旅の準備

第192話 ウィルディアからの手紙

 イナリが街に戻ってきてから三日後。


 その日の夕方、イナリの様子を見に、ハイドラが家に訪れてきた。


「イナリちゃん、完全に回復したんだね!錯乱して逃げ出したって聞いた時はどうなっちゃうかと思ったよ……」


「うむ。まあ、色々あったのじゃ」


「でも、まだ文字は読めない状態みたいですから、完全体ではないみたいです」


 エリスが紅茶を淹れたコップをハイドラの前に置きながら口を開く。


「あら、それはお気の毒に……。何か助けられることがあれば、何時でも頼ってね?」


「うむ」


 一応あの後、四六時中にイナリにくっついてくるエリスの隙をついて、言語モジュールに関してアルトに苦情は入れてある。


 ただ、結局言語モジュールの修正はできていない。


 彼曰く、言語モジュールの再調整には最低でも一日は要するため、その間、再び言葉が一切わからない状態に陥るとのことらしい。しかも、まだ世界の調整作業が十分にできていないらしく、あまり余裕もなく、もしかしたらもう一つ、二つくらい歪みが実体化しかねない規模なのだとか。


 それを聞いたイナリは、差し迫った問題は今のところ起こっていないし、文字を読む必要があればエリスに頼ればいいだろうと考え、一旦保留することにした。


 そして、その事情を多少ぼかし、ひとまず完全な回復とは至っていないという体をとっているというわけである。


「でも、文字が書けないのに文字が読めたという本来の状態も不思議ですよね。普通、そこまで極端なことになりますかね?」


「……確かに、歪な感じはするかも……?」


「ま、まあ、色々事情があるのじゃ。うむ」


 ……もしかして、元々この世界の文字が書けなかったのも言語モジュールの問題だったのでは?


 そんな考えがイナリの頭に過るが、それで不便な目に遭ったのは冒険者登録の時くらいだ。さほど気にしなくてもいい。


「それで、いきなりこんな話するのもちょっと悪いんだけど……ポーションの製作はできそう?」


「うむ、問題無いのじゃ。既にいくつか用意してあるのじゃ」


「おぉ、いいね!前にこれを飲んだ人がそれはもういたく気に入ったみたいで。入荷はまだかってちょくちょく連絡が入ってたんだよ」


「そうか、では後で渡すのじゃ」


「うん、助かるよ。……あ、紅茶頂きます、ありがとうございます、エリスさん」


 ハイドラは紅茶が入ったコップを手に取り、口に運ぶ。


「ところで、あまり快いお話ではないかもしれないのですが……最近は世間の獣人に対する見方が変わってきていますが、影響の方は大丈夫ですか?新聞記事や教会の人のうわさ話等を聞いていると、中々大変なことになっているように思います」


「ああー……中々酷いですよ。獣人の風当たりが強くなってきてからというもの、新規顧客はめっきりで、今までよくしてくれた商会さんや商店さん、後は冒険者ギルド辺りが頼りになってますね」


「それはそれは……」


「もしかしたらこの街の締め出し政策も影響してるのかもしれないですけどね。……まあ、あんな野生生物を街に入れたら、平和な街が滅茶苦茶になるに決まっているし、私も支持してますけど」


「確かに我、この街から締め出されかけて、門番と困り果てていたからの。エリスが助けてくれねばどうなっておったか……」


 イナリは数日前の出来事を思い返し、しみじみと呟いた。


「しかし、お主は支持するとは言うが、我にはこの策が些か過剰なようにも思えるのう。獣人が全体的に過激そうだという印象には我も頷けるが……」


「まあ、実を言えば本当にヤバいのはテイルの獣人で、それ以外の地域の獣人なら、最低限の社会性ぐらいはあるんだ。ただ、人間からすればどれも同じ『獣人』だし、話すまではどこの出身かなんて見分けようがないよね」


「ちなみに、お主はどうなのじゃ?」


「ふふふ。どこだと思う?……実は、私もテイル出身なんだ。それはもう酷かったよ。雨風がよく通る、小屋と形容するのも烏滸がましい家に、その辺の草食べてた方がまだマシかってくらいの食事、毎日そこら中で喧嘩、略奪、争い……それはもう……ねえ?」


「私も一時期テイルで過ごしたので、よくわかります。ただ、その……よく錬金術師になれましたね……?」


「まあ、早々に見切りをつけて、こっちに逃げてきたので。道中で死にかけましたけど、運よく通りすがりの錬金術師さんに拾ってもらって、色々勉強して、ここの魔法学校に推薦されて……って感じです」


「そ、壮絶じゃな……」


「えへへ。まあ、おかげでリズちゃんとか、色んな人と仲良くなれたし、狭いけど快適な自室もあるし、稼げるようになったし……今となっては武勇伝みたいなものだよね!」


「そ、そうですね……?」


 三人がリビングのテーブルで雑談をしていると、そこに玄関の扉が開閉する音が響き渡り、エリックがリビングへ飛び込んでくる。そのあとには、のそのそとディルも続いてくる。


