第211話 トゥエンツでの一日(前)
朝食と軽い会議を終えたイナリは、エリスと共に街の中を歩いていた。この街は日中にもなると人の出入りも盛んで、定期的に街道を馬車が通過していく。
「ところで、我らは今どこに向かっておるのじゃ?」
「実を言えば、どこに行くわけでもなく歩いているだけです。その、私もこの辺については、さほど土地勘がありませんので……。ですが、こういうのんびりした時間も悪くはないはずです」
「確かに、それは一理あるのじゃ。偶然の発見にも趣はあるからの」
「そういうことです。……でも、もしイナリさんが気になる場所があれば、そちらを見に行くのも良いでしょう。どうしましょうか」
「ううむ……。あ、そうじゃ、我、牧場を見てみたいのじゃ」
「牧場ですか。畑の方は良いのですか?」
「うむ、それは過去数千年単位で見てきた故、今更見るものでもないのじゃ。一応、作物に違いはあるじゃろうし、育て方も多様ではあろうが、本質的に大した違いはなかろ?」
「そういうものですかね。では、牧場の方に行きましょうか。確か……北の方にあったはずです」
エリスは朧気な記憶を辿りつつ、イナリの手を引いた。
「思っていた場所とちょっと違って困りましたが……まあ、到着したので大丈夫ですね」
「うむ」
二人が到着した街の中心から外れた広い草原には、いくつかの家屋と広めにとられた柵があり、その中には十数体の動物が見受けられる。
「あれは……羊かの?」
「山羊ですね」
「……」
イナリは静かに、草原の草を食む山羊を眺め続けた。柵の間から眺めているイナリを見て、エリスはイナリを抱え上げた。
「……今度、羊っぽい服を買ってみましょうか。イナリさんがもこもこになったら、最強だと思うんですよ」
「はあ……?」
唐突に意味不明な発言を始めるエリスにイナリは訝し気な目を向けた。しかし、前からこんな感じだったと思い直すと、再び山羊の方へ目を向けた。
「おはよう、そこのお二人さん。こんなところで何してるんだい?」
二人で静かに柵の手前まで近づいて羊と羊飼いの様子を眺め、そろそろ飽きたし戻ろうかと提案しようとしたところで、隣の方から翁の声がかかる。彼は近くの小屋から鉄の桶や鎌を持って歩いてきたようで、この牧場の関係者らしい。
エリスは彼の方へ向き直り、挨拶を返す。
「おはようございます。この子が牧場に興味があるというので、見学させて頂いておりました。すみません、ご迷惑でしたか?」
「いやいや、そんな子供が興味を持ってくれるなんて嬉しい限り。いくらでも見て行ってくれて構わないさ。……少し待っていなさい」
そう言うと男は引き返して家屋へと入っていき、しばらくすると、小さな瓶を二つ持って戻ってくる。
「今朝、ここの山羊から採れた乳だ。もしよければ飲んでみてくれ」
「ふむ」
「ありがとうございます。有難く頂きます」
二人は小さな瓶を受け取り、山羊の乳を飲んだ。お世辞にも大した量ではないが、味わうには十分な量である。
「……ちと癖のある風味じゃな?後味が残るのじゃ」
「そうですね。私も、山羊の乳をそのまま飲んだ経験はあまりないです」
「ははは。初めて飲んだり、加工品しか食べたことが無いと、少し気になる味かもしれないね。苦手だったかい?」
「んや、これはこれで趣があって良いと思うのじゃ。感謝するぞ、翁よ」
「いやいや、美味しいと思ってくれたのなら、冥利に尽きるってものさ。それじゃあ、お邪魔したね、好きなだけ見て行くといいさ」
「はい、ありがとうございました。貴方に神の恵みがありますように」
「おお、神官さんだったのかい、服装が違うと分からないものだ。これはきっと、近いうちに良いことがあるなあ」
翁はそう言って笑いながら去っていった。
二人はあの後、散歩がてら牧場の外周を一周して街に引き返してきた。
「そういえば、この街に商業地区はあるのかや?」
「いえ、あれはメルモート特有のもので、大抵の街はあちこちに店と住居が入り混じっています。それでも、自然と人の流れが盛んな場所に店が集中したりはしますが」
「ふむ……。しかし、我が見る限り、殆ど店らしい店が見受けられぬが?」
