第四話 目的と真実

薄暗く足元すらよく見えない通路が続いている。

加えて少々肌寒さも感じるような気がする。

先ほどくしゃみをしたら横の男に怪訝な目を向けられた。


(どこに向かってるんだろ。)


周りの景色が変わらないのでそろそろ飽きてきた頃、男の一人がリーダーらしき人物に何やら告げていた。


「ここが出口みたいどす。」


京訛りの言葉が聞こえる。


「さぁ、ここを上って外に出るんや。」


(榊枝さんとは随分違うな。そもそもこの人たち藤江家の人なの?)

 

雪華が水月院にいた頃、よく藤江家に呼ばれて訪れていた。

その頃から藤江家の者たちはおそらく大きく変わっていないはずだ。

ましてや国の大切な巫女様の護衛ともなれば信用できる人間しか置かない。

だが、周りの男たちを見ても誰一人、いや、榊枝以外知る者はいない。


(今までの護衛を総とっかえするなんてそうそうない、そんなこと聞いてもいない。誰だこいつら。)

 

とても怪しい。素性が知れない。


円にこっそりと聞き出そうと近づいた時、出口が開き真っ白な光が差し込んできた。


『っ、眩しい。』

 

突然のことに目が少し眩んだ。

 

出口はハッチのようで、梯子ほどではないが少し勾配が急になっている階段があった。

その横に男が立ち、跳ね上げ式の扉を押さえている。


どうやらそこを上りきると外に出られるようだ。


『待って円、私が先に行くよ。』

 

円が先に足を掛けようとしていたが出た先に何があるかわからない。

ほんの少々の危険くらい自分なら何とでもできるのだから先に出て様子を見た方が良い。

それに円を守ると榊枝に約束したのだ。

 

雪華は先に階段を上がりハッチから外に出た。



『これは……。』

 

上がりきるとそこは強い潮の匂いがした。

これまで歩いてきた通路は甲板へ出るための経路だったようだ。


(よくここまでの道順知ってたな。この船の存在は今日合流するまで知らなかったはずなのに。)

 

そして船上では、同じく鶯色の男たちと海上の見張り等もしていた警務部隊の隊員たちが交戦していた。

キンキンと刀同士のぶつかる音が其処彼処で鳴っている。


『みんな!!』

「「「雪華ちゃん!!」」」

 

雪華の声に隊員たちが反応した。


「副隊長たちも今こっちに向かってるから今はとにかく自分の身を一番に守るんだ!!」

 

応戦しながらも雪華の身を案じてくれた。

そして、既に樋口たちが向かってくれていることにほんの少しホッとする。


『円は私が守るから。そばを離れないで。』

「うむ。」

 

周りは味方よりも敵の数の方が多い、動くならもう少しここが薄手になってからの方がいい。


(ほんとはすぐにでもみんなに加勢したいけど……。)

 

雪華は焦れったくなる気持ちを押さえ、行動を起こすのにいい時機を待つことにした。

その時すぐ近くに立っている男と先程ハッチの扉を押さえていた男の会話が聞こえてきた。


「予定通りどすなぁ。」

「榊枝は何しとる。」


(榊枝……?)


「恐らくここに向かっとる思います。向こうの護衛のモンたちと居はりますやろからね。」

 

“榊枝”という呼び方が引っ掛かった。


(敵方の人間に対してわざわざ様づけする?)

 

京人だからこその優雅な言葉遣いなのだろうか。

加えて、なんとも切迫感のない雰囲気もおかしい。


(円も気になる……。いくらなんでもこの状況、もう少し、いやもっと慌てたっていいんじゃない?)

 

思い返せば居室に男たちが来た時からおかしかった。

常に護衛に囲まれ安全に守られてきた彼女が、突然のこの状況下に狼狽もしないなどあるのだろうか。

いや、そもそもその前から不可解なところはある。


(いくら私を信頼してるとはいえ放置しすぎじゃね?)


