第352話 ポーション配布計画 1日目

 翌日、イナリとリズは冒険者ギルドへと赴いていた。朝の混雑が終わった辺りの時間帯に来てほしいということだったので、優雅に朝食をとってからの入場である。


 二人がギルドの玄関を潜ると、出入り口のすぐ真横辺りで、先にギルドに来ていたハイドラと、ギルドの事務員アリエッタが、二人で机を移動させている様子が目に入った。


 ハイドラは二人の姿を認めると、ぱっと笑みを浮かべて手を振ってくる。


「あっ、イナリちゃんにリズちゃん。おはよ!」


 ……手に持っていた大きな机をもう片方の手で抱えたままなので、ものすごい怪力少女のようになってしまっている。実際、獣人なので怪力ではあるのだが、何とも奇妙な光景である。


「おはようじゃ。これは何をしておるのじゃ?」


「例のポーションを配るための場所を準備してるの。やろうとしてることはほぼ前話した通りなんだけど、ギルドにも正式に協力してもらうことになったんだ。エリックさんが話を通してくれたの!」


「それでも随分すんなりな気がするけど……」


「半分くらいはギルド長の悪ノリですよ」


 首を傾げるリズに、アリエッタが少々ギルド長に対して棘のある言葉で返す。


「最近、魔の森で採れる物の需要が高まっていまして。その関係で商人を始めとして、様々な方がこのギルドに魔の森に関する依頼を持ち込んで下さるのですが……現状は皆様の方がお詳しいでしょうか」


「うむ。察するに、達成のしようがない依頼があって困っておるのじゃな?」


 したり顔のイナリがぱすりと指を鳴らして告げると、アリエッタが深く頷く。


「その通りです。ですから、私達の方からも是非、今回の話に協力させて頂きたいということになりました。……まあ、ほぼほぼギルド長の一声で決まった形ですが」


「なるほどのう」


 あのギルド長の顔を思い出すと無条件にちょっとイラっとするが、ともあれ、イナリ達の計画を支援してくれるのはありがたいことだ。


「ちなみに、ギルド側で提供できる主な支援は依頼の処理関連になります。簡単に言うと、皆さんは魔の森へ向かう冒険者にポーションを渡して頂くだけでよくなります」


「あー、確かにその辺は大事だねえ。ギルドが関わってたら迂闊に誤魔化したりできないもんね」


 アリエッタの補足にリズが感嘆の声を上げた。一方で、イナリは怪訝な声を上げる。


「我らがポーションを渡さねばならぬのか?その辺もギルドで管理したほうが楽ではなかろうか?」


「ええと、それはですね――」


「俺が説明しよう」


「うげ」


 久しぶりに聞くギルド長アルベルトの声に、イナリは思わず顔を顰めた。


「『うげ』とは何だ。久々の再会だというのに随分な反応じゃあないか?狐っ子よ」


「そんなことはあるまい。我が斯様に反応する者は、この世界にそう多く居らんのじゃ」


「はは、そりゃ光栄だ」


「そんなことより、説明を求めるのじゃ」


 イナリが机をぺちぺちと叩いて急かすと、アルベルトは「慌てるな」とでも言わんばかりに両手を上げながら口を開く。


「一番大きい理由はギルドの都合だ。ギルドが主導すると何かと面倒になってしまうから、あくまでお手伝いの形を取りたい。……その辺、詳しい説明はいるか?」


「長くなりそうなら結構じゃ」


 何となくアルベルトも話すのが面倒そうな雰囲気を察して、イナリは首を振った。まあ、気になったらエリック辺りに聞けばいいだろう。


「とにかく、あくまで依頼、主体は狐っ子たちになる。だから四六時中ここに張り付かなくても、混みあう時間だけここに来て、ポーションを配って帰るくらいでいい。その辺は適当でも誰も文句は言わないさ」


「ふむ」


 裏を返すと、ギルドが主導すると、イナリもエリックのようにギルドにずっと居続ける必要があるということだろう。アルテミアでも似たようなことはしていたし、そこまで問題はないのだが、その辺に配慮してくれたのだろうか。


「あと、狐っ子が魔の森について気になっているらしいじゃないか。だから、冒険者と接触する機会を増やせば、自然に話を出来る機会も増えるだろう?」


「確かに、それはそうじゃな」


 イナリは納得の声を上げた。どうやらイナリが抱えている問題の解決も考慮しての采配らしい。


 イナリの中ではかなり好感度が低めのアルベルトだが、やはりこの辺はギルド長と言うべきか、細かい部分はしっかり考慮してくれるようだ。今まで若干強く当たっていたが、少しぐらいなら気を許してやってもいいのかもしれない。


