第二章~尾梶⑥

注)OK→大阪に住んでいた栗山、神奈川で車を使い天堂夫婦を轢き殺した八十過ぎの老婆

KS→神奈川に住む少女,栗山に轢き殺された天堂夫婦の子供で三人きょうだいの長女で十一歳

TM→東京に住む麦原、自宅でほぼ寝たきりだった八十五歳の母親を窒息死させられた息子

AS→愛知の少年、自宅で窒息死した四十五歳で難病により寝たきりだった日暮美香の甥、十五歳


「一千万円で当座はしのげるでしょう。警察や近所の目からも逃れられます。母親はスナックとスーパーで働いていましたからね。コロナ禍以降、苦しんでいる店は多いでしょうが、人手不足で悩む店もあります。特にスーパーなどの食品関係は引く手数多ですし、スナックや飲食店なら雇って貰えるでしょう」

「いや当座の金があり、介護も必要なく息子が高校生で手がかからなければ、普通の会社への就職も可能だ。それこそ今なら喉から手が出る程、人手が欲しい会社だって相当ある」

「でも現時点だと金の差し押さえはできませんよね」

「無理だな。もしかすると、ASが殺人依頼を一切認めないのはそういう狙いがあるのかもしれない。もう少しすれば解放されると考え、何とか耐えている可能性はある」

「殺人依頼したと認め、現金は実行犯が置いたものと証言しない限り証拠品として押収できないので、彼らが使っても差し障りはありません」

「そうだ。もちろん転居を止める手立ても無い」

 辻畑は大きく溜息を吐いた。

「取り調べは俺達の仕事じゃないから任せるしかない。例えAS親子がここから離れたとしても、こっちは全ての事件の全貌を明らかにするまで別の線を追い続けるだけだ」

「実行犯の足取り捜査は別の班がやっていますからね。私達は的場さん達と情報を共有しながら、闇サイトについて調べることしかできない。そういうことですか」

「そうだ。といってネット捜査はサイバー課の仕事だ。そこは特に警視庁の部署がしてくれる。俺達はその指示に従って動く、または別の角度で情報を集めるしかない」

「別の角度と言いますと。闇サイトを片っ端から当たるのですか」

「当たらずとも遠からずだが、俺に考えがある」

 意味深な言い方に、尾梶は引っかかりを覚え尋ねた。

「何ですか」

 しかし彼は首を振った。

「いや、これは下手をすると責任問題に発展しかねない。お前に迷惑がかかると困る。だからお前はこれまで同様、的場さん達から麦原の聴取やその他捜査の進捗情報を聞き、こっちの状況を伝えてくれ。それで捜査に参加できれば、指示に従って動けばいい。それが俺達に与えられた仕事だ」

「もったいぶらずに教えて下さいよ。水臭いじゃないですか」

 尾梶がすがるように言ったが彼は話題を変えた。

「しかし一連の事件を起こした闇サイト運営者は罪深い事をしやがる。もし単なる人助けと思っているなら、飛んでもない勘違い野郎だ。そう思わないか」

 何となく言わんとする意味は理解できたが、わざと質問してみた。

「どういう意味ですか」

「人が困難に遭った時、その時の取り巻く環境なども含めて乗り越える方法は千差万別だ。しかし乗り越え方を誤れば、新たな苦悩を背負う羽目になる。そう思わないか」

「そうですね」

 とりあえず頷いたところ、彼は続けた。

「尾梶なら良く分かるだろう。もちろんお前が意図的に選んだ訳じゃない。勝手に飛び込んできた災難が抱えていた苦悩を消し去った代わりに、新たな災難を呼び込んだだけだ」

 祖母が事故で亡くなり、その後起こった様々なトラブルの件を指しているようだ。どう答えて良いのか分からず口籠ると、彼は独り言のように話し始めた。

「人の心が弱っている時は、安易な道を選択し易くなる。今回の闇サイトに殺害依頼を書き込んだと思われるOKやKS、TMやASも恐らくそうだったに違いない。追い詰められ、苦しみ、誰にも助けて貰えず悩んだ末、現在の状況に辿り着いたのだろう」

「そうかもしれませんね」

 尾梶は先ほどより強く相槌を打つと、彼は頭を掻いた。

「俺だってその気持ちは分かるよ。以前も言ったが、死んでくれたらと何度思ったか。お前もそうだと言っていたな」

「はい」

「だがそれでは終わらない。KSも今は罪の意識に苛まれ、苦しんでいるだろう。いくら憎いとはいえ産んでくれた親だ。そんな相手を殺すかと選択を迫られ、彼女はそう願った。TMやASもそうだ」

 彼の言葉が徐々に熱を帯びていく。その迫力に押され、黙って頷くしかなかった。

「しかしそれで悩みは解決しない。親を殺したとの罪の意識を、死ぬまで背負わせるのだからな。しかもそれをTMのようにいい年をした大人ならともかく、未成年の子にさせたんだ。その後どうなるか、どこまで想像できたか、どこまで覚悟していたかなんて分からない、未熟な子を相手にだぞ。そんな恐ろしくむごい真似を良くできるものだと思うよ」

「確かにどんな理由があっても殺人は許されません。しかし神奈川のケースに限って言えば、OKは虐待から彼女達を救ったのも事実です。幼い命を助けたとも言えるでしょう」

「それでもOKの行為は正当化されない。してはいけないんだ。残された彼女達に虐待されて負った心身の傷と同じ、いやそれ以上の苦痛を与えているからだ。一生消えない重荷を背負いながら、彼女は生き続けなければならない。それは虐待を越えた拷問だ」

 マジックミラーの向こうでは、捜査員が似たような話をしながら航に自白を促していた。

「ずっと隠し通すつもりなのか。君やお母さんにとっても、美香さんは大切な人だったんだろう。だからこれまで必死に介護していたんじゃないのか。そんな人の命を奪った犯人を庇い続けるのか。君はまだ十五歳で、これからの人生は長い。今なら間に合う。知っている事を全て吐き出してみないか。そうすればまだやり直せる」

 殺人依頼したのかとは詰め寄らず、あくまで実行犯を逮捕する為に必要な情報を教えて欲しいとの論法だ。それでも航は捜査員と目を合わさず下を向いたまま、小さく

「知りません」

と呟き、首を横に振るばかりだった。隣にいる彩は、捜査官が行きすぎと思われる言葉を吐いたり態度を取ったりした時だけは、抗議して息子を守っていた。だがそれ以外は、何と声をかけていいのか分からなかったのだろう。ほとんど口を開かず、息子の様子をただじっと見つめていた。

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