと…いや」


 彼女は何かを言いかけたが、突然止めた。

 そして、唇を寝そべった三日月のように歪め、妖しく笑う。


「じゃあさ――になってみるのはどう?」

「え…」

「大丈夫、私が手伝ってあげる!」

「……ここより楽しい?」


 少年の言葉には次第に熱が籠もり、先程までなかった感情が芽生えていた。


「もちろん!良い暇つぶしになるんじゃないっ?」


 それが、彼女■■■■との出会いだった。





◇魔王城・最上階テラス


 どんよりとした赤黒い雲が、空全体を覆う。

 荒野に一際異彩を放つ黒い城。

 その最上階に、独り思案する者がいた。

 テーブルに並べられているのは、蒸した牡蠣と黒の混じった赤ワイン。

 

『さあ、永遠の精霊よ!私との契約を叶えてくれ――”■■■■”!』


 魔王は、グラスをゆっくりと回しながら思い出そうとするが、明瞭な答えは出ない。

 まとまりきる前に、考えても霧散するばかりだった。


「魔王様」


 その時、背中の方から声がした。

 音もなく現れたのは魔王幹部が一人、鶏頭の和服に身を包んだ悪魔だ。


「ベリアルか、首尾はどうかな?」


 だが、魔王に驚いた様子はない。

 最初から分かっていたかのように、自然に、軽い調子でそう尋ねた。


「そのことについてですが……」


 先程の会議を思い出すベリアル。

 




◇魔王城・応接間


 数刻前。

 薄明かりがぼんやりと部屋全体を照らす応接間に、七人の魔族が集まっていた。

 魔族達はそれぞれ動物の顔をしていて、どれも普通ではあり得ないほどの膨大な魔力を秘めている。

 食事を摂る者、武器を磨く者、ボードゲームを嗜む者など、各々が自由に過ごしていた。


「問題は、一番最初に誰が行くか、ということです」


 最初に切り出したのは、雄鶏の顔をした魔族だ。

 鶏らしく、甲高い声で部屋全体を見回す。

 彼は、東洋に伝わる着物を着飾っていて、世話しなく扇をパタパタ仰いでいた。


「勇者を獲れば報酬が出ると魔王様はおっしゃっていたわ」


 鈴を転がしたような声で応えたのは、猫の魔族。


「シトリー、大事なのは報酬の有無などではありません。我らに期待をしてくださっている、その事実こそが重要なのですよ?」

「分かってるわベリアル。あなたは相変わらずね」


 黒いドレスを着た妖艶な猫は、蠱惑的な笑みを浮かべる。

 シトリーと呼ばれた彼女は、バックギャモンの駒をニヤニヤ見ながら動かした。


「ほう……幼い少女があと百人は欲しいんだが……あれはイイ」


 次に、盤面を見ながら低く轟く声で気色の悪い発言をした者がいた。

 赤いスーツに赤いハットを被った豚だった。


「アスモデウス…貴様、あまり部屋を汚さないでください」


 ベリアルが顔を顰め、意味のない注意をする。

 アスモデウスは、パイプを吹かしながら太い手でサイコロを転がす。

 転がったサイコロは、何かにぶつかりその目を確定させる。


「あら……あなた前は若い男じゃなかったかしら?だから話が合ったのに」

「グルメな俺には、流行り廃りが存在する。あれは、味が濃すぎるのだ」

「あなたと私では、”食べる”の意味が異なるものねぇ」

 

