家出少女

深澄

家出少女

 ゆなは今、家出をしている。ママもパパも、勉強もピアノも友達も、なんだか全部が嫌になってしまったからだ。


 外は寒いからピンクの暖かいコートを着て、おばあちゃんに買ってもらったおそろいの手袋とマフラーを鞄に入れ、家のカギと財布まで持って、見慣れた町をひとりで歩く。早くも日が暮れ始めている夕方の町は、見慣れた景色のはずなのにどこか違って見える。そういえばもうすぐ冬至なんだっけ、と最近パパから教わったばかりの言葉を思い出した。一年で一番夜が長い日。「じゃあいっぱい星見れるの?」なんて言って、わくわくしたことをよく覚えている。空を見上げてみると、一番星が薄闇の中に強く光るのが見える。それに向かって歩こう、と決めた。


 この町には高い建物がひとつもない。同じような高さの一軒家がぽつぽつと並び、ところどころにある空き地と公園は悲しくなるほどに静かだ。駅前まで来ても商店街は半分シャッターに閉ざされている。薄暗くなってきた町でひとり呟いてみる。


「なんでこんな田舎なんだろ」


 東京に行ってみたい、というのがここ最近のゆなの願いだ。同じクラスのあきちゃんが原宿に行ったと自慢していたことも原因かもしれない。いとこのお姉ちゃんに連れて行ってもらったのだという。キラキラしていてにぎやかで、人がたくさんいて、この町にはない食べ物がたくさんあって、かわいい服もたくさん売っている、らしい。一番おいしかったのはロールアイスで、レインボーチーズサンドは見た目だけだった、なんて得意げに話していた。


 それが無性に腹立たしかった。ゆなには叶えられない憧れを簡単に叶えてしまえたこと、それをわざわざ自慢してくること、しかも見た目だけなんて知ったような口をきくこと。うらやましい。うざい。小さく声に出してみる。


「うざい」


 もう少し大きい声で。


「うざい!」


 なんだかいい気分だ。こんな言葉使ったらママに怒られるけれど、今は家出してるからどうでもいい。ゆなは足取りも軽く一番星に向かって歩き続ける。



 *



 今日も目を覚ますと昼だった。分厚い羽毛布団と重い毛布の中は適度に暖かく、そこから出た顔だけが冬の冷気を感じる。その心地よさに、青はもう少しだけ、と目を閉じる。


 実家に帰って来てからもう一か月が経つ。青の怠けぶりに母さんは呆れているし、父さんは口をきいてもくれない。兄も弟も立派なのに、と母さんは何度かため息をついた。あとに続く言葉は、言われなくてもわかる。「あんたは嫁にも行かずにふらふらして」だ。


 青は高校を卒業した後、幼馴染と結婚することになっていた。彼の父親は町で一番大きな工場の社長で、青の父をよく気にかけていたからだ。そんな決定を無視して青は夢を追い、逃げるように東京へ行った。


 東京。憧れて憧れて、どうしようもなく恋焦がれたあの都市。赤坂凛のようなミュージシャンになるという夢を抱えて飛び込んだあの都市。たくさんの人に出会って日々を過ごしたあの都市。そして、私のトラウマを掘り返したあの都市。


 でもそれも全て捨ててしまった。ここは牢獄のような自分の部屋。畳の上に敷いた布団と小学生の頃から使っている勉強机、そして、部屋の隅に置いたのにかなりの面積を占めるギターとアンプ。どちらもケースに入ったまま埃をかぶっている。もうチューニングはかなり狂っているだろう。弦を押さえることで硬くなっていた左手の指先の皮は少しずつ剥けて、柔らかさを取り戻し始めていた。


 空腹は感じない。時間の進む速さもわからない。時計を見ることすら最近は忘れてしまった。布団の上に座り込んで、何かを考えているのだけれど何も考えていない。頭の中がぼんやりとして、思考がぐるぐると巡りまとまらない。そうして一時間が、一日が、一週間が過ぎていく。


