第6話たかしさん!お茶!

(ここが……伯父さんの家……)


瓦屋根に漆喰の壁、そして塀から覗く木々や池。

およそ吸血鬼というイメージからはかけ離れた壮麗な日本家屋であった。


「どうぞ、入ってくれたまえ」

「お邪魔します……」


檜造り門扉を開け、玄関までの石畳を歩いていく。

大きな藤の木が灯籠の明かりに照らされながら、夜風に揺れているのが見えた。


(すごいな……)


年代物の車がずらりと並んでいる車庫や、苔むした庭木など、どれもが歴史を感じさせる品々だ。吸血鬼のお屋敷というよりは、時代劇か妖怪の世界に飛び込んだかのような錯覚を覚える。


(すげえ……)


この家は伯父の持ち家なのか、それとも先祖代々受け継いだものだろうか。

それならかつて母はここに住んでいたのだろうか。


そんなことを考えつつ、玄関に足を踏み入れる。

年季が入った杉の香りと真新しい畳の香りが鼻をくすぐった。


(まじすげえ……)


間抜けな感想しか出てこない自分に少し呆れながらも、ひたすら驚くしかなかった。

玄関の土間だけでたかしが借りていた部屋が収まるぐらいの広さがあった。天井は見上げるほど高く、床板には上質な木材が使われ、艶々と輝いていた。


「こちらへ」

「……お邪魔します」


玄関先で靴を脱ぎ、足元で揃えていると、若い女の声が聞こえてきた。


「あ、パパ……おかえ、り……」

「ああ、ただいま、彼は……」


伯父さんが話しかけるもその声は途切れてしまった。


察する声の主は伯父さんの娘で、そして自分の顔を見て驚いてしまったのだろう。

少し迷ったものの挨拶しなければ失礼だと思い、たかしは声の方へ視線を向ける。


「えっ!」

「あ……」


そこには花柄のワンピースを着た、とても美しい女性が立っていた。

年の頃はおそらくたかしより同い年か少し年上といったところか。


どこか緑がかった黒髪はとても長く、肌の色は雪のように透き通っている。化粧っ気はないが、それが必要とは思えないほど人形のように整った顔立ちをしていた。


「えーと、まあ……お客様だ」


伯父さんが砕けた口調で話し続けるも女性は園芸用のハサミを持ったまま固まったように動かない。


たかしもまた心を奪われたように彼女を見つめてしまう。


今まで会ったどんな女性よりも美しいと感じたからだ。伯父さんは二人の視線が互いを行き交う様子を見て、仕方がないとばかりに苦笑いをする。


「お前の従兄弟のたかしくんだよ。お茶を煎れてやってくれないか?」

「ええっ、嘘お……やぁ……めっちゃかっこいいんだけど……」


「は、はは……!ほ、ほら!たかしくんが困ってるじゃないか!」


伯父さんは珍しく焦った様子で娘を嗜めると彼女は我に返り、たかしに向かって深々と頭を下げた。


「す、すみません……私ったらみっともない態度を……」

「い、いえ、こちらこそすみません!はじめまして!志方多加志(しかたたかし)です!」


たかしは何度も腰を曲げ、ぺこぺこと頭を上下させる。伯父さんはその様子を穏やかな表情で見守ったあと、たかしの背中をぽんぽんと軽く叩いてやる。


「ほらほら、こいつまでも玄関で話していてもしょうがないだろう!お茶でも飲んでゆっくりしようじゃないか!」


「はい……」

「お、お邪魔します」


たかしは恐縮し、伯父さんに案内されながら回廊をそろそろと進んでいく。


美しい庭園や立派な蔵が見えたが、いつの間にか隣にいた従姉妹の視線が気になって伯父さんの説明もあまり耳に入らなかった。


伯父さんはそんな娘の様子を気まずそうに見ると、一つ咳払いをして言った。


「ほら……お前はたかしくんにお茶を入れてやってくれ。話は後からでもできるから……」

「うん……わかった……じゃあ、たかしさん……ついてきて……」

「はっ!?……はい!」


「お、おい、どこに連れてこうってんだ!たかしくんはこの部屋でいいんだって!」


伯父さんは自分の娘の突拍子もない行動に慌てふためき、たかしを客間へと押し戻す。従姉妹は名残惜しそうにたかしの顔を見送ると駆け足で廊下の奥へと消えていった。


(どこに連れていかれるところだったんだろうか……)


