第17話

「ようやく来たか」


 窓辺に立つナイジェルの姿を見て、スティーブンがにやりと笑った。

 二人で建物に向かって歩いていくと、窓を開けてテラスへとナイジェルが出てきた。


「お前にしては随分早い時間から活動しているではないか」

「おじい様こそ、こんな朝早くから何をなさっているのですか?」

「最近はめっきり朝型になって、こうしてライリーと朝の散歩を日課にしている。運動はいいぞ。お陰で食事がうまい。それと、なんて言ったかふくらはぎが…」


 答えを求めて彼がライリーの方を振り向く。


「『ふくらはぎは第二の心臓』ですか?」

「そうそう、それだ!」

「はあ? なんですかそれは」


 聞き慣れない言葉に、ナイジェルが顔をしかめる。


「ふくらはぎの筋肉を動かすこ とで、足に滞っている血液を心臓の方へ押し戻すことがで きます。そうすると、足のむくみが改善されます。スティーブン様は普段座ったままでいらっしゃることが多く、ずっと同じ姿勢でいることもよくありません」

「だそうだ」


 ライリーが説明し、スティーブンがドヤ顔でナイジェルを見た。


「なんですかそれは。君は医者か。なぜそんなことがわかる」


 ライリーの説明にナイジェルは胡散臭そうな顔をする。


「健康で長生きする秘訣です。別に医者でなくてもそれくらいの知識はあります」

「それもオルージェではやっているのか」

「私のこと、お調べになったのですね」


 オルージェの名前が出たので、ライリーが言った。


「当然だろう。得体のしれない人間が身内の周りをウロウロしているのだ。素性を調べるのは必然だ。それとも、何か後ろめたいことでも?」


 猜疑心を隠そうともせず、ナイジェルがライリーを睨みつける。


「いいえ。私について色々な噂がありますが、特に知られて困ることはありません」


 自分に対する世間の評判は十分理解している。しかし、犯罪を犯したわけでもなく、何ら後ろ暗いところはないと、ライリーは胸を張った。


「そうだ。ライリーに恥じるようなことは何もない」

「世間的には…しかし、ご令嬢としてはどうでしょう。あまり美徳とは言い難いと思います」

「それは『倹約令嬢』や『しみったれ令嬢』などという私を揶揄する言葉のことを仰っていますか? もしくは、婚約破棄されたことを仰っているのですか」


 ライリーは少しも怯まず、ナイジェルに応戦する。


「私は婚約破棄してくれて良かったと思っています。相手と価値観の違いがあったら、結婚してもうまくいかなかったでしょう」


 やせ我慢でも何でもなく、それは彼女の本音だった。


「努力して我が家は持ち直し、領民たちの生活も潤いました。生活に余裕が出来て、体の調子が悪ければ医者にも診てもらえ、子供は働く必要がなくなり、勉強が出来るようになりました。そうして知識を身に着け、自分の人生の選択肢が増える。そして生きていく意欲も得ることが出来る。いい事尽くしです」


 まっすぐにナイジェルを見つめ、ライリーは言い切った。


「『しみったれ』は心外ですが、『倹約令嬢』という言葉は気に入っています。それに、必要と思うことに大金は惜しみません。領民の識字率の向上や、医療の普及にも我が家は力を注いでいます」

「ライリーの言うとおりだ。うまく家をもり立てる才能の何が悪いというのだ。散財するしか能のない者よりずっとましだ」

「それは、私に対する嫌味ですか?」


 放蕩者と言われているナイジェルが、祖父の言葉に反応する。


「自覚はあるようだな」

「人生経験を積んでいるだけです。それに、社交も貴族の大事な約目です」

「ただ酒を飲んでカード遊びや女に現を抜かすことが貴族の勤めか。まあ、私も若い頃は似たようなことをしていたから、あまり強くは言えんがな」


 若い頃の自分を思い起こし、スティーブンはばつの悪そうな顔をする。


「しかし、いつまでもそんなことばかりしてはおれん。それはわかっているな。そろそろお前も自分の為すべきことに向き合え」

「種馬になって子供を作ることですか?」

「まったく、穿った言い方をしおって。それだけではない。そろそろ侯爵家の運営についても本腰を入れろ。私もいつまでも生きるわけではない。何しろもう歳だからな」


 溌剌として血色の良い顔をして、大きな声で話すスティーブンは、とても今すぐどうにかなりそうには思えない。


「まあ、とにかく中に入ろう。朝から運動して空腹だ。お前は? 朝食は食べたか?」

「朝は食べません。食欲がありませんので」

「それはいかんな。朝食は、何だったか」


 再び答えを求めてスティーブンがライリーを見る。


「朝ごはんをしっかり食べると脳と体を目覚めさせ、元気に一日のスタートをきることができます。 また、朝食をとると体温が上がり、体温の上昇とともに脳を活性化させ、『やる気』と『集中力』が出て、一日の活動の効率やパフォーマンスを上げることができます」

「だそうだ」


 またもや彼女の受け売りで、スティーブンが得意げにナイジェルを見る。


「それだけではないぞ、な、ライリー」

「朝食はその後の昼食や夕食の血糖値の変動にも影響を与えるので、朝食・昼食・夕食は『2:1:1』程度のバランスで朝食を多めに摂ることで血糖値の変動を抑えることができます」

「要は朝食をしっかり食べると体にいいと言うことだ」


 最後にスティーブンが締めくくる。

 ライリーと祖父の掛け合いに、ナイジェルはクラリと目眩を覚えた。


「いつの間にそのような健康志向になったのですか」


 顔を引きつらせてナイジェルが二人を見比べる。


「ちなみに早寝早起きも大事なことだ。睡眠の質は」

「もう結構です」


 さらに言葉を続けようとする祖父を、ナイジェルが遮った。


「ここからも大事なことなのに」


 スティーブンが不満そうに口を尖らせる。

 まるで子供のような態度に呆れて祖父を見てから、ナイジェルはライリーをぎっと睨みつけた。


「随分と仲が良いようだな」

「『健全な精神は健全な肉体に宿る』健康は大事なことです。それをお教えしたまでです」


 ナイジェルに睨まれても、ライリーは平然して言い返した。

 


 







 


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