優しい魔女と拾われた小鬼

粘膜王女三世

第1話

 ここに一つの軍事国家がある。エスキナという国だ。

 国土面積の大きな国ではないし、人口もそう多くはない。資源もなければ、技術水準も決して高いものではない。それでもエスキナが周辺の国々から恐れられていたのは、そこに属する軍隊と戦士が、他国と比較して遥かに高い練度を誇っていたからだろう。

 エスキナでは、戦士として生まれた男児は、七歳から親元を離れ、訓練所の宿舎へと送られる。そこで行われる訓練は過酷の一言で、大半が途中で脱落し、教官や先輩の訓練生、時には同輩達によるリンチなどで死亡する。

 そこに一人の訓練生がいる。タロウという十三歳の少年だ。

 幼い子供であることを差し引いても、彼は決して屈強な部類ではない。むしろ貧弱と言って良いだろう。同じ宿舎で訓練を受けている二十七名の同期の中でも、身長は一番のチビで、体重も下から二番目だった。体力にも乏しく、一日のほとんどを占める運動訓練の時間では度々教官から叱責と暴行を受け、同輩達に迷惑をかけていた。

 その日もそうだった。二百回連続で行われる腕立て伏せを完遂できず、倒れこんだその小さなアタマに、教官から武骨な棍棒が降り注いだ。

「貴様それでもエスキナの戦士か! これしきのことができないのなら、死んでしまえ!」

 この『死んでしまえ』という言葉は叱責でも脅かしでもない。エスキナで行われる軍事訓練に落伍した者の運命は死だった。教官は課題を突破しない者に容赦のない暴行を加え続け、能力のない者はやがて身体を壊して死んでいく。自ら首を吊る者も珍しくない。宿舎を逃げ出す者もいるが、その先に待つのは野垂れ死にだった。

「全員で最初からやりなおーし! はい、いち、にぃ!」

 タロウは歯を食いしばって再度の腕立て伏せを始めるが、最後まで課題を完遂することはままならない。その度に連帯責任を負う同輩達も、一人また一人と体力が底を突いて倒れ伏していった。

 万事がそんな調子だった。棍棒の素振りでもマラソンでも、タロウは課題を完遂することができなかった。連帯責任を負わされる同輩達の憎しみの視線は、自分達にそれを強いる教官の方ではなく、タロウの方へと向けられていた。

「今日の貴様らは本当に情けない! 生まれて来た価値のないウジ虫どもめ!」

 訓練の最後、半死半生で立ち尽くす訓練生達の一人を指さして尋ねた。

「何故今日の貴様らが課題を完遂できなかったかを言え!」

「はっ! タロウの奴が脚を引っ張るからであります!」

「分かっているなら何故どうにかしようとしない! 何故、どうすれば自分達の状況が少しでも良くなるか、どうすれば自分達が課題を達成できるようになるか、自分達で決断して行動しようとしない!」

 教官が訓練生のアタマを棍棒で叩きのめす。叩きのめされた訓練生は、泡を吹いてその場に倒れこんだ。

 タロウは身の危険に気付いていた。他の訓練生にとって、自分は邪魔な存在である。屈強な肉体と精神性を得るという名目で、訓練生同士のいじめやリンチはこの宿舎において許容されている。これまでも足を引っ張る同輩の何人かが、同輩によって排除されていた。

 予感は的中した。同輩達のリーダー格のレオという少年によって宿舎裏へと引き摺られたタロウは、仲間達のリンチを受けた後、首に縄を掛けられて木に吊るされていた。

「……おまえが悪いんだからな。俺達の脚を引っ張りやがって」

 レオは屈強な少年である。十三歳にして大人顔負けの背丈があり、筋骨隆々とした戦士の肉体をしていた。その顔立ちは静観で、鋭い目付きで睨み付けられると同輩はもちろん先輩訓練生さえ震え上がる程だった。残忍な性格でも知られ、これまでも同じ手口で二人の同輩を排除していた。

