第一章~辻畑⑧

「喧嘩なんてとんでもありませんし、尾梶さんのところは私が言う三件の中にもちろん入っていません。ただ事情は知っています。遺産が入り裕福になったけれど奥様が病に倒れられ、お嬢さんが家事や世話もしているようですね。とても大変だと伺っています。いわゆるヤングケアラーじゃないですか。そういう点も今回の事件と重なります。私が少なくとも三件と言った中には、同じような家庭が含まれていますよ」

「あんた、適当な作り話をしているだけだろ。そうやって俺達から情報を引き出そうとしているんじゃないのか」

「違います。辻畑さん達だって、単なる強盗殺人でないと思っているんじゃないですか」

「ほら見ろ。結局探っているだけじゃないか。そうじゃないなら、今回と似ている事件とやらを具体的に言ってみろ」

「全部は駄目です。でも一つだけお教えしましょう」

 誘導尋問に乗せられた彼女が告げたのは、一年程前に東京で起こった事件の概略だった。被害者の名前は麦原むぎはら智代ともよ。八十五歳の女性で三年前に事故で後遺症を負い、ほぼ寝たきりとなった人物だ。一人息子の当時五十五歳の陽一郎よういちろうが、彼女の介護をしていた。彼は早期退職制度を使い会社を辞め、貯金や事故で得た賠償金や生命保険の後遺障害保険金等を取り崩し生活していたらしい。よって経済的にはそれほど困窮していなかった。

 けれど問題は二年程前から智代が酒を飲み酔っ払い、毎日殺してくれと喚き散らし始めたことだ。介護して貰う負い目から精神を病み、アルコール中毒になったと思われる。その為息子はもちろん、通いで来るヘルパー達や見舞いの為に訪ねてきた友人、知人を掴まえては懇願していた。よって徐々に客は途絶え、ヘルパー達からも敬遠され始めた。

 会社を辞め介護しているとはいえ、息子一人で面倒を看るのは大変だ。他人の手を借りなければとてもやっていけない。実際陽一郎も精神的に追い詰められ、心を病み始めていたと周囲の人達が口を揃え証言していたという。

 そんなある日、彼が買い物の為に外出し戻った時、智代がぐったりしていた為救急車を呼んだ。しかし駆け付けた救急隊員が明らかに死亡していると判断し、警察へ連絡した。今回の事件とほぼ同じ状況だ。しかも検視の結果、窒息死と診断されたらしい。もちろん息子にはアリバイがあり、また鍵を掛け忘れていたかもしれないという点も似ていた。

 違ったのは事件発生時が夜中ではなく夕方の四時頃で、第一発見者が息子だったことだ。住んでいたのはマンションで、隣室の住人など周辺の聞き込みによると気になる物音など耳にした人物は一切いなかったという。その上被害者宅にはお金があった。

「でも金銭は一切盗まれていなかったようです。つまり押し込み強盗に見せかけた殺人事件として被害者の息子が疑われました。何故なら死んで得をする人間は彼しかいなかったからです。もちろん共犯がいるに違いないと警察は睨んでいました」

 辻畑は背筋がゾッとした。思わず一千万円が置かれていたのかと口に出しかけた。だが何とか押し止め別の質問をした。

「それで共犯らしき人物はいたのか」

「いえ。一切見つかっていません。当然被害者の自殺でもなく明らかに他殺だと判断され、捜査は現在も継続中です」

「確かに共通点はあるが、現場は東京と名古屋で時期も一年程違う。それだけで関係しているというのは余りに飛躍し過ぎだ。それとも何か。実行犯が同じだとでも言うのか」

 尾梶が鼻で笑いそう言うと、彼女は首を振った。

「実行犯が同じかどうかは分かりません。ただ言ったでしょう。この一件だけじゃありませんよ。しかも警察はマスコミに何か隠している形跡がある点も同じです」

「だったらあんたはどんな関連があると思う。実行犯が別ならどんな繋がりがあるんだ」

 辻畑の問いに彼女ははっきり言った。

「もちろん第三者の手を借りた殺人です。被害者が死ねば遺族は介護などから解放される。辻畑さん達だってその大変さと苦労は十分理解しているでしょう」

「おいおい。だったら遺族が何者かに自分の親を殺すよう、依頼したとでも言うのか。それならそうした形跡や、成功報酬を払ったなどの証拠が見つかっているはずだ。いくらか知らないが、東京の件ならそれ位の金はだせるかもしれない。だがこっちの被害者宅は、とてもじゃないが殺人の実行犯に払える金なんて用意できる経済状況じゃない」