「二人とも!ウィルディアさんから手紙が来たよ!……あ、ハイドラさん、こんにちは」


 エリックはハイドラの姿を認めると、部屋に現れた際の勢いを失くして挨拶した。


「エリックさん。それにディルさんも、お邪魔してます!ええと、お暇したほうが、良いです、よね?」


 ハイドラは席から腰を浮かせ、長い兎耳をへにゃりと曲げ、気まずそうな面持ちで告げた。


「ああいや、気にしないで、ゆっくりしてもらって大丈夫だよ!……寧ろ、手紙の内容からすると、居てもらった方がいいかもしれない」


「そ、そうなんですか」


 ハイドラは困惑したまま席に座り直した。


「して、その手紙の内容とは?」


「ああ、ええっと……読み上げるね」




 虹色旅団 様


 虹色旅団の皆様、お世話になっております。貴団に所属するリズの師、ウィルディアです。


 誠に勝手ながら、以降は堅苦しい文章を考える時間がもったいないので、書きたいように書かせてもらう。


 さて、まずは近況報告から。


 ひとまず、私達は無事アルテミア王都に到着し、目的地であった魔法学校にて意見交換会もとい、転移魔法お披露目会に出席した。実演会についてはリズ君も満足したらしく、主たる目的は達成した。


 だが、その後が問題だ。もしかしたら既に新聞などで情報が行っているかもしれないが、念のため以下に記しておく。


 私達が転移術の実演会を終えた翌日、アルテミア魔法学校は、予定になかった逆転移魔法の試運転会をするべく、来賓を再招集した。そして、異次元からの逆転移を試み、魔術災害を発生させた。魔術災害というのは、要するに、魔術ないし魔法によって起こる事故、災害の総称と思ってくれれば結構だ。


 なお、魔術災害とはいっても、逆転移の術自体は正常に動作した。人智の及ばぬような存在が呼び起こされることも無く、人間一人が召喚されるに至ったのみである。


 問題は、アルテミア魔法学校陣営が功を急いたのか、魔法陣における常識でもあるフェイルセーフ記述を故意に欠いていた点だ。


 魔法陣における魔法は、それを発動するのに必要な魔力を術者が保有していない場合、周囲から魔力を取り込むことで穴埋めを行う。


 しかし、その規模如何によっては、膨大な魔力を周囲から取り込み、結果魔力欠乏症による昏睡者や死亡者を出すなどの事態が起こることが想定される。そのため、魔法陣には必ず、取り込む魔力量を抑制するか、術者の魔力で発動分が賄えない場合は強制的に術を停止するための記述を含んでおくのが常識だ。(詳細は、メルモート魔法学校附属図書館貯蔵「魔術災害記録集」の序章「魔術災害とは」を参照すると分かりやすい)


 そして、その記述を抜いて起こったのが今回の事件というわけだ。


 間違いなく、アルテミア魔法学校が今回の事件の責任について追及されることは免れないだろう。そして、転移術が普及していく上では、必ず議論することになる事例となるだろう。もしかしたら、転移術は闇に葬られるかもしれないまである。……まあ、学者としてこのような憶測をするべきではないかもしれないがね。


 被害規模について、やはり異次元干渉を行うために必要な魔力量は尋常でなかったらしく、試運転会に立ち会った私達を含む、街全体の人々の七割近くが魔力欠乏症によって活動不可能な状態に陥り、幾らか死亡者も出ている始末だ。残りの三割も完全な健康体とは言えない状態で、私とリズ君、そして魔術災害を免れた人々でどうにかやりくりしている。


 それと、召喚された人間についてはアルテミアの教会により保護されたため、詳細はわからない。もしかしたらエリス殿辺りの方がよほど詳しく知っているかもしれないので、ここでは割愛する。


 さて、この手紙を出した専らの理由は近況報告だが、ここからは君たち「虹色旅団」への依頼の話になる。


 実を言えば、私達もまた、魔術災害に巻き込まれ、魔力欠乏症で活動不可能に陥りかけた人間だ。だが、私はこうして手紙を書いているし、リズ君も街の周辺の魔物を倒したり、他の人々と協力して仕事をしたりしている。


 その理由は、イナリ君が私達に持たせてくれたポーションのおかげだ。


 魔力欠乏症は基本的に魔力補給系のポーションでは焼け石に水なのだが、どういうわけか、イナリ君のポーションは、私達を一瞬にして回復させてくれた。つまり、まさに神に救われたというわけだ。


 というわけで、実に面倒だとは思うが、依頼料並びにポーション代はアルテミア魔法学校に負担させるので、どうか私達にイナリ君のポーションを届けてくれないだろうか。


 今後ともお気をつけて、「虹色旅団」のご活躍をお祈り申し上げます。


 ウィルディア


 追伸:転移魔法を使って、君たち宛てに1から12までの番号を書いた手紙を送った。メルモートの転移座標を調べるためのものなので、どの番号がどこに届いたか、わかる範囲で手紙で教えてくれると助かる。郵送先は冒険者ギルドアルテミア支部で頼む。


 追伸2:皆、元気?リズはイナリちゃんのポーションのおかげで元気だけど、忙しくて狂いそう!助けて!!!




「……以上」


 エリックが結びの一言を告げると、部屋はしんと静まり返る。


「……長いのう」


 そして、情報量に圧倒されて黙り込んだ一同に代わって、イナリは端的な感想を述べた。

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