「別班」

明日出木琴堂

ミッション「後遺症」

2019年の年末。

C国から発生したウイルスによる感染症は、瞬く間に世界中に広がった。所謂、パンデミックである。人類は未知のウイルスに恐怖した。


初期のウイルスは毒性が高く、感染すると非常に致死率の高いものであった。

この段階で、人類に対抗できる術は無く、マスクの義務化から始まり、人々の移動制限や、人々の集合禁止、会社のリモートワークや、繫華街の営業規制、最終的には都市のロックダウン、…等々、人々の濃厚接触を回避することで感染拡大を抑え込もうとした。

この様な政策は、人間単位での交流を無くし、自治体単位での交流も無くなり、最終的には国家単位での交流が無くなる事態を引き起こす。

目に見えない未知のものに対する不安が人々を追い詰めていった。

そして人々は、自分自身を守るために思いも寄らない行動を取り始める。


過度な殺菌、うがい、手洗い。

マスクをしない者への執拗なバッシング。

長期に渡る保育園、小学校、中学校、高校、大学の休校。

仕事もリモートワークか休業。

家族単位で一歩も外へ出ない生活。

他県からの車の流入を民間が取り締まり。

どこかの誰かが発症すると、ばい菌扱い。


神経質になっていた。人が人を疑った。

どこにも安心できる場所の無い世界。

日本中が、世界中が、疑心暗鬼になっていた。


しかし、感染力の強い強毒性のウイルスは、人類の浅知恵などものともせず拡大していく。

患者を収容できる病院は無くなり、国の指示する行動制限から開店休業中のホテルが収容施設とされる。

人々も殻に閉じこもる生活を強いられ、精神に異常をきたす者が現れる。

訳の分からない妖怪の絵に願掛けする者まで現れた。

こんな異様な光景を人々は毎日のようにテレビで目にする事になる。


そんな殺伐とした中、思いもよらぬ段階で救世主が現れる。

それは【ワクチン】である。

治験も満足に済んでいないワクチンに人々は我先にと競う様に群がった。

出たとこ勝負のワクチンを接種したがった。

万能薬と勘違いしているワクチンを少しでも早く体に収める事を願った。

だが、藁をも掴む思いのワクチンであっても、全世界80億人分の量など直ぐに調達できる訳ではない。

自ずとワクチンの接種には優先順位がついてくる。

世界の各国は、免疫力の弱い人間を優先的にと、建前を発表するも、現実的にはヒエラルキー上位の者どもが先に接種していた。

パンデミックは、欲にまみれた人間のあさましさをも人々に再認識させる機会となってしまった。


しかし、もうその頃には、ウイルスは人間がごたごたと時間を費やしている間に、人類の対抗策を嘲笑うかの如く変異していた。

このウイルスは、毒性を弱め、宿主の生命を奪うことを止める様に変化していた。

ワクチンの攻撃をのらりくらりとかわすが如く変異していた。


宿主から栄養を得るウイルスは、宿主を生かす事により、長く生きながらえるようになる。

感染者は発症してもおのれの自然治癒力・免疫力によって回復する。元気になる。

だが、体内に宿したウイルスは人間の自然治癒力・免疫力によって全て死滅した訳ではない。生き残ったウイルスは、暴れること無く密かに潜伏しているのだ。

体内に生き残った奴らは、宿主の体内でより耐久性を身につけ、より生きながらえられるように変異していく。

そして、増殖し、また宿主に発症させる。宿主の発症は、新たなる感染者を生む。

感染者たる新たなる宿主は、自然治癒力・免疫力から、また回復するが、ウイルスもまた、新たなる宿主の新たなる自然治癒力・免疫力に対抗できる様に変異する…。そして、発症し、また新たな感染者を生む…。

