第10話 涙の風景

白い聖職者が頭を下げて教会へ戻っていった。

ネジは風に吹かれてたたずむ。

「どうする」

サイカがつぶやくように言う。

低いその声は、先ほどまで朗々と祈りをささげていた。

「サイカ」

「どうした」

「どうして祈りを知っているの?」

「いろいろあったんだ」

サイカは軽くため息をつく。

いつものように様になっている。

「ラプターのことも知っていたね」

「悪い人間は何でも知っているのさ」

ネジは驚いてサイカを見る。

サイカが悪者っぽく笑って見せた。

ネジはきょとんとしてしまう。

真っ赤な前髪で視線がわからないが、

多分、鳩が豆鉄砲食らったような反応だ。

「いちいち真に受けるな、反応に困る」

サイカはいつもの不機嫌そうな真顔に戻る。

「とりあえずどうする」

「少し町を歩きたいな」

「そうか」

サイカが先にたつ。

ネジはいつものポジションで後につく。

サイカはきっと悪ぶっているけど悪者じゃない、

ネジはそんなことを思う。

悪者はあの祈りなんてできないと思った。


町を歩く。

市場があって、野菜が売られている。

この町のチーズも売られている。

市場の上に青白い歯車があって、

そこから市場の店々に動力が分配されているようだ。

青白い歯車は、

戦争のあとにできた喜びの歯車。

市場は小さいながらも活気があって、

人が元気よくやり取りしていて、

時々子どもが走っていく。

「どうだい、味見でも」

チーズのお店から声がかかり、

ネジはチーズを味見する。

硬いのになんだかふわふわした味がする。

「不思議な味だなぁ。硬いのにとろけちゃう感じ」

「お、兄さん通だね」

「これも歯車で?」

「そうさ、歯車が届いてから作ったのでさ」

「今までと比べてどうです?」

「そりゃ、すごく楽になったな」

「ふむふむ」

「喜びの歯車って言われるわけだと思うよ」

「なるほど」

ネジはうなずく。

そしてお辞儀をすると、お店をあとにして市場を歩く。

サイカがいつもの表情で待っている。

「何か買うか?」

「いや、楽しいからいいよ」

「そうか」

サイカは短く答えると、そのまま歩き出した。


小さな市場を抜けて、

ネジとサイカは宿に戻ってくる。

一階の酒場で、軽いランチをやっているらしい。

新鮮な野菜とおいしいパンで昼ごはん。

おばさんが作ってくれた。

「おじさんは?」

ネジがたずねる。

「涙が止まらないのよ」

「涙が?」

「何か思い出しちゃったらしくてね」

厨房からおじさんが顔を出す。

目にたくさんの涙。

ネジはさっきそんな人を見てきた。

「おじさん」

「あのじいさま、しんじまったのか?」

鼻声でおじさんは話す。

ネジはどのおじいさんかは、わからないけれど、

きっと今日弔った、あのおじいさんだと思う。

「ひとり、おじいさんを弔いました」

ネジは言葉を選ぶ。

おじさんはおいおい泣き出した。

「あの爺さんはみんなに優しかったんだよ。俺も、俺も」

おじさんの目を、おじいさんの涙が洗っている。

「大戦で生き残ったなんていっても、みんなに優しかったんだよ」

おじさんの中で、たくさんの感情らしいものが走っているのだろう。

ネジは当然その全部はわからない。

けれど、あのおじいさんは罪人なんかじゃなくて、

戦争で守りたい人がいた。

多分、あの女性や、このおじさんみたいな人。

きっと守って、そして死んだ。

おじいさんは涙になって、みんなの目を洗ってくれている。

さっぱりすればおじいさんのことは、もう、悲しくないはずだ。


悲しみは大きい。

失うのはつらい。


「おじさん」

ネジは声をかける。

「悲しむだけ悲しんだら、笑ってください」

ネジは心のそこからそう思う。

カウンターでがんばっている、おじさんのほうが生き生きしていると。


悲しみだけではつらすぎる。

だから時があるのかなとネジは思った。

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