第7話 

「遼様、雫様、お帰りなさいませ」


使用人と思われる人物が玄関前で出迎えてきた。

雫は頭を下げる。

この人は何度か見た覚えがある人だなと思いながらも、礼儀を尽くした。


「まぁ、遼様!草履は?雫様も靴はどうされたのです?」」

『兄ちゃん…烏丸さんが縁側から飛んだものですから靴を履く暇もなかったのです』

「遼様…。雫様が不憫でございますよ。そうでなくとも百済は雫様をずっと虐げていたのですから」


 この使用人にも知られていたのかと驚く。

少し惨めな気分になった。

 私はかわいそうな子として見られたいわけじゃない。

悲劇のヒロインなんか、ごめんだ。

思考がとてもネガティブなのは自覚しているけれど。

 自分は単に忍耐を積み重ねてきただけだと思っている。

 だから、不憫だなんて言葉は欲しくなかった。


「言葉に気をつけろ。雫は不憫に思われたいわけじゃない」

「し、失礼致しました!」


 この妖はテレパシーでも使えるのかと胸の内を読まれたような気分になる。

兄ちゃんとは随分と付き合いが長いが、このように他人の本音を打ち明けるようことをする人物ではなかった。

 私は見ない間に変わったのだろうか、そんなことを思う。


「荷物、持つよ。」

『いいよ、これくらい。大した荷物もないし』

「レディに荷物を持たせる男なんて情けないでしょ?」


 そう言うと荷物を取り上げられた。

レディ。

 1人の女性として思ってくれていたのだろうか。

そんなことを考えたこともなかった。

 ずっと実の兄のようにしか私は思っていなかった。

まさかその兄のような人の花嫁になるとは思ってもいなかった。


そういえば、と思い起こす。


『兄ちゃん。あのね、私の親友の志穂って覚えてる?』

「あぁ。覚えているよ。良い子だって雫が言ってた。」

『その子ね、兄ちゃんのファンなんだって』

「…ちょっと詳しい話聞かせくれる?なんでもいい。気になったこととか。」

『分かった』


そう言って最近、気になることを話し出した。

すると兄ちゃんの顔は暗い顔になっていく。

何か気に触る話だったのだろうか、私は不安に思わずにはいられない。


「その子にちゃんと言った方がいい。鬼天狗の僕に花嫁として選ばれたって。」

『え?』

「意味がわからないままでいい。…多分、その方がいい」


 そう言って兄ちゃんは私を抱きしめた。

着物が少し冷たく感じる。

 手は厚くて温もりを感じることができた。

突然どうしたのだろのだろうと思うが、されるがままになっていた。


「ようやく手に入れられる。下等の妖共がとにかく五月蝿くてね。邪魔で仕方なかったよ」

『そうだったんだ。お疲れ様』


 そう言って背中をポンポンと叩く。

労いのつもりだった。

 だけど、兄ちゃんの力は更に強くなる。

まるでもう2度と離さないとでも言っているかのように。


「好きだよ、雫」

『…え?』

「一目惚れだった。大好きだよ、愛してる。雫。僕だけのお嫁さん」


 身体中に衝撃が走った。

そんなこと、そんな仕草、見せたことなどなかった。

熱い想いを吐き出すかのように言う兄ちゃん。

私にとっては近所にいるお兄ちゃんだった。

 それ以上でもそれ以下でもなかった。

なのに、予想だにしなかった言葉を鬼天狗は投げかけてくる。

その言葉を受け止めるべきなのだろうかと戸惑いを隠せない。


愛情など、遠い場所で育った。

いつも気味が悪いと言われていた。

娘扱いなんて、家族扱いなんて、されたことがなかった。


そんな自分に、どこに愛される要素などあると言うのだろうか。


私は固まったままその言葉を聞いていた。


「急がなくていいよ。今はゆっくりと傷を癒そう。…癒すことなんてできないのかもしれないけれど」

『兄ちゃん』

「まずはその『兄ちゃん』呼びから脱出させることからかな?」


 少し離しながら笑顔で兄ちゃんは言う。

見た人がいれば天に上ってしまうような極上の笑み。

その笑顔を見慣れている私の中には戸惑いしかなかった。

 兄ちゃん以外の呼び方ってなんだろう。

そんな明後日なことを考えていた。


「分かってない顔だね?雫。」

『分かんないよ、兄ちゃん』

「追々とで良いかな。これから時間はたっぷりあるんだから。」


私にとって意味が分からないことばかりを言う兄ちゃん。


(これから私、どうなるの?)


式神にその言葉は言わせなかった。

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