 ふいに、乾いたはずの目から涙が滲む。もうあふれるようには出ない。なけなしの水分を絞り出すような涙だった。



 *



 家出をしようと思ったきっかけはママだ。いつも「勉強しなさい」とか「ピアノの練習は?」とか、それしか言えないんじゃないかというくらいに言ってくる。それがうざいと思っていた。でもそれだけなら別にいい。どうしても許せなかったのは、ゆなが好きなミュージシャンを馬鹿にしたことだ。


 赤坂凛。ネット上にのみ存在した伝説のミュージシャン。とんでもない数のヒット曲を作り出したにもかかわらず、テレビなどへの出演はゼロ。ライブも引退ライブの一公演だけだ。その映像すら残っていない。本当にいたのか、と疑う声も最近は多い。


 もう二度と新曲は出ないし、周りに知っている友達もいない。そんな幻影のようなミュージシャンに、ゆなは夢中になったのだった。


 そんなわけで、昨日もパパのパソコンを借りて曲を聴いていたら、いつのまにかママがそばに来ていて、眉をひそめて笑った。


「ねえ、なあにこの曲。なんか……変じゃない」


 はあ?


 にらみ返したいのにできなくて、えへ、そうかな、そうだよね、と笑ってすぐにページを閉じた。それがくやしい。


 仕方ないのはわかっている。ママが好きなのはクラシックで、そういう「ちゃんとした」音楽を聴かないとだめよ、というのがママの口癖。アイドルの曲すら変だという人なのだから。


 でも、赤坂凛を否定することだけは許せない。赤坂凛を変だという人のことなんか信じる必要はない。そう思ったら、ママがやれという勉強もピアノも、全部ばかばかしくなってしまったのだ。


 一番好きな歌を口ずさみながら、夜に移ろっていく町を歩く。ひんやりとした夜風が首筋を撫で、身体が小さく震える。マフラーを取り出した。薄いベージュの、テディベアみたいな色合いのマフラーだ。ママには少し地味だと言われたけれど、ゆなはどうしてもこれがほしくておばあちゃんにねだった。


 そうだ、おばあちゃんに会いに行こう。


 ゆなはふと思いついた。おばあちゃんは同じ町の、駅の向こうにいる。いつもは車で連れて行ってもらうけれど、道には迷わない自信があった。それに今日は家に帰らなくていい。どこまでだって行けるのだ。


 日はすっかり落ち、町は夜の闇に溶け始める。ぽつぽつと置かれた街灯は、これまたぽつぽつと立っている家々から漏れる光とともに、まるで星空の中にいるような錯覚を覚えさせていた。


 ゆなは星が好きだ。死んだ人は星になるっておばあちゃんが言っていたから。


 ――じゃあ、おじいちゃんも星になったの?


 ――そうねえ。どの星かはわからないけど、そうよ。


 優しくて低くてちょっとしわがれた声で、いつも星のお話を聞かせてくれた。


 例えば、あそこに浮かぶオリオン座。乱暴者のオリオンは、神様が遣わしたサソリに刺されて死んでしまう。だから星座になった今でもオリオンはサソリを恐れて、サソリ座が昇ってくる頃に地平線へと沈む。


 それから、旅人が目印にするのは北極星だったはず。まずは北斗七星を探して、ひしゃくの形の星座の先っぽにある二つの星を、つないで伸ばす。


「あった!」


 何度も一緒に星を見上げた空き地に差し掛かる。


 ――この町は明かりが少ないから、星がよく見えるでしょ? でも都会じゃぜんぜんなの。


 おばあちゃんの声が耳元に触れた気がした。胸の奥がきゅっとする。梅干しを食べたときの感覚が心臓の後ろまで降りてきたような。


 おばあちゃんが死んでからもうすぐ一年になる。人が死ぬってどういうことなんだろう。一年経っても、ゆなにはまだわからない。わかるのはひとつだけ。おばあちゃんがいつも家にいて、いろんなお話を聞かせてくれることはもうない。