「おまえみたいなひ弱な奴が、良く十三歳まで生き残ったもんだ。兵法の座学の成績が抜群だからって、教官達も情けを掛けたんだろうが、それも今日までだ」

 タロウは焦ってはいなかった。自らの首を締め上げるロープに手で撫でると、そこに一筋付いていた切れ目を見付けて指を食い込ませた。そして身体を大きく揺すってロープをしならせる。

 切れ目が大きく広がって、ロープはあっけなく真っ二つに切れた。

 どさりと地面に落ちたタロウに、レオは顔をしかめて近付いた。

「運の良い奴め。おい、誰か次のロープを持って来い!」

 タロウは何も言わない。ただ地面に倒れ伏したまま、ぴくりとも動かずに静止している。

「気絶しているのか? まあ、結構な高さから落ちたからな」

 油断を感じ取ったタロウは、懐に忍ばせていた短刀を取り出して、レオの右足の甲に深々と突き刺した。

「ぐあああっ!」

 レオが仰け反って尻餅をついた隙に、タロウはすかさずに立ち上がってその場を逃げ出した。リーダー格のレオが思わぬ反撃にあったことで鼻白んでいた同輩達は、彼を追いかけることが適わなかった。

「……やれやれ。なんとか助かったのだ。こんなこともあろうかと、あらかじめレオの部屋のロープに切れ目を入れておいて良かったのだ」

 タロウはレオの血で汚れた短刀を粗末な布で拭き取り、懐へしまい直した。

「この短刀はもう手放せないのだ。おいら、生きてこの宿舎を出られる自信がないのだ」

 溜息を吐いたタロウが向かうのは訓練宿舎にある図書室である。ここを利用する子供は多くない。訓練所で行われる座学は兵法だけであり、読書の習慣などあるはずもなく、なので本を読むのは同輩でもタロウ一人だけだった。

 図書室には老いた男性司書がいる。脚にまともに歩けない程の負傷して軍を引退し、今は余生を送る身だった。

「おうタロウ。良く来たな」

「おっちゃん。おいら、今日レオの奴に殺されかけたのだ」

「ここでは良くあることだ。だが、タロウを殺すのは簡単ではないと思うよ? 腕っ節のあることは確かに厄介だが、命のやり取りとなるとありとあらゆるものを駆使するのが通常だ。大切なのは、ここと、ここだ」

 司書は自分のアタマを指さして、続いて心臓を指さした。頭脳と胆力。司書はいつもその二つが命綱だと貧弱なタロウに言い聞かせていた。

 タロウは本棚から政治書を一冊取り出すと、司書が座るのと向かいの席に腰かけた。

「ねえおっちゃん。このエスキナはいつ滅びると思うのだ?」

「そんなことをもし教官が聞いていたらぶっ殺されるぞ?」

「でもおっちゃん。このまま平民に重税を課し続けたら、やがて反乱が起こると思うのだ。エスキナには戦士の十倍以上の人数の平民がいるのに、それをないがしろにするのはまずいのだ」

「平民が戦士の十倍の数いるなら、戦士一人一人が平民の十倍強くなれば良いことだ。その為に訓練を積んでいるんだろう?」

「でもその為に大人になっても訓練ばかりさせられていたら、どれだけ平民から搾取しても豊かであるとは言えないでしょー。平民も戦士もみな不幸なのだ。そもそも生身の人間の強さには限界があるんだから、きちんと計画を練られたら物を言うのは人数なのだ」

「その計画というのを練られない為にも、平民には愚かであって貰っているんだろう。エスキナの平民階級には学校教育もないし、識字率だって一割を下回っている。そんな連中が国家転覆を成功させるだけの計画を練られると思うか?」