 尾梶が話にならないとばかりにそう言い捨て、場を離れようと歩き出した。するとその背中に向かって彼女は言った。

「他の二件はいずれも今回同様、経済的に困窮している家庭です。だから私は金で依頼したので無く、殺害依頼された者が困窮している状況を見かね助けたのだろうと見ています」

「どういう意味だ。遺族が闇サイトか何かに殺害依頼を書き込み、それに同情した奴が報酬無しで殺したとでも言うんじゃないだろうな」

「辻畑さんの言う通りです。突飛と思うでしょうが、だとすれば全て辻褄が合います」

「本気で言っているのか。これは殺人事件だぞ。逮捕されれば軽く十年以上は刑務所で過ごす羽目になる。どこのどいつがボランティアでそんな危険な真似をするんだよ」

 引き返してきた尾梶の言葉に彼女は反論した。

「いるかもしれません。尾梶さんのように、事故とはいえ最も頭を痛めていた状況から脱した人が、同じ苦しみを味わっている人を助けようと考えたっておかしくはありません」

「おい。言って良い事と悪い事の区別もつかないのか。尾梶が今、どんな辛い思いをしているか知っていると言ったばかりじゃないのか」

 辻畑が代わりに怒鳴ったが、彼女は全く怯まなかった。

「尾梶さんが犯人だなんて言ってませんよ。そういう奴がいたら、共感できる部分が多少お持ちじゃないかと思っただけです。これは辻畑さんにも当て嵌りますよね」

 痛い所を突かれた。だがそう悟られたくない為、顔を背けて言った。

「分かったような口を聞くな。あんたに俺達や遺族達の気持ちが分かるはずない」

「ええ。分かりません。でも理解しようとしています。私は諦めません。これらの事件には絶対、裏があります。その尻尾を必ず掴んでやりますよ」

 これ以上は探れないと諦めたのか、そう言い捨て彼女は去った。その背中を睨む辻畑に、尾梶が寄ってきて頭を下げた。

「有難うございます。私の代わりに怒って下さったんですね」

「お前の為だけじゃない。あいつは俺をも侮辱した。いや介護などで苦労している人達全員を、犯罪者呼ばわりしたのも同然だ」

「そうですよ。正直死んでくれないかと頭を過った時はあります。だからと言って面倒を看ている自分の親や祖父母等を、誰かに殺してくれなど言えるはずがありません」

 辻畑は黙って頷き、捜査本部のある建物に向かって歩を進めた。だが心の中では動揺を隠せずにいた。死んでくれないかと頭を過った時はある、と言った尾梶の言葉はまさしく辻畑の心の中に何度も出てきた。あの記者の視点はそこを突いた見解だ。現に母から暴言を吐かれ、どれだけ首を絞めてやろうと考えたか。

 当然母が今亡くなったとしても、全ての悩みが解決する訳ではない。尾梶の家庭がそうだ。一難去ってまた一難。新たな問題が生じている。それはかつて祖母を恨んだ報いだと彼は自虐的に呟いていた。そうではないと諫めたが、気休めにもならないと分かっている。 

 辻畑だってそうなのだ。母が死ねば一時的に心の安らぎは取り戻せるだろう。しかし喪失感は計り知れない。突き放せるならとっくにしている。できないから苦しむのだ。また今更別れた妻とやり直せる訳もない。子供もいない中年の男一人が残されれば、仕事だけしか生き甲斐の無い、侘しい生活が待っているだけだろう。

 そう考えながら歩きつつ首を振った。余計な事を考えている場合ではない。今は事件解決に向け神経を尖らせる時だと思い直す。そこで尾梶に話しかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る