これが繰り返される。このスピードにワクチンの開発スピードはついていけない。


こうなると、怪しい民間療法や過去の伝承などと言う訳の分からないものが都市伝説のように世間に出回り始める。

やれ「あれが良い。」とか「これが効く。」とか、薬店やスーパーから名指しされた物が消え失せる現象が多発する。効能効果不明の意味不明な物を売る店が出現する。

メディアでは毎日毎日、感染者の数が発表される。

人々は感染者数が増えた減ったで一喜一憂する。終いには、明日の感染者数で賭けを行う者が出る始末。

この時期はこうでもしないと目に見えない未知なるウイルスへの恐怖を拭えなくなっていたのかもしれない…。


今回のパンデミックの特徴は、このウイルスによる感染を発症すると、回復出来ても後遺症が残る事が多々あることであった。

後遺症は、倦怠感から始まり、慢性的な発熱、慢性的な頭痛、慢性的な関節痛、慢性的な味覚障害、慢性的な嗅覚障害、慢性的な難聴、…等々、なかなか他人に理解してもらうには難しい症状が多かった…。

しかし、後に、他人に一目瞭然で理解される後遺症が発現する…。


現代人が経験したことのない未曾有の時間は、1年経ち、2年経ち、3年が過ぎた。

そして4年目に入った時にそれは起こった…。


『明日はもうクリスマスイブかぁ…。』

『今年ももう終わりだな…。』

『この感染症が広まって、いったいどれだけ経ったんだろう…。』

『なんか長いこと地味に生きてんなぁ…俺。』


なんだかんだと、誰もいない寒々しい部屋で、照明もつけず俺はひとりグダグダ考えていた。

何もすること無く、意味も無く、手持ち無沙汰でテレビのリモコンを手にとる。そして、見たくもないのにスイッチを入れる。

ブンと、音を立てモニターには目が眩む明るさの画像が映し出される。

『情報番組か…。』内容などどうでもよかった。時間が過ぎて眠りにつければいいだけだ。

放送席に座った若い華奢な女子アナ。

『あまり俺の好みじゃない…、余計なお世話か…。』

彼女はテーブルの上のタブレットを確認しながら何かを話している。…多分、明日のクリスマスイブの事を話している。これは生放送のようだ。

『華やかな世界だね…。俺には関係ないな。』と、焦点も合わす事なく明るい画面をボーッと見ていた。話し声も耳に入ってこない。動き少ない女が煌々と照らし出されているだけ…。

『くだらねぇ…。ぼちぼち寝れるかなぁ…。』

…と、その時、急に女子アナが顔面からテーブルに突っ伏せた。どえらい音がした。

『えっ?放送事故…。』知らぬ間に、俺の目は画面に焦点を合わせていた。釘付けになっていた。

テレビの女子アナは、テーブルにゆっくりと突っ伏せたわけではなく、急に上から釣っている糸が切れた様に、自然落下する程のスピードでテーブルに顔面を強く打ち付けた。それも鼻から…。ぐしゃっという嫌な音もした気がする…。

テレビの画面は静止画の様にこの状況を放送し続けている。女子アナは突っ伏せたまま微動だにしない。やけに長い異様な間…。嫌な想像が俺の脳裏を過る。


ぼちぼち「しばらくお待ち下さい。」の画面に切り替わるだろうなと、思った途端、突っ伏していた女子アナが急に起き上がった。それこそ操り人形を引っ張り上げた時の様に…。