円のことでは抜かりなく何でも備え、不測の事態にいつ如何なる時も対応し、自身の命を犠牲にするのも厭わない。

今までずっとそのように仕えてきたのがあの榊枝という男のはず。

 

雪華をよく知り信頼もできるからと、円の身を任せたは良いが、今の今まで一切姿を見ていないのだ。


(ナニコレどゆこと。)

 

雪華の中で少しずつこの不可解な状況のピースが揃ってきていた。

その時、


「全隊員、円様と雪華ちゃんの救出を第一にしろ!」

 

見張りの交代時間まで待機していた他の隊員たちもこの場へ合流したのだ。

船上の戦いはさらに激化した。

 

だが、むしろこの状況は雪華にとっては絶好の機会。

色々と確かめたいこともある。


「天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く、ってことで……。」

 

雪華はニヤリと何かを企んでいるかのような怪しい笑みを浮かべている。やらかす気満々である。

そして軽く周りを見渡した後、苦しそうな呻き声を出しながらしゃがみ込んだ。


「おい、なんや、何したはるんや。」

『あぁ~船酔いした、キモチワルイ……。』

 

ヴウェーっと吐きそうな仕草と声を出してアピールをし始めた。


「今更そないな演技に引っ掛かるわけあらへんやろ。」

 

男①が鼻で笑う。


『いやマジだって、私もともと三半規管弱いんだよぉ~。』

 

またしてもオヴェ~っと舌を突き出して今にも吐きそうなそぶりを見せる。

乗船してからこの瞬間まで元気だったのは何だったのか……。


「雪華大丈夫か?」

 

円が目線を合わせてしゃがみ、心配そうな声で背中を優しく撫でてくれた。


『あー円は本当に優しいなー!私めっちゃ嬉しい!嬉しくて泳いで東京まで行けちゃいそうだよー!』

 

わざとらしく大きな声を出している。完全にふざけている。

それでも優しく背中をさすり続け、眉を八の字に下げる円は純粋なのかアホなのか……、ただ鶯色の男たちは苛つき始めたようだ。


「泳げんならえらい達者やないか。えぇ?」

 

男②が引き攣り笑顔でツッコミを入れてくる。


『いやいやいや、もう無理。昼に食べたホルモン焼肉が出ちゃう~。』

「アホか!三半規管弱い言うてる奴がそないな脂っこいもん食べへんやろ!!」

 

男③の的確なツッコミ。


「ほたえな。立つんや。」

 

くだらないボケとツッコミのやりとりに男は我慢ができなくなったのか、無理矢理にでも立たせようと雪華に近づいた。

だが、彼女の目の前まで来た瞬間、下顎に強い衝撃が走った。


『オラァッ!!!』

 

雪華が突として立ち上がり下顎に頭突きを喰らわした。


「っ……くっ……」


男はあまりにも痛かったのか顎を押さえ後ろに倒れ込んでしまい、彼の身を案じて、雪華の周りを囲んでいた者たちが、男の元が駆け寄って行った。


(よし、これで円を逃がせる!)

 

二人の周りは手薄になった。


「円様ーっ!!」

 

そこへ丁度よく榊枝と樋口、翔悟が到着した。


「円様!ご無事ですか!?」

「わらわは何ともない、無事じゃ!」

 

ケガ一つない円に安堵の表情を浮かべる榊枝。


「巫女様はどうやら何事もなく無事のようで。」

「榊枝殿、円様は我々が救出する。安心してくれ。」

「感謝致します。ですがここからどうやって円様を……」

『待て待て待て!私もいる!』

 

三人とも円しか居ないかのように会話を続けている。


「どう見たってピンピンしてんじゃねぇか。」

「とりあえず巫女様が無事であればなんとかなるし。」

「雪華殿、あとは我々がなんとかいたしますので、円様をどうにかこちら側へ!」

『少しは心配しろ!どうにかそっち側へって一番大変なこと頼むな!敵の手中だぞコラ!!』

 

あのくしゃみは何だったのか……、なんて薄情な奴らだ。


「もぅ寝返っちゃおうかなクソが……。」

「せ、雪華……。」

 

