善行ATM

兎ワンコ

本編・善行ATM

「あなたのお節介焼きにはホトホトうんざりする」


 K氏はそう告げられて恋人にフラれた。悲しみに打ちひしがれ、友人のT氏を居酒屋に呼び立て、アルコールを浴びるように呑んで元恋人の愚痴を吐き散らした。

 次第に顔を熟れたトマトよりも真っ赤にし、「もうあんな女知るもんか」とスマートフォンを開き、画面いっぱいに映される写真フォルダを埋め尽くしていた恋人の写真を消していった。サムネイルに映される可愛らしい笑顔を次々とゴミ箱へとツッコむ始末。

 それが終わればくだを巻いてテーブルに顔を突っ伏すK氏を見て、T氏は愛想笑いを浮かべた。


「お前は昔っからそうだ。困ってる人間がいたらすぐに助けちまう。テストの日だってのに道に迷ったお婆さんを案内して遅刻する。電車で財布を無くした女の子のために三駅先の知らない町までいく。そして、その女の子とのデートの日に腰を痛めたお爺さんをおぶって病院に行く。挙句の果てに、ここに来るまでに道端で酔いつぶれたサラリーマンを介抱している始末。そりゃあ、愛想尽かされちまうよ」

「うるせぇいやい。お人好しのなにが悪いんだい。どうせ、俺はお節介焼きだよ」

「次はいい奴に巡り合うから、そんな自棄になるなよ」


 あ、とT氏は何か思い出した素振りをすると、


「そういえば、最近出たアプリがお前にぴったりかも」

「なんだい、それ?」

 T氏はえーと、と思い出すそぶりをした。

「善行ATMっていうんだが……」

 K氏は耳を疑った。

「善行……なんだって?」

「善行ATMだ」


 ハッキリと告げられても、K氏は懐疑的であった。


「俺も聞いた話でしかないが、なんでも人にした親切を数値化し、行った親切に応じてポイントが付与される。そして、溜まったポイントを現金化できる。よくあるマイレージサービスみたいな奴だよ」

「はぁ、なんだいその馬鹿げたアプリは」

「1ポイントにつき、紙幣価値で1円相当らしいぞ」


 T氏があまりに強く勧めてくるものだから、K氏は酔いの勢いに任せてアプリを検索し、ダウンロードする。スマートフォンには『ようこそK様。善行ATMで優しい世界を作りましょう!』という馬鹿げた文字。

 K氏はすぐにアプリのことなど忘れ、失恋のショックをジョッキの中に投げ捨てた。


 ◇


 酔いが引き始め、最寄りの駅へとおぼつかない足取りで向かうK氏。ふと、K氏の視界に将棋倒しになった自転車の列があるではないか。

 K氏はやれやれと思いながらも、自発的に倒れていた自転車を起こしていった。


「なんで俺はこうもお節介焼きなんだろうな」と、綺麗に戻し終わった自転車を眺めながら自嘲するK氏。


 するとピロリンピロリンと、通知音が鳴ったのでスマートフォンを見る。善行アプリからの通知がきている。

『K様の善行を確認しました。3ポイントを贈呈します』

 次に『トロフィー:初めての親切』という通知が届く。まるで馬鹿にされた気分であったが、ポイントが換金できることを思い出す。

 自転車を起こしただけで3ポイント。三円の善行。

 なるほどなぁ、と思いながらK氏は家路へと足を進めた。


 ◇


 それからというもの、K氏は相変わらず親切な男であったので、ポイントは徐々に溜まった。

 道に迷った老婆を助けて10ポイント。トイレの手洗い場でハンケチを忘れた紳士に貸すこと、1ポイント。迷い犬を飼い主とともに探して見つけること、25ポイント。一か月もすればポイントは五桁を越えた。

「こりゃあいい」

 K氏は可視化されたポイントに気をよくした。ポイントは現金化され、銀行で引き下ろせる。自分の世話焼きな性格が可視化できるとなれば、悪い気はしない。K氏は傷心気味であった心に安らぎを得た気がした。


 ◆


 やがて、善行ATMがメディアやSNSで流行だすとあちこちで親切をする人を見かけるようになった。

 これは困った、とK氏。


「これじゃあ、親切できる相手がいなくなってしまうじゃないか」


 スマートフォンからネットを開くと、ネットニュースでは『親切さを‟売り”にする善行ATM、全国で大流行』という見出しがデカデカと表示される。タップすると、動画が流れ出し、日本各地で善行に励む人々が映し出される。

 海岸に打ち上げられたゴミを拾う人や、自主的にこどもたちの登下校を付き添う大人。やたら独り身の老人に声を掛けてまわっている子供たち。行き場を無くしたホームレスや家出少年少女たちに金をばら撒くホストまで紹介された。