俺の心配通り、やっぱり鼻から血が滴り落ちている。鼻筋の通っていたであろう小さな鼻は倍ほどに腫れあがっていた。

しかし、彼女はそれを気にする気配は全く無い。

女子アナは瞬きする事もなく、目を大きく見開きカメラを睨みつけている。

『…どうしたんだ?』俺にはこのおかしな放送の状況がさっぱり掴めない。しかし、画面からは目が離せない。


すると女子アナが一言「ここはどこだ?」と…。


多分、この番組のスタッフ達も、偶然、この番組を見ていた全ての人間も「えっ?!」と、声を上げたに違いない。俺はそう言った。

なぜなら、起きた上がった女子アナの発した声は、女性のそれではなかったからだ。

「痛ってえ…。鼻血…?なんじゃこりゃあ?!」

この言葉が彼女から発せられた瞬間、テレビは「しばらくお待ち下さい。」の画面にやっと切り替わった。

俺は暫し茫然自失…。狐につままれたようと、言うのはこういうことを言うのだろう。

『なんか…、ドッキリにでもかけられたのか?』と、疑わざる得なかった。

そんな事を思っているとテレビ画面は砂嵐に変わり、その1分後…。

「本日予定しておりました番組は、中止させていただきます。」

「本日のこの後の放送予定は全て中止とさせていただきます。」

「本日の放映分は後日、日を改めて放送させていただきます。」

「視聴者の皆様には、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。」と、畳み掛ける様にテロップが画面に映し出さる…。


『こりゃあ、ドッキリじゃないな…。』

俺は慌てて違うチャンネルを映す。ごく普通に放送されている。緊急ニュースも入っていない。

『あのテレビ局になんかあったのか?』

その割には、他のチャンネルは余りにも普段通り過ぎた…。情報統制されている風な感じも見受けられない。職業柄、何か得体の知れない不穏なものを感じてしまう俺だった。


そして、これはあくまでも、始まりのひとつでしかなかった…。


あの異様なテレビ番組放送の2日後、今度は大型トラックの大惨事が起きる。

場所は東京都新宿区。クリスマスの正午過ぎ、明治通りを靖国通りに向かって運行していた25t大型トラックが、暴走し、走行中の車11台に衝突。車に乗車中の34名に重軽傷を与える。

大型トラックはその勢いのまま、クリスマスで賑わう、人々のごった返した歩道に乗り上げ、通行人27名を轢くことに…。その内、子供を含む6名が死亡。残りの21名も重傷、及び重体。

更に、トラックは止まる事なく、近隣の百貨店の1階に突っ込み、横転の末、やっと停車。

その際、クリスマスで百貨店へ来店中の客3名と百貨店従業員5名が巻き添えになる。内、孫へのクリスマスプレゼントを買いに来ていた老女が1名が死亡。

25tトラックの運転手は運転席で心肺停止状態で見つかる。


警察の捜査の結果、免許証からこの25t大型トラックの運転手は、大型トラック運転歴8年目となる29歳の女性と判明。

運転手は、衝突からの頭部強打による脳挫傷により死亡。

彼女の所属する運送会社の話では、彼女は過去に違反歴・過失歴もなく、飲酒もしない。薬の常用もなく会社の健康診断はいつもA判定。運転当日の体調にも問題無かったと、語っている。


しかし、この大惨事の最大の問題点は、この大型トラックを運転していた人間が、免許証の人物では無かったことにあった。


これを境に、日本の各所でおかしな現象が起こり始める。


そして、この年の大晦日、俺は緊急召集を受けることになる。

予備自衛官の俺が緊急召集を受けるとなると、結構大きな問題が発生しているのだろうと、赤のミニメイフェアを目的地のある練馬区大泉学園町に走らせながら考えていた。


元々の俺の専門分野は、生物兵器の研究。公然の肩書は、非常勤特別国家公務員、防衛省陸上自衛隊、対特殊武器衛生隊の生物兵器担当医官。

万が一にでも生物兵器が用いられた場合、生物剤対処専門部隊として、生物剤の固定(微生物などの特定)と、感染患者の応急治療を任務とするが、公の俺の予備自衛官としてのお仕事。

表向きはこんな俺が緊急召集をかけられるとなると、どこかでやばいテロがあったのかもしれないと、考えざるを得ない。

生物・化学兵器は比較的安価で製造が容易である。そのため、貧国の核だとかテロリストの大量破壊兵器などと呼ばれる。

特に生物兵器は、暴露から発症までに通常数日間の潜伏期間が存在し、使用された事の認知がとても困難なのだ。その上、種類及び使用の状況によっては、膨大な死傷者を生じさせるといったことより、テロ国家が秘密裏に研究・開発しているという噂は絶えることがない。

