第9話 第2章:出会いの記憶ー005ー

 ケタケタケタケタケタ。


 耳障りな笑いが路地に響き渡っていく。

 最初は可笑しみを感じた声も、今となって不気味だ。


 マテオは肩から斜めに入った胸の傷へ手を当てる。

 ようやく痛みを覚えた。

 負傷だけではない、敗北に自尊心も傷ついた。一瞬の攻防ならば無敗を誇っていたマテオが一撃で勝負ありだ。くっと悔しそうに顔を歪ませだけで声すら出ない。


「オワリダ」


 奇妙な笑い声も立てず、顔半分で白黒に分かれた仮面の男が告げてくる。


 ちっくしょー、と熱り立つマテオの意に反するように、がくりと片膝は落ちる。

 確かに相手の喉を捉えたはずだ。だが感触はなかった。

 白黒の仮面の男はマテオの刃が届く寸前で避けたとしか思えない。瞬速という能力によって、瞬く暇もなく迫った攻撃を見切ったというのか。

 もし相手が攻撃に対する捕捉に異常特化した能力を有していたら、勝ち目はない。けれども敵わない相手であればこそ、マテオは自身に備わった能力を活かす方向へ切り替えられる。


「それはどうかな」


 精一杯な強がりとも取れそうなマテオへ向けて白黒の仮面の男が放つ。


 ケタケタケタケタケタ。


 唯一の感情表現だとしたら趣味が悪いにも程がある。

 だがマテオが待っていた瞬間だった。

 強大な敵が気を緩めた際に、発現する瞬速。それは攻撃ばかりでない、身を守るにも優れた能力だった。

 ケヴィンにサミュエルといった化け物じみた能力所有者を幼き頃から身近で目にしてきたから気負いがない。敵わないものには敵わないとする能力者ゆえに忘れがちな当然を自覚できている。


 ここは逃げるが勝ち。


 マテオは能力を発現し、一瞬にして建物の屋上へ移動……したはずだった。


 路地の上空へ出たと同時に、白黒の仮面の男を認識した。

 さすがのマテオも動揺せざるを得ない。

 瞬速の能力に追いつける相手だ。

 若干速度は劣るものの、付いては来られる。

 付いて来られるのは姉のアイラだけだったはずだ。

 しかも目前に認めた白黒の仮面の男は攻撃に対する捕捉にも特化した能力を所有している。瞬速に近い能力まで得ているというのか。

 複数の能力を持つなど、世界に例がないわけではない。

 だが余程でなければ出くわすなど一生ない、稀なケースだ。

 白黒の仮面の男は世界に類を見ない能力者なのか。

 ならばマテオとしてはかなり分が悪い。


 追いつかれて咄嗟に繰り出した短剣は避けられた。


 後ろの首元へ重い衝撃が加わった。

 金属バットで殴られたような固い打撃だ。殴りつけてきた腕はどうしたらそこまでというくらい固く鍛え上げられていた。

 地上三階を超えた高さから、真っ逆さまなマテオだ。地面へ叩きつけられれば息が止まる。身体能力と普段の鍛錬のおかげで生きられた。通常の人間ならとっくに死んでいる。

 だがさすがにダメージは深い。全身がバラバラになったみたいで動けない。


 うつ伏せで倒れる足元の後方に降り立つ音を聞いた。

 白黒の仮面の男だろう。

 もはや死神に相当する人物の足音を耳にしていた。

 僕もここまでなのか、とちらり頭をよぎる考えをマテオは慌てて振り払う。

 ここで死んだら、姉だけではない。これから父母に兄となってくれる人たちも後悔で胸を掻き毟る羽目へ陥らせてしまう。マテオの勝手を汲んでくれた家族になろうと言ってくらた人たちまで苦してしまう。


