第116話 思考に耽る夜番 ※別視点
<エリス視点>
辺りはすっかり暗闇に包まれ、周囲の森からは草木が風に揺れる音や、虫の鳴き声が聞こえる、静かな夜。
私は今、イナリさんの家の前で火の明かりに照らされながら一人、明日の帰還に備え、片付けと荷造りを進めていました。
作戦が終了しエリックさんを残してここに戻ってきた後、この場所に戻ってきてからは、皆さんは食事を終えるなり、すぐに就寝しました。
私も本当はイナリさんと一緒に寝たかったのですが、今ここにいるメンバーの中で一番体力的に余裕があるのは私で、次点でエリックさんです。
そんなわけで、前半は私が、後半はエリックさんが夜番を担当することになりました。
もっと言えば、実は夜番に関する話し合いをしていた際、イナリさんも体力に余裕があると主張していたのですが、それはブラストブルーベリーを食べたことによる体力的な回復であって、精神的な疲労については回復していないでしょうから、その旨を伝え、休んで頂くことにしました。
私の我が儘とイナリさんの健康を天秤にかけたら、どちらが重要かは言うまでも無いのです。
ちなみに、何故今は川辺ではなくイナリさんの家の前かというと、エリックさんによれば、先ほどトレントを一通り倒し終え、念には念を入れて残骸の焼却処理も行ったらしく、少なくとも、もう川辺で夜番をする必要は無いと判断されたためです。
それに、謎の力によって魔物が来ることも無く、もし仮に何かあったとしても、私の広域結界での索敵によって、何かあれば先手を打てます。
そんなわけで、ただぼーっとしているだけというのも辛いので、時間つぶしを兼ねて作業をしていたというわけです。
……が、それも今、綺麗にした食器を鞄にしまって閉めたところで終了してしまいました。さて、どうしましょうか……。
私が虫の声を聞きながら思案している間、時折、リズさんが寝ているテントから物音がします。恐らく固定具などにぶつかって音が鳴っているのだと思いますが、大丈夫でしょうか。
……あれ、よく考えたら私、エリックさんと交代したらあそこで寝ることになるんですかね。果たして無事でいられるでしょうか。
私がこの後、外の岩か丸太で寝ようか、あるいはイナリさんの小屋を借りられないかと検討していると、今度はイナリさんの家の方から音がします。
一体何事かと振り返ると、イナリさんが眠そうな目をしながら小屋から出てきました。
「イナリさん、どうしたのですか?」
「うむ、トレント達に追われる夢を見ての……」
「ああ、なるほど……」
どうやらトレントは、イナリさんの記憶にしっかりと爪痕を残したようです。
……そういえば、リズさんもトレントが夢に出そうとか言ってましたけど、突然魔法とか飛んできたりしませんよね?
私が対魔法結界を展開するか考えていると、イナリさんが再び口を開きます。
「それでの、再び寝ようと思ったのじゃが全然眠れなくての。ならばもう寝なくても良いかと思うた次第じゃ。体調も問題ないしの」
「いえ、トレントが夢に出るくらいですから、まだまだ精神的な疲れは抜けきっていないでしょう。別に夜番に参加する必要もありませんから、朝までゆっくり休んでください」
「そうはいってものう……」
なるほど、再びトレントの夢を見ることを恐れているわけですね。たとえトレントを見慣れたとしても、時間が経てば恐怖は蘇るということでしょうか。
「でしたら、私の膝をお貸ししましょう」
「……またかや」
「また、です」
イナリさんには悪いですが、こういう機会は積極的に活かしていかねばなりません。
「……まあ、そうじゃな。一人で寝たところで結果は目に見えておるしの、改善するかは知らぬが、試すだけ試すのじゃ……」
イナリさんの返事を聞いた私は、急いで先ほど荷造りした鞄の中から毛布を二枚取り出し、一枚を近くの岩に敷き、その上に座ります。
「さあ、どうぞ」
私が促すと、イナリさんは静かに私の膝に頭を乗せて横になります。それに合わせて、もう一枚の毛布を掛けてあげます。
「おやすみなさい。今度こそ良い夢を見られるといいですね」
イナリさんにそう声を掛けると、さほど時間はかからず寝息が聞こえてきました。これが俗にいう、棚から何とやらというやつですね。僥倖です。無限に時間が潰せます。
