第2話 

陰陽寮に入ると、研修担当の人が私のことを待っていた。


「貴女が百済さんね。はじめまして。斎藤三保さいとうしほです。声が出ない事情は聞いています。貴女の研修担当よ、よろしくね」

『ご配慮感謝します。本日よりお世話になります、百済雫くだらしずくと申します。よろしくお願いします』


大人になるまでだけど、という言葉は飲み込んだ。

 それからというものの斎藤さんから私は簡単な研修を受けていた。教えてもらったことは至極簡単なものだった。

 違法を犯したものを捕まえて陰陽寮直属の刑務所に入れるか、討伐するか。

そしてその内容を陰陽寮にて報告書にまとめて上司に提出するというものだった。

 まだ未成年だということを考慮しての仕事内容なのかもしれないが、あまり難しくなさそうで良かったと私はホッと胸を撫でおろした。


「さっそく今日から実践に入って貰います。自分の武器とか持ってきた?」

『念のため、打刀を』

「やる気があって良いわね。私がサポートするから安心して暴れてちょうだい」

『暴れるって斎藤さん…』

「あら嫌だ。今の言葉は忘れてね。安心して仕事をしてちょうだい」


 少しお茶目なところがある人なのだなと斎藤さんを見てそう感じた。

女の陰陽師らしい巫女服姿に腰まである長い黒髪。肌の色は化粧をしなくとも充分に綺麗な人なんじゃないかと私は見て考えていた。化粧をしていない肌の色を見たことはないけれど。

