第126話 不可視術が効かない理由
「この子がイナリちゃんって……森にいるって話は?」
「ええっと……その、嘘です。理由は後々わかると思うので、一旦置いておかせてください」
アリシアの問いかけにエリスが答えたところで、部屋の扉が二回叩かれ、神官の声が扉越しに響く。
「中から大きな声が聞こえましたが、大丈夫ですか?」
「すみません、外から入ってきた虫に驚いてしまいました。もう外に出ていったので、お気になさらず」
エリスは扉へ近寄り、神官の呼びかけに返す。
「そうでしたか、もし何かあったらすぐにお申しつけください」
「はい、ご迷惑をおかけしました。……ああ、今日だけで二回嘘をついてしまいました……」
エリスはため息をついて呟きながら、イナリの隣へ戻って背中をさすって宥めた。
「エリス様、説明を要求します」
アリシアは聖女としての口調に戻し、エリスに問いかける。
「そうですね、そもそも、本来イナリさんがここに来る予定は無かったのですが――」
まず、エリスは未だに部屋の隅で構えるイナリに代わって、アリシアに不可視術の大まかな説明をした。
「――と、いう感じなので、今のイナリさんは私以外に認識できないので、そもそも聖女様がイナリさんを認識することを想定していなかったのです。……が、何で見えてるんですかね?イナリさん、何かわかります?」
エリスは背後に隠れたイナリを抱えて椅子に座った。アリシアも、それに合わせてエリスの隣に座る。
「……心当たりが無いことも無いのじゃ。お主、何か神との繋がりはあるかや?体内に神の力があるような直接的なものでなくとも、体の一部を持っているとかでも良いのじゃ」
「繋がり、ですか?私は聖女の務めとして、アルト神から神託を授かっていますが……」
「なるほど。恐らくそれじゃな」
「どういうことですか?」
「我の不可視術はの、一部の条件下で通用しないのじゃ。その条件の一つが、神との繋がりじゃ」
イナリは地球で生活していた頃、自分の姿を見た者の一人である他所から訪れたという巫女の事を思い出していた。
イナリの姿に気がついた巫女と原因究明のために少し言葉を交わしたところ、どうやら彼女が祀る神のお守りとやらを持っていたことが判明した。しかし後日、他の巫女や神職者の中に、イナリを捕捉する者は殆どいなかった。
そこから導き出した結論が、それなりに強固な神の力との繋がりがあると、イナリの不可視術が無効化されることがあるということだ。今回もそれと同じような事態のはずだと、イナリはあたりをつけた。
「……そういえば、森に行く前の私は、イナリさんのお守りを持ってたおかげで不可視術の影響を回避できていたのでしょうか。やはり、愛の力ではなかったのですね……」
「それは知らぬ。ともあれ、恐らく、神託を受けるということは、一時的に神と交信するという事。ともすれば神の力との繋がりも濃くなるわけで……我の不可視術を無効化した理由はこれであろうな。ううむ、見えないだろうと踏んで半ば興味本位で着いてきたが……油断したと言わざるを得ないのう……」
イナリが腕を組んで唸ったところで、アリシアが声を上げる。
「エリス様、この、イナリ様は……一体何者なのですか?」
「私も正直、あまり詳しいところは存じ上げないのですが……」
「我か?我はかむごご」
イナリがお得意の神主張をしそうになったところで、エリスが両手でその口を塞ぐ。
「……エリス様、今、イナリ様が自己紹介をして下さるところのように見えたのですが……」
「ええっと、すみません、何かとんでもないことを言いそうだと思ってしまいまして」
「自己紹介で、ですか……?」
エリスの言葉にアリシアは訝しむが、実際イナリはとんでもないことを言いそうになっていた。
「イナリさん。ここは教会です。わかってますね?」
エリスは念押しするようにイナリの耳に囁く。口を塞がれたイナリが小さくコクコクと頷いたのを確認したところで、エリスはイナリの口から手を離した。
「こほん。では改めて……我はエリス達に保護され、最近冒険者パーティに加入した、イナリじゃ。我が神の力に詳しいのは……そうじゃな、経験則とか、そんな感じじゃ」