いじけてしまった彼女を心配するのは円だけだ。

キュッと雪華の袖を握り、不憫な子でも見るような目を向けてくる。


『はぁ~……ここで拗ねても仕方ないか。』

 

ため息をつき力無くハハと笑うと、襟の中に手を入れゴソゴソとしだした。


『円、このまま榊枝さんたちのところに全力で走って。』

「雪華はどうするのじゃ?」

 

ここから榊枝たちのところまで約七十メートル程、彼らの後ろには船室へ下るための入り口もあるから辿り着けさえすればあとはどうとでもなる。


『ここで足止めするよ、ほら、行って行って!』

 

雪華の急かす言葉に、刃を合わせる隊員と敵たちの間を、円は何とか抜けるように一直線に走って行く。

通り抜けようとする円に気付き、数名の敵方が隊員を押し除け彼女に近づこうとした。

その時、


付喪紙つくもがみ!』

 

雪華が手に持っていた御札を数枚投げ飛ばした。

すると、その御札は円に向かっていた敵方の刀に貼り付き、刀たちからニョキっと手足が生えたのだ。


「うわっ」

「なんやこれ!」

「きもっ!」

 

そして刀たちは手からするりと抜け出て、キキキッと笑いながら船上を走り回った。


「何だありゃ……」

「雪華殿の術ですね。」

「あいつあんな事もできんのか。」

 

遠巻きに見ていた樋口と翔悟も不思議そうな目を向けていた。

と、そこへ円が息を切らしながらやって来た。


「円様!」

「榊枝!」

「ご無事で何よりです。遅くなり申し訳御座いません。」

「そんなことは、どうでも、良い!雪華がっ!」

 

息を整えながら、自分を先に逃した雪華を

心配している。


「円様、雪華なら大丈夫ですよ。ほら。」

 

翔悟が彼女の方へ目を向けるよう軽く促す。

雪華の周りには、先ほどまで走り回っていた刀たちが集まり、キキキッと不気味な笑い声を出していた。


『誰だキモいって言ったの、失礼な。』

「どう見たってキモいやろ!」

「刀返しなはれ!」

 

武器を奪われた男たちはキモいやら返せやら口煩く文句を垂れている。


『なんや自分ら、物が無いと戦うこともできひんのか?』

 

雪華が小憎たらしく関西弁で煽った。


「っ……小娘が、いきるなよ。」

『方術でも呪術でも使つこたらええやん、なんぼでも相手したるで。』

 

フッと軽く鼻で笑っている。

 

雪華の挑発に余程腹が立ったのか青筋まで浮かんでいた。

ただ、男たちはやり返したいのもやまやまだが、正直方術や呪術などで雪華に勝てる気がしないのだ。

紙切れ一つで物に命を吹き込むようなマネは到底できない。


どうやってこの小娘を黙らせるか、各々が思索していると、雪華の石頭による頭突きを喰らい、先ほどまで後ろで倒れていた男が刀を携えこちらへやって来た。


どうやら復活したようだが、顎の整形でも失敗したかのように長くなっている。


『え、何その顎、ハンバーグでも入ってんの?コ○リコの田○じゃん。おもろっ!笑』

 

自分がしでかしたのにも関わらず、何それーなどと笑っている。


「コイツは俺がやる、お前らは他の奴ら抑えとくんや。」

 

切っ先を雪華の顔に向けている。

周りの者たちは彼の指示に頷くと散っていった。


「雪華!」


彼女の危機にいち早く駆け付けようとする翔悟だったが、こちらへ向かってくる敵に阻まれてしまう。


「クソッ!」

「円様は私の後ろへ!」

「う、うむ。」

 

樋口も雪華を助けに行きたいが、円様と榊枝も守らなければならない。

翔悟が頼みの綱だが、一度に数人相手にしているためなかなか手こずっていた。


(チッ、いくら摩訶不思議な術を使おうが相手は刀を持ってる、生身の雪華じゃ太刀打ち出来ねぇ……!)

