引きこもりシラを切る
わたしはススムの母親の名前を知らない。小学生のころは「ススムのおばちゃん」と呼んでいた。しかしさすがに顔は覚えている。
きれいなまま歳をとったな、というのが率直な印象で、ススムの母親は大型犬を連れて診察室に入っていった。
どうしよう。もう診察券を出して受付してしまったのでいまからよそに行くわけにはいかない。だいたい医者はホイホイ変えてはいけない。困っていると別の診察室から「篠山チビ太ちゃんどうぞー」と呼ばれた。きょうは獣医さんが複数人でやっている日だったらしい。
年配の獣医さんは聴診器をチビ太の胸に当て、レントゲンを撮り、血液検査をして「軽い肺炎ですね」と言ってなにやらブスリと注射をし、薬を出してくれた。明日も来てくださいと言われた。病名がついてちょっと安心する。
いや安心している場合じゃないのだ、隣の診察室でススムの母親が犬を診察してもらっている。どうか先に会計が終わりますように、と念じながら待合室で待っていると、悪い予感というのは当たるもので、ススムの母親が見事な大型犬を連れて出てきた。
「やっぱりあおいちゃんだ。色白で目がくりくりしてて、手がすらっとしてて」
シラを切る。
「あの、どちらさまですか?」
「やだあ忘れちゃったの? ススムのおばちゃんよ。猫ちゃん飼ってるの?」
「そちらには関係のないことでしょう」
「だってこれから家族になるんだもの。この子はロイスっていうのよ。ゴールデンレトリバーの女の子。きょうは爪切りとお尻絞りと、目やにの薬を出してもらいに来たの」
「あの、本当に、家族になる気はないんです」
「どうして? アユムだって本当のお母さんと暮らしたいわよね?」
「あなたはだれですか。ぼくはあなたを知りません」
アユムくんは強い口調で言った。
「赤ちゃんのときも思ったけどアユムはるぅ君似ね」
るぅ君というのは反社のひとだろうか。気持ちの悪い呼び方である。
「とにかく、篠山家の方針としては、ススムの古い家族とは関わらないことにしてるんです。もうわたしとススムとアユムくんで家族なんです。これ以上増えることはありません」
「え、あおいちゃんはススムとセックスしないの?」
小学生の子供を前に言うことか。そう思ったが冷静に、
「わたしもススムも、子供を作るつもりはないです」
と答えた。
そうやっているうちに、「窪田さんー」とススムの母親が会計に呼ばれた。しばらく居座るのかと思ったが、混んでいるからかさっさと出て行った。これ幸いとこちらも会計を済ませた。動物病院でレントゲンを撮ったり血液検査をするとお財布が大変なことになるんだなあと思った。
予想外に早くエンカウントしてしまった。同じ動物病院に来るということは近くに住んでいるということだ。アユムくんは震えていた。わたしも怖かった。急ぎ足でマンションに帰った。
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