・2-4 第11話 「二人の理想郷:2」

 人の力では容易には超えることのできない峻険な山脈。

 その尾根の先に広がっていたのは、ほとんど手つかずの豊かな自然だった。

 しかしそこは、人跡未踏の地ではない。

 キアラとフェリクスが見つけた湖畔の灰色の塊はやはり人工物であり、廃墟となっていたものの、ここにもかつて人々の暮らしがあったのだということを物言わずに教えてくれている。

 それは、小さなお城だった。

 少し青みがかった灰色の石材を切り出して積み上げ、城壁とし、防御塔を作り、湖に面した一画を中心として守るための構造を持った、二つの郭から成る城。

 ただし、本気で戦うためのものではなかった。そこにある防御施設は一応の備えでしかなく、城壁も防御塔も高さがあまりなく、厚みも、投石機などの本格的な攻城兵器に対して耐えられるほどはなさそうだった。

 もっとも、こんな場所まで誰かが攻め寄せて来るとは思えない。この城を作った人々はそれが分かっているからこそ、城としての体裁だけ整えたのだろう。

 城壁で守られた湖畔のくるわには、この城の主が住んでいたのだろう大きな屋敷とそれに付随する建物がある。その外のくるわには、使用人たちや警備の兵士が住んでいたのだろう家屋がいくつか建ち並ぶ。

 特徴的なのは、城主の屋敷があるくるわから湖に向かって大きく突き出している区画があることだった。船舶を停泊させるために使っていたらしい細長い埠頭と、その先端に四角形のとんがり屋根を持つ尖塔が建っている。

 この城は、相当、古いものであるらしかった。

 何者かによって意図的に破壊された形跡は見られなかったが、城壁も防御塔もところどころ風化して崩れてしまっており、家臣たちの家屋は屋根が朽ちて落ちてしまっている。城主の屋敷は作りが良かったのか外観はまともに残っていたが、中の様子は分からない。かつては美しく整えられていたはずの庭園も草木に覆われ、荒れ放題だ。

 だがその荒廃ぶりも、今の二人にはささいなことだった。

 それほどにこの場所の景色は魅力的であったし、そもそも、城全体を掃除したり修繕したりする必要もない。キアラとフェリクスがつつがなく暮らして行くのに不足のない範囲を整備すればいいだけなのだ。そして主要な生活の場となるはずの城主の屋敷の状態は、外観からはほとんど痛みがないと思える程きれいで、中の状態にも期待が持てた。

 古城の直上まで高度を落とし、ホバリングしながらその廃墟が完全に無人であることを念入りに確かめると、ドラゴンは中庭に着地し、その首を屋敷の玄関の辺りに下ろす。

 彼の後頭部から降りた薬草師は、まず、玄関の扉が開くかどうかを確かめる。


「開かない……」


 押しても引いても、ビクともしない。


≪少しだけ待ってくれ≫


 フェリクスがそう言うので手を離すと、突然玄関の扉からカチャリ、という音が響いた。

 もしやと思いつつ再び扉に手をのばすと、今度はあっさりと開いてしまう。


「すごい。魔法って便利ね! 」


 何度目かの感心をしたキアラが振り返ると、ドラゴンは少し得意げな様子で鼻を二度、鳴らした。

 ———建物の中は、どんな状態だろうか。

 期待と不安を抱きながら屋敷の中をのぞくと、まず初めに、埃っぽい空気が鼻を突いた。

 数十年、もしかすると百年以上も放置されてきて、その間誰も立ち寄ることのなかった場所なのだろう。

 玄関から差し込む日の光に照らされ、床にそれと分かるほど埃が堆積しているのが見て取れる。

 建物の中は当然だが明かりがなく、ほとんど真っ暗で見渡すことができない。閉じられた雨戸からかすかに明かりが入って来るが、焼け石に水だ。


「フェリクス、ごめんなさい。魔法で、明かりをもらえないかしら? 」

容易たやすい≫


 薬草師の背後から屋内をのぞき込んでいたドラゴンは少し笑うと、すぐに小さな光球を作り出し、それを建物の中に飛ばしてくれる。

 闇が払われると、そこにあらわれたのは玄関ホールだった。奥行きのある吹き抜け構造で、左右に階段があり、屋敷の様々な場所につながっているのかドアがいくつもある。

 建物の状態は思っていた以上に良好だった。埃こそ積もっているが、柱にも梁にも損傷は見受けられず、屋根にも隙間は見えない。実際に雨が降ってみなければ確実なことは言えなかったが、雨漏りはしなさそうだ。

 周囲を見回していると、玄関から入ってすぐの壁際に鍵束がかけられているのを見つけた。それを手に取ったキアラは、さらに奥を確かめるために進んでいく。フェリクスの魔法の光は彼女の行動に合わせてふよふよと漂いながらつき従い、絶えず辺りを照らし出してくれた。

 損傷が見られないのは、玄関ホールだけではなかった。ガチャガチャと鍵束を鳴らしどれが合うものなのかを試しながらいくつかのドアを開き、その向こうを確認すると、やはり埃が積もってはいたものの、痛んだ様子のない屋内があった。

 しかも、日常的な家具や食器なども残されていた。高価なものはこの城が放棄された際に持ち去られてしまったのだろうが、ありふれたものはそのまま残されている。保存状態も良く、清掃すればすぐに使えそうなものがいくつもあった。


「フェリクス! お屋敷は、すごく良く残っているわ! 家具も食器も、必要なものはみんな揃っているの! お掃除さえ済ませれば、すぐに住み始めることができそうなくらい! 」


 建物の中から駆け戻ったキアラが声を弾ませてそう知らせた時、フェリクスは首をのばして、屋敷の隣に併設された馬小屋を確かめている最中だった。


≪この馬小屋は、使えそうだ。少し壁を取り払えば、我が眠るのにちょうどいい≫


 そう知らせる声は、薬草師と同じく喜びに満ちている。

 ———二人はついに、理想郷と呼べる場所を見つけることができたのかもしれないのだ。

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