 

樋口の顔に焦りが見える。


だが、そんな状況でも雪華はいつも通り、というよりは何故だか余裕にさえ見えた。


『ねぇ、誰の指示?』

「……。」

『本気で私を切るつもり?そんなことしたらがどれだけ悲しむと思う?』

「!」

 

どうやら雪華はこの騒動の黒幕が誰なのか予測ついているようだ。


男はまさかと思ったが、鎌を掛けている可能性もあり、どうにもこうにも動けなくなってしまった。


『どうしたの?さっきまではあんなに殺る気まんまんだったじゃん。』

 

どうするか、この挑発に乗るのは簡単だが……。

もし万が一、傷つけでもしたら後からどれだけお叱りを受けるか。


『本気でやったら火の海だけど、それがお望みってことね。』

 

彼女は胸の前で印を結ぼうとしている。


『覚悟しな。』

 

印を結ぶその直前、男は焦りからか、思わず雪華の手首をグッと掴み上げ、刀を振り上げた。


「……っ。」

 

男は嫌な汗をかいている。


「雪華っ!!」

 

翔悟は対峙している三人の敵を刀で払い退け、彼女の元へ急ぎ向かって行った。


「危ねぇ!!」

 

樋口もこの危機的状況に、もう円など守っている場合でなはいと、同じく駆けつけようとした。


「やめじゃ!やめるのじゃ!!」

 

樋口の後ろから鈴を転がすような、ではなく、強い焦りを帯びた声が轟いた。

円だ。彼女の声に、雪華の手首を掴んでいる男は振り上げた刀をピタリと止める。


同時に、隊員たちに応戦していた男たちも一斉に刀を下ろし、そのまま納刀したではないか。


「は、どういうことだ、一体何だ……。」

 

樋口は状況を掴めず困惑している。

隊員たちも同じようで、周りを見渡しては、他の隊員たちと目を合わせ首を傾げている。


「雪華っ!!」

 

そんな混乱の中、ギリギリのタイミングで彼女の元へ辿り着いた翔悟が、雪華を守るように自分の背後に隠し、男に向けて刀を構えた。

翔悟が目の前に立つと、男は掴んでいた雪華の右腕をパッと離し、他の者たちと同じく納刀した。

雪華は掴まれていた手首が痛いのか、座り込んでしまった。


「申し訳ございません。」

 

そして、男は一言謝罪をすると、翔悟と雪華に向け頭を下げたのだ。

 

翔悟は男を強く睨むと刀を床にぐさりと刺し、雪華の方を向き、視線に合わせ膝立ちになったままあちこち確認し始めた。


「大丈夫か!?ケガは!?どこにもねぇか!?」

 

腕や顔や頭の天辺まで。


「大丈夫だよ、頭にケガなんてしてないし、血も出てない。掴まれた手首がちょこ~っと痛いだけ。」

「……っはぁ、そうか、よかった……。」

 

男に刀を向けていた時は全くわからなかったが、随分気が動転していたようだ。こめかみから頬を汗が一筋伝っている。


「雪華!大丈夫か!?痛いところはないかの!?」

 

そこへ円や榊枝、樋口も走り寄ってきた。

円もとても焦っているようで、雪華のそばに座り込むと泣きそうな顔で手をギュッと握った。


「っこのっ、馬鹿者!やりすぎじゃ!!」

 

手を握ったまま、頭を下げる男に振り向くと声を荒げて叱咤し始めた。


「申し訳ございません円様!」

 

叱咤された男は勢いよく土下座をして額を地べたに強く打ち付けていた。

さらに、いつの間に集まって来ていたのか、男の後ろに群れを成した鶯色の者たちが、同じように土下座をしていた。


「どういうことだこれは……。」

 

流石の樋口も理解が出来ないようだ。


つい今の今まで、刃を突き合わせていたとは思えないほどの低姿勢。

低姿勢というよりもう地面にめり込むんじゃないかと心配になる。


「申し訳ございません樋口殿。」

 

さらに後ろから榊枝が同じように陳謝してきた。


「榊枝殿、これは……」

『やっぱりね。』

 

樋口が問い詰めようとしたところ、雪華が予想通りだとふふんと得意げな顔をして笑った。


「やっぱりってどういうことだ、お前何か知ってんのか?」

『何となく予想はついてたけどね。』

「さすが雪華殿です。」

「おい……」

 

