第三章
第一話 冱てる
ミーンミンミンミンミン。
そこらじゅうに蝉の声が煩く響き渡っている。
隊舎内の木々が大合唱しているようだ。
「アチィな……。」
「夏が本格的に始まるなぁー。」
隊舎の縁側に樋口と今野が腰掛けていた。
扇風機の風を浴びながらガリガリとアイスを齧っている。
「世の女性たちが薄着になる季節がやってきた!!」
「……今野さーん、俺ら曲がりなりにも警察なんだー。そういう発言はやめよーぜ……。」
どうやら今野の脳みそが、気持ち悪い粘液のようにネバネバになってしまったようだ。
いつもならスパッとキレの良いツッコミをする樋口も、ドロっとした口調になっている。
(あー、クソあちぃな……。)
隣のゴリラがどんなに際どい発言しようが、もうそんなのどうだっていい。
全身氷漬けにしない限り自分の脳みそもシャキッと出来ない。
そんなことを考えながら、樋口は気力の無い目で、大合唱する木をボーッと見ていた。
(……ん?雪華か、何やってんだあいつ。)
木を眺めていると、そのすぐ側に向日葵のように真っ黄色な着物の女が立っているのに気付いた。
この男所帯では見ない鮮やかさに、一瞬誰かわからなかった。
そのままボーッとしながら雪華を見ていると、彼女は木の少し上を一心に観察しているようだった。
「雪華ちゃん、蝉でも捕まえる気かな。」
「どこのわんぱく少年だよ。」
蝉なんか捕まえてどうする気だ、夏休みの観察日記でもつけようというのか。
そんなことのために、隊舎内にまで蝉を持ち込まれたら堪らない、暑さに拍車がかかる。
何より煩い。
(チッ、何する気かわからねぇが止めとくか……。)
まだ何もしてはいないが、後々面倒くさくなる前に止めとくかと、樋口は重い腰を上げた。
それと同時に、雪華が木から少し離れた場所まで下がった。
(ん?やっぱ捕まえんのやめたのか?)
やめてくれるならそれで良いと、樋口は再び腰掛けようとした。
そして、彼女は木から少し離れたところから助走をつけ、そのまま思い切り木を蹴飛ばした。
ミンミンミンミッジジジジッッ!!
蝉が木から勢いよく飛び立つ。
飛んで行くのを見届けた彼女は、よし、と頷くとさらに横の木に向かい、しばらく観察したと思ったら、また助走をつけて走り出そうとした。
「ちょ、待て待て!何してんの!?」
意味がわからない、わからなすぎる。全く理解できないが、とりあえず見た目的にも倫理的にも良くない行いなので、樋口は急いで止めに入った。
『あ、ども。』
「どもじゃねーよ、ナニ木蹴っ飛ばして歩いてんだテメェは。」
雪華の頭をガシリと鷲掴み尋問する。
『もうさ、ミンミンミンミン煩いんだよ……。』
何だろうか、彼女の目が少し空虚を漂っているように見える。
『知ってる?このミンミンミンミン鳴いてる奴ら、ぜーんぶオスなんだよ。』
ハハハと、感情のこもっていない声で力無く笑うと、そのまま続けて話す。
『毎日毎日、ヤろーぜ俺テクすげぇからって言ってるんだよ。』
「お前……」
『合体合体って毎日毎日ウルセェんだよ……。あ、そうだ、樋口さん刀貸して、もう切った方早い。』
雪華は虚ろな目で樋口の腰に刺さった刀に手を伸ばし、引き抜こうとした。
「落ち着け!な!おい今野さんやべーよ、こいつ意識朦朧としてんぞ!」
樋口は慌てて彼女の手を押さえたが、雪華も我慢の限界なのか、ウガァー!と暴れ始めた。
「暴れんなコラ!」
『しねぇぇぇーっ!!!』
羽交締めにして押さえる。
「お前一応祓い屋だろ!殺生すんな!蝉も生きるのに必死なんだよ!」
『一片の遺伝子も残さずあの世に送ってやんよ!』
「ちょっと鳴いてるだけでどんだけ恨み募ってんだよ!おい、オマエら手伝え!」
騒ぎを聞きつけやって来た隊員にも雪華を抑えるように命じた。
今野はその様子を縁側に腰掛けたまま、アイスを齧り眺めている。
「いや~、夏だなぁ。」