 *



 気がつくと部屋の中には夜が忍び込んでいる。足先が氷のように冷たい。数時間ぶりに体勢を変えると関節が古い洋館の扉のように軋む。


 この時間が一番怖い。


 電気はつけられない。一時間が千年にも一万年にも感じられる。窓の外を窺う癖が抜けない。あれから五年が経っているのに。もうそこに誠人はいないと知っているはずなのに。


 中谷誠人。青の幼馴染であり、親に決められた婚約者。青のことを好きだった男。すぐ隣の家に住んでいて、いつも一緒にヒーローごっこなんかをして遊んでいた。いじめられていた青を何度も助けてくれた。親友であるはずだった。


 それとも、仲良くなりすぎたのだろうか。


 ――好きだから、助けたい……ってのもあるけど、青がひとりだったら、俺が、青を独り占めできるし……。


 久しぶりに正面から目を合わせたとき、そこに浮かんでいた色。確かな悦びと支配欲。心底気持ち悪いあの目だけを覚えている。今そこに見えるような気がしてしまう。まずい、と思った。過去に引き戻される。腋を冷たい汗が伝う。


 真冬のプールに突き落とされたところを助けてくれたのだった。藻や虫の死骸が浮いたプール。変なにおいのする水が滴る青を、あの目で舐めるように見つめる。誠人の手が首筋に触れる。叫びだしたいのに声が出ない。身体が動かない。息ができない。溺れている時よりも苦しい。誠人が青の部屋に来るのはいつも昼と夜の境目だった。家に誰もいないと知っているから。薄闇の中、窓がノックされる。ベランダに彼が立っている。カーテン越しに目が合ってしまう。怖い。帰って。お願い。お願い……。


「青?」


 身体が跳ねる。心臓がうるさいほど脈打っている。ゆっくりと声のした方を振り向く。首が上手く動かない。


「誰」


「おれだよ。玄」


「玄……」


 長く細く息が漏れた。安心すると一気に力が抜ける。手汗で湿った毛布に顔をうずめた。玄がゆっくりと隣に腰を下ろす。


「青、どうしたの」


 弟の優しい声色に泣きそうになる。顔を上げないまま青は答えた。


「別に。ていうか、大学は?」


「さっき帰ってきたんだ。そろそろ正月だし、それに青がいるって母さんから」


「そっか」


 じゃあ、音楽をやめたことも聞いているはずだ。玄はどう思ったんだろうか。東京のみんなは、どう思っているだろう。


「もう弾かないの?」


 何も答えられなかった。弾けるのなら、弾きたい。だけど。


「おれは青の音楽、好きだよ。聞いててすごく苦しいのになんかすっきりするんだ。自分が言いたかったこと、全部言ってくれてるみたいで」


 嬉しさよりも懐かしさで、また鼻の奥が痛くなった。たしか初めて曲を聞かせた東京の友達も、そう言ってくれたのだ。


 ――あたしはバカだからさ、自分が嫌だなって思ったこと上手く言葉にできないけど、あんたの曲聞いたらこれだよって。こういうことが言いたいんだよって、思ったな。


 東京で五年間音楽をしてわかった。青には、ある程度の才能と実力がある。感じたことを的確に表現する言葉。人の心を揺さぶる音。どんな色にも変わる声。それでも音楽を、東京を捨てるしかなかった。


「枕、させられそうになったの」


 隣で息を呑む気配がする。あるレーベルのプロデューサーだった。青のライブを観て、メジャーデビューの話を持ち掛けてきた。


 ――ただし、きみも僕にしてくれないとね。無名のアーティストをただで有名にしてあげようって言ってるんだからさ。


 その目を見た瞬間、一気に、誠人のことが蘇った。あの地獄みたいな日々。その場で嘔吐した。耐えられなかった。地元に帰る新幹線に乗ったのは、その翌日のことだった。


「音楽にまで、そういうものが持ち込まれるって思ったら、本当に気持ち悪くて。弾きたいけど、もうわかんない……」


 青にとって音楽は神聖なものだった。音楽は音楽だけで成り立つべきものだった。青の音楽は、穢されてしまった。


 玄が黙って青の背中をさする。泣きすぎた目にはもう涙が痛い。強く目を瞑った。



 *



 夜の町は、よその家の夕ご飯の匂いがする。この家は絶対にカレーだ。玉ねぎを炒める匂いもする。あ、これは魚の匂い。何の魚だろう。しゃけの塩焼きか、それともサバかアジかな。ゆなの胃袋も何か食べたいと訴える。だけど近くにコンビニなんてあるわけもない。家からおやつも持ってくるべきだったと少し後悔した。