自分の知らないところで勝手に理解し合っているのが腹立たしいのか、声音にも苛立ちがはっきりと表れている。


「大変ご心配をおかけしました。今回のこの事件、端的に言うと我々が自分自身で起こしたものなのです。」

 

榊枝は心底申し訳なさそうな顔だ。


「自分たちで計画して円様を人質にとる演技をしていたということか?」

「はい。」

「じゃぁコイツら全員、何かしら敵意があるというわけでも無いんだな?」

「はい。」

 

樋口は黙ってしまった。余計訳がわからなくなる。

 

対人間同士の争いなのだから、万が一の事もあるだろう。


(なぜこんな危険を侵してまで……。)


「ご理解はとても難しいですよね、何故こんなことをと。ただ、これは全て私が……」

「違う!!」

 

榊枝は自分が全て元凶だと話すつもりだったが、それを円が遮った。


「違うのじゃ!これは全部わらわが考えて命じていたのじゃ……!だから……」

 

瞳から大粒の涙を零して雪華を見る。


「すまぬ、こんな、こんな危ない目に遭わせるつもりじゃなかったのじゃ……。」

 

そんな円に対し、大変な思いをしたにも関わらず、雪華は微笑み、優しく声をかけた。


『どうしてこんなことしたの?』

「……グスッ、雪華が、特別警務部隊に、入るって、グス、聞いたから……。」


ぐすぐすと鼻を啜りながらも、少しずつだが言葉を紡いでいく円。


『うん。』

「わらわが、一番なのに……。それなのに、雪華のことを、よく知りもしない者たちと……グスッ。」

『うん。』

 

雪華は優しく相槌を打ち、周りの者も静かに円の言葉に耳を傾けていた。


その間、翔悟は隊員に救急箱を持って来るように指示し、何も言わず、ただ黙って話を聴きながら、雪華の少し赤くなった手首を手当てしていた。


「……もしも、もしも警務部隊の者たちが、この騒ぎの中で、雪華のこともわらわのことも、守れなかったら……その……」

『うん。』

「色々と、理由をつけて、わらわの元に、わらわの側に、一緒に居られるように、と思ったのじゃ……。」

 

もう涙は引いたようだが、話しているうちに、自分の愚かさや幼稚さが恥ずかしくなったのか、語尾がだんだんと弱々しくなっていった。


『そっか。』

 

雪華は翔悟にもう大丈夫だよと手を軽く振り伝えると、円に身体の向きを変え、クスリと笑った。


『まったく~、わがままちゃんでしょうがないんだから~。』

 

円はずっと膝下に視線を落としていたが、この雰囲気には不相応な彼女の明るい声に顔を上げた。

雪華の瞳は真っ直ぐに自分の瞳を見つめている。口元だけでなく目元まで優しく笑っていた。

 

雪華は円としっかりと目が合うと優しく彼女の両手を握り、柔らかな声で告げる。


『あのね円、たとえ私がこの先誰と出会ったとしても、私にとって一番の親友は円なんだよ。今までもこれからも、それは一生変わらない。それにね、どこで誰と居たって、円のこと忘れるなんて、少しも無いんだよ。』

 

泣き止んだと思った円の瞳に涙が溜まっていく。


『だから……大好きだよ!』

「う~っ……」

 

雪華の言葉に、笑顔に、泣くまいと耐えていた全てが溢れ出した。

 

馬鹿げた私情で多くの人に迷惑を掛け、命の危機にすら晒してしまうところだった。

もうダメだと思った。申し訳なくてとても恥ずかしいとも思った。

雪華にも嫌われた、取り返しがつかない、きっともう昔のように側に居てくれないと思った。

 

だが、そんな全ての負の感情を吹き飛ばし、心を包み込んでくれた。


「っ、そなたは、昔と変わらぬ、わらわの光じゃ……っ、ありがとうっ……。」

 