「思わないのだ。でもそんなんだから技術水準で他国に取り残されてしまうのだ。おいら達がどれだけ身体を鍛えても、機関銃でハチの巣にされておしまいなのだ」

「鍛え抜かれた屈強なエスキナの戦士が、鉄砲ごときに遅れを取るものか」

「本当にそう思うのだ?」

「思わない。思う訳がない。だがこの国は今までそのやり方で続いて来た。それが通じなくなるのなら、その時はただ国が亡びるだけだ。タロウ、おまえの言う通りにな」

 頷いたタロウは本に目を落とし、読書に没頭し始めた。この時間だけは、タロウは日々の訓練のつらさも忘れ、学問と思索の世界で自由な魂を手に入れられるのだ。

 やがて本のページ数もわずかになった頃、司書がおもむろに口を開いた。

「……山を二つ、平野を二つ越えた先にある、耳の長い連中の国のことは知っているか?」

 タロウは瞼をピクリと震わせ、司書の言葉に答えた。

「グロウズマウル国のことなのだ?」

「どこで知った?」

「何冊かの本で読んだのだ。おっちゃんが選んで入庫した本でしょー?」

「まあな。なら、魔法のことも知っているか?」

 タロウは頷いた。手を触れずに物を動かす力、道具を使わずに火を起こす力、タロウの読んだ本にはその一つ一つが説明されていた。

 とはいえ実際に魔法を使う原理についてまで描かれていた訳ではない。その技術はナガミミと呼ばれる色の白い、体の細い、尖った長い耳を持つ種族によって秘匿されていた。

「そのグロウズマウルがこのエスキナに進攻して来るという噂があるんだ」

「根拠はあるのだ?」

「敵状視察に来たナガミミの何人かが捕縛され、拷問されてそう白状した」

「何の為に攻めて来るのだ?」

「そこまでは俺は知らないな。何でだと思う?」

「技術的に未成熟なエスキナにはまだ掘り起こされていない資源が多く眠っているから? 地政学に言えば、ゾーオやエタジュールにここを取られると脅威になるから、先に抑えておくっていう話もあるのだ」

「そのいずれかだろうな。エスキナは四六時中どこかの国と小競り合いをしているから、その程度の噂はいつものことだが」

「でもナガミミは魔法を使うんでしょー? そんなところと戦争して大丈夫なのだ?」

「実際に魔法を目にした訳でもないのに、過度に恐れても仕方がない。第一、魔法が本当に万能なら、グロウズマウルは今頃もっと栄えているよ」

 その通りだった。グロウズマウルはエスキナと比較しても尚小さい。山に囲われた辺境の合間を縫うようにして作られた国だ。ここ数十年で行われたいくつかの大戦にも参加せず、かと言って他国の方から攻め入られる程の資源や魅力がある訳でもない。

 住人の耳が長いことと魔法とやらが使えることが、そこはかとない神秘性を放っているだけ。そんな取るに足らない国が、同じくらい取るに足らないとはいえ戦士だけは屈強なエスキナに適うかと言われると、それは自分の生まれた国を蔑んでいるタロウにも頷けなかった。




 十四歳を迎えた訓練生にはある試練が課せられる。

 短刀一つと一式の衣類のみを持たされた訓練生達は、山を一つ越えた先の平野を追放される。そして丸一年賀経過するまではエスキナに帰ることは許されず、不毛の冬と灼熱の夏を乗り超えて、生き延びることを要求されるのだ。

 当然、路銀など与えられるはずもない。食料や金銭は自ら手に入れるよりどうしようもない。しかし隣国中に嫌われる荒くれ国家であるエスキナの子供は、『小鬼』と呼ばれて迫害の対象となる。施しを与える者など一人もいないし、職業に就くなど絶望的だ。

 よって生きる為には略奪を行うしかない。エスキナから解き放たれた小鬼達は、旅人や小集落を襲っては、食料や路銀を確保するのだ。

 出発の日、同輩の訓練生達は焼きごてを持った教官の前に列をなし、その左手の甲にエスキナ人の証である焼き印を順番に刻まれていた。

「良いかクズ共! この焼き印を施されたからには、他国の連中が貴様らに情けを掛けることはないと思え! 生き延びたければ、金と食べ物は人から奪え! そして一年経つまで帰ってくるな! 無事に生きて帰れば貴様らはエスキナ国の掟に従い成人を迎え、一人前の戦士として認められるのだ!」