「アンタもちょっとは手伝えよ!」
その後、何とか雪華を食堂へ連れて行き、アイスを与えて落ち着かせた。
『あーおいちぃ~。』
「ったく、人騒がせな。」
『いやー、チョコーっとイライラしちゃって、エヘ。ごミンミンぜみ。』
謝り方が人をおちょくっている。ブーンなどと手を羽のようにひらひらさせている。
「お前そのアイス代払えよ。」
『え、何で!?ケチ!!』
「なんかムカついたから。」
このクソ暑い時に無駄に労力かけさせておいて、悪びれることも無いとは。
水でもぶっかけりゃ良かったと樋口は後悔した。
「まぁでも雪華ちゃんの気持ちもわかるよ、蝉の声聞くだけで暑さ倍増だもんな!」
今野さんはうんうんと、腕を組みながら頷いている。
『でしょー?さっきもね、涼しいところで昼寝しようと思ったんだけど、部屋に居てもミンミン廊下に居てもミンミン道場に居てもミンミン……どこに居てもミンミン煩いからもう全て消しちゃおっかなって!』
もはや考え方が常軌を逸したテロリストである。
「雪華ちゃんさすがに廊下で寝るのはやめよーか。」
そこじゃない、そもそも仕事中に昼寝しようとしてるところを注意するべきだ。
「いやサボろうとしてんのがおかしいからな。」
すかさず樋口がツッコむ。
雪華は、バレたとビクッとし、目をキョロキョロさせながら知らないふりをした。
初めの頃は物凄く真面目な子だと思ったが、最近は慣れて来たこともあって本性を出してきたようだ。
まぁ変に遠慮されたりするより良いが、それにしてもだるっとしすぎではないか。
だが、何故かそんな雪華を許し、甘やかしてしまう。
それは樋口だけではなく、今野や隊員たち、あの翔悟ですらわがままを聞いている時があるのだから感心してしまう。
「天性の人たらしだな、ふっ。」
『ん?』
「いや、何でもねぇよ。」
樋口は、こういう奴なんだと諦めた、というよりだいぶ早い段階から受け入れてしまっていることに気付き、独言ながら笑った。
他愛もない会話でのんびりしていると、巡回から帰った翔悟が食堂に入って来た。
後ろに第一部隊隊員の
「織田隊長!お誕生日はぜひ私と一晩共に……」
「殺すぞテメェ。」
入ってきて早々、物騒な会話をしている。
「そんなぁ!アレとかコレとかローションとか色々用意してるんですよ!?」
「んなもんナニに使うんだよ、とっとと失せろ。」
心底ウザそうな顔をしながらこちらのテーブルへ近付いて来た。
「皆さんお揃いで。」
「お疲れ様ですっ!!」
門崎は翔悟の後ろにピッタリくっつき、今野たちにビシッと敬礼をしながら挨拶をした。
「お前ら飯食うところで変な話すんな。」
樋口もげんなりした顔をしている。
どうやらこの門崎、翔悟を性的な目で見ている節があるようだ。
「俺は何も言ってませんよ、こいつが勝手にベラベラ喋ってるだけです。」
「すみません総副長!ですが隊長がお誕生日のお祝いをしないと言うので驚いてしまって!」
「いやこっちがびっくりだわ。そういう性的趣向は人それぞれだが声を大にして言うな、隠しといてくれ。」
——ゲシッ
「いてっ!テメェコラ翔悟、何しやがんだ!」
今野の隣、樋口の目の前に座った翔悟が、テーブルの下で樋口の足を蹴飛ばした。
「死ね。」
「んだとコラァ!!」
「ちょちょちょ!喧嘩しない!翔悟もいきなり蹴って死ねはだめ!」
「なんかムカついたんで。」
無表情で宣うその顔が尚更憎らしい。
どうやら翔悟はいつになくご機嫌斜めのようだ。
「今野さんコイツやっていい?ねぇ?快くあの世に送って良い?」
「落ち着いて!」
今にも殴りかかりそうな樋口を今野が必死に宥める。
その横では雪華は何も無いかのように会話を続けていた。
『翔悟誕生日なの?いつ!?』
「……。」
「来週の七月一八日です!蟹座のB型です!」
「何でテメェが答えてんだ、つーかいらねぇことも言ってんじゃねぇ。」