「……確かに、あまり購買欲を刺激されるような店はありませんね。何というか……野菜と果物ばかりです。日持ちの問題もあるので、今買うのは微妙ですね」
「ううむ、では……冒険者ギルドはどうじゃ?」
「多分、その場にいる人間模様が違うだけで、基本はメルモートと変わらないと思います。楽しいかと言われると……これも微妙ですね」
「……では、ちと早いが食事じゃ!丁度そこにそれらしい店があるのじゃ!」
「そうしましょうか。ふふ、イナリさんは本当に食べるのが好きなんですね」
「うむ。いくらか人間に対する想いは変わったが、結局料理が一番じゃ」
「……ううん、教育を間違えましたかね。もっと娯楽に触れさせるべきでしょうか……」
悩まし気な声を上げるエリスの手を引いて、イナリは目に留まった飲食店に乗り込んだ。
なお、今のイナリには品書きすら読めないし、エリスに代わりに読んでもらっても、どのような料理かはわからない。よって、注文は全部エリス任せであった。
「何を頼んだのじゃ?」
「山羊の乳を使ったパスタです。先ほどの出来事を踏まえたらちょうどよいかな、と」
「ぱす……た?」
「麺料理です」
「なるほどの」
イナリは返事を返すと、店内をぐるりと見回した。
今までにイナリが見てきた飲食店と比較すると、家の一部をそのまま飲食店に改装したような風貌で、所謂大衆食堂に近いように思われる。他の席に座っている客も、如何にも地元民らしい風貌だ。
それに、棚には明らかに店主の趣味であろう木彫りの人形や旗のような装飾が飾られていて、のびのびとした雰囲気である。
「……なあ、そういえば聞いたか?ニエ村に獣人が集まってるとか」
料理を待っている間、エリスと一緒に、棚に飾られた木彫りがそれぞれ一体何を模しているのか考えて遊んでいると、二人の近くにいた三人組の客が興味深い会話を始めた。
「へえ、何でまた?」
「さあな。街の守衛が言うには、追い返して流れた獣人が屯しているんじゃないかって話だが」
「俺、獣人の間に主導者がいるって話を聞いたことがあるな。もしかしたら、村を乗っ取って拠点にしようと目論んでいるんじゃないか?」
「はー、それが本当ならかなり怖いなあ。国の兵士とか、教会の人は何もしてくれないのかねえ」
「うーん、知る限り、何にもお触れは無いはずだ。ナイアも近いし、野放しってこたあ無いはずだけどよ……」
「そもそも、獣人は集まって何するんだろうな?村作ってそこで籠るだけなら、お好きにどうぞって感じだが。ニエ村が乗っ取られるってんなら、そこのよくわからん連中も居なくなって一石二鳥だしな」
「お前、あんまり外でそういうこと言うなよ。……まあ、本格的にヤバくなったらナイアに避難も検討してみるか……」
「獣人と言えば相談なんだが、ヤバい獣人とそうじゃない獣人の見分けがマジでつかねえ。仕事柄避けるわけにもいかないし、変に避けて目をつけられても堪らん。どうすりゃいいんだ?」
「わからん。正直運だと思ってる」
「ふん、甘いな。俺にはわかるぜ、ヤバそうなのには闘気ってのがあるんだよ」
「……何だそりゃ?」
「例えばそこの獣人の女の子を見て……おおっと」
男が突然イナリの方を向いて目を合わせると、一気に気まずそうな面持ちで目を逸らし、そして再び目を合わせ、会釈をしてくる。
「ええっと……どうも」
「うむ。それで、我が何じゃ?」
「あー、あはは……ええっと、君みたいな獣人は安全だろう、という例にさせてもらおうとしたんだ。失礼した」
「うむ。我を害するわけでもなし、許すのじゃ」
「あ、ああ。ありがとう。……ええと、ほら、闘気が無かったから大丈夫だったろ?」
「……まあ、問題はなかったけどよ……」
「迂闊すぎだろ。バッチリ目を合わせてるじゃねえか」
「うるせ、許してくれたから結果オーライってやつだ。……はあ、話を変えるか。何か、『樹侵食の厄災』が行方不明になったらしいぞ」
「へえ」
他の連れに咎められた男は誤魔化すように話題を転換させたが、奇跡的にと言うべきか、結局、実質的にイナリの話から変わることは無かった。
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