第6話

 七右衛門は浅吉との談合を終えて湊を後にした。さて、今日はどうしようか、と思案して懐を確認したところ、思ったより金が残っていた。


 足が吉原に向いた。


 たかの都合を確かめようと三浦屋に直行した。暖簾を潜ると煙草を蒸して番台に座っている女将きくが顔を上げた。有りっ丈の皺を作って笑顔になり口からフーと煙を吐いた。


「お帰りなさいまし」

「今日も世話になるよ、良いかな」

「たかちゃんもそのつもりでいるよ」


 七右衛門が頷いて店を出ようとするときくが引き留めた。


「ちょいとお待ちよ」

 七右衛門が振り返った。


「今日は粟屋さんでお願い。それと、昨日みたいに店のいいなりにならなくても良いのだからね。聖さんすごい金を使ったそうじゃないか。揚屋は吹っかけるから、適当に値切っても大丈夫だよ」

「そうかい。そりゃあ助かるな。今夜は慎ましく質素にいくか」

「何事もほどほどだよ。それはそうと、たかちゃん、殿様との話もあまり乗り気じゃないようだし、どういうつもりなのかねぇ。まあ、本人には言わないで」


 七右衛門は頷いて粟屋に向かった。たかの気持ちを思うと何とかしてやりたかった。しかし、今の自分が出来ることは金が続く限り通うことぐらいだ。思う女に会う嬉しさがもどかしい想いに変わっていった。


 粟屋からの派手な遊興の申し出を丁寧に断って質素な飲食に終始したものの、店側にすれば予定していた金が落ちないことになり、店の者の暮らしにも影響するのではとの思いもあり、正直なところ七右衛門は心苦しい気持ちにもなっていた。待つ間、酔うこともままならず、店の者への心付けだけは多くせざるを得なかった。


 迎えに来たたかは、昨日にも増して派手な衣装で着飾り、引き連れて来た禿や新造も数が増えていた。花街を支えている者たちの暮らしを思えば、その中心となる太夫の役割を勤めあげることがたかには求められていることになる。それを彼女自身も十分に分かっているのだろうと七右衛門は思った。


 たかに酒を注がれながら七右衛門はため息をついた。


「今更俺が言うのもおかしな話だが、中での遊び方が良く分からなくなった。女将から揚屋で派手に金を使うことは無いと言われたが、揚屋も商売だろう。同じ商売人として思うに、予定した金が手に入らないのは辛いものだ」


 たかが銚子を持ったまま上目遣いに七右衛門を見つめた。


「聖さんは本当に人が良いのねぇ、そんな事思う客はいないわよ」

「確かに金を払うのは客だからな。どう使おうが勝手か」


 たかが頷きながら微笑んだ。


「そう、勝手なのだけど、相手のことまで思うかどうかなのよ。そこが聖さんの良いところ。誰も、自分の事しか考えないもの」

「思うだけで何もしなかったら同じだろう」

「ううん、全然違うわ。あたいは心で思われるほうが好き。気は心よ」


 たかの穏やかな眼差しが猪口を口に運ぼうとした七右衛門の手を止めた。半開きの障子戸から生暖かい風と表のざわめきが入って来た。重い沈黙が長く感じられた。気不味い雰囲気を振り払うように七右衛門は一気に酒を飲み干した。


「男にすれば何も出来ないのは辛いものだ。自分の弱さを感じる。情けない」


 たかが身請けを望んでいないことを分かっていながら、何も出来ない自分が情けなかった。七右衛門は無理に笑顔を作り猪口を突き出した。たかが酒を注いだ。


「そう思うのも優しさね。ふふ、聖さんを悪く言う人なんていないでしょう」

「それがな、意外なところに敵が居て、俺が中で遊ぶのが気に食わないらしい。そいつは喧嘩を吹っかけてきた」


 七右衛門は昨日と今日の出来事を話した。たかは、最初は興味深そうに七右衛門をまじまじと見ながら聞いていたが、繁太郎の名が出た途端に顔色が変わった。


「あいつが聖さんにそんなことを・・」

「知っているのか」


 たかが頷いた。


 繁太郎は、以前から老舗問屋の遊び人の若旦那として花街でも有名だったが、金に汚い上にしつこい性格で、良く言う者は居なかった。たかも何度か客として迎えたことはあるが、家や自身の自慢話と他人の悪口に終始するその時間は苦痛でしかなかった。更に、その異常な嫉妬深さも顔を覗かせるようになった。たかを気に入るようになると、誰が客となったか、その態度、そして話の内容までしつこく聞くようになり、少しでも気に食わないことがあると露骨に不機嫌になった。やがて、酔いに任せ暴言を吐き、膳をひっくり返し荒れることも多くなる。堪らず女将に相談すると、そんな客はもう断りなさいと言われ、以来、繁太郎が指名しても拒否し続けていた。それでも、時折、たかの様子を探り、どのような客を迎えたかを周囲に聞き回っているという話も聞こえて来ていた。


「であれば、俺が其方と会っていることも知っていたな」

「店の前で、様子を伺う姿も何度か見られたほど」


 そのような繁太郎であれば、自分を受け入れない女がいそいそと会う男を許せるはずがなく、昨日からの一連の行為に及ぶのもうなずけた。七右衛門の心のモヤが晴れた。


「なるほど。そういう伏線があったという訳か。そりゃあ俺に喧嘩を売る訳だ」

「ごめんね、聖さん。あたいのせいで大変なことになって」

「なあに、そんな奴を断るのは当然だ。どのような商売であれ嫌な客は願い下げだ。でも、これで腑に落ちたよ。やはり小さい奴だ」


 七右衛門はこの騒動の裏が見えたことで、何の遠慮もなく繁太郎と喧嘩が出来る気分になった。肝が据わるような妙な落ち着きも感じた。


「それで、勝てるの・・」


 七右衛門は不安そうに見詰めるたかに視線を向け微笑んだ。


「所詮は商売の喧嘩だ、負けても命までは取られない。だが、負ける気はしないよ」


 正直、勝負は時の運だとは思った。しかし、大きな商いをするように、策を練り思いつく下準備は全てした。これで負けても悔いは残らないとも思った。


 七右衛門は心の中で売れた場合の計算をした。昨年並みの一駄三十五両で荷の半分が売れれば総額七百両はいく。高く売れて千両と踏んでいる。その辺が自分としての勝敗の分かれ目だと思った。


 たかがスッと体を寄せると七右衛門の手を握った。


 七右衛門は不意を突かれたように体を固くしたが、たかの手を握り返しながら、ふと、殿様がたかを身請けする額が心に浮かんだ。確か、三千両と聞いていた。仮に荷の全部が高く売れたとしても二千両にしかならない。瓢箪から駒のようなことになり三千両を儲けたら、と思ったところで、思わず可笑しさがこみ上げてきた。取らぬ狸の皮算用ではないか、そもそもあり得ないことだ。


 だが、今夜くらいは、そういう夢のようなことを思っても罰はあたらないだろうという気になった。七右衛門はたかの肩に手を掛けてその華奢な体を引き寄せた。

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