第325話 外来植物問題
事の始まりは、だいたいイナリがこの街を去ったと同時期か、少しあとくらいのこと。
以前イナリがエリスと共に市場を巡った時にも見たように、この街では、魔の森で手に入れることができる、季節外れの作物や希少な植物を市場で売っていた。詳しいところは知らないが、それなりに栄えていたようである。
そんな中、これに商機を見出した他所の街で活動する商人が多数現れた。どうにも、魔王もといイナリの活動が鎮静化したことが、その流れを後押ししたらしい。
「おかげで魔王のお隣の街とは思えないほど栄えてな。俺も多少美味しい思いはさせてもらったよ」
「ふむ。ここまで聞いた限りだと、順風満帆なように聞こえるがの?」
「ああ、ここまでは良かったんだ。ここまではな」
「何があったのじゃ?」
店主がため息を零す様子を見て、イナリはさらに続きを促す。
「金に目がくらんで、馬鹿なことを考える連中が出てきたんだ。他所から植物やら種やらを運んできて、手当たり次第に魔の森にばら撒いて行きやがったのさ」
「人間がよくやるやつね。ミントかスズランでも持ってきたのかしら」
「詳しい原因は知らない。ただ、森の栄養が完全にそっちに持っていかれたのは事実だ。おかげで、周辺の村まで巻き込んで農業は壊滅。他所から材料を取り寄せないといけなくなってしまった」
「ふーむ……?」
植物と深い縁のあるイナリだが、この辺の話はあまりピンとこなかった。
というのも、イナリの成長促進があれば大して問題にならないからである。雑草を抜くという作業も、その方が見た目が綺麗だからとか、植物同士の見分けがつけやすくなるからとか、そういう理由が主だと思っていた。
それに、先日の宴でイナリが何も知らずに頬張っていた料理の数々には、実は馬鹿にならない費用が掛かっていたのかもしれない。
イナリがそんなことを考えている間に、ウィルディアが口を広く。
「何とも世知辛い話だな。一時的に店を畳むのも手ではないか?」
「何じゃと!?この店が無くなってしまうと、我が困るのじゃ」
ウィルディアの提案を聞いたイナリは声を上げた。それを見て店主は嬉しそうに微笑する。
「お客さんの言う事は尤もだが。嬢ちゃんを筆頭に、この店を愛してくれている客が居る限りは続けていくさ」
「そうか。余計な発言だったな、すまない」
「いいさ。そういう事を言われるのは初めてじゃない。……さて、お待ちどう」
店主はウィルディアの謝罪を受けつつ、皆の前に料理を配膳した。
「ふむ、よく出来ておるのじゃ」
イナリがやや上から目線な感想と共に食事に勤しんでいると、一口食べたアースが訝しげな表情で店主に問う。
「ねえ、これはどこで手に入れた米?」
「……コメか。嬢ちゃんも言っていたが、一体何なんだ?」
「呼び方が違うだけで、オリュザのことじゃ」
厳密には別物だが、ほぼ同じものなのでこの説明で問題は無いはずだ。かつての己と同じ過ちをするアースを見て、イナリは密かに安堵しながら訂正した。創造神であっても、呼称の違いによるすれ違いは起こるようである。
問いの意味を理解した店主は、腕を組んでしたり顔をする。
「ふふ、そこの嬢ちゃんが以前作ってくれたものを使ったんだ」
「へえ?……多分これ、変質してるわよ」
アースはイナリの方を一瞥し、小声で呟いた。もう少しその辺を詳しく聞きたいと思ったイナリだが、それよりも先に店主が話を続ける。
「少しだけ試食させてもらったが、本当に質が良い。普段使っているものと同じとは思えないほどだ」
「確かに、私が過去に食べたどのオリュザよりも質が良いように思えるな。……サニー君、これくらいでいいか?」
「うん」
ウィルディアがサニーの分の食事を取り分けつつ、店主の言葉を肯定する。これを聞いたイナリは誇らしげに胸を張った。