 どんどん暗くなってくる道は、きっとクラスの子たちなら怖がるのだろうけれど、ゆなには少しも怖くなかった。自分の足音と息づかいだけが聞こえる。虫たちすら声も出さない。ときどき風が耳を撫でる音がする。全部から解放されたような気分だ。目を閉じて歩く。ふいに赤坂凛の冬の歌が頭に浮かぶ。


『マフラーを外して、コートも脱いで、自分も風になってみよう』


 ものすごく寒い。けれど愉快だ。小さく歌いながら、坂道を駆け上がる。ここまでくれば、おばあちゃんのいる場所はもうすぐだ。


 そのとき、街灯の真下に何かを見つけた。ぼんやりと白く照らされている。老人だ。突然に現れたのか、ずっとそこにいたのだろうか。その人はじっとゆなを見つめている。急に背筋が冷たくなった。


「お嬢ちゃん」


 しわがれてガサガサとした、古びた紙をこすりあわせたような声。身体が少し震える。


「わたしに、言ってる?」


「そうさ」


 老人はうなずいてゆっくりと右手を持ち上げると、小さく手招きをする。足がすくむ。


「お嬢ちゃん」


 もう一度、そう呼ばれる。心臓が喉から飛び出しそうだった。一歩、無理やり前に出る。


「ここらにゃ、化けもんが出るよ」


「化けもん……」


 幽霊? それとも、別の何かだろうか。


「でもわたし、おばあちゃんに会いたくて」


「死人は帰ってきやしないよ。残念だがね」


「じゃあ、会えないの?」


 老人は何も答えない。おもむろに踵を返し、ゆっくりと雑木林の中に消えていった。


 何が言いたかったのだろう。ただ、目の前に広がる墓石の群れが、ひどく冷たく恐ろしく思える。どうしようもなく、ひとりぼっちだった。



 *



 久しぶりの外の世界。冷え切った空気が鼻の奥を刺激する。澄んだ空気の匂いは甘いということも、長らく忘れていた。一歩一歩、踏みしめるように歩く。そうしないと、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。


 玄が散歩に行くことを勧めてきたのだ。


「ずーっと家に籠ってたら、気持ちも晴れないよ。一回散歩してきたら? ついでにギターでも持ってさ。なんならおれもついていくし」


 あんまり熱心に言うので断り切れず、ギターケースもきちんと持たされて家を出た。とはいえ目的地はない。どこへ行こうかと彷徨う。少し歩いたらすぐ帰ってこようと思っていた。


 ふと、近くに墓地公園があったことを思い出す。ギターも夢も、そこに埋めてしまおう。口の端を歪めて笑い、青はそう決めた。


 この墓地に、祖父母の骨も埋まっている。墓参りにすら何年も来ていなかったのか、と今さらながら自分を恥じた。夢にうつつを抜かして家族を顧みもしなかった。どうせ打ち砕かれる理想なら、近づかない方がよかったのに。


 公園を半周したあたりで腰を下ろし、ギターケースを開く。そのまま埋めてやろうと思っていたのに、身体は勝手にギターのチューニングを始める。止まれなかった。そっと弦を押さえる。懐かしい硬さ。軽く爪弾けば、五年間聴かない日はなかったあの音が全身を伝った。


 あぁ、この感覚だ。私はこれが好きで、音楽をしていたんだ。




 今まで書いた曲を忘れるはずもない。歌は唇からとめどなく流れる。それでも、快感に身を任せるわけにはいかない。青は今日、ここで音楽を殺すのだから。


 そのとき、人影が青の前に立った。


「あなた、化けもん?」



 *



 気がついたらそう尋ねていた。だって、こんなところに赤坂凛がいるわけがない。こんな、田舎の町の墓地公園に。それなのに、今ゆなが聴いているのはまるで赤坂凛の新曲だった。