顔を覆い隠して泣きじゃくりながら、謝罪の意も込めてありがとうと告げる。


「わらわもっ、大好きじゃ……っ。」

『へへっ、知ってる!』

 

雪華は嬉しそうに言うと、円をギュッと抱きしめた。


「とりあえずこれで一件落着って感じですかね。」

 

いつの間にか樋口の隣に立っていた翔悟がふぅっと小さく息を吐きながら問いかけた。


「そうだな。」

 

樋口はその呟きに軽く返事をすると、未だ抱き合っている二人をやれやれとでも言うように呆れ混じりの目で見守っていた。


「樋口殿、織田殿、此度はまことに申し訳ございませんでした。隊員の方たちもあわや大怪我などをさせてしまうところでした。」

 

榊枝が二人に向かって深く頭を下げる。


「いや、まぁ、誰も大事には至らなかったし、悪意があった訳じゃ無いこともわかった、円様のイタズラみたいなもんだろ。そう気にしないでくれ。」

 

樋口は、結果誰も傷ついたりしないのならそれで良いと思った。

深々と頭を下げる榊枝に、特に憤るようなことではないと気遣い、まぁ呆れはしたがと苦笑した。

 

榊枝は頭を上げ、少々緊張が解けたようにありがたいと目尻を下げた。そして翔悟の顔色を伺った。


「雪華があれで良いなら、俺は特に。」

 

その視線に気付いたのか樋口と同じように自分も気にしていないと返す。素っ気無く感じるが彼なりに納得しようとしてくれているようで、榊枝はその心遣いにありがとうございますと感謝を述べた。

 

どうやらこれで全て丸く収まったようだ。

榊枝も彼らと同じく二人に目を向ける。

成長したと思っていたが、やはり昔と何も変わらないところもある。泣いている円と、それを笑って抱きしめる雪華に、幼い頃の二人が重なった。


(雪華殿が円様の側に居てくれて良かった。……どうかこれからも変わらずありますように。)

 

心の中でそう小さく願うと、目的地に到着したら、どうやって円様を引き剥がして宥めるか考え、深くため息をつく榊枝だった。だがその顔は雲一つない空のように晴れやかであった。




「大変お世話になりました。此度の騒動も含め、この御恩は一生忘れません。」

 

騒動の後、円様御一行を乗せた船はすぐに東京の船舶ターミナルに到着した。

 

下船をした榊枝は別れの前に再度樋口たちに深々と頭を下げた。


「一生だなんてそんな大袈裟な。ちょっと借りを作ったぐらいで良い。」

 

樋口はくくっといたずらっ子のように笑った。


「いつか必ずお返し致しますね。」

 

そんな彼につられ、榊枝もクスッと笑った。

 

とても良い雰囲気で談笑をしていると、ちょうど円様が下船用のタラップを下りて来たところだった。

階段を下り切ったところに翔悟や隊員が控えている。


少々気まずそうな顔をした彼女が翔悟に話しかけた。


「……すまなかったな、迷惑をかけて。」

「いいえ、お気になさらなくて大丈夫ですよ。」

「……そなただけじゃった。」

「はい?」

 

話しながら、円が段差に躓かないようにと、手を支えエスコートしながら歩く。


「わらわよりも、雪華を助けようと必死になっておったのは。」

「……。」

 

パッと、翔悟に向けたその顔は、とても嬉しそうだった。


「よかった……。これからもよろしく頼むぞ!」

 

円なりに彼を認めてくれたのだろう。あれほど雪華が大好きな彼女から直々に託されたのだ。

 

翔悟は小さく頷くと、何も言わず目の前にある送迎車に円を乗せた。


だが、手を離すその瞬間、ほんの一瞬だが、円の目が何かに驚いたかのように見えた。

そして翔悟には聞こえない程の小さな声で呟いた。


「……そうか、そういうことか……。」

「え?」

「いや、何でもない。」


「円様、そろそろ……。」

 

円の隣にいつの間にか座っていた榊枝が出立を催促してきた。


「うむ。皆の者、色々と世話になったのぅ!」

『円、またね!』

「たまには顔を見せに来てくれ、無理なら声だけでも、便りだけでも良い!約束じゃぞ!」

『うん!』

 

