私の卵

望月遥

第1話


 栄養状態が良く見目麗しい処女の産んだ卵には、高い美容効果と老化を減少させる効能があると信じられている。

 裕福な者たちは男も女も卵を求め、更に上流階級では、これはと目をつけた少女たちを囲い贅沢な食事と美しい身なりをさせ、卵を産ませることが流行しているという。


 私はおばあさまと一緒に暮らしている。おばあさまといっても血の繋がりはなく、数年前に私をひきとってくれた赤の他人だ。

 私の家は貧しかった。一番上の私の下に弟妹がたくさんいる。両親はまだ十ほどの私をどこかへ働きに出そうとしていた。そんな時に私は初めて卵を産んだ。親は藁にもすがる思いで卵の買い手を探した。


 最初の一個は街の金持ちが買い取ってくれた。そこの奥様が気に入って、それから毎月買ってくれた。碌な食事もとっていないのに私の卵は味がよかったらしく、奥様は知り合いにもおすすめしてくれた。数人の常連さんがついて、中には代金とは別に食事を食べさせてくれる人も現れた。


 私は働きにいかずにすんだし、親も喜んでくれた。

 良質な食事で栄養が安定してくると、私の卵はさらに評判が上がり、欲しいといってくれる人が増えてきた。でも毎月一つしか産めないので、断らざるを得ないことも多い。貧乏人が調子にのっているなどと陰口が叩かれたりもした。


 おばあさまが声をかけてくれたのはそんな時だった。


 高齢になっても卵を食べ続けている人は珍しくない。健康にいいと言われているし、老化を遅らせる効果が信じられているのだからみな欲しいのだろう。上品な老婦人に、面倒を見るから家に住みこまないかと言われた時、彼女のために卵を産むのだと信じ私はついていくことを決めた


 大きなお屋敷で、綺麗に整えられた一室を与えられた。柔らかい寝床で熟睡し、毎日違う清潔な服を着て、三度三度栄養豊富な食事を食べさせてもらう。特に仕事があるわけでもない。暇と時間はたっぷりある。学がない私を不憫に思ったのか、老婦人は読み書きを教えてくれた。


 老婦人をおばあさまと呼ぶようになった頃、下腹部に馴染みのある違和感が始まった。そろそろだ。数時間の痛みをやりすごし、さていよいよ。もうすぐ産まれそうだと伝えると、おばあさまは私を屋敷の外に連れ出した。この状態で一体どこへ行くのだろう。卵は産まれたてが一番味も良く効能も高いのに。


 敷地内にもう一つ建物があった。私達がいるものより小さいけれど新しく、雰囲気も明るい。おばあさまに気づいたメイドが頭を下げて扉を開ける。後に続いて中へ入ると、そこにいたのは四・五歳くらいの小さな女の子だった。

 孫娘よ、たった一人の。と、おばあさまは言った。


 おばあさまに抱きついて喜ぶ少女が気になったが、そろそろ私も限界だ。冷や汗に気づいたおばあさまがメイドを呼んで、私はこざっぱりした一室に案内された。


 しばらくして、産んだばかりの卵を手に私が扉を開けると、メイドがそれを厨房に運んでいった。自分の体から産まれたものが、湯気の立ついい香りの料理に変身したところを実は私は初めて見る。行儀よく座る少女の前に皿はおかれ、目をきらきらさせた彼女は一口食べた。そして満面の笑みを浮かべ「美味しい!」と言ってくれた。


 卵。 

 卵は。

 血縁者のものは食べられない。例えば娘が産んだものを親が。姉妹が産んだものを弟妹が。血が近すぎて本能的に拒否感が出る。気持ち悪い匂いがして口に近づけることすらできない。だから人々はお金を出して卵を買う。他人の娘を囲って卵を産ませる。


 少女は両親を病で亡くし、思い出の残るこの家に籠もりきりなのだという。大事な大事な孫娘に、元気になってほしい。美しく健やかに育ってほしい。親の代わりにそう願い、おばあさまは最近街で人気のある私の卵を食べさせることを思いついた。それで私は引き取られたらしい。


 月に一度、卵を食べさせるために少女に会う。数ヶ月たつと彼女は私に慣れてきて、徐々に仲良くなっていった。私に会うためにこちらの建物へと足を運ぶようになり、おばあさまはその変化を大層喜んだ。彼女のために家庭教師が来る時は、せがまれて横で一緒に勉強もした。


 私に懐き、一生懸命話しかけてくれる可愛い少女を、私もいつしか本当の妹のように思いはじめていた。思えばおばあさまは、最初からこれを見越して私をつれてきたのかもしれない。少し年上の、同性の話相手がいれば、ふさぎ込む少女の心も少しは晴れるかもしれないと。


そうしてしばらくの月日を過ごしたある日、珍しく来客があった。私より少し年上の若い男性で、少女の従兄弟だという。二人は許嫁の間柄なのだとおばあさまが教えてくれた。仕事で長らくこの国を離れていたという彼は、両親を亡くした従姉妹を気遣いまた祖母を心配し帰国してすぐ顔をだしたらしい


 彼は私の存在に驚いて、しかしすぐに落ち着きを取り戻すとにこやかに微笑んで挨拶をしてくれた。上流階級の優雅な仕草で。

 少女は久しぶりに会えた従兄弟に喜び、はつらつとした笑顔で彼の周りから離れない。それを見て私もおばあさまも嬉しくなる。


 数少ない使用人の他には年寄りと女子供だけの家を気にしてか、親に面倒を見るように言われたのか、仮にも許嫁という立場だからなのか。彼はそれから仕事の合間をぬって様子を見に来てくれるようになった。頻度はまちまちで事前の連絡もないため、いつしか家のものは皆、突然の来訪を心待ちにするようになっていった。


 そう。気づけば。

 私も。


まだ若い彼は父親の仕事を手伝っていて、その一環で他国へ数年でていたらしい。時には手土産に、よその国の珍しい物をもってきてくれることもあった。聞かせてくれる異国の話は面白く、少女と私に簡単な外国語を教えてくれることも。卵を産むだけの存在でしかない私のことも、少女と同じように丁寧に扱ってくれた


 外の世界をあまり知らない私には、彼の話はとても興味深いものだった。年の近い男性とこんなに話をしたのも初めてだった。少女が彼と仲良くしているのを見るのは嬉しかったが、それよりもこちらを見てくれるともっと嬉しくなることには気づかないふりをしていた。

 私は変わらず卵を産み続けていた。


 産んだ卵をメイドに手渡すため、まだ温もりの残るそれを抱えた時、ふとある思いが頭をよぎった。

(これを、あの人に食べてもらいたい)

 私は慌てて頭を振り、その考えを追い払った。この卵は私を慕ってくれるあの子のもの。これまでも、これからも。いつか私は卵を産めなくなるだろう。歳をとれば卵の質が落ちて、お役御免になるかもしれない。それでも、せめてその時まではおばあさまのご恩に報いたい。


 最初の出会いから数年。小さかった女の子は成長し、あと何年か経てば卵を産める体になる。その時あの子は、産んだ卵を誰に食べさせるのだろう。それを考える度、私の胸はちくりと痛む。

 

 ある時、いつものように卵を食べた少女が呟いた。味が変わった、と。濃さと甘みが増し、とても美味しくなったと。

 私はずっと昔、お得意様だった奥様が言っていたことをふいに思い出す。


 貴女が恋をする日が楽しみだわ。

 恋をした乙女の卵はね、とてもとても、それはとっても、美味しくなるのよ。

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私の卵 望月遥 @moti-haruka

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