私はイナリさんの頭に手を置いて、この子について考えます。
何かと謎が多く、今回の一件で自身が神であることを明かしたイナリさんですが、まだまだ謎はたくさんあります。
そもそも、アルト神が一神教のはずなのに別の神が存在するのは何故なのか。どうして地上の、ここにいるのか。どのような生を歩んできたのか。一体彼女が持つ神器は何なのか。尻尾は増やせるのか。……挙げていけばきりがありません。
しかし、少なくとも私にとってはどうでもいい事です。
……いや、知りたいとは思いますけども、少なくとも、どれだけ色々な事を知ろうと、イナリさんがイナリさんであることには変わりありませんし、知ったところで持て余すような情報が多々あるだろうことも明白だからです。そういう難しい話はリズさんの方が適任でしょう。
それよりも気にするべきは、リズさんの理論が正しいとすると、イナリさんは神の力の前には無力な可能性が高いということです。恐らく、神の力を持ったトレントがあっさりと切れるとなると、イナリさんもまたその例に漏れないでしょう。
私の知る限りでは神器くらいしか思いつきませんし、それで斬りつけられるような事態は無いと断言しても良い程だとは思いますが、とはいえ頭の片隅に留めておく必要はあるでしょう。
「……もう傷が治り始めてますね」
トレントの一件でふと思い出したイナリさんの傷について、髪を静かにかき分けて確認すると、遅くても明後日までには傷は跡形もなく消えていそうな様子でした。どうやらこの子はとてつもない治癒力も備えているようです。
私はそれに感心しつつ、イナリさんの綺麗な金色の髪の毛を軽く整えて戻し、再び思考に耽ります。
「魔王って、何なのでしょう……?」
神器とは、魔王に対処するためにアルト神が授けた武具、あるいは何らかの過程を経て神性を帯びたもの。魔王を撃退するには必須の道具で、その聖性から、ゴーストなどのアンデッド系の魔物や幽霊に対しても効果を持つ一方、それ以外には、アルト神が授けた物を除いて、さしたる特殊な効果は無い。
その定義が正しいとしたら、一体先ほどエリックさんが神器を用いて倒したトレントは何だったのでしょうか。
魔王とされているのはイナリさんと、神託でもうすぐ出現するとされている魔王の二つだけですが、トレントは魔王ではなく、あるいはアンデッド系の魔物でもありません。それにイナリさんだって、神器によるダメージを受けるだろう一方で、実際は魔王では無いし、アンデッドでもない……はずです。
何か二千歳は越えているとか言ってましたし、それが本当ならアンデッドになり得るのかもしれませんが……。こんなにもふもふで愛らしいアンデッドがいるはずありませんね。
「……あれ?」
ここで一つ、ある事に気がつきます。
リズさんの、神の力に神の力をぶつけると傷をつけることが出来るという理論が正しいとしたら、異界から侵攻してきている魔王もまた、神器でダメージを受ける以上、神の力を持っているということになります。
地形や天候を容易く変える、その影響力の強さを鑑みれば――
「魔王って、神なのでは……?」
それはつまり、イナリさんが魔王だということには変わりないのでは……?
イナリさんを撫でる手が止まり、僅かに震えます。暇つぶしがてら考えていたことが、こんな恐ろしい結論に至るとは予想だにしませんでした。
「……いや、関係ありませんね」
少なくとも、私がこの気づきを胸の奥底にしまっておけば、誰か他の人が同じような結論に至り、それを公表しない限り、イナリさんは平和に暮らしていけるはずです。
街に戻ったら、まずはイナリさんの神器を携帯しても平気なように聖女様に交渉しないといけないのですから、こんな壮大な話に構っている場合ではないのです。
私は、再びイナリさんの頭を一度撫でて、深呼吸しました。
この場には、虫の鳴き声と木々のざわめき、それに一人の少女の寝息と、一人の少女がテント内で何度も転がる音が響いていました。とりあえず、対魔法結界を張っておこうと思います。
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