 この最後の試練が開始される日まで、タロウはどうにか生き延びていた。

 足をケガさせられたレオは回復した後それまで以上に執念深く命を狙ったが、タロウはその一つ一つを躱して見せた。レオの側近の一人に袖の下を渡して密かに味方に付け、襲撃の予定を聞き出しては姿を眩ませた。思わぬ襲撃があった際は逃げ出すか、どうしても交戦せざるを得ない時は、上手く油断させて短刀で奇襲した。

 やがて全員に焼き印が刻まれ終えた。タロウはその忌々しい火傷の痛みと、これでもう自分は生涯エスキナ人であることから逃れられないことに苛立ちを募らせた。

 行進が開始される。二日二晩かけて山を一つ越え、平野の中央に差し掛かった時に、教官はタロウ達に宣告した。

「ではこれより最終試験を開始する! 自分達の力でまる一年、生き延びて見せろ!」

 雪の降る寒い冬の夜だった。平野には雪が分厚く積り、ここまで行進して来るだけでも、タロウの乏しい体力は限界を迎えていた。おまけに空腹で喉の渇きも酷かった。ここに来るまでの二日二晩の行進中、与えられた水や少量はほんの僅かだった。だがこれからはそのほんの僅かな糧も与えられず、何を得るにも自分達で何とかしなければならないのだ。

 エスキナの小鬼達は一先ずの飢えを凌ぐ為に徒党を組み始めた。三々五々のグループに分かれ平野を探索し、小集落などを発見すれば知らせ合い、皆で襲うのだ。

 だがそんな徒党の中にタロウは含まれていなかった。同輩達のリーダー格であるレオがタロウのことを嫌っていたからだ。

 長い目で見れば内部崩壊が目に見えているそんなグループであっても、この序盤の最難関を潜り抜けるには必要なことだ。そこから漏れたことはタロウの生存率を著しく低下させていた。

 それでもタロウは自らの生を諦めることなく、月明かりを頼りに雪道を必死で歩いていた。たとえ冬であっても、野ウサギなどは捕らえられるかもしれない。血をすすり、肉を食らえば生き延びられる。タロウは星を見て方角を確認しながら、動物のいる山の方へと歩いていた。

 一人の旅人が向かいから歩いて来た。

 フードを深くかぶっていたが、その華奢な体格は女性のものに見えた。エスキナではまず見ないような滑らかな素材の、灰色のローブを身に着けている。背は自分より高そうだったが、それはタロウと比べれば女性を含めたほとんどの大人に言えることだった。

 すれ違う時、タロウは脚を止めて旅人を呼び止めた。

「あの。お姉さん」

「はい?」

 旅人はフードから僅かに顔を出して、タロウに向けて小首を傾げた。

 その顔を見て、タロウは思わず息を飲んだ。

 雪の中に埋もれれば見えなくなってしまいそうな程白い肌をしていた。瓜実のようなほっそりとした小さな顔で、良く通った細い鼻筋をしている。顔いっぱいに開かれたような目は瞳の割合が大きく、血のような赤い色をしていた。何より特徴的なのは、大人の中指程もある長く尖った耳が、漆のような長い黒髪から覗いていることだった。

 『ナガミミ』だ。

 耳が特異なだけでなく、目と肌もタロウ達とは違っていた。エスキナの人は皆黒い目と薄橙色の肌をしている。ともすれば妖精か魔女の類にも見えたが、いずれにしろ息を飲むほど美しかった。

「……どうかしましたか?」

 ナガミミの女性はタロウに警戒心を抱いていない様子だった。魅了されたように絶句していたタロウは、やがて澄んだ赤い瞳に覗き込まれているのに気付いて、我に返った。

「……ここいらにエスキナの小鬼が放たれたばかりなのだ。注意して進まないと襲われるから、気を付けるのだ」

「まあ」

 女性は一度目を丸くして、次に笑顔を浮かべて頬に手を当てた。

「そういうあなたもエスキナ人ですよね? 手の甲に刻印があります」

「それがどうかしたのだ?」

「あなたはわたしを襲わないのですか?」

「襲わないのだ。でも、もしお金か食べ物に余裕があるなら、分けて貰えると嬉しいとは思うのだ」

「嫌だと言ったら?」

「どうもしないのだ」

 女性はしばし薄い桃色の唇を尖らせて考え込んだかと思ったら、懐から乾パンと干し肉を取り出して、タロウに渡した。

「これをどうぞ。親切な方」

「……本当に良いのだ?」

「警告をくださったお礼です。受け取ってください」

「ありがとうなのだ」

 タロウは深々とアタマを下げる。女性は小さく会釈を返すと、信じられない程に可憐な笑みを一つ残して、タロウの元から消えた。

 女性は美しいだけでなく心優しかった。ナガミミは誰もがそうなのか、あの女性が特別素晴らしいのか。それは分からなかったが、いずれにせよエスキナにあんな人がいないのは間違いなかった。

