31.君が好きです







「ぐすっ……クソ、なんで泣いてんだよ俺……」




 エクス達の屋敷から咄嗟に逃げ出してしまったアリエッタは、人混みを避けるように裏路地を独り歩いていた。






『僕は普通の女の子・・・・・・が好きなんだよっ!』






 ああ、考えるまでも無く分かっていたことじゃないか。

 エクスが好きなのは、あくまで『普通の女の子』である『アリエッタ』なんだ。



 そして、"普通の女の子それ"は俺という人間の本質から最も遠い存在だった。



 純粋な女でも無ければ、男でも無い。


 こんな中途半端な"混ざり物"が、薄気味悪い存在が、どうしてエクスに愛されていると勘違いしてしまったのだ。




「ごめんなさい。ごめんなさい。みんなと違ってて、気持ち悪くて、ごめんなさい」




 人気の無い路地の隅に蹲って、誰に聞かせるでもない謝罪を呟く。




 ―――大事な親友?


 ―――愛すべき息子?




 全部、醜い誤魔化しだ。




 そうやって言い訳しなければ。


 この気持ちを自覚してしまったら。


 自己嫌悪に耐えられないと分かっていたから。


 "おれ"が"エクス"に好意を向けるなんて、そんな悍ましいことをエクスにしていたなんて、知りたくなかったし、知られたくなかったから。




「ふっ……うぐっ……うえぇ……」




 真っ当な女ではないことへの劣等感。

 情けなさと自己嫌悪でこみ上げてくる涙が止められない。



 きっと涙と鼻水で酷い顔になっている。

 テイムとマスターに余計な心配をかけないように、少し落ち着くまでここで泣いていこう。

 幸い、周囲に人の気配は感じなかった。大声で泣き喚くでも無ければ、人目を気にせずに涙を零せるだろう。






「アリエッタ!」






 しかし、勇者様の手にかかれば、俺のゴミのような探知能力を掻い潜ることなど朝飯前だったようである。


 息を切らした様子で、今一番会いたくないエクスが俺の前へと駆けてきた。




「よ、よう、エクス。さっきは急に帰っちまってごめんな。ちょっと、その、マスターからの頼まれ事を思い出してさ」




 俺は慌てて立ち上がると、到底誤魔化すことなど出来ない酷い顔を何とか取り繕って、エクスに何でもない風に声を掛けた。



「……アリエッタ。僕の事を馬鹿にしてるのかい?自分が察しの良い方だとは思っていないけど、そんな見え見えな嘘に騙される程、節穴ではないつもりだよ」



 ……流石に厳しかったか。エクスが真剣な眼差しで俺を見つめるが、俺はその視線に耐えられずに俯いてしまう。


「いや、その……ちょっと心配かけちまったかもしれないけど、これはお前には関係ないことだから……」

「アリエッタ」




 逃げるように、一歩後ずさった俺をエクスが力強く抱きしめてきた。




「……好きな女の子に、そんな顔をさせたくないんだ。僕には関係無いなんて、そんな寂しい事を言わないでくれ……」







「やめろっ!!」



 俺は全力でエクスを突き飛ばした。


 奴からすれば、俺の貧弱な腕力による抵抗なんて問題にならない筈だろうに、俺が拒絶していることを尊重するかのようにエクスは抱擁を解いた。


 その気遣いに、益々精神を搔き乱された俺はグチャグチャになった心をエクスにぶつける様に吐き出した。




「違うんだよ。俺は、お前が思っているような奴じゃない。………普通の女の子なんかじゃ、無いんだよ」


「……分からないよ、アリエッタ。君が何をそんなに悲しんでいるのかとか。どうして、そんなに自分の事を嫌っているのかとか……だから、まずは一緒に話そうよ。僕はちゃんと君の話を聞くから」


「だから……お前には、関係無いって……」

「アリエッタ」



 エクスの手が、涙で濡れた俺の頬を優しく撫でた。


「僕は察しが悪いし、口下手だし、それで君を苛つかせたことだって数えきれないかもしれない。………でも、話す前から諦めて、独りで泣くなんてしないでよ。僕ってそんなに頼りないかな?」



 お前には関係無いと、放っておけと言っているのに。


 だって、これは俺の生まれの問題で。どうしようも出来ないことなんだから。








 ―――気が付けば、俺はこの物分かりの悪いエクスに、どうしようもなく腹が立っていた。




 胸の内にどろどろとした昏い炎が灯る。


 もう、どうでもいい。


 こいつエクスに関わって、触れられて、優しくされて。


 こんなに辛い思いをするぐらいなら、いっそ全部滅茶苦茶に壊してしまえ。


 そうすれば、多少はスッキリするだろう?