出来ればそんな物騒なものが使われる日が来ない事を祈るしかないのだが…。


練馬区大泉学園町の目的地である朝霞駐屯地に到着した俺は、駐屯地が然程、ざわついていないことにかなり拍子抜けした。

もっと緊張感がみなぎっているものだと勝手に思い込んでいた。


駐屯地で俺が案内されたのは、これまたごく普通の会議室。ドアも壁もどこにでもある代物。こんな会話筒抜けの場所で極秘の話は出来ない。どうぞ盗聴して下さいと、言わんばかりだ。この緊張感の欠片もない雰囲気に俺は少し胸を撫で下ろした。

ただ、会議室に大量に置かれているここには全くそぐわないモノを除けば…。


会議室のホワイトボードには、召集者に対するこの会議室の「使用上の注意」が事細かに書かれていた。

『はいはい。そういう事ですか…。了解。』読み込むだけでうんざりだ。


さて…。連れてこられた部屋を見渡してみると、俺以外に十数名がいた。

ただ、格好を見る限り、誰も彼も、前線の予備自衛官ではないようだ…。どちらかと言えば研究者風…。

そんなことを考察していると、10人程のスーツ姿の男が入室して来た。その中の何名かはSP(セキュリティーポリス)らしき人物で、何名かは官僚らしき人物だった。

残りの数名は、真っ白のパジャマを着た、よたよた歩きの人物を連れて入室してきた。

その人物は、ベースボールキャップを目深に被り、大きな真っ黒のサングラスを掛け、顔半部を隠せる程の黒色のマスクをしている。この人物は見るからに怪しさ満載だ。

そして、最後に入室してきた人物を見て俺は驚いた。


時の総理大臣だった…。


彼は一緒に入室して来た者たちの中央に位置すると、おもむろに話し始めた。

「大晦日の忙しい最中、本日は緊急にお呼びだてして大変に申し訳ない。しかし、本国を襲おうとしている異常事態に、叡智をお借りしたいのです。」と、神妙に語り出した。

「わざわざこのようなセキュリティ対策も万全にされていない会議室で難しい案件の話をするのにも訳がある。それは、変に勘繰られないようにするためです。余計な詮索を避けるためです。」彼の言っていることは、かなり諜報の裏をかくような内容だ。

