第159話 純粋な疑問
エリスの黙秘権行使をよそに、エリックが話を切り替える。
「それで、イナリちゃんはどうやって戻ってきたの?」
「あ、それ、リズも気になるな。正直、生きてる可能性は高いだろうとは思ってたけど、戻って来れるとは思わなかったし……」
「ああ、それなんじゃがな……」
イナリはどうしたものかと一考する。
今ここで死んだことになっているはずのグラヴェルについて正直に話すのは、あまり良くないような気がするのだ。イナリは適当にそれらしい理由を考えるために、皆がどの程度の情報を持っているのか確かめる。
「すべて仔細に話すのは骨が折れるのじゃ。お主らはどのくらい知っておるかの?」
「そうだね、ざっくり言うと、捕まって自爆したところまで……?」
「……ふむ、やはり我は自爆ということになっておるのじゃな。ボスとかいうのも勘違いしておったのじゃ」
「……ボス?」
イナリの言葉にエリックが怪訝な表情をつくる。
「うむ。今は土に埋まっておるがの」
「ああ、崩落時に色々あった感じか……」
「まあ、そんな感じじゃ。ついでに正しておくと、我に飴を食わせたあの男、おるじゃろ?あやつが逆恨みで自爆したのじゃ」
「うわ、最悪だね……」
「うむ。で、我は利害が一致した、土魔法が使える者と共に脱出したのじゃが……魔の森で魔物に襲われて食われてしまったのじゃ。それで、不可視術を使ってはるばる歩いてきた、という感じじゃな」
「それは大変でしたね……イナリさんに怪我は?」
「無いのじゃ」
「イナリちゃんと一緒に行動してた人の名前を聞いてもいいかな。明日、イナリちゃんの生還と合わせてギルドに報告して来るよ」
「グラヴェルという者じゃな。自爆したのがレイトという者じゃ。ボスの名は知らぬが、少なくとも、地に埋まって最期を迎える程度の男であることは確かじゃ」
「なるほど、わかった。三人とも死亡済み、と……」
エリックは手元に小さな紙を用意して、イナリの言葉を記録した。
「お主らの方はどうじゃ?我が居ない間、何かあったじゃろうか」
「いえ、これといったことは。私達でずっとイナリさんを探し続けていましたので」
「ふむ、そうか」
イナリはエリスから差し出された肉をぱくりと食べて返事を返す。
「捕捉すると、メルモート守衛の方は大分悲惨なことになってる。既にイナリちゃんが犠牲になった前提で話が進んでるから、こう……内部分裂寸前というか……」
「元々秘密裏ってことで全体に周知されていない囮作戦で、肝心の囮が命を落としたなんて大失態もいいところだからな。しかも囮がイナリなんて子供で、それも獣人ときたから、より一層面倒なことになっている」
「我は子供でもなく獣人でも無く、神じゃと何度も……まあよい。子供が囮というのが非難される理屈はわかるが……獣人となると何が問題なのかや?」
「要するに、獣人だから命を軽視したんじゃないかとか、そういう話だな。イナリが無事とわかった今なら無駄な議論でしかないんだが……」
「明日、いち早くイナリちゃんの無事を伝えないといけないね」
「そうだな。俺も同行しよう」
ディルは水が入ったコップを片手に返事を返した。
「では、イナリさんは、一緒に冒険者ギルドの方に顔を出しましょうか」
「何故じゃ?」
「守衛ほどじゃないけど、冒険者ギルドも割と空気がヒエッヒエなんだよね。イナリちゃんって微妙に有名人だから、そんな娘が居なくなっちゃって、皆悲しんでるんだよ」
「ほほう、そういうことなら我が直々に出向かねばならぬな」
「ええ。リーゼさんは特に悲しんでいましたからね、無事を知らせに行きましょう」
「うむ」
翌朝、やや冒険者ギルドのピークを過ぎた辺りの時間で、イナリ、リズ、エリスの三人は冒険者ギルドに赴く。
イナリがギルドに姿を現すと冒険者たちの視線が集まり、イナリは一瞬たじろぐ。以前からそれなりに注目を集めることはあったが、全員の視線が一斉にこちらを向くという体験はまた違うものである。
「イナリさん、大丈夫ですよ」
「う、うむ……」
イナリの心境を察してか、手を繋いでいたエリスが優しくイナリの手を引き、受付カウンターの方まで移動する。
「おはようございます、アリエッタさん。リーゼさんはいらっしゃいますか?」
エリスが声をかけると、何か事務作業をしていたアリエッタが顔を上げて返事を返す。
「リーゼさんは現在休憩中で……いえ、お呼びしますね」
アリエッタはチラリとイナリを見やると、すぐに事務室の方へと下がっていき、間もなくリーゼを引き連れて戻ってくる。
リーゼはイナリを目にとめると、速足で近寄ってきてイナリを抱きしめる。
「イナリさんが自爆したと聞かされた時、作戦会議の時、エリスさんと一緒に私も反対すればよかったとずっと後悔していたのです。……本当に、無事で良かった。……あ、すみません、私としたことが、勢いあまって、こんなはしたないことを……」
リーゼは慌ててイナリから離れ、身を正す。よく見ると目元に涙が浮かんでいるようで、イナリの帰還の知らせを本当に嬉しく思っていることが窺えた。
「……まあ減るものでもなし。よかろう」
周囲を見ると一部、ここに居合わせた冒険者もうんうんと頷いたり、釣られて涙を流す者が見られる。イナリが有名人というのはあまり実感が無かったが、このような様子を見るといくらか実感が湧いてくる。
「そう言っていただけると助かります。ところで、どういった経緯で……」
「イナリさんに関する報告は予めまとめてありますので、こちらを」
エリスが懐から数ページの報告書を取り出してリーゼに手渡す。
