第11章 地球最後のちょっと前の日

1 qあwせdrftgyふじゴルフ


「うわ」

 悪名高い偉物えらぶつの登場に、牧さんも、牧さんらしからぬとっちらかった顔で、

「どうやって、この会議システムに侵入を……」


「ふっふっふ。そちらがSRIの秀才君か」

 タロット大統領は不敵に笑い、

「我が国のIT技術を、甘く見てもらっては困る。初動では遅れをとったが、今はSRIのサーバーにさえ侵入できるのだ!」


 カクティネス司令官が、あっちに聞こえないように、ぶつぶつとボヤいた。

 どうせロシアのハッカーでも引き抜いたんだろう、この成金野郎――。


 タロット大統領は、不健康そうな赤ら顔に、青筋を浮かべて絶叫した。

「カクティネス中将! そしてモリタ大尉! 君らは私をなんと心得ている! 合衆国大統領といえば他ならぬ米軍最高司令官、君らのボスではないか! 当初の指示どおり、すみやかにその猫だかなんだかを確保したまえ! 無論、MIBも一網打尽だ!」


「お言葉ですが、大統領閣下」

 カクティネス司令官は、努めて冷静に言った。

「事は高度に国際的な問題、いや宇宙的な問題を含んでおりまして」


「その顛末てんまつは聞いた! ならば、我が国が地球の窓口となって、そのセレブなエイリアンとやらに接すれば済むことではないか! とにかく即刻、その猫を捕獲するのだ! 国際問題がどうであろうと、今の日本に、在日米軍に対抗できる勢力は存在しない!」