雪華と円は車の窓越しに指切りを交わす。


「皆も達者でな!」

「皆様大変お世話になりました、またいつかお会いする時までお元気で。」

 

樋口や翔悟、隊員たちは頭を下げ挨拶をし、雪華は送迎車が角を曲がるまで手を振り見送った。

その後、車が見えなくなったところで、警務部隊も撤収の準備に取り掛かった。


『円と何の話してたの?』

 

翔悟と円が会話をしていたのを見ていたようだ。雪華が問いかける。


「別に、お前がアホで仕方ないからケツ拭いてやってくれってさ。」

『は~!?アホはお前だろ!てかセクハラ!』

 

雪華はイヤッと胸の前で手をクロスさせ、身を守るような仕草をとる。


「ケツ拭くってのは尻拭い……面倒見ろって意味だろアホバカ。」

『そんなことくらいわかってますぅ~、ちょっとボケただけですぅ~。』

「はいはい。」

 

ベーっと舌を出し生意気な顔でおちょくる彼女に、グーッと背中を伸ばしながら適当に返事を返した。

 

ようやくいつも通りの日々に戻れそうだ。




「お~ぅ!お帰りみんな!」

 

隊舎に着くと、今野さんが出迎えてくれた。

相変わらずウホウホしていて安心する。


「……次はアンタが行ってくれ。」

 

樋口は心底疲れたと、また埴輪のような目をしながら、今野さんの肩をポンと叩いた。


「そんなに大変だったのか?」

 

翔悟は相変わらずいつも通りの無表情で、その他隊員たちは少し疲労の色が窺える。

そんな中……


『楽しかったよ!でもお土産は忘れた!エヘ!』

 

片目を瞑りイェイとピースをするアホ一人。


「……」

「雪華ちゃんは元気だな!お土産なんていいさ!みんな無事に帰ってきてくれた、それが一番の土産だ!」


疲れた顔で雪華を見る樋口とは対照的に、ニカッと太陽のような笑顔の今野。


「さぁさぁ早く上がってゆっくり休め!飯も出来てるぞ!」


今野の呼びかけに、各々自室に戻る者、風呂や食堂へ向かう者など様々だったが、その全てがやっと解放されたと安堵の表情を浮かべていた。


今野と樋口、翔悟は報告などがあるため一旦今野の居室へ、雪華は自室へ向かっていた。


『あ、お土産っていうか、ちょっと違うけど、あの税金の宝船は円が買うからお金の心配しなくて大丈夫だって言ってたよ!』

 

今野の部屋へ行く途中、雪華の部屋の前で彼女はサラッとそう告げ、じゃあ夕食の時にと、中へ入ろうとした。


入ろうとしたところでガシッと肩を掴まれ、周り右させられた。


「お前……!何でそんな大事なこともっと早く言わねぇんだ!!」

 

今まで我慢していたものが一気に溢れたのか、樋口が鬼の形相で怒鳴る。


『え!?だって、別に……そんな報告するほどのことじゃないかと思って……。』

 

巫女様が国のお金を肩代わりすると言うのに、重要じゃないなんてことがあるのだろうか、否。


「アホか!!このバカ!!」

 

アホにバカときた。


『え、何でそんな怒ってんの?てかひどい!それに顔めちゃ怖いよ悪霊退散ーっ!!』

 

ガクガクと雪華を激しく揺らしながらキレる樋口の横で、税金の宝船って何だ?と首をかしげる今野と、めんどくせぇと欠伸をする翔悟。


「ほんっとお前はっ、脳みそ無ぇのかっ!」

『傷ついたー!誰か心の救急箱持ってきてー!!出血多量ですぅ!!』

 

話はよくわからないが、今野はとりあえずまぁまぁと仲裁に入った。


翔悟はというと、もう報告とかどうでもよくなったのか、そのまま自室に戻り横になった。

惰眠を貪ろうとする彼の耳には言い合う二人の声がしばらく聞こえていた。


(やっと帰ってきたなぁー……。)

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