「なるほど、ありがとうございます。確認させていただきますので、少々お待ちください」
「わかりました。よろしくお願いします」
リーゼはまだ休憩していてもよいであろうに、早速業務に着手するようだ。
「では、私たちは酒場で待っていましょうか。イナリさん、何か食べます?」
「んー……どうしようかの……」
イナリが酒場の厨房前の品書きを見て悩んでいると、後ろから声がかかる。
「よう、狐の嬢ちゃん、よく生きて帰ってきたな!」
「……誰じゃ?」
「あ、覚えてないか。俺、嬢ちゃんが冒険者登録するときに剣を貸したんだけど」
「……ああ!あやつか!」
「実は俺も作戦に一枚噛んでたんだが……ここは帰還祝いってことで、俺が景気よく奢ってやろう。好きなものを頼みな!」
「なっ……イナリさんに食事を買い与えるのは私の役目ですよ!?」
「エリス姉さん、それは違うと思うよ」
謎の逆ギレをするエリスに対し、冷静にリズが指摘する。
「まあ、貰えるものは貰うのが我の主義じゃ。そうじゃな……ではこの、『ヒイデリマウンテンパフェ』に挑むとするのじゃ!……リズ曰く大変な量らしいが、皆で分ければよかろ」
「そう来なくっちゃな!よし、適当な場所で座って待ってな!お前らも飲もうぜ!」
彼は他の仲間にも呼びかける。朝にも関わらず、早くも宴会ムードである。
「朝なのに元気じゃなあ……」
「まあほら、ここ二日間ずっと陰鬱な空気だったから、その分騒ぎたいんだと思うよ。冒険者って元々、事あるごとに『お祝いだー!!』とか言ってジャブジャブ酒飲むような人種だから」
「朝一で飲酒は絶対に後に響くと思いますけどね……まあ、イナリさんの帰還を祝うということなので良しとしましょう。私も何か飲んじゃいましょうかね……」
「まあ、今日は予定も無いだろうし良いんじゃない?エリス姉さん、悪酔いとかもしないし」
「ではちょっと、適当に一つ頼んでおきましょうかね」
「……リズもフルーツジュース、飲んじゃおうかな」
「ああ、ではそれも一緒に頼みます。イナリさんは?」
「我もそれで良いのじゃ」
エリスは厨房に注文し、杯を受け取って、そのまま適当な席に座る。
「ディルさんとエリックさんは居ませんが……まあ、後で来るでしょう。一足先に、イナリさんの帰還を祝って、乾杯!」
エリスの音頭に合わせて、各々杯をぶつけ合い、一口飲む。
「ところで我、昨日からずっと疑問に思ってたことがあるのじゃ」
「ん?どうしましたか?」
「お主、我をよく抱くじゃろ?昨夜もそうであったが」
「え?は、はい」
エリスは、一体何を言い出したのかとばかりの返事を返す。
「グラヴェルが言っておったのじゃが、人間は金を貰って女を抱ければ良いと聞いたのじゃ。お主は、我を抱いて満足しておるか?」
「ん゛ンッ、ゴホッ、ゴホ……」
イナリの問いにエリスは全力でむせた。何故かはわからないが、ギルド内も静まり返り、やや緊張感が漂っている。
なお、イナリは妙な曲解をしているが、そもそもグラヴェルはそういった旨の発言はしていないし、どちらかというとボスの価値観である。
「エリス姉さん、大丈夫!?」
エリスがむせた理由がわからないリズがエリスを心配する。
「すっ、すみません。ちょっとビックリしちゃいました。イナリさん、あの、私はイナリさんとの生活に満足してますけど、その質問は色々と誤解を招いてマズいです。周りの方も、私をそんな目で見ないでください。皆さんが想像してるのは多分違いますから。誤解なきよう」
エリスは赤面しながらも周囲に全力で訴え、どうにか誤解であることを訴えた。そこにタイミングよく、厨房からイナリが注文したものが運ばれてくる。
「お待たせしました!『ヒイデリマウンテンパフェ』です!」
「……ううむ、以前のおむらいすと同等か?これは食べるのに苦労しそうじゃ。ほれ、皆も食べるが良いぞ」
「いや、待ってください。食べながらでもいいんですけど、イナリさんとしっかり話し合わないといけない気がするのです」
「いや、溶けちゃうから先に食べようよ!氷魔法で冷やすのも大変だからね?」
「う、うう……そ、そうですね……」
純粋なリズに押し負け、エリスは渋々とパフェを小皿に分けて分配していく。
イナリは今回の一件で、初めて直に人間の悪意に触れるとともに、自分がしでかした事が人間に及ぼした影響を目の当たりにした。しかしその一方で、本人が思っていた以上に広く、自分が周囲から大事にされていたことも分かった。
地球でのイナリも、きっと大切にはされていたのだろう。しかしそれはイナリ本人を、というよりかは、イナリの力を、と言った方が良いであろう。だからこそ、役目を失ったイナリの居場所は失われたのだ。
あるいは、こちらでも、単にこの街で珍しいから覚えられているだけで、一過性のものなのかもしれない。でも、地球に居たころとは違い、少なからず、しっかりとイナリ本人を見てくれている者が、確かにいる。……寧ろ、過保護まである者も一名いるが、それも問題ない。
とにかく、これは、人間社会での交流を進めたという実績としては十分な事だろう。
ともすれば、魔王と誤認されている状態は解消していないが、少なくとも、イナリの生活は着実に良い方向に向かっていることは確かだろう。
そんなことを考えながら、周囲の冒険者の喧騒を背景音に、イナリはパフェを一口食べた。
「……冷やっこいのじゃ」
イナリは一言呟いた。
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