 老人が消えてから、ぼうぜんと時間が過ぎていた。いつもここに来たらおばあちゃんとお話していたのに、もう会えないと言われてしまったから。どうしてだろう。一年が経ってしまったからだろうか。おばあちゃんに会えなくなるのが怖くて、墓地の中に入ることもできない。


 しかし、その音楽が聴こえてきた瞬間、ゆなの心は再び奮い立った。老人のことも、冬の寒さも、おばあちゃんのことすら頭から吹き飛ぶ。音の出どころを探して走り回った。ついに見つけたその人は、地面に座り込んでギターをかき鳴らす。泣きそうに、叫びそうに、そして心底楽しそうに歌っている。


「あなた、化けもん?」


「……え?」


 静寂。ゆっくりとギターが下ろされる。歌声よりも少しかすれた声が言う。


「誰?」


「ゆな。四年生」


「え、小学生?」


「うん。家出中」


 再びの沈黙。継ぐ言葉が見つからない。探しあぐねていると、相手が吐き出すように言う。


「私もね、家出してたの。五年間」


「五年……」


「何も変わらなかったよ。結局囚われたまま。もう何にもなれない」


 暗闇の中なのに、その人の目だけがはっきりと見える気がする。伏せた瞼の下、まつげの中で瞳が揺れる。何を言えば、この人の瞳は輝くのだろう。さっき歌っていた時のように。


「全部捨てたいの。今歌ってたのは鎮魂歌。もしくは葬送曲」


 歌うように話す人だ。何が言いたいのかわからない。何を言ってほしいのかも。「でも」と言葉が口をついて出た。


「でも、すごいいい曲だったよ。赤坂凛みたいな」


 途端、その人はぱっと顔を上げる。赤坂凛、と呟いた。自分でも気づいていないような呟き。


「知ってるの?」


「うん。一番好き。なのにママに馬鹿にされたの。だから家出した」


 ふふ。空気が揺らぐ。笑ったのだとわかった。子どもっぽいなんて言われるのかと身構える。けれど違った。


「素敵な理由」


「ほんとに、そう思う?」


「うん。あなたにはずっとそのままでいてほしいな」


「どういう」


 こと、と続けようとしたとき、その人は大きくため息をつく。


「あーあ。曲、書けちゃいそう」


 どうやら、楽しいため息もあるらしい。



 *



 赤坂凛が好きだと言う家出少女。送って行こうかと尋ねると、おばあちゃんのお墓だけ見ていくと言うので、ついでに青の祖父母の墓にも挨拶をした。何年ぶりだろう。遅くなってごめんね、と心の中で呟く。感情は凪いでいた。


「じゃあ行こっか」


 夜の道を、ふたりで歩く。ずっと思考が渦巻いてうるさかった頭の中には、穏やかなメロディーが流れている。口笛に乗せると、ゆなが弾いてよ、とねだる。


「歩きながら?」


「うん。聴きたい」


 青の胸くらいの高さから見上げてくるゆなの瞳には、街灯が星のように映っている。きっと赤坂凛のライブを観ているとき、青も同じ目をしていた。頬の筋肉が緩むような笑みがこぼれる。青はギターを取り出した。ゆなの心の高揚がすぐ隣から感じられる。


「ゆな! ゆな……」


 女性の声が勢いよくぶつかってきたのは、駅前に差し掛かったころだった。その勢いのままゆなを抱きしめ、よかった、と何度も繰り返す。愛されているんだな、と思った。もちろん、愛を仮面にした支配があることは青が身をもって知っている。しかし、この人がゆなに向けるものはたぶん、純粋で美しくて、だからこそ重い本物の愛だ。


 彼女はゆなの肩を抱き青の手を握りしめながら、青の名を尋ねる。


「青と言います」


「青……」


 反応したのはゆなの方だった。


「赤坂凛は赤だね」


「はは、たしかにね」


 赤と青は反対の色だ。それなら青は、ミュージシャンにはなれないのかもしれない。それでも、と思う。ゆなが青に、もう一度歌う力をくれた。ふと何かを言わなければと思う。感謝でも祈りでもない。昔の自分にどこか似ているあなたに。ゆなを呼び止める。


「また、聴いてくれる?」

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家出少女 深澄 @misumi36

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