第34話ありちゃんとたかし

(すげえ……ありちゃんってマジで人狼なんだなあ……)


その威容にあたけは改めて感動を覚えると同時に、ありちゃんが手加減をしてくれたことに感謝していた。


「うっす!うっす!」


たかしの意図を理解しているかいないかはともかく、

ありちゃんはとても嬉しそうだ。


その期待感からか彼女のふくらはぎの肉はジャージの布地を押し上げて、今やあたけの太股ほどに膨れ上がっている。


「さあ、ありちゃん、待ったなしだぞ」


たかしが両手を広げ軽く腰を落とし、にこりと笑うと

ありちゃんも低く構えを取ってみせる。


まるで今にもたかしの喉元を食い千切らんとする肉食の獣を思わせるその体勢は、あたけとのじゃれ合いとは全く違うものだった。


そして、ありちゃんが両手を床についたその瞬間、あたけは見た。


彼女の毛髪が逆立ったと同時に黄金色に目が輝き、口から吐き出された咆哮が雷のごとく光を放ち炸裂する様子を!


(ま、マジかよ!?なっ、なんだよあれ!!)


あたけは慌てて床に伏せて頭を両手で押さえながら、体を丸めて二人の激突の衝撃から身を守ろうとする。


たかしがそうであるように、ありちゃんも全力を出してはいない。


たかしが遊んでくれることが嬉しくて少し我を忘れたかもしれないが、

自分が全力を出してしまったらトレーニング施設が崩壊してしまうことになると思ったからだ。

それくらいの分別はありちゃんだって持っている。


多分。


それでも空気の壁を打ち破るような速度で繰り出されたありちゃんの突っ張りは、たかしの顔面にクリーンヒットすると空爆のような凄まじい爆音を轟かせ、猛烈な衝撃を巻き散らしながらたかしの背後の分厚いコンクリートの壁に同心円状の大きなひび割れを生み出した。


「どあぁあぁっ!?!」


あたけは叫び声を上げる。


激しい揺れでビル全体が軋み、大きな揺れで壁際に積まれていた段ボールの山は崩れ、ぱらぱらと薄紙のような石膏の欠片が天井から降り注いでくる。

街ではその頃、地下から響き渡った爆発音のせいで騒ぎになっていた。


あたけは全身を洗濯機の中に叩き込まれたような衝撃の中、段ボールの雪崩の下で耳を塞ぎ、歯を食いしばりながらただ揺れの収束を祈り続ける。


(な、何やってんだよありちゃん!つーかたかしのやつ、死んだんじゃねーか?)


ありちゃんの艦砲射撃のような突っ張りはたかしの顔面を完全に捉えていた。


彼女の踏み込みによりコンクリートの床面には深い爪痕が残され、段ボールの中に入っていた小動物の飼育キットの欠けた樹脂の破片が四方八方に散らばっている。


轟音は今もあたけの鼓膜を震わせ、冷たい床から伝わる鈍い揺れは彼女の突っ張りの異常なまでの威力……というよりも破壊力を物語っていた。


だが不思議なことに……あたけがいくら待てどもなかなか次の動きがない。


「うっ、うっす……!?」


ありちゃんの驚愕の声にあたけが顔を上げると、彼はその目を疑った。


たかしはまるで何事もなかったような涼し気な顔でありちゃんと組み合っていたのだ。


いや、組み合っているという表現は正確ではない。


たかしの腕はありちゃんの上半身を絞り上げ、その怪力を完全に抑え込んでしまっていたからだ。


「うう~っ……うぎぎっ……うぎううぅ……」


あたけにはわからなかった。


たかしはどうやってこの体勢に持ち込んだのか?

軽く抑えられてるようにしか見えないありちゃんがどうしてこんなに苦しそうにしているのか?


しかし、この取り組みは間違いなくたかしが一枚上手だった。


「う、うぎゅ!うぎゅ!」


ありちゃんの苦しみようはとても尋常ではない。


ありちゃんはたかしの両腕を振り払おうと全身に力を込めるが、伸びきった腕ではどうにもならず悶えることしかできないでいる。


ありちゃんの爪がコンクリートの亀裂から引き抜かれ、その巨体がじわじわと床から浮き上がり始める、両足をジタバタと激しく動かしてもがく様子はまるで水面を目指して必死に泳ぐ魚のようだ。


しかし、それでもたかしの腕が緩む気配はなく、ありちゃんは目を光らせ顔を真っ赤にしながら首を左右に振っている。


「ば、バケモンかよ……」


思わず呟くあたけ。


たかしは大柄で筋肉質だが、それでも彼の腕の太さはどう見たっても今のありちゃんの腕の半分くらいしかない。


たかしの腕は一体何でできているのだろうか?

こいつ自身が裂け目の怪物か何かじゃないのだろうか?


冷や汗を流しながらあたけは思う。


「どうした?俺にお仕置きをするんじゃなかったのか?」

「ふぎぃーっ!!うぎっうぎいいっ!」


珍しく怒りで顔を歪めるありちゃんの体をしっかりと抱えながら、たかしはにこにこと爽やかな笑みを浮かべている。


「ありちゃん、素晴らしい一撃だった」


「うぎゅ!うぎ!」

「だが攻撃の組み立て方も大事だぞ。重要なのは一撃を与えた後の動きなんだ」


たかしは思う。


(やっぱり凄いな、ありちゃんは)


この間の二人組のヴァンパイアハンターなんて比べ物にならないくらい強い。

これなら一人で出歩かせても大丈夫だろう。まあ、ありちゃんは吸血鬼ではなく人狼だけど……。


「さあ、もっと考えて攻撃するんだ」

「うぎゅう!ぐう!」


たかしが諭すような口調で語りかけながらありちゃんの腕に力を加えると、あたけが見ている前でありちゃんの腕がミシミシと悲鳴をあげ始めた。


ありちゃんの上腕の筋肉は今やあたけの腰回りほどに肥大化し、

その体を包んでいるジャージは今にもびりびりと引き裂かれそうだ。


それでもたかしの腕はありちゃんの体にぴたりと貼り付いたようにまるで微動だにしない。


ありちゃんは、自分が力を出せば出すほど、たかしにその力を吸い取られていくようにも感じられた。

関節がおかしくなるような音がありちゃんの頭の中で響き、額からはこれまでかいたことのないような量の脂汗が流れた。


だがそれでも彼女は諦めない!


「うがあぁあっっ!!ぅううっっす!!!!」


次の瞬間、ありちゃんは首を仰け反らせるとたかしの脳天に思い切りを額を打ち付けていた。

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