『話は漏洩しても構わないが、事実でないことが拡散することは避けたい。』ってとこか…。少しばかり難解な危なっかしい話になってきた…。

「私の前置きが長くなるのも良くない。本題に入らせてもらう。」と、彼はフラフラの怪しい風体の人物を前に出した。

そして彼はその人物のサングラスとマスクをゆっくりと取った。


その顔には俺は見覚えがあった…。

特に腫れた鼻…。

一週間程前にテレビで見た…。放送事故の女子アナ…。

しかし、人物は女子とは言い難かった。なぜならば、体格が良すぎるからだ。

だぶだぶのパジャマでも分かる肩幅と首の太さ…。

テーブルに突っ伏せる前は俺好みではないが、華奢で若々しい女性だったはずなのに…。

顎の骨が張り、無精ひげが伸びていた…。

『どういうことだ…?!』


スーツ姿の官僚風の一人が喋り始めた。「こちらの資料を一部、お取り下さい。」

簡単なクリアファイルに入れられたコピー用紙が数枚…。学校の宿題かっ。セキュリティもクソもあったもんじゃねぇ…。

中を出して見てみる。

交通事故の現場写真がコピーされている。大型トラックか何かの運転席の写真だ。

頭部が腫れ上がった茶髪ロン毛の兄ちゃんが写っている。

首があらぬ方向にねじれている。多分、助かってはないな…。

『それで、これがいったい何なんだ?』

大晦日に見るにはもっと相応しいものがありそうだが…。

「これは先日のクリスマスの日に新宿で大惨事を起こした大型トラックの運転席の検視写真です。」

『それがどうしたってんだ。クリスマスの事故を大晦日になんなんだ。若いお…。…。…。…。えっ?!』

「お気づきかと、思いますが、事故を起こした運転手は…。」

「若い女性運転手…。」

『若い女の運転手…。』官僚風の言葉と俺の記憶は同時に同じことを言っていた。


『何が起きている?』俺は何が何だかさっぱり分からなくなってきた。俺が呼ばれた理由も分からない。

ここに連れて来られた女子アナは女性には見えない。大事故を起こした女運転手も女性には見えない。それどころかどう見ても二人共男だ…。

官僚風は続ける「ここにいる○○さんは△△TVの女性アナウンサーでしたが、先日の倒れた事故の際、性別が変わってしまいました…。」

『えっ?何言ってんの?』

「こちらの写真の□□さんは検死時、性別が変わっていました。他人との入れ替わりではありません。□□さんの遺体と生前の□□さんの髪の毛のDNAは一致しています…。」

『はぁ?冗談でしょ。』

「これ以外にも今日までに国内において同じ事例が3件報告されています。」

『同じ事例…?何が同じなの?』

俺には官僚風の話していることを全く理解できなかった。理解できる脳みそを持ち合わせていなかった。

女が一瞬で男に変わる…。手品…?イリュージョンでもあるまいし…。そんな馬鹿げた話…、大晦日に真顔で話すなよ。

「ここ数日の調査の結果、この5名に共通している点がございました…。」

『なんだ?なんだ?』

「今のところ、性別の転換者は全て元女性。年齢はまちまちですが、外科的医療行為を受けている者はいません。彼女ら5名は、予防接種後、只今蔓延しております感染症に罹患し、性別が変わる少し前に感染症から回復していたようです。」

