悪童


 シンヤは既に人器一体の感覚は掴んでいた。雨のイメージを元にすれば、トウカの魂とも波長を合わせられる。二人孤独雨傘は魂の結合を解くほかに、全身を覆った魂の外殻を削る効力もある。


 例え、ネノがどれだけ強かったとしても。雨さえ降らせれば勝算はあった。


「──来やがれ、雨斬ッ!」


「待って、シンヤ! いまは、それどころじゃないッ!」


 ネノを野放しにできないという危機感に駆られたシンヤ。それに反し、今も戦っている姉の為にも一早く助けを呼びに行きたいと思うトウカ。


 二人の魂の波長が合わないのは当然だった。


「すぐに助けを呼びにいかなきゃダメなの!」


「んなの、コイツを倒してからでも遅くねぇだろ!」


「お姉ちゃんが、死んじゃうかも知れないんだよ!」


 二人の中には蟠りがあった。どちらかが悪いなんて話じゃない。互いにあった僅かな心情のひずみが、最悪なタイミングで決定的なズレへと変わった。


 ネノはその様子を愉快そうに、ニヤニヤと眺めている。


「二人ともー、敵の前で仲間割れなんて酷すぎるのー。本当にやる気あるのー?」


 彼女の間延びしたような喋り方が、苛立つシンヤの神経を逆撫でする。


「ッ……とにかく、コイツをぶっ倒すぞ!」


 多少強引にでも、彼女に切り掛かろうと雨斬を振りかぶった時だ。


「やっちゃうの! ヒナミン!」


 シンヤはゾッとした。


 ネノの口から飛び出した、よく知る名前を少し弄ったようなアダ名に全神経が反応する。


「テメェ! まさか……ヒナミにまで!」


 直後、刺された傷口に激痛が走る。


 興奮して傷口が開いたわけじゃない。背後から誰かに、悪意を持って蹴りつけられたのだ。


「磁力ノ戒放(マグネット・リベレート)! 刻印(マーキング)!」


「ぐッ!」


 シンヤの背中にNの文字が刻まれた。


 この戒放、それに聞こえてきた不愉快な声も以前に対峙したゴウマという〈解放者〉のものだ。しかし振り返れば、そこにたたずむのはシンヤたちにとってもよく知る少女であった。


「助けて……助けてよ、シンヤ先輩ッッ!」


「よぉ、クソガキ! ちったぁ強くなったか?」


 聞こえてくる二つの声に、シンヤの理解は一瞬追いつかなくなる。


 彼女の姿形はたしかに柊ヒナミのものだ。だが、声がおかしい。顔の半分をゴウマの声で笑って、もう半分はヒナミの声で泣いている。愉快そうに笑う右に反して、左の表情は必死に涙を堪えていた。


「なんで……なんでヒナミがこんなところに……」


「べつにー。お友達になったから手伝って貰ってるだけなの。ねーヒナミン」


「違うッ……違うの!! 私、身体が勝手に、こんなことしたくないのに……うっ、いや……嫌ぁ!」


 そんなやり取りを交わす二人の関係が、友達に見えるわけがない。


 ヒナミは確かに少しだけ特別な魂を持った人間だ。それでも異形や〈八災王〉とは何ら関係のない一般人であることに変わりはなかった。そんな彼女を巻き込んだことが再びシンヤの逆鱗に触れる。


「なぁ、トウカ、良いよな? 助けを呼びに行くのはアイツ倒してからで」


 その声は、半ば脅しのようだった。


「……分かった。ただし、ヒナミちゃんを絶対に助けてよ」


「当然だ。待ってろ、ヒナミ。すぐ、助けてやるからよッ!」


 シンヤの中から怒りが滲み出してくる。


 それは他の誰にも見せられないほどに紅い。


「さっきお前は自分で、玩具の解放者(トイ・リベレーター)って名乗ったよな。この笑えない冗談が、お前の戒放ってことでいいだな?」


「ふふん。私の戒放はちょっと異質で、他人の身体を玩具みたいに操れるの。仕組みとしてはシンプルで、身体に私の操作できる魂を捩じ込むだけ


 それに私の能力のすごーい所はね、同じ解放者の魂を抽出して玩具のボディに捻じ込んじゃえば、核となる魂が持っていた戒放だって使えるところにあるのー」


 今、ヒナミの体に入っているのは、事前にゴウマから抽出された魂の一部なのだろう。


 戒放が悪趣味なのは、本人の人格がとことん反映された結果だ。


 ネノにとっては玩具の電池を入れる程度の感覚だが、ことは魂のやり取り。玩具だって過度な電流を流せば回路が焼き切れるように、大きすぎる魂を平凡な肉体にねじ込めば、その双方が崩壊するリスクだってある。