 空腹に倒れそうだったタロウは乾パンを半分だけ食べるつもりで、その場に座り込んだ。その時だった。

「きゃあああっ!」

 先ほどの女性の悲鳴が聞こえた。

 思わず振り返り、悲鳴のした方へと走り出す。するとそこでは、タロウの同輩の何人かが先ほどの女性を取り囲み、今にも襲い掛かかろうとしていた。

 取り囲んでいる同輩の中にはレオの姿もあった。女性はフードを深く被って自分の身を抱き、卑小な笑みを浮かべる小鬼達に怯えていた。

「やめるのだっ!」

 タロウは思わず前に出ていた。怪訝そうな顔で、同輩達がタロウの方を見る。

 レオが言った。

「なんで邪魔をするんだよ?」

「そんなことしてる場合じゃないのだ」

「何がだよ!」

「この女一人襲ったところで、この場にいる全員分の食糧なんて手に入るはずがないのだ。それよりも、もっと良いものをおいらは見付けたのだ」

 怪訝な顔をするレオに、タロウは尚も語り掛ける。

「西の方に五人組くらいの旅人がいたのだ! 誰かに取られる前に、ここにいるメンバーでそいつらを襲うのだ。人数が多い分、金も食べ物もたくさん持っているはずだから、そっちの方が良いに決まっているのだ」

 タロウの吐いた嘘に、同輩達の瞳に期待の光が宿るのが見えた。

「……本当か?」

 レオは声を低くしている。タロウは緊張を顔に出さないよう注意しながら頷いた。

「……そうか。分かった。じゃあ、今すぐに女の身ぐるみを剥ぐから、その後で案内しろ」

「そんなことしてる時間はないのだっ。そいつらだって待っていてはくれないのだっ。早く行かないと間に合うかどうかは分からないのだ」

「そのくらいは大丈夫だろ? それに、今すぐ行ったところで略奪に成功する保証はないなら、なおさらこの女の身ぐるみは剥いでおくべきだ」

「でもその女の身ぐるみはおいらがもう剥いじゃったのだ」

 タロウは懐から乾パンと干し肉を取り出して見せた。

「これがその女から奪ったものなのだ。だからもうその女から何か奪おうとしても無駄なのだ。さっさと五人組の方へ行くのだ」

「……待て。どうも怪しい」

 レオは眉間に皺を寄せてタロウを睨んだ。

「おまえのことは信用できない。宿舎にいた頃もそうやって何度も一杯食わされて来た。上手いこと言って俺達をその女から遠ざけておいて、隙を見て独り占めするつもりじゃないだろうな?」

「その女はとっくに身ぐるみを剥いだ後だと言っているのだ。信じてくれないならもう良いのだ。一人でもその五人組を襲うだけなのだ。一対五は不利だけと、おいらだって屈強なエスキナの戦士なのだ」

 そう言ってレオから背を向けるタロウ。するとレオは焦った様子でその背を追いかけて来た。

「待て待てっ。案内しなくて良いとは言ってないだろ」

「だったら早く来るのだ」

「分かった。だがその前にこの女の両足を刺しておく。おまえが身ぐるみを剥いだ後とは言え、着ているものや、この女自身が売れるかもしれないだろう? 待っていろ」

 レオは懐から短刀を取り出して女性に近付いた。逃げ出そうとする女性に、同輩の一人が襲い掛かり、羽交い絞めにする。

 タロウは自らの短刀を取り出して、レオの無防備な背後に飛び掛かった。そして太腿を素早く切り付けた。

「ぐああっ!」

 悲鳴を上げるレオ。反撃しようと身を捩るが、太腿を切り裂かれた痛みに立ち上がることもできない様子だった。

「その女から離れるのだ!」

 タロウは同輩達に向けて吠え、女性を羽交い絞めにしていた少年に切りかかる。少年は女性を捨ててタロウに襲い掛かるが、タロウの短刀の方が速かった。低い身長を活かして、こちらも太腿に深々と短刀を差し入れる。