『現在の性別転換者全員が元、女…。そこに何かあるのか?』

官僚風の話はこれで途絶えた。

会議室にいた者が「それで?」と、聞くが…。召集したであろう者達からのこれ以上の回答は無かった。


この日、最終的にこの集まりを閉めたのは、総理大臣の言葉だった。

「今、起こっているこの現象を正確に解明してどうすべきか、我々に提言していただきたい…。」

これがここに呼ばれた理由のようだ。


翌日の年明けから政府命令のタスクは開始された。

世間はお正月一辺倒。新年を迎え浮かれムードだろうな。何が悲しくって厳粛・厳格な陸上自衛隊の駐屯地で前代未聞の難問を解明しなければならないのか…。

そんな愚痴を思い浮かべている状況の中でも、防衛省から連絡が入る。

「本日の性別転換者、7名。」と…。『マジかよ…。』


会議室では、得意分野をフル活用して原因の究明にあたる。

俺は、この性別転換を生物兵器の観点から事細かに調査していく。性別転換者の体組織のあらゆるサンプルを採取し、取り寄せ、分析する。

しかし、性別転換者からは何らおかしな点も痕跡も見つからない。

いや。見つからないのではない。もとより無いのだ。

性別転換者は単なる健康な男性でしかないのだ。体組織は生まれたての男の赤子の様に汚れ一つ無い。まるで女性であったことが無かったかのようだ。

『まるで生まれ変わった…?』


日々増え続ける転換者は全て元女性。男性は今のところ一人もいない。ここに何らかの鍵が隠されているのかもしれない。


性別の転換に至るプロセスはこうだ。

予防接種→感染症にかかる→回復する→気を失う→性別が変わっている。

こんな程度では、どこに性別転換に関わるメカニズムがあるのかすら分からない。ただ、性別転換者の共通している経緯はこれしかない。

この中で判断できるのは、性別の転換に対し、莫大なエネルギーを必要とするために、対象者は一時、意識を失うのだろう。

女子アナはそれにより顔面打撲となり、女性トラック運転手は大事故を起こす結果になったと、考察される。

このことから推測すると…、意識を失う以前に、性別転換の因子は対象者に潜伏しているということだ。

そこから想像すると…、性別転換の原因は、感染症ウイルスの突然変異からの後遺症の一種と、考えることも出来る。

いや。そうであって欲しい。

あくまで想像だ。苦しいこじつけだ。こんなものは空想の域を出ない。本当にあればSFだ、ミステリーだ、ホラーだ…。

しかし、感染症ウイルスの変異からの後遺症で性別の転換が起こるのならば、感染症ウイルスを撲滅する事でこの後遺症は起こらなくなる。

これが解ならば、政府に働きかけ、感染症の撲滅に最大限の注力を行ってもらうだけだ。

『お願いだから、後遺症であってもらいたい…。』

こんな、自分に都合の良いプラス思考の妄想ばかりをしているせいで、現時点での俺の調査は遅々として進展していなかった。

何でもいいから情報を欲した俺は、防衛省に頼み厚生労働省から海外で同様の事例があるかを主要国各国の政府へ打診してもらった。だが、各国からの返答は同様の事例は皆無とのことだった。

この現象は日本だけで起きているのだ。この事にも何らかの秘密が隠されているのかもしれない。




こうしている間も、嘲笑うかのように性別転換者は日々増加していった。

やはり、性別転換者は全て元女性。性別転換時は肉体的にも精神的にも不安定だが、回復すると、ごく普通の日常生活を送れる。ただ、男性としてではあるが…。回復に必要な期間は個人差はあるが、7日~30日といったところみたいだ。

しかし、明確に目に見える性別転換者の増加は、人心の不安を煽る。詳細不明の奇怪な出来事は、単純に人々に恐怖を与える。

その為、これ以上のパニックを引き起こさせないよう、政府は情報公開に踏み切ることにした。

総理大臣は国営放送を用い、現在起きている不可思議な現象について説明した。

だが、国民は、自分たちの身近に起きている恐怖の難病・奇病に対し、より詳細な情報を必要とした。

それに対応すべく、政府は「正確な情報を出すなら。」という絶対条件のもと、各メディアへ、この現象に対する厳正な調査からの情報公開の許可を出した。

国家の圧力もあり、公のメディアは、一切脚色無しの独自の厳正な調査情報を伝えることに奔走した。

しかし、インターネットの世界では、嘘八百・流言飛語が飛び交うことになる。

これによって世界中の国だけではなく、隅々の人間にまで日本で起こっている奇奇怪怪な出来事が知れ渡ることになってしまった。それも、有ること無いこと歪曲した内容で…。

世界中の各国、各個人から「日本は不気味な国、気味悪い国。」という、レッテルが貼られ、全世界から忌み嫌われる存在となってしまう。完全に孤立してしまう。

日本への旅行者の大幅減少、及び渡航禁止…。日本企業との取引中止…。日本の株価の暴落…。

日本政府が一番恐れていた風評被害が大きく吹き荒れることになった。

また、転換者への偏見、誹謗中傷も多くなり、肉体的・精神的に不安定時の転換者がこれらの内容を知ることによる彼らの自殺も多発することになってしまった。


日本政府はこの現状を踏まえ情報の正常化に尽力するが、無尽蔵なインターネットに流出した噓の欠片は、簡単には回収することが出来なかった。

政府は、日本企業や日本国民や性別転換者の保護に全力を挙げて取り組む、しかし、焼け石に水の状況…。

特に、増加の一途をたどる性別転換者に対する対応は全く追いつかない。

そんなことを気にかけることもなく転換者はハイペースで増加するだけであった。

女子アナの件から、たかだか1か月程で転換者はすでに累計10万人を超えていた。




俺は緊急召集以来、日夜、性別転換者から採取した検体組織を徹底的分析することに勤しんでいた。

そうやって、既に3ヶ月を迎えようとしている。

分析から単純に直ぐ分かったことは、染色体がXXからXYに変化しているということであった。

遺伝子自体が男性のものに変化してしまっている…。

これで、性同一性障害や二重人格ではない事もはっきりした。

性別転換者が稀にある特異体質、変異体質とも考えてみるが、今では性別転換者は100万人に達しようとする勢いだ。稀な話なんて言えるレベルではない。

あと考えられることは…、何らかの因子によって遺伝子レベルでの書き換えが行われた事を疑うしか残っていなかった。

そう推論し始めると、やはり生物兵器の線を疑わざるを得なくなってしまう。

しかし、そんな生物兵器が存在するのか?