「俺さあ、実は男なんだよね」


 へらりと、情緒の崩れた軽薄な笑みを浮かべて俺はエクスに告げていた。



「アリエッタ……?」



 突然の俺の告白に、怪訝な顔をしているエクスを無視して俺は早口に続けた。



「見ての通り、身体は女かもしれないけど……ここの中身がさ、男なんだよ」



 自分の頭を指差しながら、俺は愉しくて堪らないといった笑みを浮かべる。

 高く積み上げた積み木を崩すような、奇妙な快感が俺を満たしていた。



「何言ってるか分からないだろ?でもさ、記憶が残ってるんだよ。『アリエッタ』として生まれる前の人生の記憶が。俺って前世では男だったんだぜ。つまり、俺は普通の女でも無ければ、真っ当な男でも無い中途半端な"混ざり物"って訳だ。気持ち悪すぎて笑えるだろ?」



 ああ、イイ気分だ。


 胸の内に溜め込んでいた泥を全て吐き出しているような、爽やかな気分だった。




「―――つまり、お前が好きな"普通の女の子"のアリエッタなんて奴は、この世の何処にも存在しないんだよ。残念だったな」




 言いたいことを一通り言った俺は、下衆な笑みを浮かべながらエクスの返事を待った。




 ずっと自分の本性を隠していた俺に怒るだろうか。


 それとも頭のイカれた狂人の戯言だと、憐れみを向けるだろうか。




 ―――或いは、悍ましい化物を見るような目を、俺に向けるのだろうか。




 ……もう、どうでもいい。


 早く、俺を拒絶してくれ。


 俺を否定してくれ。



 俺を……楽にしてくれ……






「……アリエッタ、ごめん」




 ………?


 それは、何に対する謝罪なんだ?




「君が何を言っているのか、何に苦しんでいるのか。僕は多分、半分も分かっていないと思う。でも、僕の言葉が君を傷つけたことだけは分かるよ。……だから、もう一度だけチャンスが欲しい。僕の気持ちを、君に伝えさせて欲しい」



 エクスは俺の手を取ると、真剣な眼差しで俺を見つめて告げた。



「君が好きだ、アリエッタ。普通の女の子じゃないとか、前世がどうとか、そんな事は関係無いんだ。僕は今ここに居るアリエッタが好きなんだ」




 ―――なんなんだ、こいつは。人の話を聞いていないのか




「だ、から……俺は、お前が思っているような、奴じゃ……」

「君こそ、僕のことを何だと思っているんだい?ちょっと隠し事をされていた程度で君のことを嫌うような男だと思われてたなら、少しショックだな」




 やめてくれ。


 そんな顔で微笑まないでくれ。


 もう苦しみたくないのに、拒絶してほしいのに。


 そんな風に優しくされたら、夢見てしまうではないか。




 彼を愛してもいいのかと。


 彼に愛されてもいいのかと。






「―――違う!違う違う違うっ!分かってないんだ!お、俺は……お前はっ!」




 自暴自棄になった子供のように、感情を制御出来なくなった俺はエクスに最低な言葉をぶつけていた。




「綺麗事並べてるだけだ!……結局、お前は"女"の俺とヤりたいだけだろうがっ!!」

「………っ!」




 ―――ああ、俺は本当に最低だ。


 エクスがそんな奴じゃないって事ぐらい分かっている筈なのに。


 彼はただ、俺の事が好きで、俺の隣にいたいって純粋に思ってくれているだけなのに。






 俺の最低な暴言に、エクスは目を吊り上げて叫んだ。









「好きな子とエッチなことをしたいと思って何が悪いんだっ!!」


「………はああっ!?」






 エクスからの予想外の返答に、俺は間抜けな声を上げていた。






 **********






「好きな子とエッチなことをしたいと思って何が悪いんだっ!!」


「………はああっ!?」




 エクスの叫びに、アリエッタが面食らった顔を浮かべていた。



 正直、さっきから僕は彼女に頭にきていた。



 僕は、こんなにもアリエッタの事を愛しているというのに、彼女は自分が普通の女の子じゃないからとか、前世は男だったからとか、そんな些細な理由・・・・・でのらりくらりと僕の好意を躱そうとするからだ。


 他に好きな人が居るとか、僕の事が嫌いというのなら、まだ諦めもつく。


 しかし、彼女が話すのは、さっきから"理由"ばかりで彼女自身の"気持ち"については一言も語ってくれていない。それで、自分のことを諦めろなんて言われても、納得出来る筈がないということが彼女には分からないのだろうか?