「……たしかに面倒な戒放だが、戦闘特化の戒放じゃなさそうだな」


 シンヤは静かに思考を回した。


 今、ヒナミに入っているゴウマの魂は、彼から漏れ出た一部だけ。ならば、魂の出力自体も低下していると考えるのが妥当であろう。


 使っているのがヒナミの身体なら、あのバカみたいなパワーもない。


「シンヤ……多分、アイツの考えはこう。戦闘能力を持たないアイツが私たちを確実に殺すために、ヒナミちゃんを盾にしてるんだと思う。その狙いは十中八九、〈八災王〉の縛りを解くためであって」


「縛り……なるほどな。なら余計、ここで引くわけにはいかねぇな」


 刺され、刻印を刻まれた背中はまだ傷んだ。それでも二人はここでヒナミを助けて、ネノを止めなければならない。


「「雨が降っている……」」


 波長を合わせた。ここでコイツを倒すと。


 刀を握るシンヤの手に、小手が形作られてゆく。人器一体、雨斬シンヤがここに立つ。


「シンヤ先輩……、トウカ先輩……」


「「いま、助けるッ!」」


 狙いはまっすぐ、ネノ本人に。ヒナミを盾にする隙すら与えず、その首に刃を突き立てればことは済む。


 人器一体によって爆発的に増えた魂を足に供給。その強化された脚力で地面を蹴れば、何も難しいことはなかった。


「「オラァッ!」」


「ふふん。私言ったよね。八災王様の前に跪けって」


 ネノが親指を地面に向けて振り下ろした。その瞬間、シンヤの体だけが凄まじい力で引っ張られた。


 凄まじい重力で押し潰されているような感覚だ。


 内臓が圧迫され、呼吸が詰まる。遂には立つことさえ叶わず、シンヤは地面に這いつくばることになってしまった。


「なっ……!!」


「私はこうも言ったのー。ヒナミンには、ゴウマの戒放が使えるって。そして、ゴウマの磁力ノ戒放は、触れた対象に磁石のS極かN極かを付与できるの」


 ゴウマはその戒放を、殴り合いにしか使おうとしなかった。だが、〈磁力ノ解放〉の真骨頂は触れたものなら、何でも極を付与できるという点にある。


「まさか……!」


 ヒナミの足は当然、地面に接地している。


「お前の背後に蹴り付けたのはN極、ヒナミンの足が今触れている地面に付与したのがS極なの」


 もう言いたいことはわかるよね? そう言いたげにネノがほくそ笑んだ。


 シンヤの身体は磁力によって地面に接着されたのだ。ゴウマは自身のポリシーに合わないからと、こんな戒放の使い方をしなかった。


 だが、ネノにはそんなこだわりも無い。〈八災王〉を蘇らせるような女だ。今更、何を躊躇う必要がある。


「それじゃあ、私の勝ちなの」


 這いつくばるシンヤから、彼女は雨斬を奪い取った。


 武器化を解除して抜け出そうとするトウカも魂の圧で押さえつけ。彼女を取り返そうともがくシンヤをあざ嗤う。


「まずは一人。縛りを解く……さぁ、ヒナミン! これ、へし折って」


 ネノは手にした雨斬を、わざわざヒナミへと手渡した。


 無論、そんな面倒なことをする必要なんてない。ネノがここでトウカを破壊すれば、それで済む話だ。


 それでも、ネノは敢えて「汚れ仕事」を押し付ける。


 トウカはヒナミにとって憧れの先輩だ。それを無理矢理殺させるというシチュエーションをネノは愉しんでいた。


 その高揚感が、彼女の中の欠落した何かを一時的に満たしてくれるのだ。


 ◇◇◇


 ネノは今日まで数百年近く生きてきた。


 いや、正確にいうのなら生かされてきたのだろう。操作系の〈戒放〉は極めて珍しいのだから。


 同胞たちに「死んでしまっては勿体ない」と思われたのだろう。そのせいで価値観を歪められ、愛情を教えられることもなく、禁術によって成長を止められた。


 だが、幾ら価値観を歪められていようとも、数百年も生きていれば自らの狂気くらい自覚できる。


 いくら子供のように振る舞っても、それは単なる誤魔化しに過ぎない。


「あはぁ! 面白いのー」


 自らの狂気から眼を逸らし、欠落した何かを埋めようとしても、彼女はこんな手段しか知らなかった。

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