紅焔のアイーシャ〜抜け忍くの一、病弱令嬢に異世界転移す〜

加賀宮カヲ

第一章:メディナ帝国

第1話:抜け忍くノ一、転移する

 全身に被せられた網。更には縄でぐるぐる巻きにされている。拘束された忍者は、外見そとみからは性別すら分からない状態だった。


 ただ、時折漏れてくるうめき声だけが、激しい憎悪をはつする。


おさ、連れて参りました。コイツ、同志を四人も殺しやがった」


 ゆらりと不気味な影が揺れて、長のうろんな声がこだました。


「貴様らは馬鹿か? 紅をそこいらのくノ一と同じだと思うな。ほれ、拘束を解いてやれ」

「いや、しかし……」


 大捕物の記憶を鮮明に宿す里の衆が、露骨なためいを見せる。「軟弱者め」そう吐き捨てた長は、忍び刀を構えると刀身を光らせた。


 ばらりと音がして、縄が切れ落ちる。直ぐに網も原形を留めない程に切り裂かれた。


 中にいたのは、やたらと威勢の良いくノ一であった。散々暴れたので身体中、傷まみれであったが。

 

「あら、くそじじい。アンタが直々に処刑してくれんのね」

「……のう、くれない。何故、ほんなど起こした」


 長がたくわえた髭を撫でながら問いかける。懐から煙管きせるを取り出し、吸い口を舐めた。くれないと呼ばれたくノ一は、長の言葉にショックを受けた様子で、顔を歪めていた。


「私に聞くか? 聞きたいのはこっちだよ! どうして、かえでを殺した!」

「楓? ああ、あの産み子か。うぬも子供じゃないのだから分かるだろう」

「私が金になる限り、妹の命は保障するって言ったろ! 子供が産めなくなってもだ」


 長は吸い口を咥えながら「はて、そんな約束したかの」と開き直る始末。唸り声を上げた紅が、掴みかかろうと立ち上がった。


 忍者がほん。おまけに抜け忍までしようとするなど言語道断。


 上忍が無機質に二つ指を口に当て、火を噴いた。この里秘伝の忍術『焔龍火えんりゆうか』。若い身体があっという間に業火で包まれた。


「長、紅を直接手にかけるまでもありま……あ?」


 激しい炎が、しなる鞭のように素早く伸びる。


 次の瞬間、上忍が火だるまになっていた。すすだらけの紅が岩場にどかりと座り込む。「コン」煙管きせるを叩く音がして、長がけんのんな目つきで再び髭を触った。


「紅は、火に滅法強いぞ。お前が知らんでどうする」

「聞いても無駄よ。暫く喋れないでしょ。これだけ焼かれりゃ」


 紅は、みっともなく這いずり回る上忍を見遣り、白けた調子で頬杖をついた。改めて長を睨みつける。


「アンタ、本当は自分で処刑したいんでしょ」

「ほほ、バレたか」

「じゃあ、早いところやってよ。とっ捕まった先なんて、地獄の方がマシだわ」


 忍び衆を背後にずらりと並べた長が、刀身の長い刀を持ってこさせた。うやうやしく打ち水を掛ける。後ろ手を針金で縛られた紅は、自ら首を差し出した。


わしうぬが好きだったぞ。最後に言い残す事はあるか?」

かえでを返せ! 死んでもお前は許さない。覚えてろ。絶対に殺してやる、くそじじい!」


 

 ザンッ!


 -無-


 

「グァッ! ハァッ……ハァ……」


 紅は幾何学模様の天井を見つめながら、眼球だけをそろりと動かした。


 ――なんだ。三途の川って嘘だったんだ。彼岸花もないじゃん。ナニコレ、寄木細工?


 次の瞬間、覗き込んで来た顔に、紅は首をねられたのも忘れて飛び跳ねた。岩のような身体をした狼……いや人間が今にも泣き出しそうな勢いで、眉尻を下げている。

 

 端的に言うと、狼の耳と尻尾のある大男だ。


「アイヤ……? 生きてるのか? アイヤ!」


 取りあえず飛び起きてしまった紅は、まず自分の首を触った。どうやら、生首ではないらしい。

 それから『アイヤ』と名のする方も振り向いてみた。だが、誰もいない。天井と同じ、幾何学模様の壁があるのみ。


 恐る恐る首を動かした紅は、狼の耳を持つ大男に問いかけた。


「ここどこ? はん……じゃないよね」

「ねはんとは何だ。私のせいで本当に済まない! 顔ばかりでなく、頭も強く打ったんだな」

「ハァ!? 頭を打ったのはそちらさんでしょ。なんなの、その変な耳」

 

 ぜんとする紅とは対照的に、大男は金色の瞳に涙を浮かべていた。

 

「アイヤ、私の名前が分かるか?」

「いーえ、知りません。初めましてだもん」


 会話がまるで成立しない。もどかしさが吐息となって漏れ落ちる。

 紅は取りあえず、眼前の獣を無視しようと思った。首から下を改めて確認する。


 見たことのない、大粒の赤い石が首からぶら下がっている。手に取ると、石は美しい輝きを放って……カタカタと震えていた。中からかすかに音がする。


 大男の耳もヒクッと反応した。


 女性の声が直接、鼓膜に響く。


(ガルガ様、私はここです)

「アイヤ! ルビーの中にいるのは、お前なのか?」

(ええ、申し訳ありません。私の身体が弱いばかりに、こんな事になってしまって)

「ちょっと待て、それじゃ目の前にいるのは……」


 ガルガと呼ばれた大男の瞳が宝石から離れ、ゆっくりと紅の瞳を捉える。


「私はくれない。首をはねねられて、処刑されたんだけど。ここははんじゃないの?」

「ルル! 鏡を持って来てくれ!」


 ルルと呼ばれた、頭にシルクのベールを被った女がかしずく。腰の金具がシャラリと音を立てた。睫毛を伏せ、悲しそうな表情を浮かべている。


「先ほどまで呼吸も途切れがちでしたのに。直ぐに鏡は残酷です、ご主人様」

「良いから、渡してやれ」


 手鏡を受け取った紅は、自分の顔を見て乾いた悲鳴を上げた。

 全くの別人がそこには映っていた。彫りの深い顔、艶のある黒髪、そして特徴的な赤い瞳。

 

 何より、顔の半分が酷い火傷におおわれていた。


「なんなの……一体、何が起きたの?」

(紅さん、と言いましたね。アイヤと申します。私は、死にました。けれども、魂がこうしてルビーの中に入ってしまったようです)

「いや、私も死んだんだけど。……まさか。魂が別人に入ったって言うの?」

(そういう……こ、と……)


 ふるふると輝きを放っていたルビーは、それきり光を失ってしまった。

 紅はおおよそ五感の全てが鋭い。ほんのりと命の脈動を宝石から感じ取れる。アイヤが消えた訳ではなさそうだ。


 目の前の大男も同じ事を思っているのだろう。耳がずっと動いている。


 マジマジと顔を合わせた二人は、かしこまった様子で「初めまして」と間抜けな挨拶を始めた。

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