「こいつ! 案外強ぇぞ!」

 見ていた同輩の一人が怯えた様子で叫んだ。

 貧弱なタロウだが、身のこなしと短刀の扱いならほかの同輩にも負けていなかった。短刀を突き入れるのに最低限の力と技術があれば、他より多少腕力が劣っても関係がないという、司書のおっちゃんの助言を受けて練習した成果だった。

 同輩達が自分を取り囲んだのを見て、タロウは女性に向けて叫んでいた。

「逃げるのだっ!」

 女性は一目散にその場から逃げ出した。それで良い。

 残されたタロウはその場にいる同輩達に全身のあちこちを刺し貫かれ、血まみれになって雪の上に倒れこんだ。その場にいる全員を倒す程の技能はタロウにはなかった。レオともう一人の同輩を短刀で刺せたのも、運が良かったからとしか言いようがないだろう。

 息ができない程の激痛がタロウの横たわる全身に響き続けている。立ち上がることは愚か、うめき声をあげることさえままならない。同輩達はタロウから乾パンと干し肉を奪った後、殴る蹴るの暴行を加え続けた。

「殺してやる! もっと早く殺すべきだったんだ! こんな訳の分かんねぇ奴!」

 流血する太腿をかばいながら立ち上がったレオが、短刀を深々とタロウの胸に突き刺した。

「女は逃がした! 手傷は負った! 他に入れたのはしょぼいパンと干し肉だけ! こいつの所為で散々だ! クソ! 地獄に落ちろ!」

 レオはタロウに向けて唾を吐き捨てた後、よろよろとした足取りで同輩達を連れてその場から去った。

 白い雪の中にタロウの鮮血が滲んでいた。霧散しかけている意識の中で、タロウは最後の思索に耽っていた。

 自分はもうすぐに死ぬのだろう。そのことには混沌とした恐怖と絶望を感じる。しかし原始的な死の恐怖を除けば、タロウは自分の過去と未来に大きな悔いを感じていなかった。

 嘆くことがあるとすればエスキナの戦士として生まれたことだ。貧弱に生まれたが為に誰からも愛されず、常に邪魔者扱いをされ続け、ただ犬死には嫌だというその一点の為に生き続けて来た。自分がエスキナ人であることから逃れられない以上、そんな苦しみに満ちた生はこの先も続くに違いなかった。

 それと比べれば、これは良い死に方だ。

 信じられない程美しいあの女性から、生まれて初めてと言って良いくらいに親切な施しを受けて嬉しかった。その恩に報いる為にレオ達と戦い、死にはするが女性を逃がすことに成功した。

 これは犬死じゃない。

 心の中で繰り返した。これは犬死じゃない。

 タロウの生命がその場で霧散しようとしていた時、温かい掌が頬に触れた。

「……良かった。急所は外れていますね」

 鈴を鳴らすような声。

「でも死にかけています。助けてあげなくてはいけません。その義理はあるでしょう。ですが、あなたはたぶん、ただ助けてあげたとしても、きっとエスキナには帰れない。野盗のように人を襲う奪う暮らしにあなたは耐えられない。悲しいことです」

 女性が懐から取り出した杖が、タロウの血塗れの背中に触れる。

「あなたのような親切な方を巻き込むのは忍びないですが……他に方法はないようです。なので、決めました」

 月明かりに彩られた白銀の雪の世界で、女性の杖がそれ以上に白く輝く。

「あなたにします」

 魔法にかけられたタロウの身体から傷が消え、命が戻る。

 女性はその痩せた背中に小さなタロウを負うと、降り注ぐ雪の合間に消えていった。

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