「後は単純に、兎っ子に常駐してもらった方がポーションに問題があった時の対処が楽なのと、狐っ子の人気にあやかる方が楽だし、皆依頼を受けたがるだろうってところか」


「…………」


 前者はともかく、後者の理由は如何なものだろうか。折角イナリの中で僅かに上方修正されたアルベルトの評価は、一瞬にして無に帰した。


「ま、そう言うわけで狐っ子達にポーションを配ってもらうことになった。てことで、以上、頑張ってくれたまえ」


 アルベルトは言いたいことを言い終えると、ごつごつとした手でイナリの肩を叩き、事務室へと引き返していった。


「あの人は相変わらずだねえ……」


「イナリちゃん、ギルド長さんのこと苦手なの?」


「まあの」


 首を傾げるハイドラに、イナリはまた顔を顰めつつ頷いた。それなりに時間が経った今でも苦々しい思い出だ。


「以前、金銭を巻き上げられたことがあるのじゃ」


「えっ!?そ、そんな人だったんだ……」


「それはかなり……いや、少し語弊がありますよ」


「少しなんだ」


 ハイドラのギルド長に対する心象が下がる一幕もありつつ、この後は椅子や机の整頓や、説明書きを書いた紙の用意をした後、翌日以降の分担や流れを確認して解散した。


 分担は基本的にはイナリとハイドラが交互に、たまにリズが入るという風になった。しかし初日に限っては、イナリとハイドラの二人で準備をすることになった。


 きっと皆、困っているイナリのためにポーションを受け取りに来るだろう。もしかしたら、ポーションが足りなくなってしまうこともあるかもしれない。イナリは冒険者の長蛇の列ができる未来を想像して、尻尾を揺らしながら帰宅した。





 そしてポーション配布計画一日目の早朝。


 イナリとハイドラは、その日の依頼が掲示されるよりも早く冒険者ギルドで落ち合い、いそいそとポーションの準備を整え、行儀よく椅子に座って他の冒険者を待ち構えた。


 しばらくすると、ギルドの周辺に居た冒険者達が掲示板や受付の周辺に群がり、依頼を受けて外へ出ていく。そしてそれと入れ替わる様に、新たな冒険者が現れる。その繰り返しで、ギルド内はとても賑わっている。


 イナリがこの光景を見るのは二度目だ。一度目の時はまだ人間の事も全然知らないままに何となく眺めていただけなので、あの時とは少し見え方が変わって面白い。ハイドラもあまりこの光景を見たことは無いのか、驚きと関心が混ざったような表情をしていた。


 そんな様子を四十分程度眺め続けているうちに、やがてギルドに居た者の大半が出払い、静けさが訪れた。その時期を見計らってか、丁度良いところで「虹色旅団」の三人がギルドに姿を現す。


 まず声を上げるのはエリックだ。


「二人とも、お疲れ様!調子はどう?何事もなかったかな?」


「……うむ」


 心配するエリックの言葉に、イナリは静かに頷いた。


「それにしては随分と元気がありませんね。あっ、もしかして、皆がイナリさんからポーションを受け取ろうと殺到したせいで、疲れてしまったのですね?全く、可愛いイナリさんを前にしたらそうなるのも無理はありませんが、もう少し理性的に――」


「待って、エリス姉さん」


 いつものように頓珍漢な事を口走り始めるエリスをリズが静止する。


「何ですかリズさん?私は至って真面目ですよ」


「そうじゃなくて、よく見て。ポーションが入った箱、満杯だよ……?」


「えっ?」


 エリスが体を傾けて、リズが杖で指した箱の中身を見る。そこには、ぎっちりとポーションが詰まった箱が積まれていた。


「これは一体……?」


「見ての通りですよ」


 困惑するエリスに、ハイドラがやさぐれたように答える。次いで、イナリもぷるぷると震えながら声を上げる。


「言ったであろ?何事もなかったのじゃ」


「……まさか」


「何も、ながっだのじゃ……!」


 もうお分かりだろう。あれほど居た冒険者のうち、ポーションを受け取りに来たものは一人も居なかったのである。


 イナリの胸中は、昨日抱いていた理想と現実の差に打ちのめされ、悔しさとやるせなさにもみくちゃにされていた。

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