あったと仮定すると、どうやって運び込んだのか…?

いったいどのように用いられたのか…?

遺伝子を書き換える意味はあるのか…?

俺は答えの出ない自問自答を繰り返すだけだった。


しかし、もし、そんな未知の生物兵器が存在したとなると…、その目的は何なんだ?

そんなものがあったなら、嫌でも「いつ?」「誰が?」「どこで?」「何を?」「なぜ?」「どのように?」を解明せざるを得ない。

事を明確にすればするほど…、危険な状態を作り上げてしまう。

まして、万が一でも、導き出した解答に間違えがあったら…、一触即発の国際問題になりかねない。

自然と、答えを導き出すことに躊躇してしまう。知らなかった事にしたい…。

どれだけ慎重に慎重を重ねたとしても、100%の正しい答えを導き出したとしても、間違いなく国際紛争の火種になってしまう。

それは、戦争へと続く道…。

出来れば、明確な答えを出すことなく、有耶無耶のまま、書き換えられた遺伝子を元の状態に戻せるのがベスト。

しかし、そんな簡単に特効薬みたいなものが出来るはずがない。

こんなちっぽけなごく普通の会議室で導き出すべき答えではないのだ。荷が重過ぎる。

でも、何でここなんだ…?

何で、簡単に情報漏洩する様な環境でこんな事をやっているんだ…?

多分、ここでの調査が進めば進む程、悪い答えを導き出すことになるはず…。


俺が悩み苦しんで足踏みしている間も、性別転換者の増加は止まる事はなかった。




そんな中に開かれた、何回目かの会議室での定例の報告会。

この定例会は各分野の調査の進捗を報告し、そこから想定できる仮説を気負わずにブレインストーミングするというもの。堅苦しい形式を取らず、柔軟に意見を交わすため、こんな風な検討方式が取られている。