 映像の最後にコメンテーターは「いい時代になる兆しかもしれません」と能天気に締めくくった。だが、スマートフォンを閉じて街を見てみるとどうだろうか? K氏の目の前では中年の男と老人がひとつの空き缶を巡っていがみあっているではないか。


「なんだい、これは俺が見つけた空き缶だ。俺が拾って、ちゃんとゴミ箱に捨ててやるんだ」

「いやいや、何をいうんじゃい。ワシが先に見つけたんじゃ。ここはワシに捨てさせてくれ」


 なんと愚かなことか、とK氏はうんざりした。


「こんなのは、お世辞にも親切とはいえない」


 それから、善行ATMに便乗したアプリが複数立ち上がり、世の中にはこれとないほどお節介焼きが溢れた。

 老人に無理やりに席をゆずる若者、レディファーストは当たり前で、見知らぬ人に飲食を驕り出す者まで溢れる始末。街中からは路上に捨てられたゴミなどは見なくなり、中にはアスファルトに張り付いたガムまで剥がす者。ついには駅前のマンホールから出てくるゴキブリを一日中見張って退治する者までいた。


「なんということか。親切をしたいがあまり、皆馬鹿げたことをしているではないか」とK氏は嘆く。


 K氏が仕事に出れば、職場では同僚たちが来客者をどう労うかが競われだし、給湯室は我さきと言わんばかりにお茶を汲みに行く者でごった返した。職務中は事務員の女性たちがやたら笑顔をぶら下げてお茶を出したり、コピーを取りに来たりとせわしなく動く始末。

 これでは捗る仕事も捗らないと、行きつけの喫茶店に逃げ込めば自主的にテーブルを拭いてる客にうんざりしているウェイトレスを見る始末。


「まったく、これじゃあ私の仕事がありませんよ」とK氏に愚痴を零す。K氏も同じようにうんざりとした様子を見せた。


 当然、このような問題はK氏の周囲だけではない。だが最初の頃、警察といった緊急サービスの人間は「これはいい」とほくそ笑んだ。

 それもそうだ。お節介焼きたちが自主的に近所を見回り、面倒くさがられるような防火対策を念入りにし、公共サービスの窓口で何度も口にしなければいけない説明を一般人がやってくれるのだから。予防は治療に勝るとはこのことで、犯罪も火災も、さらには病も徐々に減っていった。

 だが、過剰な私人逮捕や無知な消火活動、自身の危険を顧みない無謀な救助活動に出る者が現れると、それまでの安楽的な態度を一変させた。

 行政機関はメディアを通して「親切はほどほどに」と濁して伝え、SNSで有名な寺の住職は『下手なお節介、自分の為にならず』と書き殴り、破天荒な著名人は「見返りのある親切は他人にとってはお節介」と苦言を漏らした。警察官に至っては泥棒をこれでもかと殴りつけた若者を泥棒ともども逮捕する。が、それでも膨大な数の善行ATMのユーザーたちは聞く耳を持たず、お節介焼きをして銀行との往復を繰り返した。

 ついに大元の会社が「多くの親切さんが現れてしまって、ユーザーに還元する資金が足りないので、現金化システムは廃止します」という一言で、世話焼きは激減した。

 それまで日常とまでいえる風景であったゴミ拾いや足腰の悪い老人の補助、さらには火災現場に突入する阿呆な人々はどこへやら。街は無関心で埋め尽くされた。


 ◇


「あれほど善行ATMアプリのおかげ親切が増えたというのに、換金システムが変わった途端にこれだよ」


 K氏は仕事終わりにT氏を居酒屋に招き、ジョッキに注がれたビールを一杯煽ったあとにそういった。


「付け焼き刃のような親切なんて、長くは続かないもんだ」

「まあまあ、そう怒るなって」


 ぐだを巻くK氏に隣にいたT氏は宥めるように肩を叩く。


「善を責むるのは朋友の道なりとはいったもんだ」

「なにをいう。お前は、俺の善行で溜まった金で酒を呑んでいるだけではないか」


 ハッハッハと高笑いするT氏。


「しかし、不思議な話だ。あれほどまでいたお節介焼きどもが煙のように消えたのだからな」

「人間とは欲深い生き物だよ。見返りのない善などしたがらないのに、善行ATMが出た途端にそれを理由とばかりに親切しだす。だが、その見返りがないとわかれば途端にやめてしまう。なんと胴欲なことか」

「それこそが人間の本質だよ。見返りがなきゃ、行動を起こせないのさ」


 T氏もグイっとジョッキの中のビールを半分にまで減らす。飲み終えたあと、こう切り出した。


「そういや、こんなアプリが出たらしいぞ」


 T氏がK氏のスマートフォンに何かを送った。

 次に、『悪行ATM』なる名前のアプリが表示された。

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