「くふふ。我が育てたもの故、美味なのは当然のこと。また持ってきてやってもよいぞ?」
「嬢ちゃんが育てていたのか!それなら大歓迎、と言いたいところだが」
店主は調理器具を棚にしまいながら表情を曇らせる。
「当分、あそこで作物を育てることはできないだろう。魔王が戻ってきてくれたら……何てのは禁句だな。聞かなかったことにしてくれ」
「そうじゃのう」
店主の言葉に、魔王は料理に舌鼓を打ちながら頷いた。
「――今日も美味だったのじゃ、馳走になったのう」
イナリは店主に礼を告げつつ懐から硬貨入れを取り出し、白金に輝く硬貨を一枚取り出した。イナリの懐に数枚だけ残されていた大金貨のうちの一枚である。
「代金はこれで足りるかの?」
「足りるというか、今後の食事の代金をタダにしても足りないくらいの額だが。嬢ちゃん、本当に何者だ……?」
「神じゃ」
イナリの言葉に店主は面食らった後、小さく笑って頷いた。
「まあ、俺からすれば間違いではないかもしれないが。ああ、自分が情けなくなってくるぜ……」
「気に病む必要はないのじゃ。我を満足させるのは、そう容易いことでない故の」
「……そうだったかしら?」
何故かアースが首を傾げるが、イナリは何も間違ったことは言っていないはずである。その様子をよそに店主は悩まし気に唸り声を上げる。
「しかしなあ、一方的に施されるのは俺の面子が立たない。何かいい恩返しの方法を考えさせてくれ」
「うむ、気長に待つとしよう。また来るのじゃ」
イナリは店主に小さく手を上げて挨拶しながら席を立ち、皆を率いて店を出た。
「さて、この後の予定なのじゃが……少し行きたいところができたのじゃ。付き合ってくれるかの?」
「何処に行くんだ?」
「森を見に行くのじゃ」
イナリはメルモートの中でも貧相な部類の街門を潜り、魔の森へ繋がる道を歩いていた。
なお、今日は唯一の顔見知りの門番であるフレッドは居なかった。挨拶の一言でもと思ったが、彼とて毎日ここに居るわけではないのだろう。
「ここを歩くのも久々じゃが、相変わらず閑散としとるのう」
「イナリ君、何処まで行くつもりかね。サニー君は連れて行けないぞ」
ウィルディアがサニーの手を引きながらイナリに問う。
「ああ、今日は湖まで行って、軽く森の様子を見るだけじゃ」
「ね、湖ってどんなとこ?」
「大きな池じゃ。折角じゃし、少し遊んで行ってもよいかもしれぬのう」
「やった、一緒に遊ぼ!」
「うむ。じゃが危険なこともあるからの、皆の言葉をよく聞くのじゃぞ」
イナリはサニーに揺さぶられながら忠告した。こういうのは如何にも年長者感が出ていい気分であった。
そんな話をしているうちに湖に到着した。ここはイナリの記憶の中のそれと違わず、以前ほどではないものの、釣りに勤しむ人間が幾らか見受けられる。
「わあ、おっきいね!」
「こら、危ないぞ!」
サニーは初めての湖に気分が高揚し、駆け出していく。それを追いかけるのはウィルディアだ。どこか手慣れているのは、彼女がかつてリズに手を焼いていた事の所作だろうか。
それを後目に、イナリとアースは周辺を観察してみることにした。
「……何かは知らぬが、同じ植物がやたらと跋扈しておるのう」
「ハーブ系かしら?明らかにこの辺の植生から浮いてるわ」
アースが言うように、全体的に深緑色の系統の草が多かったこの場所に、妙に青緑がかった草が数多く見受けられた。
「ううむ、以前はこんなもの生えてなかったのう……」
当初は湖から森を眺めるくらいの予定であったが、森を見るまでもなく、異変の影響が広く及んでいた。
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