「そうでしたか。では私も、自己紹介させていただきましょう。この街で聖女としてアルト神からの神託を受けるとともに、普段は回復術師として勤めている、アリシアと申します。先ほどは、貴方を幽霊と誤認して聖魔法を撃とうとしてしまい、怖がらせてしまったこと、謝罪させていただきます」
「うむ、我は寛大じゃから、許してやるのじゃ」
実際の所、神の力を含む聖魔法がイナリに当たっていたらただでは済まなかった可能性もある。しかし、結果的に実害は出ていないのでイナリは許すことにした。
とはいえ、神と聖女では神の方が立場は上だが、とはいえイナリが神であることをアリシアが知るわけもなく、客観的に見ればイナリはただの失礼な子供である。
そんな失礼な子供に対して、アリシアは微笑みかける。
「エリス様から僅かながらお話は伺っております。お辛いこともあったでしょうが、エリス様ならばきっと、貴方の力になってくださいますよ」
「うむ、そうじゃな。……それにしてもお主、先ほどと口調が違うように思うが、それはどういう事じゃろうか」
失礼な子供は聖女に対して無遠慮な質問をぶつけた。これには流石の聖女の顔も引き攣る。
「な、何を仰っているのでしょうか?」
「いや、先ほどと明らかに口調が違うのじゃ。のうエリス、お主もそう思うじゃろ?」
「イナリさん…………」
エリスはイナリに残念なものを見る目を向ける。
「な、何故そのような目で我を見る?」
「聖女様、もう先ほどのようになさっても良いと思いますよ」
「……まあ、エリスの身内だし、お言葉に甘えて。イナリちゃん、私の表の口調はさっきの方だから、私がこんな喋り方をすること、皆には秘密だよ」
「うむ、誰しも秘密の一つや二つあるからの、気にせぬよ。それに、そちらの方が活き活きとしていて我は好みじゃ。先ほどのは……何というか、上辺を見ているようで不快じゃった」
「イナリちゃん、結構言うねえ……」
「アリシア様、私のイナリさんがすみません……」
「何度も言うがの、お主のではないのじゃ」
「とりあえず、仲がいいのはわかったよ。エリス、私にもそれくらい無遠慮な感じで接してくれてもいいんだよ?」
「それはその、万が一第三者に見られると本当にマズいので……」
「……そっか」
エリスの返答に、アリシアは悲し気な表情をつくる。
「すみません、アリシア様。とりあえず、イナリさんを抱いて元気出してください」
エリスがイナリを持ち上げてアリシアの方に差し出す。
「お主、我の事を人形か何かだと思うておるのか?」
「いえ、断じてそのようなことは。ですがイナリさんの尻尾の癒し効果は凄まじいですから、それで元気を出していただこうかと」
「……確かに、尻尾、柔らかそうだね。ちょっと触らせてもらってもいいかな?」
「全く仕方ないのう……」
イナリは大人しくアリシアの膝の上に座った。
「おぉ~、確かにふわふわ……だ……けど……んん……?」
アリシアはイナリの尻尾をやさしく撫でながら、次第に表情を訝し気なものにした後、驚きか、あるいは困惑のような表情になった。
「……アリシア様、どうしたのですか?」
「……イナリちゃんからさ、アルト神の神託を受けるときに感じる力と同じようなものを感じるんだけど。……これ何?」
「……なんと……」
イナリが神であるという事実に到達するまで、ウィルディアですらそれなりに時間を要したのに、アリシアは不可視術を無効化するばかりか、イナリの体から流れる神の力を即座に知覚し、一瞬で核心的な部分まで辿り着いたのだ。
「我が神であることを瞬時に見抜くとは、中々やるのう。やはり聖女の名は伊達ではないという事かや」
「え、神なの?」
「え、気づいておらぬのかや」
「……イナリさん、アリシア様はまだそこまでは辿り着いていなかったと思いますよ……」
エリスはため息をこぼしながら、迂闊にイナリを手放したことを後悔した。
そしてしばしの間、部屋に沈黙が訪れた。
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