何故か本人でもない人間がとても楽しそうに答える。
『そうなんだ!じゃぁ誕生日パーチーしなきゃ!!』
雪華は瞳をキラキラと輝かせた。
「別にいら……」
「良いですね!私も気合い入れて準備します!!」
「いらねぇつってんだろ、つかナニ準備する気だ。つかとっとと報告書書きに行けテメェは。」
翔悟は乗り気ではないようだ。
「了解しました!パーチー計画書書きに行きます!!」
「報告書だ馬鹿、パーチーしてんのはテメェの脳みそだろうが。もう行け。」
「了解っす!」
門崎はウキウキしながら食堂を出て行った。
翔悟は気疲れのせいか何故かしおしおとして見える。
『何でパーチー嫌なの?楽しいよ?でっかい箱からセクスィーなお姉さん出てくるよ?』
「それ独身さよならパーティだろ、ここはアメリカじゃねぇんだ。」
一体彼女の考える誕生日パーチーとは何なのか……。常識からズレ過ぎている。
「セクスィーお姉さん!!」
「アンタも反応すんな。」
セクスィーお姉さんという単語に今野が鼻息を荒くしている。樋口はすかさずツッコんだ。
「翔悟、パーチーしよう!楽しそうだ!」
「嫌です。」
『えーっ、おっきいケーキ作るよ?実はお菓子作り得意なんだ!』
「いらね。」
「たまにはそういうのも良いんじゃ……」
「しつこいですよ。……俺も報告書出さなきゃなんで、じゃ。」
雪華と今野が、やろうやろうと蝉と同じように喚いているのを背中で聞き流しながら、翔悟は食堂を後にした。
「はぁ……、毎年何もするなって……。どうにかならんかなー。」
今野は困ったように笑う。
「本人が嫌がってんだ、仕方ねぇだろ。」
樋口はもうこの話はいいだろうと、業務に戻るため食堂を出て行ってしまった。
『樋口さん!!待って!』
食堂を出た後、すぐに雪華が追いかけて来た。
「何だ。」
特に歩を緩める事もなく、そのまま話しながら樋口の部屋まで歩いた。
『何で翔悟はあんな頑なに断るの?』
やはりその話かと、ふぅと息を吐きながら座した。雪華もそのまま彼の前に座る。
彼女は「説明するまで動かないぞ」という顔をしていた。
「……人には色々あんだよ。」
『たとえば?』
「……俺からは言わねぇ。」
『じゃぁ今野さんに……』
「待て待て!」
(今野さんだとついうっかりなんてザラだ。それに雪華のしつこさには勝てねぇ。)
焦って止めたは良いが、何と言って誤魔化そうか、そう思案していると……
「俺の誕生日は碌なことがねぇからだ。」
開きっぱなしの障子からタイミングよく翔悟が報告書を提出しにやって来た。
「樋口さんコレ。」
「ん。」
クールな顔をしてはいるが、樋口は内心良かったと安堵していた。正直、雪華に押されてしまいそうだったのだ。
「じゃぁ俺は飯食って休憩行きます。」
「おう。」
そして、そのまま出ていく翔悟を雪華は追いかけた。
(ったく、こりゃめんどくせぇことになるぞ……。)
一人残った樋口は大きなため息を一つ溢した。
『待って!』
「……。」
大きな声で呼びかけたにも関わらず、何も聞こえないかの様に無視している。
『どうしても……』
あと少しで食堂というところで、翔悟はピタリと急に足を止め話し始めた。
「俺がまだ、母親の腹にいる時だが、悪霊だか妖怪だかに、小さかった姉上と共に襲われた事件があった。」
彼は話しながら振り返ると、雪華の瞳を真っ直ぐに捉えたまま続ける。
「見つかった時には、母親は腹掻っ捌かれて死んでた。その横には気を失って倒れた姉上と、臍の緒が繋がったままの俺が転がってたんだとよ。」
雪華もただ静かに耳を傾けていた。
「ウチはそれなりに名のある武家だった。親父もかなりの手腕で、色々と幅を利かせてた事もあって、恨みを持つ奴も少なくはなかったらしい。その事件も誰かしらの呪詛によるものじゃねぇかって事になった。」
『……。』
何も言えない。掛けられる言葉が見つからないのだ。