 朦朧とする頭で前方を見据えた。

 痛みなど、身体の状況など構っていられない。

 近づく相手が何かを振り下ろしてタイミングで、瞬速を発現させた。


 尋常ならざる速度を普通の肉体へ強いる能力だ。

 健康体なら問題非ざるとも、負傷すれば負担としてのし掛かってくる。況してやマテオの傷は重い。発現させた当人が痛みに悶えるほどだ。距離にして二、三メートルがやっとであった。

 それでも白黒の仮面の男がトドメとばかりの攻撃から逃れられた。敵の短剣が地面に突き立っていれば、確実に殺られていた。

 ただそれは最後の刻がわずか数分伸びただけかもしれない。


「ムダナコトヲ」


 白黒の仮面の男が言う通りかもしれなかった。

 すみません、と心の裡で謝るマテオに浮かぶ顔は姉のアイラは当然ながら、ケヴィンとソフィーにサミュエルまで続いたのは意外だった。

 自分を養子に、と望んだ三人とは命を救われてからの付き合いになる。幼き頃よりずっとだった事実を、今改めて思う。


 白黒の仮面の男が地面から短剣を抜いている。

 マテオは全身から血を吐いているような状態だ。もう足を上げることすら、ままならない。


 短剣が振り上げられた。


「コンドコソ、オワリダ」


 言われれば、そうかもしれない。そうであってもマテオは目を閉じたりしなかった。最後の最後まで助かる可能性はなくても、自ら閉じる真似はしたくない。自分の終わりくらい見届けてやろうくらいの気概は持っている。


「マダ、ジカンマエダ」


 白黒の仮面の男が振り上げた短剣を停めた。

 今さらなにを言ってやがる、とマテオが言うより前だ。


 白黒の仮面の男が瞬時にしてかき消えた。

 地面とマテオへ傷痕を残していかなければ、この場に存在していたなど思えない消滅ぶりだ。


 助かった〜、と大きく息を吐くように洩らすマテオだ。

 取り敢えず理由など、どうでもいい。九死に一生を得た安堵で全身から力が抜けていく。大の字に寝転んだ。


 頭の方向から足音が近づいてくる。


 白黒の仮面の男が去った理由は、これだろう。

 まだ逢魔ヶ刻前であれば、殺人は適用される。許される時間があるからこそ、それ以外の時間における殺人は厳密に対処される向きもある。罪を問われれば『黄昏法』の施行が及ばない時間帯では生き難くなる。それが逢魔街なりの秩序保持だった。

 ただし無法を許される街が穏やかなはずもない。

 誰の目や監視カメラが届かない場所において時間関係なく罪は起こされている。特に逢魔ヶ刻を迎える寸前はどさくさ狙いは多い。


 マテオは耳にする足音から二人であると当てをつけた。

 危険な路地裏を徘徊する人物だ。白黒の仮面の男よりマシな程度の、注意を要す人物たちかもしれない。もしかして状況をさらに悪化されるような相手な線も充分に考えられる。


 全身に力が入らないマテオは開き直るしかない。もうどうにでもなれ、である。

 悪い方向にしか考えていなかったからマテオは驚いた。


 だいじょうぶぅ〜? と声をかけて覗き込んできた顔が、予想とは全然に違った。

 凶悪や危険性から程遠い美少女だったからだ。いや美少女と単に呼称するだけでは足りないほど、凄まじい美しさだった。まさに天上で輝く美とする容姿である。

 もっともマテオにすれば綺麗すぎるから気を許せない。美女を武器に惑わす事案をいくつも見てきている。ただ現状では動けない我が身を助くため懐柔しなければならない。


「ありがとう、助かった」


 人として感謝は当然とするだけでなく、敵意を抱かせないとする計算もある。ただしマテオの為人を知れば思惑はともかく珍しい行為に当たった。

 今後の人生において、「初めての時は、あんな素直だったのに」と常に持ち出される逸話になろうなどと考えられるわけがない。


 良かった分が後へツケに回る、最初の出会いとなった。

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