 サイコロがぶつかったのは食いかけの人体や、酒の空き瓶だった。

 腐敗臭がしないあたり、つい先程食べたのが分かる。

 よく見れば、アスモデウスの口元には赤い汁が滴っていた。


「はあ……面倒くさいなぁ」


 誰に言うでもなく、灰色のローブを羽織るロバが子供のような声で退屈そうに呟く。

 青ざめた様子のロバは、体の調子が悪いのか背を丸めて、蹄を器用に扱い杖に寄りかかっていた。


「そう言わずにガミジン……皆が行きたいだろうから話し合いに来てもらったんです」


 雄鶏ことベリアルは扇子を仰ぎながらせわしなく周りを見渡す。

 実際には、自分がリーダーであることに自惚れ権威を見せたくて集めていた。


「一番はいや……なるべくこちらに近づいて欲しいのさぁ」

「あなたの固有魔術シギル上、人里の方が都合が良いのでは?」

「それ以上はいけないねぇ――になりたくないのであれば」


 伸ばし気味な口調とは裏腹に、剣呑な雰囲気を漂わせたガミジン。


「フォッフォッフォ、私は若い者に譲りましょうぞ……老人は初速も遅いのでな」


 空気を遮るように言葉を発したのは、老いた猿顔の魔族だ。

 神父然とした老猿は、枯れ木のような身体に黒い修道服を身に纏い、張り付いた薄ら笑いでベリアルに言った。


「ダンタリオン殿は後でよろしいのですね?シトリーではありませんが、報酬が出るのは確かですよ?」

「いえいえ…あなたのおっしゃったことが全てですよ。重要なのは討伐であって誰がすべきかは問題ではないのです」

「…チッ」


 自分の論法を使われ、思わず舌打ちをするベリアル。

 彼は利用されることが大の嫌いであった。


「……」

「レラジェ殿は…まあ、よろしいでしょう。あなたは最後の砦だ、万が一まで磨いていればよろしい」


 レラジェト呼ばれたのは、緑のエプロンにこれまた緑のキャップを被ったボルゾイ犬の顔した男だ。

 部屋の隅に座り無言で刈り込み鋏を磨いていた。

 傍には手入れの終えた弓矢も転がっている。

 誰もが、彼の近くにはいないよう距離を取っていた。


「では、我が輩がッ!我が輩が行かせて頂きますぞ!騎士なのでッ!」


 場に似つかわしくない大声を上げたのは、西洋甲冑に身を包んだカエルだ。

 顔の半分を占めるほど巨大な目をギョロつかせながら、感情を伺わせない顔で部屋を振動させた。


「おお、バアル殿。あなたが行くなら勇者一行はきっと倒せるでしょうな」


 彼は、元気よく立ち上がると骨となったダチョウに飛び乗る。

 原理は不明だが、骨がむき出しのダチョウは、主人が乗ると部屋へ歩を進める。


「この正義心に掛けて!……必ずや」


 ブツブツ言いながら、雄鶏の言うことなど気にもとめずに行ってしまった。


「うふふ、やっぱりバアルは脳みそが鳥並なのね」


 猫のシトリーが三日月のような口を開いて嗤った。


「……」


 私、鳥なんですけど……。


 雄鶏型の魔族ベリアルは、リーダーだからと自分を抑えた。





◇魔王城・最上階テラス


 おおよそ、場を支配したとは言い難い会議であったが、ベリアルはさも自身が名司会かのごとく手柄を自慢する。


「ええ、すでにバアルが勇者のもとへ向かっております」

「バアルか…勇者を倒せると思うか?」


 難しい質問に、今度は心の底から自信満々にベリアルは答える。


「ええ、勇者は何も抵抗できずに気付けば死んでいることでしょう…!」

「ほぉ、かつて私抜きとはいえ魔王軍が破れた相手だぞ?」

「所詮、精霊を奪われ足を怪我し老いた勇者など我々の相手にはなり得ませんッ」

「だといいがな」


 意味深にワインを口に含めた魔王。

 牡蠣の匂いがベリアルの小さな鼻腔をくすぐった。


「ぜひ、私を一刻も早く安心させてほしいものだ」

「な、なにとぞっ。このベリアルが!あなた様の望みを全て叶えて差し上げましょうッ!」


 魔王は返事を返さない。

 だが、ベリアルは忠臣としての自身をアピールできたと内心喜んだ。

 そのまま、また音を立てずにその場から消える。


「私の部下達はかの勇者を倒せると思うか?」


 魔王は、誰かに尋ねるように空に向かって問いかける。


『……』


 だが、答える者はいない。

 そこにあるのは、緋色に輝く宝石だけである。


「ふふふ……精々楽しませてくれ、哀れな悪あがきを」


 混乱最中の勇者に、魔の手が差し迫っていた。

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(元)勇者なめんなっ! 前田マキタ @tonimo_kakunimo

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