自分の研修担当の人が優しそうな人で良かったとも思った。


 身内は、敵しか居ないのだから。



 私と斎藤さんはある工事現場にやってきていた。

もう日が落ちて暗い。ホラー映画さながらの暗さだった。

 道中、関係のない一家が夕食を食べる風景を見て私は自身の心が何とも思わなくなっていることに気が付いた。

家族のことも、一族のことも、もうどうでもいいのだ。

 そう自分が既に思っているということに気が付いてしまった。

家族と食事を共にしたことなど1度もない。


 小さい頃は牢屋が部屋だったのだから。

 何のきっかけで今のような普通の部屋に住まわせるようになったか知らない。

 牢屋にある隙間から何度も抜け出して、兄ちゃんと遊んでいた。

 だから、何も思わないのかもしれない。


今となってはどうでもいい過去のことを思い出していた。


 工事現場には、人間を殺した妖が潜んでいるのだという。

法律に基づき討伐対象と認定されたらしい。

 つまりは私の初出勤の仕事は妖を殺すことということだ。

最初だからなのか分からないが、嫌な仕事を回してくるなと思った。

 一応、百済の家は由緒正しき陰陽師の家だ。私も今は巫女服姿になっていた。

腰には持ってきていた打刀が帯刀してある。これは妖刀の類のものだ。普通の刀ではない。


 「雫ちゃんは初仕事だから、おびき寄せは私が行います。だから──」


そう説明を受けている時だった。

 人の形をした男の狐の妖が工事現場から突如現れたのである。

白黒模様のジャージのような服装をしているが、所々に血がこびり付いている。

 それだけでも自分が犯人であるということを言っているようなものだった。

私は慣れた手つきで打刀を素早く抜刀する。斉藤さんもすかさず戦闘態勢に入った。


「貴方が件の討伐対象ね?自分がそうなっているのはわかっているはず。貴方は法を犯した。陰陽法に基づき、討伐します」

「ハッ。女1人にガキ1人で俺を殺せるとでも?」


陰陽法とは陰陽寮が定めた法律のことである。

 私は刃を狐の妖に向ける。

次の瞬間、一瞬で間合いを詰めて狐の首に切り掛かった。

狐の妖が対抗しようとするが、既に刃は首に触れていた。

慌てることもなくそのまま刃を振り下ろす。

勝負はあっという間。勝者は私だった。

 狐の妖が息をしていないのを確認すると斉藤さんの方に私は向き直った。

斉藤は呆然とその姿を見つめている。

どうしてだろうと少し考えて、あまりに戦い慣れしているからかなと思い当たった。

 そうしていると突然、第三者の声がした。私がよく知る声の主だった。


『兄ちゃん、なんでここに…』

「ごめん。やっぱり心配になっちゃって。陰陽寮の人に聞いちゃった。」


 夕方に会った時と同じように悪戯大成功みたいな表情をする兄ちゃん。

私は思わずため息をついた。

 妖の討伐は何も初めてのことではない。危険なほど連れて行かれた。

 私がしていたのは討伐ではない。姉の舞や弟の累が怪我をしないように盾にされていたのだ。

 実践剣術はその盾役をしてる時に実践で鍛えていたので、人より少しできるだけ。

確かに八尾比丘尼の娘は怪我の治りは早い。

けれども、痛いものは痛いのだ。それを理解してくれなかった。

 

 あぁ、何を言ってもこの人たちには無駄なんだ。


私は人間扱いされることを諦めた。だけど、強気でいることだけはやめなかった。

泣き寝入りなんか、悲劇のヒロインになんか、なりたくなかったのだ。


「斉藤さんだっけ。後始末僕がやっちゃってもいい?報酬とかいらないから」

「はい…ってまさか貴方が鬼天狗ですか?」

「うん、僕の名前は烏丸遼。雫のこと、よろしくね」


ポッと斉藤さんの頬が赤くなる。

無理もない。それくらいの美男子なのだ、烏丸遼という男は。

あまりにも整いすぎている顔だよなと私は小さな頃から思っていた。

 笑顔だった顔は真剣な表情へと変わる。

横顔もあまりにも綺麗で見慣れている私でも思わず見つめてしまっている。


「人間を殺すとかやめてほしいんだよねぇ。陰陽法に触れるとか妖の恥だよ。」


兄ちゃんが手を翳すと巨大な炎が現れた。

あっという間に狐の妖の骸は炎の中に包み込まれる。

空高くまで炎は燃え上がり、やがて鎮火すると狐の死体すら残ってはいなかった。


(少し、やりすぎでは?)


納刀しながら私はそう思った。

斎藤さんは鬼天狗の力の強さに若干怯えていた。

無理もない。私も初めて見た時はとても驚いたものだ。

でも斎藤さんのような反応はしなかった。

そんなものより、辛いことの方が多かったからだ。


「ごめーん、力加減忘れちゃった!」

『いや、いい歳して何お茶目な感じで言ってんの、兄ちゃん』

「だって雫を傷つけようとしていたんだよ?我慢出来なかった」

『…そりゃどうも』


小さくブツブツ言うような声で言った。

少し照れてしまったのだ。


自分なんかを心配してくれる人がいる。


それだけで嬉しかった。


『斉藤さん。報告書、何て書けばいいですかね』

「そうねぇ…そのまま書きましょう。鬼天狗なら許されるはずだし」

『そういうものなんですか』

「いずれ分かってくると思うわ。鬼天狗の影響力って凄いから」


 鬼天狗のことは理解していたつもりだったが、私が知っていることよりもまだまだ知らないことがあるらしい。

 それは当の本人である兄ちゃんが言いたくないからだろうか?

そんなことを考えた。

 それから私たちは、陰陽寮に帰還。

兄ちゃんは外で待っていると言って建物内には入ってこなかった。

 私はやっぱりか、と少し哀れに思っていた。

実は烏丸遼という男はモデル業を生業としていいる癖に、人混みが苦手なのである。

 あまり人からジロジロと見られるということも苦手だった。

 でもお人好しな性格の彼は、自分しか出来ないことがあるならとスカウトマンの言葉に乗ったのである。

何故そんな苦手なことばかりのモデル業を引き受けてしまったのだろうか、と思わずにはいられなかった。

 斉藤さんに教わりながら私は報告書を作成するためにパソコンに向かう。

私は機械に触れたのがつい最近になってからだったので、妖の討伐よりもパソコンの作業の方が大変だった。それでも斉藤さんは根気強く教えてくれて、何とか1時間程度で仕上げることができた。



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