 タマが俺の腹の上で、剥製のようにしゃっちょこばった。

 見れば、瞳が黒点になっている。もはや三毛猫の目ではない。

 ロシアンブルーの父猫とブリティッシュショートヘアの母猫から、「実は、おまえは私たちの子供じゃなかったんだよ」と告白されてしまった、マヌルネコのような瞳である。


 俺は〔大丈夫。血の繋がりはなくとも、おまえは俺の子だ〕と、しっかりタマを抱きしめてやったが、タマの瞳は依然として、野性のマヌルネコ状態であった。


 カクティネス司令官が煮え切らないでいると、タロット大統領は矢倍やばい首相に矛先ほこさきを転じ、

「ジンゾー、君も協力したまえ! そうすれば面倒な隣国問題なんぞ、すぐにでも片づけてやるぞ!」


 矢倍首相は数瞬とっちらかったのち、腹をくくったような視線を、内閣調査室長に向けた。

 その暗黙の指示を受けた利蔵りくら室長は、内心の窺えないクールな目で、俺を凝視した。

「荒川君……」


 俺は正直、背筋が震えた。

 この人は、ここまでほとんど無言であったが、それだけに俺は終始、底知れぬドグマのような鉄の意志を感じていたのである。


 利蔵室長は、おもむろに視線をタマに移し、

「……タマちゃんは、とてもサラサラしているのだろうね」


「は?」

 真意をつかめず、俺は曖昧あいまいに返した。

「……まあ、今は夏毛なんでサラサラしてますが……でも涼しくなると、もっと丸くてモフモフになります。和猫ですから、まあ、そこそこのモフモフですけど」


「そうか……モフモフにもなるのか」

 利蔵室長は、依然としてクールな顔を崩さず、

「しかも、とてもよく伸びそうに見える」


 俺はタマの両脇を抱えて、利蔵室長に、ぷらりんと差し出していた。

「……伸びますよ」


 横の暎子ちゃんは一瞬止めようとしたが、なぜかタマ自身も無抵抗でだらりと弛緩しかんしているのを見、何かを悟ったように手を引っこめた。

 そう、すでに俺もタマ自身も、そして暎子ちゃんも、利蔵室長のドグマの正体を察していたのである。


 ぶらり~~ん、と、際限なく垂れ伸びるタマ――。

 おずおずと手を差し伸べ、タマの両脇を抱える利蔵室長――。

「おお……伸びる伸びる……」


 いつしかタマの瞳は、くつろぎのまん丸お目々に戻っており、

「な~~~」


 タマが繰り出した必殺のタラシ声に、利蔵室長の顔面が、ぐにゃりとトロけた。

 利蔵室長は、ほろほろと涙ぐみながら、矢倍首相に向かって、

「国を守る身として進言いたします。これほどの和猫を、断じて国外に流出してはいけません」

「ななな何を言っているのだ君は!」


 うろたえた矢倍首相は、はっ、と何かを思い出したらしく、

「利蔵君、君はまさか……オフの日は、いつもなじみの店に通っていると聞いてはいたが……」

「はい。麻布の和猫カフェに入り浸っておりました」

「君だけは、公私を混同しないとばかり……」


「公私混同などいたしません」

 利蔵室長は、きっぱりと言った。

「和猫こそ国体のかなめです!」

 きりりと結んだ口元に、不動の信念が宿っていた。


 呆然とする矢倍首相に、タロット大統領が、なんじゃやら立てた。

 怒声であることは確かだが、MIB仕様の翻訳機でも、同時通訳できないほど逆上している。

 しかし、さすがは汎銀河対応翻訳機、ちょっと間を置いてから、2チャンあたりのネットスラングを使って対応してきた。


「qぁwせdrftgyふじこlp! ふじこふじこゴルフふじこ!!」

 矢倍首相も、哀願するようにまくしたてる。

「tgyふじこlpくぁwせゴルフdrftgyふじこ!」


 翻訳内容はちょっとこっちに置いといて、俺はタロット大統領の言動そのものに、多大な違和感を覚えていた。

 数台あるネット会議参加者用モニターのうち、今、右寄りあたりでタロット大統領が喚き散らしているわけだが、左寄りではロックチャイルド氏が、海辺のテーブルでワイングラスを傾けながら、面白そうに様子見しているのである。

 以前、俺が覗いたWikiによれば、確かロックチャイルド財閥は、タロット氏の会社を破綻から救ったことがあるはずだった。


 俺はカクティネス司令官に、小声で訊ねた。

「タロットさんって、もしかしてマジに馬鹿なんですか?」

 カクティネス司令官も、不可解そうな顔で、

「もしかしなくとも大馬鹿なんだが……あくまで政治家として大馬鹿なのであって、大企業のトップとしては、それなりに賢いはずなんだが……」

「ですよねえ」


「……そうか」

 牧さんがつぶやいた。

「まだ気づいてないんだ」


 牧さんは、いつもの白菜顔に戻って、

「――あの、お話中ですが、タロット大統領」

「qぁwせdrftgyふじこふじこふじこ!!」

「ですから大統領!」

「wせdrftgyふじこ!!」


 見かねたカクティネス司令官が、大統領に負けない胴間声で叫んだ。

「だからちょっと黙っとけ! このtgy老害lqぁ成金野郎!!」


 大統領は、てきめんに沈黙した。

「………………」

 口元を、しばしぴくぴくと痙攣けいれんさせたのち、

「……そんなに職を失って路頭に迷いたいのかね、カクティネス中将」


「それは合衆国大統領である、あなたにお任せします。しかし、私も自他共に認める愛国者、ここはどうか、牧君の言葉に耳を傾けていただきたい」

 断固たる口調に気圧けおされたのか、大統領は不承不承うなずいた。

「……よかろう」


 牧さんは淡々と、

「それでは、大統領。――あなたは、ホワイトハウスからSRIの防御壁を突破して、この会議に参入されている――そんな状況ですね」

「そのとおり」

「ならば、会議開始後に、別ルートで参加した第三者がいることは御存知でしょうか。独自の衛星暗号回線を介しているので、そちらには、まだ同期していないと思われるのですが」

 タロット大統領は、言葉に詰まった。


「それでは、その方を御紹介しましょう」

 キーボード、ぽちぽちぽちの、ぽち。


 ロックチャイルド氏が、グラス片手にノリノリで手を振った。

「やあミッキー、元気そうじゃないか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る