第26話メサ・レドンダにて

「いや~ほんと、お前の顔って反則だよな~」


「反則?」

「だってさお前、めっちゃ見られてんじゃん。みんなお前を見て『カッコいい~♡』とか言ってんだよ?ほら、あそこの女の子たちとかもうお前のこと見て泣き崩れちゃってるじゃん?」


「俺はなまはげじゃない」


たかしは相変わらず平然としている。


たかしも別に好きでそうなっているわけではないのだし、自分が注目されようとされまいと彼にとってはどうでもいいことなのだろう。

そもそもどこへ行こうと注目の的になるのがたかしの日常なのだ。


だが、あたけは考える。


(一緒にいる俺はどう思われているんだろう?)


たかしと一緒に歩いている自分も同じような目で見られているのだろうか。

まさか、そんなことはあり得ない。


たかしの付き人程度に思われているか、あるいは ”無” のような扱いだろう。


「お前といるとさ、自分がどう見られてるのか不安になるんだよなー」


あたけのそんな言葉に少し考えるようにしてからたかしは応える。


「俺がいない時は?」

「え、そりゃあ……んなこと考えないよ。俺なんて空気じゃん」

「俺がいる時は?」

「そりゃー……あれだ、俺ってもしかして空気なんじゃないかなーって」


「一緒だろ」


そんな他愛もないやりとりをしながら人混みの中を歩いていると、いつの間にか目的地の美容室があるテナントビルに到着してしまっていた。


「えっと……ここだ、このビルの2階」


あたけが顔を上げると絶滅したはずのリョコウバトが飛び去っていくのが見えた。


(気にしたら負けだ)


もう付き合ってられないので、あたけは無視を決め込む。


「お前の顔を見たらさ店のみんな、すげーびっくりするだろうな!」


あたけはしっしっと手を振りながら足元をうろついていたたぬきを追い払い、入口の近くの階段を昇っていく。


「たぬきがうろついてる方がびっくりするだろ」

「ま、まあな……でもお前はそんじょそこらのイケメンじゃないからな」

「そうか、じゃ入るか」


たかしを引き連れたあたけはドアを開け、店内に入るなり店長と挨拶を交わす。


「どうも、あたけです」

「いらっしゃいませ。あたけ様、お待ちしておりました」


店長はにこやかに微笑みながら、ぴしりとした完璧な所作でお辞儀をする。

三十代の肝っ玉の据わった快活そうな女性だ。店内の洒落た様子からも彼女のセンスの良さがうかがえた。


だが、再び顔を上げた店長は目を見開いたまま、言葉を失ってしまう。


「…………」


「え、えーと、店長?こいつは俺の同僚の……」

「志方多加志(しかたたかし)です」


「し、失礼致しました。お、お初にお目に掛かります。わたくし、当店の店長を務めさせて頂いております」


たかしの美貌に圧倒され、朦朧としながらもなんとか職務を全うする店長。


(ええ?あれ?なんかこの人、すごくない?すごいよね?)


流石というべきだろうが……しかし、もはや店長は目の前の青年の美貌に完全に心をかき乱されてしまっていた。


「で、では志方様、こちらの席に……きゃっ」


たかしの美貌に圧倒された精神の影響は肉体にまで波及、極度の緊張から手元が震え、カルテのボールペンを取り落としてしまう店長。


「ご、ごめんなさ……きゃっ!」


慌てて床に落ちたボールペンを拾い上げようとする彼女。

しかし、バランスを崩してしまい倒れ込んでしまう。


「ちょっ、店長!!何やってんのさっきから!?」


倒れ込む彼女を受け止めようと差し出されたのはあたけの手。


しかし、店長は受け止められる寸前であたけの手を飛び込み前転で回避すると、素早くたかしの胸元へと飛び込んでしまった。


(え……今、めっちゃ避けられたよね?)


たかしに抱きついたまま離れない店長に絶句するあたけ。

一方でたかしはもはや慣れ切ったことだとばかりににこりと笑みを浮かべる。


「大丈夫ですか?」


「す、すみません、私ったら……失礼なことばかり……」

「いや、俺の方こそ驚かせてしまってすみません。お怪我はありませんか?」


(店長が一方的に悪いんじゃねえの……?)


あたけはそう思うものの、店長にばかり非があるとは言えないかもしれない。

何故なら今、店長がここぞとばかりに胸を埋めている青年は確かにイケメンではあったが、それはただのイケメンではないからだ。


たかしは人知を超えた力を持つ半吸血鬼だ。


そのたかしの美貌には吸血鬼であるあたけやたかしの従姉妹ですらしばしば圧倒されるのだから、普通の人間からすればもはや破壊的と言ってもよいものなのかもしれない。


「いいえ、とんでもありません!私って……昔からちょっとおっちょこちょいなところがあって……」

「意外ですね」


「そんなことないです……大人っぽいとか完璧主義者とかよく言われるんですけど……本当は今みたいにドジで寂しがり屋だし……」


「でもそれ以上に、あなたは人一倍の努力家で、それでいて他人のことを気遣える優しい方のようですね」

「え?」


「このお店の様子を見れば分かりますよ。みなさん楽しそうに働かれてますし、お客さんも笑顔が絶えない。これもあなたの情熱と人柄によるものでしょう」

「あ……」


優しい笑みを浮かべたまま何も考えずに口を開くたかし。

そんなたかしの言葉に感極まったような声をあげる店長。

いたたまれない気分になるあたけ。


(大丈夫かこいつら!?)


店長の目は熱を帯びたように潤み、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていたが、そこはプロだ。

少し名残惜しそうにたかしから離れると、彼女は深々と頭を下げる。


「……ごめんなさい!こんなこといきなり言われても困りますよね……」

「とんでもない。楽しかったです」

「あ……」


耳までほんのりと赤く染め、店長は今にも泣き出しそうな表情でたかしを見上げている。口元を押さえ恥じらうその仕草はまるで、彼女が十数年前に涙と共に捨て去ったはずの乙女のそれであった。


しかし、そんな彼女を笑う者は誰もいない。


何故なら店内にいた他の客もスタッフたちも店長を尊敬していたし、そもそもすでにどいつもこいつも似たような有様だったからだ。

誰がこの場の支配者なのか、それは誰の目にも明らかだった。


「では……こちらへ……」


店長はたかしの肩に寄り添うようにその身を預け、彼を席へと案内する。


ただそこに存在するだけでその場の空気を支配してしまう。

それはまさに人知を超えた力と言ってよかったろう。

だが、これはたかしの美貌が持つその力の一端に過ぎない。


「……」


たかしの『美』は人々の目を釘付けにしたり、足を止めたり、その心をかき乱したり、時には意識さえ刈り取ってしまうほどの力がある。

しかし、たかしの『美』は決してそんな単純なものに留まらないのだ。


余談ではあるが、店長はたかしとの出会いで感じた『美』の再現に情熱を燃やし続け、その後の美容の世界に大きな革新をもたらしたのだという。


それに触れた者たちにひらめきを与え、

あるいは人生の道を示し、あるいは高みへと導いてしまう。


これは他の夜の住人たちには絶対に到達できない、たかしだけが持つ神話的な『美』の境地だった。


「えっと……あのー……俺の予約は……」


カウンターに取り残されたあたけは途方に暮れながら二人の背中を見送るのだった。

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