「姉上も、その時の瘴気に当てられて身体を病んじまってな、もう今はこの世にいねぇよ。」
翔悟はいつもと変わらず無表情で、言葉に抑揚も無く、感情が読めない。
「不幸を連れて生まれちまったんだ、何を祝えってんだよ。」
そして、何も言えず黙ったままの彼女にくるりと背を向け、一言突き刺すように残すと、食堂へ消えて行った。
何も事情を知らなかったとは言え、勝手にパーチーだの何だのと騒いで、彼を傷つけてしまっていた。
ただ一言でも謝罪の言葉を言うべきなのだが、今の彼は聞いてくれないだろうし、きっと、何を伝えてもさらに傷つけてしまいそうな気がした。
身勝手だが、何故か自分が傷ついたかのように悲しくなった。
雪華はしゅんとした様子で静かにその場を後にした。
(傷つけちゃった……。)
昼食をとろうときたものの、先程のやり取りのせいか食べ物が喉を通らなそうだ。
翔悟は自責の念に駆られていたのだ。
(……八つ当たりみてぇになっちまったな。)
最後は少々突き放すように言い捨ててしまった。
珍しく感情の波を抑えることが出来なかった。
普段ならどれだけ後ろ指をさされようが、軽んじられようが歯牙にもかけないのだが、何故だか雪華は無視出来ないのだ。
(言いすぎたか、いや、たまにはあぁやって釘刺しとくのも悪くはねぇか……。)
彼女の一挙手一投足、一言一句全てに当惑させられる。
「……はぁ。」
これ以上考えても疲れるだけだとため息をついて腰掛けた。
「おぅ、翔悟!」
そこへ、ずっとここに居座っていたのか、今野が声を掛けて来た。
「まぁなんか食え、元気でるぞ!」
今野なりに先程の事で気遣っているようだ。
「ありがとうございます。」
いつもと変わらない素振りで返事を返す。
だがいくら優しい今野さんでも、今はあまり会話を交わしたくないと思ってしまった。
そんな気持ちを悟られたくなくて、誤魔化すために適当に軽い食べ物でも選ぼうと、逃げるように席を立った。
するとそこへ樋口がやって来た。
「事件発生だ、直ちに現場に向かう!」
彼のただならぬ様子に、その場の雰囲気が一瞬でピリッと険しい空気に変わる。
「現場はどこだ?」
今野が確認する。
「名のある貴族の家だ。」
事件というと、大概どこかの大きな施設だったり、豪商の家だったりが多い。
そういった場所は人が多く集まりやすく、混乱に乗じて下手人が逃亡しやすい状況が出来るのだ。
「貴族の屋敷内での事件は珍しいな。」
今野は不可解そうな面持ちで腕組みをしている。
「事件の内容は何です?」
翔悟も少々気になる様で樋口に問う。
「……現場に向かいながら説明する。」
何だか歯切れの悪そうな様子に翔悟の眉がピクリと反応した。
「わかった。お前ら、直ぐに出動するぞ!」
「「「はっ!」」」
今野の号令に皆が返事をし、食堂を急いで出て行く。
と、同時に雪華が代わりに入って来た。
『私も一緒に……』
「おめぇは留守番してろ。」
慌ただしく食堂を出る隊員たちに事の緊急性を感じた雪華は、自分も共に行くと言おうとしたのだが、途中で翔悟に遮られてしまった。
『えっ、でも』
「今野さん、樋口さん、行きましょう。」
「あ、お、おう。」
翔悟は雪華の声を無視して行ってしまった。
今野は戸惑いながらも慌てて彼の後を追いその場を離れた。
『……。』
雪華は、唇をキュッと噛み締め、泣き出してしまいそうなのを堪えている様だった。
樋口はそんな彼女の表情と翔悟の態度に、二人の間に何があったのか瞬時に理解した。
「……めんどくせぇな、オメェらは。」
樋口は雪華の頭をわしゃっと撫でた。あまり気にするなとでも言う様に。
そして自分自身も今野たちを追い、その場を後にした。
静かな食堂に雪華はポツンとただ一人残された。
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