 ならば、僕の気持ちを全て曝け出して、彼女が逃げられない程に追い詰めるまでだ。





「お、おおおおお前……な、なな何を言って……!」

「聞いて、アリエッタ」



 動揺しているアリエッタの隙を突くように、僕は彼女への想いを全力で言葉にしてぶつけた。




「僕は君が好きだ!ずっと前から、初めて会った時から、ずっとずっと君だけを愛しているんだ!君のことは全て知りたいんだ!許されるなら、君を一日中抱きしめていたい!朝も昼も夜も、僕は君の隣に居たいんだ!僕は君とヤりたいだけだって?全然分かっていない!生憎と僕はそんなに慎み深い人間じゃないんだ。君の身体だけを手に入れたって、僕は全然満足出来ない。君の身体も、心も、君の全部を僕一人だけのものにしなければ気が済まないんだ!愛しているんだ!君が好きなんだ!君の瞳を、視線を、僕は独り占めしたいんだ!君の瞳が他の男を映していると苦しくて堪らない。他の男が君の身体に触れているのを想像するだけで、怒りで全身の血液が沸騰しそうになる!テイムにも、エイビスにも、アズラーンにだって君を渡さない!魔王だろうと神だろうと、君への愛を邪魔をするなら全員叩きのめして、僕は君を勝ち取ってみせる!僕の全ては君の為だけにあるんだ。だから君の全てを僕にくれないか!それが出来ないと言うのなら、今すぐにこの場で僕の命を絶ってくれ!君に愛されない人生なんて僕には何の価値も無い!それぐらい君の事が好きなんだ!好きだ好きだ好きだ!大好きだ!愛しているんだぁぁぁーーー!アリエッタァァァーーー!!」








「ちょっと黙れこの大馬鹿野郎がァァァーーーッ!?」




 その赤髪と見分けがつかない程に顔を赤くしたアリエッタが、何処から拾ってきたのか木の棒を僕の頭に向けて全力で振り下ろしてきた。


 僕は体を軽く傾けて難なくそれを回避すると、木の棒を振りぬいた勢いで体勢を崩したアリエッタを力強く抱きしめた。



「は、離せぇ~!恥ずかしい青春菌がうつるだろうがァ~~~!」

「はぁ、はぁ………アリエッタ、僕の気持ちは全部伝えたよ。次は君の番だ」




 僕は彼女の澄んだ青空を思わせる碧眼を見つめて、静かに告げた。






「聞かせて欲しいんだ。前世とか、普通じゃないとか、そういう"理由"じゃなくて、君自身の"気持ち"を」






 **********






「聞かせて欲しいんだ。前世とか、普通じゃないとか、そういう"理由"じゃなくて、君自身の"気持ち"を」




 エクスに見つめられて、アリエッタは言葉を詰まらせてしまう。




 駄目だ。流されるんじゃない。


 ずっと前から、それこそ子供の頃から決めてた事じゃないか。


 たとえ、エクスが俺のことを好きだとしても、俺は彼に相応しくない。


 エクスにはもっと相応しい素敵な女性がいる筈だって。




「……アリエッタ」




 言うんだ。


 お前が嫌いだと。


 彼の為に、俺の為に、拒絶するんだ。


 震える唇で、俺はゆっくりと告げた。











「―――好き」




 あっ。駄目だ。




「好き。好きです。エクスが、好き」




 駄目。止まって。




「好き……大好き、です……」




 一度、溢れ出した言葉は、気持ちは止められなかった。


 言葉と共に、涙が瞳から零れ落ちる。




「ごめんなさい。駄目なのに、好きになっちゃいけないのに。でも、エクスが好き。大好き……」

「……うん、ありがとう。アリエッタ」

「ふっ……ぐぅ……うえぇ~~~……」




 エクスの手が俺の頭を優しく撫でる。安らぎと罪悪感がごちゃ混ぜになった心境に、俺はただ泣きじゃくるばかりだった。




「ごめん。ごめんね。普通の女の子じゃなくて。嫌だよね。でも、好きになっちゃったんだ。本当に、ごめんね」

「謝らないで、大丈夫だから。……僕も好きだよ、アリエッタ」

「………うん。ありがとう、エクス。好きになってくれて。………その、これからも、好きでいてね?」

「ああ、任せといて。もしも君が不安になったら、いつでもさっきの告白を繰り返してあげるから」

「うっ……それは、ちょっと恥ずかしいから嫌だな……」





 涙と鼻水で酷い顔になっていたかもしれないが、俺は久しぶりにエクスに向かって普通に笑えた気がした。






 **********






 そして、そんな二人を上空から見守る影が二つ。




「やれやれ、手のかかる愛し子達だ」



 金色の美丈夫アズラーンが、抱き合う二人を優しい眼差しで見つめていた。


「よろしかったのですか。アズラーン様」

「む、何がだね?ターレス」


 意図の読めない問いに、アズラーンは怪訝な顔を傍に控える侍女ターレスへ向けた。


「アズラーン様は、あの二人を好いていらっしゃる様でしたので。これでは恋敵に手を貸したようなものでは?」

「ふむ、ターレスにはまだ難しかったかな。このレベルの話は」

「はあ」


 アズラーンの白くしなやかな指が、ターレスの造り物めいた美貌を優しく撫でた。






「全ての生命は、愛する者に幸せでいて欲しいと願わずにはいられない。それは魔王様であろうと、神であろうと覆せないこの世の真理だよ」

「愛する者が自分を向いていなくても、ですか?」

「それもまた興奮するだろう?」

「なるほど。倒錯的ですね」





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