今日は、会議室の中の1人である統計学者が一番に話をし始めた。

「このペースで性別転換者が増加すると、日本に新生児がいなくなるのさ。100年後には日本人は存在しなくなるのさ。」と…。

「どういうことだ?」誰も彼も同じ質問を投げかけただろう。

「簡単な話、子供を産める女性がいないからさ。」統計学者はいとも簡単に答える。

「どういうことでしょう。ご説明を願います。」会議室の中の1人が詳細を渇望する。

「現状の統計では、性別転換者は全て女性だけなのさ。それも、生理のある女性だけなのさ。」

「…。」統計学者の話に会議室にいる全ての者が固唾を飲んで聞き耳を立てている。

「初潮を迎えていない幼女や閉経後の女性には、全く性別転換者がいないのさ。」

「…。」黙り込むしか出来ない。

「…まるで、作為的に行われている様な統計結果ではないか…。」沈黙に我慢出来なくなった1人が口火を切った。

「そんじゃあ…、ピンポイントで性別転換者を作り上げているってことかい?」また、我慢出来なくなった1人が追い打ちをかける。

「人為的、作為的だとは断言しないさ。でも、統計上ではそうだと思われるのさ…。」と、統計学者は口を濁す。

「そんなことを出来るはずないやん。」会議室の1人が反論した。

「しかし、積み上げたデーターからはさ、それが出来ているのさ。」統計学者も引かない。

「そうですと…、この現象は、あくまで人為的工作と、考えるべきなのでしょうか?」冷静な1人が仮説を提起した。

「そう、判断する方が、何もかもの説明はつくのさ…。」統計学者は小声で同意した。

「目的はなんだ?」

「日本人という民族の根絶、…さ。」統計学者は、これも小声ではあったが、曖昧な言い方ではなかった。

「そ、それじゃあ…、じぇ、じぇ、ジェノサイドじゃないですか。」誰かが遠慮がちに結論を言い放つ。

「そうさ。」統計学者も言い切った。

「でも、とっても時間のかかるやり方やん。そんなことしまっか…?」

「冒頭でも話した通り、僕の読みでは、今から100年後に実を結ぶのさ。」

「気ィの長い話やで。」

「そんな悠長なことをどこが…?」ここからはひとりひとりが単純に思っていた事をランダムに話し始めた。

「あやしきは…、C国か…。」

「歴史的にも何代にも渡るミッションを行ってきてるしなぁ…。」

「それに、ジェノサイドと言えば…、C国の十八番。」

「かの国は手段を選びませんからなぁ…。」

「それにあっこがパンデミックの発生地やしな…。」

「反日ですものね。」

「間違いなかろう。」

「相手国までは明言できかねるのさ…。」やはり統計学者は憶測を避ける。

「なら…、ここで仮想相手国を判断して、あとは政府に委ねる…で、どう?」

「わざわざ仮想相手国を導き出してどうしたいんだね。」

「これは立派な戦争行為だぜ。」

「いや、これは戦争ではありません。一方的に仕掛けられた静かなる虐殺です。」

「こんな報告内容で国は動くんか…?」

「無理やろな。」

「お得意の、何もかも分かっていても見てみぬふり…か。」

「いや。ここがやろう。」話はヒートアップしていた。

「そんな事、出来ますの?」これは否定の質問じゃない。肯定の質問だ。

「生物兵器が原因であれば…。」と、俺は場のムードに流されて言ってしまった。

「どうやるんだ?」

「目には目を…さ。」と、俺はまた余計な事を言ってしまった。





北A大陸にあるA国の五角形の建物の一室。

「本日ノ盗聴報告デス。」

「イイ方向デス。」

「計画ドウリデス。」

「ヤット日本トハ、オサラバデス。」

「イツマデモ理解デキナイ国民性デス。」

「アノ時、降伏サエシナケレバ…。」

「アトミックボムデ全滅ダッタデス。」

「ソノ後、何ヲ仕掛ケテモ壊レナカッタデス。」

「長イツキアイニナッテシマッタデス。」

「腐レ縁ト言ウヤツデス。」

「C国由来ノパンデミックノ演出ハ、正解デス。」

「奴ラハ、C国ヲ疑ッテイマス。」

「オカゲデ、我々ノワクチント言ウ名ノ生物兵器ヲ大量投与デス。」

「今ハ、銃火器ヤ爆弾デノ人殺シハ全否定デス。」

「ソノ点、目ニ見エナイ物(生物兵器)ハ…、ソー・グッド。」

「自然死ハ疑ワレナイデス。」

「シカシ、ワクチンノ作用ガ、性別ノ転換トハ…、オドロキデス。」

「結局、子孫ヲ残セズ自然崩壊…。自然死ト変ワラナイデス。」

「アレモコレモ、全部C国ノセイト思イ込ンデマス。」

「イエロー同士ノ戦争デス。」

「我々ハ、痛クモ痒クモナイデス。」

「何ニシテモ、結果オーライデス。」

「ワハハハッ。」

「ワハハハッ。」

「ワハハハッ。」


この数か月後、何故かA国の若い女性を中心に急に性別が転換する出来事が巻き起こった…。





朝霞駐屯地。ごく普通の会議室内。

「半年程、ずっとここを使ってた奴、もういなくなったのか?」と、総務部の施設管理担当の先輩隊員がぼやいた。

「はい。先日、退去したようです。」と、同じく総務部の後輩隊員が応える。

「いったい、何やってたんだろうねぇ…?」

「自分も分かりかねます。」

「本当、分かんねぇよな。」

「はい。」

「気味悪かったよ。」

「はい。」

「半年もの間…。」

「はい。」

「廊下まで聞こえる声で…。」

「はい。」

「大量のマネキン相手にずっと一人芝居やってたんだぜ…。」



自衛隊には非公然部隊「別班」という秘密諜報工作部隊の都市伝説が存在する。



             終わり







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「別班」 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

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