よくわからないが、悪い印象を持たれていないのは間違いないようだ。


「まったく、落ち着きのない……見苦しいものをお見せして申し訳ないね……。あれは私の娘で、君の従姉妹になるはずだ」

「はは……」


たかしの目には、流石の伯父さんも娘には手を焼いていて、困惑している様子が見て取れた。伯父さんは軽くため息を吐くと座椅子をたかしに勧める。


「どうぞ、くつろいでくれ」

「は、はい……失礼します」


たかしは座椅子に腰かけるも、どこか落ち着かない様子できょろきょろと周囲に目をやる。


白い花と細長い葉っぱが活けられた薄緑色の花瓶や、ぎょろぎょろとした目つきの悪い坊主を描いた掛け軸などが並んでいるがたかしにはそれら価値は一切わからず、何だか不気味な雰囲気だなという感想しか抱けなかった。


(……ほんと、なんか旅館みたいだよな)


そう思いながらも、そんな程度の言葉しか出てこない自分が少し情けない。


「……ええっと……あの……」

「ん?」


たかしは伯父さんを前に、何か自分から話すべきことはないかと話題を探し始める。


聞きたいことはたくさんあった。

まず、伯父さんが自分に見せたがっているというものについてだ。


それに伯父さんの名前だって聞いていない。

それから従姉妹のこと、仕事のこと。この屋敷についても知っておきたい。そして……母さんのこともだ。


しかし、たかしの口から出たのはそんなありきたりな質問ではなく、全く関係のない言葉であった。


「あ、あの……俺、怪談が昔から苦手で……だからその……ゆ、幽霊が出たりとかは……」


たかしは自分の口から出てくる言葉を聞きながら愕然とする。

俺は何を言っているのだろう。


伯父さんは少し困った顔をしたが、すぐに優しい笑みを浮かべて答えてくれた。


「ははは……大丈夫さ。そんなに悪い連中じゃないよ」

「そ、そうなんですね、は、ははは……は?!」


微妙に引っかかる返答に思わず声が裏返り、詳しく聞こうとする前に勢いよく障子戸が開け放たれ、急須と湯呑みを持った従姉妹が飛び込んで来た。


「お茶!お茶!たかしさん!お茶!」

「う、うわあ!こっ!こら、落ち着きなさい!」


伯父さんは彼女の振る舞いに愕然としながらもどうにか嗜めようとする。


だがうまく行かないようだ。従姉妹はたかしの目の前に湯呑みを置くと、座布団をひっつかんで伯父さんの隣に腰を下ろす。


「あのー……たかしさん、どうぞっ!」

「は、はいっ、では失礼します!」


たかしは恐縮しながら湯呑みに手を伸ばし、お茶を少し口に含む。


「……おいしいです」


思わず言葉が漏れた。

それを聞いた伯父さんは笑顔を浮かべ、自分の目の前のお茶を音もなく飲んだ。


「そうか、よかった……ちなみに緑茶には吸血鬼の苦痛や飢えを抑える効果がある。人間の世界で大過なく暮らせるようにしたいなら普段から飲んでおいた方がいい」

「へえ、そ、そうなんですか……知らなかった……」


全く理解できなかったが、吸血鬼の世界にも色々と困難なことやルールなどがあるのだろう。

素直に返事をすると、たかしは再びお茶をすすり込んだ。


ちなみにたかしは ”大過” の意味がわからなかったが、それでもとりあえず避けた方がよいものだということだけは理解できた。

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